片眼で「見る」

金属加工する職人をされていた患者さんのお話です。

大阪城の天守閣の屋根についている金属を全て一人で納品したと言われるので、とてもしっかりとした腕で仕事をされていたのだろうと思います。

使い込んだ身体は、年齢とともにあちこちが悲鳴をあげていました。一番の問題は、めまいだと言われます。
脳梗塞後の不全麻痺(見た目はあまりわからないくらいだけれどやはり普通には動きにくい麻痺)もあるので、室内の移動は出来ても、めまいで室外の移動は困難だと言うことでした。

めまいというのは、脳の問題が隠れている場合もあるのですが、加齢に伴う骨格の変形から耳周辺のリンパの流れが滞ることで起きることもよくあります。そんな時はマッサージ施術によりリンパの流れをよくするだけで驚くほどに改善します。

ひどいめまいは、施術を始めてからある程度の改善はみえたのですが、どうにも頚部の筋緊張の左右差が大きく脳梗塞の後遺症のためかと考えていました。

が、実は若い頃に仕事中に体勢が崩れ、アルミ板で額から口元まで切る大怪我をされ、そのために左眼を失明されたのだそうです。

片眼になると遠近感がわからず、片眼による手元作業に慣れるまで3年くらいかかったそうです。
ほんの2、3㎝の違いがわからず、電車と車が並行して走っているところで、それらがすれ違う時に、その遠近感がわからず、あっぶつかる!と一人びっくりするそうです。

遠近感がつかめないのに、どうやって細かな作業をこなしてこられたのでしょうか?
しかも選りすぐりの腕前なのはなんとも不思議です。

片眼でもみているうちに慣れてくるのかと尋ねてみました。
すると意外な答えが返ってきました。
見ればみるほどわからなくなるので、パッと見てあとは見ないでする方がうまくいくとおっしゃいます。

両眼がきちんと働いていた時と同じように見える前提で必死に見ようとしないで、見えないことを受け入れて、片方の眼とあとは経験に裏打ちされた心の眼で見る方がうまくいくということなのかなと思います。

私たちの仕事も同じことが言えるのかなとしばらく片眼で「見る」ということについて考えてみました。

見えないもの、わからないことをわかる前提で考え続ければ続けるほどに迷いが生まれて、正解から遠ざかるということがあると言えるのでしょうか。それより、心の眼を鍛えていくことに時間を費やす方が正解に近づくのでしょうか。

まだ自分の中ではっきりとした答えは見えていません。
きっと頭の片隅に置いておくことで、ある日成熟し、ヒラメキとなってわかる日がくるんじゃないかと考えることを一旦おしまいにしました。

感じる心やカンというのを言葉で言い表したり、人に伝えるのはとても難しいのですが、思考を超える何かがあるのは多分確かなのだろうと思います。

9月7日土曜日の京都の空です。屋上から北のほうを見ていると、そこにだけ雨が降り注ぐ雲を見ることができました。初めて見る雲の様子にしばらくみとれていました。
雲の筋は少しずつ位置を変えていましたが、私の頭上では星が見えていました。

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