92歳の患者さんから聞く昔話

「75までは働ける。50までは練習。本番はこれからや」

中央市場で働いてきた患者さんは、今92歳。
重い荷物を運び続けて、変形性頚椎症から手足が痺れて起居動作が困難になられていますが、気持ちは現役の時のまま、しっかりされています。

そしていつも私たち若いモンを励まし続けて下さいます。
マッサージしながら聞く昔話は、本当に楽しい時間です。

「昭和元年生まれやから、すぐわかるねん。
満州事変は昭和6年。日中戦争は昭和12年。太平洋戦争は昭和16年。一番損した世代やな。17歳から国の命令で働かされてほんのちょっとの給料もらって。それも全部親に渡した。
戦争が終わった時、嬉しくてワンワン泣いたで」

えー!悲しくてワンワン泣いた人もいはったん違うんですか?

「なんでや。食べるもんもないし、いいこと一つもなかったし、終わったら嬉しいやん」

戦争体験者から聞く戦争の話は、私が子どもの頃にテレビで見たような、心の底から「戦争万歳。お国の為に我慢します」みたいな方の方が少なくて、おかしいなと思いながらも、やってきた時代の波をを受け入れ懸命に生き抜いてきたという方の方が多いように思います。

「ほんま政府は悪い奴やで。お金を没収して自分の発行した印紙を貼ったお金しか使えんようにして。あのお金はどこかに眠ってるに違いない。返してほしいわ」

「才能はあったけど親が勉強したらあかんって言って、家の手伝いと子守ばっかりさせられた。せやけど、勉強したいやん。必死になってしたけど、小学校しか行かせて貰えへんかった。
工場に働きに行った時に、女学校でた人と比べて恥ずかしく自分で勉強しておぼえたんやで」

こういう真面目で一生懸命な方。お上にたてつかず贅沢もしないで働き続けたこういう方々が戦後の日本の復興を支えてこられたのだろうと思うから、心の底からリスペクトして聞き惚れてしまいます。

「結婚してからは、家が商売してたから、無茶苦茶働いた。なまくらはキライ。必死になって働いたで。働いてお金貯めて世界中行ったよ。一番良かったのはカナダとオーストラリア。きれいで美味しいかったわ。」

「あんたも今は働けるだけ働いてお金貯めて、子どもが手を離れたら旅行行けるやん。まだまだこれからや。あんたやったら出来る。75までは働きや」

「せやけど、今が一番幸せやで。みなさんにちゃんとしてもらって、食べたいもん食べられて、お風呂に入れてもらって、こうしてマッサージに来てもらって。
マッサージしてもろたら、身体が動きやすくなるで。ほんまにありがたいで」

お金をいただきながら、こんな風に褒めていただいて、幸せだなあと思いながら仕事をさせてもらって本当にありがたいのはこちらです🙇‍♀

こういう絵に描いたような勤勉で正直な人たちは”絶滅危惧種”になりつつあるんじゃないかな。
もしそうなら日本の将来は大丈夫かなぁ。

中央市場の近くは島原という古い街並みが残っています。石畳みの道になっています。
大人気の魚の煮付け定食屋さん。毎日行列ができています。
昔の遊郭がそのままシェアハウスになっています。

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