生きたように死んでいく

先日患者さんが亡くなられました。

昨年の10月に96歳のお誕生日を迎えられたところでした。
「子どもたちと孫も来て食べに連れて行ってくれて、お祝いしてもらったんですよ」と嬉しそうに話して下さってから、2か月あまりのことでした。

20年以上この仕事をさせていただいているので、お迎えが来て患者さんとお別れすることはめずらしいことではありません。今回は亡くなられる前にお別れの挨拶がご本人からあり、それは初めてのことでした。

「もう十分よくしてもらいました。ありがとう」とかすれた小さな声で言って私の手を握って下さいました。

ご家族もいらしたので、私にだけ言って下さったわけではありませんが、私は、それが自分の終わりを悟った覚悟の言葉だとすぐにわかりました。

お正月前に体調を崩されてベッドから起き上がることも難しくなっていましたから、その時が近いということはわかってはいましたし、その状態を支えるためのチームが再編成されたところでした。

脳梗塞の左片麻痺を患いながら、数か月前まで室内は自分で歩いてすごされていましたが、私から見ればぎりぎりの機能を使っての自立でした。立ち上がりやズボンの上げ下げもようやっとという風でしたが、立ち上がりのコツを伝えるだけで、すぐに実践できた方でした。

普通は何度も繰り返していく中で、「クセ」として獲得される方が多いのですが、少しのアドバイスで自分で工夫して様々な動作が自立できていました。

それで、体調を崩して歩くのも大変になった昨年の秋までは、私の訪問は週一度で、マッサージで身体を使いやすく調整することと、動作の確認だけで十分な方でした。

自分のペースで生活をされ、家で過ごされる姿がとても穏やかで、他人が入るのは申し訳ないような暮らしぶりでした。そこへ頻回に訪問するのははばかられましたから、なるたけ訪問回数を増やさないようにしてきました。

この方は、時間があれば本を読んだり、パソコンを開いてゲームをしたり、そこには確かに彼女の時間が流れていたのです。

多くのお年寄りは、時間を持て余していらっしゃるように見えますし、他人の訪問自体が生活のアクセントになり、そのまま生活の活力になっていくように思いますが、そんなことを感じるところが全くない方でした。

そして、その振る舞いの全てが、私には、どことはなく、高い品格とインテリジェンスを感じさせるものでした。

マッサージ中も多くを語られないので、どんな経歴か聞いて見たくなりある日ついに聞いてみました。きっと良いところのお嬢さまだったに違いないと思っていました。

ところが彼女は、笑いながら
「とんでもありません。貧乏でずっと働いてきました。幼い頃に、母親と死に別れ、親戚に預けられました。小学校を出てすぐに奉公にいきました。小さな頃から、人の顔色ばかりを伺って大きくなりましたよ。

奉公先も結婚もその家のおばさんが決めた通りにしました。自分で決めることはなかったんですよ。
結婚した主人は優しい人でしたが、生まれた長男がダウン症で、小学校も行けず、ずっと家で見てきました。長男が亡くなるまでつきっきりでした。
今ようやく本を読む時間ができたんですよ」
と話して下さいました。

「簡素清貧」という言葉があります。
飾らず質素で、心清らかなる様を表す言葉です。

訪問マッサージで、明治・大正・昭和初期の方とお付き合いしていると、この方のように、本当に苦労をされてなお、心清らかに私のような人間にまで丁寧に気を使って下さる気高さを持ち合わせていらっしゃる方々に会うことがあります。
言葉で言い表すのは難しいのですが、このような方々と接すると、いつもこの言葉が思い起こされます。

私もこんな風に清らかな心で、必要なものだけに囲まれて暮らしたいなと思わずにはいられないそんな方たちです。

在宅医療を支え続けている医師が
「みなさん生きたように死んでいかはります」と話して下さったことがありますが、まさに生きたように死んでいかれたのかなと思います。

特別の訪問看護も医師の往診も受けることなく、その日の昼には入浴サービスの清拭を受け、そのまま静かに亡くなられたそうです。私にご挨拶をして下さった5日後のことでした。

今回は、ご挨拶いただいたおかげで、私もお礼を伝えることができました。
「感謝するのは私です。私に縁を下さって、仕事させていただいて、本当にありがとうございました」

心より、ご冥福をお祈りいたします。

リハビリにと折って下さいました。
甘いものを食べたくなくなったからと、仏さんのお下がりを「もらって下さい」とよく下さっていました。恐縮しながら喜んで、いただいてばかりでした😊

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