悠生治療院

身体のバランスの崩れをケアします。アンチエイジングケアを基本に重量に抗える肉体を維持できるようにケアさせていただいております。訪問マッサージもしております。

心と身体の健康について

心が健康でいるためには、身体の健康が大切であること。なぜなら齢を重ねれば重ねるほどに、心は身体に大きく影響されるようになるからである。
また身体を健康を保つためには、毎日やってくる老化、それは具体的には筋肉が弾力性を失い、筋力低下を起こすことなのだけれど、筋力低下を食い止めることが何より大切であること。
そのために毎日の暮らしの中で身体の使い方を意識することが大切であること。
骨格的な変化をできる限り引き起こさないよう意識することがとても大切である。

田中(安井) 美香

立命館大学卒

京都仏眼鍼灸理療専門学校(旧仏眼厚生学校)卒。

ブログ

片眼で「見る」

金属加工する職人をされていた患者さんのお話です。 大阪城の天守閣の屋根についている金属を全て一人で納品したと言われるので、とてもしっかりとした腕で仕事をされていたのだろうと思います。 使い込んだ身体は、年齢とともにあちこちが悲鳴をあげていました。一番の問題は、めまいだと言われます。 脳梗塞後の不全麻痺(見た目はあまりわからないくらいだけれどやはり普通には動きにくい麻痺)もあるので、室内の移動は出来ても、めまいで室外の移動は困難だと言うことでした。 めまいというのは、脳の問題が隠れている場合もあるのですが、加齢に伴う骨格の変形から耳周辺のリンパの流れが滞ることで起きることもよくあります。そんな時はマッサージ施術によりリンパの流れをよくするだけで驚くほどに改善します。 ひどいめまいは、施術を始めてからある程度の改善はみえたのですが、どうにも頚部の筋緊張の左右差が大きく脳梗塞の後遺症のためかと考えていました。 が、実は若い頃に仕事中に体勢が崩れ、アルミ板で額から口元まで切る大怪我をされ、そのために左眼を失明されたのだそうです。 片眼になると遠近感がわからず、片眼による手元作業に慣れるまで3年くらいかかったそうです。 ほんの2、3㎝の違いがわからず、電車と車が並行して走っているところで、それらがすれ違う時に、その遠近感がわからず、あっぶつかる!と一人びっくりするそうです。 遠近感がつかめないのに、どうやって細かな作業をこなしてこられたのでしょうか? しかも選りすぐりの腕前なのはなんとも不思議です。 片眼でもみているうちに慣れてくるのかと尋ねてみました。 すると意外な答えが返ってきました。 見ればみるほどわからなくなるので、パッと見てあとは見ないでする方がうまくいくとおっしゃいます。 両眼がきちんと働いていた時と同じように見える前提で必死に見ようとしないで、見えないことを受け入れて、片方の眼とあとは経験に裏打ちされた心の眼で見る方がうまくいくということなのかなと思います。 私たちの仕事も同じことが言えるのかなとしばらく片眼で「見る」ということについて考えてみました。 見えないもの、わからないことをわかる前提で考え続ければ続けるほどに迷いが生まれて、正解から遠ざかるということがあると言えるのでしょうか。それより、心の眼を鍛えていくことに時間を費やす方が正解に近づくのでしょうか。 まだ自分の中ではっきりとした答えは見えていません。 きっと頭の片隅に置いておくことで、ある日成熟し、ヒラメキとなってわかる日がくるんじゃないかと考えることを一旦おしまいにしました。 感じる心やカンというのを言葉で言い表したり、人に伝えるのはとても難しいのですが、思考を超える何かがあるのは多分確かなのだろうと思います。

東洋医学を志した理由

この秋で、訪問マッサージの仕事に関わり始めて25年になります。 23歳の時に、バイク事故で意識不明となった友人の目を覚ますためにできることはないかと隣に住んでいらしたヨガの先生に相談し、西洋医学ではカバーできない世界に足をふみいれました。けれど、その友人は覚醒することなく事故から3年後の秋に亡くなりました。 この出来事をきっかけに東洋医学に関わりたいとこの道を目指しました。 専門学校に入学し、マッサージのアルバイトを探していたら、知り合いから訪問マッサージの仕事を紹介してもらいました。当時まだ多くは知られていないこの仕事の面接に行く前の日に、このバイク事故で亡くなった友人が夢に出てきました。 どこかの洞窟の中でこっそり二人きりで会っていました。ただそれだけの夢でしたが、面接の後、仕事見学に行った時、夢の理由を知りました。 在宅で、きちんと意思疎通出来ない寝たきりの人たちの身体を動かしたり、能動的な人生を送れるように働きかけたりする仕事だったのです。 病院で寝ていた友人にどう接したらいいいいのか、お見舞いに通いながらも戸惑いの方が大きい3年間でした。お見舞いに行っても何もできずに付き添いの人と話をして帰ってくるしかできなかったのです。 私は訪問マッサージに関わることで、その戸惑いを乗り越えて自分にできることを探して行く旅を始めたのでした。 それから25年。 寝ている人に必要なこと。 私にできること。 障害を背負って生きるということ。 そして死ぬということ。 まだまだ見えない答えもありますが、患者さんに支えてもらいながら一つ一つ答えを見つけてこれたように思います。 私にこの道を示してくれたこの友人には感謝しかありません。寝たきりでいるということは、逆説的ですが、必死に生きるということではないかと思うようになりました。 まだもう少しこの道を進んで行きたいと思っています。 どうぞよろしくお願い致します。

スタッフに伝えたい仕事の奥深さ、素晴らしさ

8月いっぱいで、うちの若手が退職し、9月からは新しいスタッフが加わって新体制をスタートすることになりました。 新体制が落ち着くまで、様々ご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが、全力でより良い体制が組めるよう取り組んでまいります。 どうぞよろしくお願いいたします。 プロフェッショナルを目指す限りはどのような仕事であっても、それぞれに深い経験を積むごとに、深い洞察や完璧さのレベルが深まるのは当たり前かもしれませんが、訪問マッサージという仕事の奥の深さもまた、底なし沼のごとくです。 それは時に施術者を苦しめるものであると同時に、この世を生きるヒントの全てを手に入れることのできる最上級の仕事の一つであると思っています。 それは、マッサージ師として、気持ちいいという時間の提供だけでは済まない状況にある方々の暮らしを支える一助となるような技術の習得を前提としていることがあります。 患者さん本人の感覚だけではない、他覚的な効果をつくりあげる過程は、とても大きな経験とそれに伴う自身の仕事への誇りを得ることが出来るからです。 そして、加齢や疾病による障害を持って生きることをサポートするということは、技術の提供以上に大切なものがあるということから目をそらすことはできません。 毎回の施術は心の交流なしには継続が困難で、癒すということの本質に近づかざるを得ないからです。 患者さんのホームに定期的・計画的に訪問するこの仕事は、そこに愛がなければ受け入れていただけずお断りを受けることがよくあります。 一度きりの関わりや、大きな期待をしない、切り取られたようなマッサージや、患者さん自身の治癒力から遠のいていくようなマッサージは、マッサージ治療の本質からどんどん遠ざかっていくように思います。 もちろんどのようなマッサージ施術であろうとその本質にせまることは出来るのですが、訪問マッサージの場合は、その本質から目をそらし続けることが困難で、そらし続けていると様々なしっぺ返しがやってきて現実に気づいていけるような気がしています。 私の訪問マッサージの関わりは、まさに、毎日山あり谷ありでした。 怒られては泣き、断られては憤慨し、医療保険の無駄遣いだと言われた日には、吐きそうになるまでおやつを食べ続けないと訪問に向かえない、そんな時をたくさん過ごしてきました。そのような経験の上に今があります。 今となっては、それら全てが、今の私を作ってくれた愛おしい経験となりました。 今では、患者さんの家が私のホームになってしまったようなところがあり、間違えて「ただいま」といいそうになる時があります。それくらいに訪問治療は、私をも癒してくれてきたのではないかと思っています。そして多分そんな時は、技術を超えた心地よい空間が私と患者さんを包んでいるのだろうと思います。 新しく加わってくれるスタッフにも是非この素晴らしさを伝えられるよう頑張ろうと思っています。 どうぞよろしくお願い致します🤲🤲🥺

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