心の揺らぎ

おはようございます。

ブログが更新できません。
仕事が忙しいというよりは、心が忙しいというか、満たされてしまったという方がぴったりくるかもしれません。

きっかけは、息子が好きな米津玄師さんの歌を聞いたことです。
脳が働く前に感情が揺り動かされ、気がついたら号泣していました。そして、ここ数年抑え込んでいた心の引っかかりが溢れてきて、頭の中で大混乱が起きました。

そのあとから、不思議な感覚になって、鳥🦅や虫🕷、木の葉やわた毛の風に舞う姿に目が奪われるようになりました。

公園で、これらを眺めていると時が経つのを忘れて、私がここにいないようなただ、蟻🐜に同化してしまったみたいな気持ちになるのです。

以前より、手に気が宿るようになったのか、ずっと関わっている患者さんから
「手が暖かい。気持ちいいわぁ」
と言っていただくことが増えました。

もう号泣したりすることはありませんが、自然と一体化しようとしているだろう自分を感じることで、今までにない心の平安を感じることがあるように思います。

これからは、心の揺らぎとその治療を少しずつ報告できたらと考えています。

元々スピリチュアルなことが大好きでしたが、ここ数年は遠ざかっていた世界でした。そして今、長い旅を経て、もう一度帰ってきたような気持ちになっています。この変遷は、わたしにはとても自然なことで、患者さんたちから大切なことを日々教えていただいて来たからじゃないかと思っています。

癒すということの本質

なかなかブログが更新できませんが、心の中が目まぐるしく動いていて心が落ち着かないからかなと思います。

仕事に追われてくると、ついつい次の訪問の約束の時間が気になってバタバタとしてしまいます。

施術にこだわるがあまり、施術時間が押してしまったり、話の流れで途中でやめることができなかったりという理由で、どんどん時間に追われてしまうということが大半なのですが、

患者さんやご家族さんからは、
バタバタしてる
とか
本当に忙しそう
と言われてしまいます。

トレーナーとしては、限られた条件の中でベストコンディションに近づけるために懸命の努力をしているつもりなので、こんな風に言われると本当にがっかりしてしまいます。

けれど、身体状況の改善ということではなくて、広く癒すということから考えると、どんな素晴らしい治療をしたとしても、次の時間を気にする様子が、癒されていた気持ちまでを消してしまい、全てを台無しにしてしまうということがあるのだろうと思うのです。

老化や障害に伴う症状の場合、治療による完治ということではなくて、身体が少し軽く感じるとか、手から伝わる熱の心地よさが明日に生きる心の糧の一つになることの方が、本当はずっと大切なのかもしれないということかなと思います。

昔、まだ私が前の治療院に勤めていた時のことです。もう10年以上前のことです。

老人ホームに入所するとても元気で朗らかな方が、ある時入居者同士のトラブルから笑うことを忘れてしまうということが起きました。
認知症があるものの自立歩行が可能なレベルでしたが、歩行もどんどんおぼつかなくなっていきました。
人が変わったようになってしまったこの方に私が出来ることはなんなのか答えが見つからないまま数ヶ月が過ぎました。

ある時私は、歩く事よりもう一度笑ってもらいたいそれが一番大切だと気がつきました。とにかく今度訪問した時は笑顔が少しでも出てくるそんな関わりをしようと思いました。
そして、次の訪問ではどんな風にしようかと様々考えを巡らせて訪問しました。

すると不思議なことですが、その方が私を笑って迎えて下さったのです。

たまたまかもしれませんが、あまりにもタイムリー過ぎました。私の心が伝わり、ようやくわかってくれたかという風に思われたのかなと思いました。

私としては、以心伝心を眼で見た初めての体験として強く記憶に残っています。

そして、この方は、お亡くなりになるまで、心が病的に沈むことはありませんでした。

これが癒すということの本質で、自分中心の治療に夢中になる私に、神さまが私にそのことを見せて下さったのではないかと思っています。

にもかかわらず、ついつい自分の力でなんとかしたいということに夢中になってしまい、本質からずれていくことを今なお、何度も繰り返しています。

患者さんからの
忙しそうやねの一言で、あー😩って気持ちにはなるのですが…

ゆったりすることの大切さを教わりながら、私自身もまた癒していただいているのだろうと思います。

ついついバタバタしていますが、どうぞ懲りずによろしくお願いします。

ネコくらい癒されることを私に教えてくれるものはありません。

マッサージ施術のおかげで今がある

もう7年近くお付き合いのある87歳の患者さんがいらっしゃいます。

主治医の先生が同意書を書いて下さらないので、自費治療です。

年相応に関節が変形しているので、筋肉の状態を調整しても、なかなか長持ちしません。自費治療ということもあり、なんとか2週間くらいもって欲しいと治療をさせていただいてきました。

だんだんと転倒するなど歩きにくいことも出てきましたが、歳のなせる技には抗えないところもあると自分自身を納得させてきました。

しかしながら、先日、この頃の転倒・腰痛続きで、ほおっておけないということになり、関係各位より整形外科の受診を勧められ通院されました。

その結果、ご家族様からのご報告では、

膝の変形は言うほどのことはない。
脊柱管狭窄症があるものの、87歳という年齢からすると、100人中20人以内に入る機能レベルの高さを維持できている。

と言われたそうです。

家族様からは、マッサージ施術のおかげで今がある。していなければ、もっと悪くなっていたに違いないと感謝していただけました♪( ´θ`)ノ

医療保険を使った仕事も使わない仕事も基本的にすることは同じです。医療費の無駄遣いとマッサージ施術の同意書をいただけないことも増えてきましたが、
アメニモマケズ カゼニモマケズ
信じた道を歩いて行きたいと思います。

また、マッサージを信じて自費を払って続けて下さった患者様には本当に心から感謝申し上げたいと思います。

本当にうれしいです😊😊😊

仕事に行こうとしたら、
白・黒2匹の鳩がいました。飛び立つことなくずっといたので、なんだかすごく縁起がよいようで、仕事に遅れるのも厭わず写真をとりました。
この世は全て陰陽の二層を一対として成り立っているというのが東洋医学思想の基本です。
近頃は経験とともにこの理解が深まりつつあるように思っています。

片麻痺の改善方法

この異常な気象に天気予報が外れてばかりです。

7月というのに、なんだか肌寒い風で過ごしやすくて良いのですが心配になってきます。

私のほうは、この1ヶ月の間に脳梗塞後の片麻痺の患者さんを新規で数名紹介していただきました。

患者さんたちは、突然の身体の変化に、早くよくなって発症前の暮らしに戻りたい、でも麻痺した手足が思うように動かないことを受け入れるしかないという気持ちと諦めたくない気持ちの葛藤自体が本当にお辛そうでなんとかお力になれればと思っていますが、そう簡単にはいかないのが現実です。

ただ、今までは、私が施術することで、その改善の手助けをすることをメインにしてきましたから、回数・時間などなかなか超えられない壁があり、少しの改善をしながら、生活を維持できたらいいのではという風に私もまたあきらめてきたように思います。

しかしながら、理屈的に片麻痺の改善方法はわかってきましたから、それを御本人に伝えることで、もしかしたら私の予想を超える結果が得られるのではないかと考えるようになりました。

麻痺した手足がうまく動かないのは、単純に神経がやられたからではないと考えています。
もちろん最初はそうなのですが、よほどのひどい麻痺でない限り神経は再生され指令をきちんと出しています。

しかし、重力に抗い重い手足を動かせるほどには再生されていないこと。
身体の動きは螺旋状の動きを基本としていて、この神経の異常事態に、直線的な動きを作ることで、とりあえずの回復を図ろうとすること。これが痙性麻痺というきちんと動かず硬くなるだけという状態を作り出してしまうのですが、このことを理解すれば、元どおりとはいかなくても少しずつですが、回復することが出来ると考えています。

そして、この新しい患者さんたちにこのことを出来るだけ丁寧に伝えるよう努力してきました。

すると、一人の方が、2回目の訪問時に、

この間まで動かなかったのに、麻痺した足が動くようになりました

と言って下さったのです。わずか一回の施術で!こちらがビックリしました。

動きにくい筋肉もまだうごいているよと伝えること、実際に動きを誘導することで、動く感覚を本人の身体に実感してもらうことで、こんなことも可能になるのだと知り、これから先微力ながらますます尽力したいと思っています。

そこで、これらに興味を持たれた方はご連絡いただきましたら、その実際をお伝えできたらと考えています。

どうぞよろしくお願いいたします。

決めつけないでよく見ること。
これが全ての始まりだと思っています。

治療師としての成長

毎日かんかん照りが続いていてアジサイがなんだかしょんぼりみえますが、関西もようやく梅雨入りしたそうです。

先日、うちの従業員から、
自分の母親が足が痛いというので、治療したのだが、母親の痛いという訴えに共感を示す感情が全く湧いてこなくて、自分の感受性はここまで枯れ果ててしまったのかと、涙ながらに訴えてきました。

涙ながらに訴える彼女を見ながら、彼女に対して抱いていた私の心配の半分くらいは、飛んでいきました。

「良かったね。おめでとう🎉。あなたもようやく治療師の入り口にようやくたてたのよ」

自分がなんとかしなければということがなければ、無責任に、あーだこーだと心配そうに言うのは簡単ですが、自分がなんとかしなければという責任を感じた瞬間から、そんな簡単に共感や同情を示す余裕がなくなるものだと思います。

この真面目な責任感こそが、治療師を治療師に成長させる一番大切な要素なのだと思います。

彼女は目の前の今することに必死で、自分が果たさなければならない責任について考える余裕のなかった人だっただけに、この成長を本当に嬉しく受け止めました。

ですが、これは単なる入り口です。
ここからがまた苦しい闘いの始まりです。

今ならマッサージ施術で軽減できる膝の痛み、その痛みを軽減できるようになるまで、私は多分15年くらいの歳月を必要としたように思います。

いくら見てもわからない膝を皮膚の上から眺めては、その皮膚の下で起こっていることを理解したいと見続けました。

いくら見ても、痛い膝と痛くない膝の違いがみえてきませんでした。

仕方がないので、私の両の手で膝を包み込み、自動運動をしていただくことで、手のひらの下で動く皮膚や筋肉、関節の動きの違いを感じることができました。

初めてその違いを感じられた時は、うれしくてうれしくて、患者さんに何度も何度も繰り返し動かしていただいて、うんざりされたりしました。

それでも毎日毎日同じことを繰り返しながら、徐々に、その違いを見てわかるようになってきました。

これらの退屈で地味な作業を飽きずに、続けることが一番難しいのかなと思います。

プロフェッショナルになるのは、簡単なことではないように思いますし、これで十分というゴールに行き着くこともないからこそ、飽きることなく続けていけるとも言えますが、簡単に得られない結果に諦めてしまう人が多いのも事実です。

うちのワカイシュウの成長をビシバシお尻を叩きながらのんびり待ちたいと思います。

皆さまにご迷惑をおかけすることもありますが、真面目に一生懸命頑張っております。どうぞ暖かい眼で見てやって下さい。よろしくお願い申し上げます。

施術後に、体力が低下して思うように水分補給が出来ない独居の方に水分補給の援助をするのは大切な役割の一つになっています。
元介護士の彼女は水分補給の介助がとても上手です。
画像は肖像権に配慮し一部加工しています。

受領委任払い制度の運用がスタート

京都市でも、受領委任払い制度の運用が始まりました。

今までは、患者さんが請求すべき療養費(鍼灸マッサージは医療費ではなく療養費という枠組みに入るのです)を、代理で請求するという制度だったのが、マッサージ師に直接療養費が振り込まれる、つまり保険者が治療院に委任する制度になったのです。ですから、この制度に参加しない保険者は従来どおりの請求ということになっています。

実際のレセプトには、大きな変化はないのですが、医療保険の不正使用を防ぐために添付書類が増え、また請求に関しては、治療院の施術者が誰であっても、管理者(国家資格を有するもの)が全ての責任を負うようになったことが大きな変化かと思います。今までは、請求をする施術者個人が責任を負う形となっていて、施術者ではない経営者の場合その経営者に不正請求があった場合でも全くお咎めがない状態でした。

ただ、提出すべき書類が増えたので、今までのやり方に慣れていた私たちにとっては、大きなストレスとなりました。

具体的には、往療の際、どこから来たかを記入する往療順位表の添付と、医師への報告書が加算対象となり(6か月に一度300円)、領収書の発行が義務づけられました。

求められることがあまりに細かいので、マッサージ師の保険使用を阻止するための嫌がらせじゃないかと言いたくなるものですが、公的保険を使用するということを考えると、実は当たり前のことなんだと思うようになりました。

それは、知り合いの訪問看護師さんの事業所に入った実地指導の話を聞いたからなのです。

介護保険事業所は、提出書類は電算化されていて、その請求内訳だけでよいようですが、記録に残すべき書類は大変細かなことを求めらるそうです。

例えば、関連機関と連携をとっていることを証明するために各事業所にサインをもらうようになっているのですが、それが実際にやり取りしているという証拠として、FAXの送付状や切手の使用記録などを残す必要があるといいます。記録に残らない行動はないことと同じという理屈なのだそうです。

カルテへの添付義務はないようですが、実地指導は数年に一度は必ずあり、おかしいと監査になり、全額返金になるそうです。

これに比べたら我が業界は、そもそも取り組み自体の記録・科学的根拠の提示が困難で、薬品や道具の仕入れを必要としないマッサージは仕入れなど関連を表せるものもないので、その実際のところを客観的に示すのは難しく、今までがゆるゆるに来たとも言えるのかなと思うようになりました。

たた、どんなに仕組みをきちんとしても、その網の目を潜り抜け、いかにお金を稼ぐかを考える人はどこの業界にもあるので、国家としては、取り締まりを強化するしかないのが現実なのだと思います。

もっとも、そのお役人さんが記録を残さず公的資金を喰いものにしている現実もまたあるわけですが、真面目なだけが取り柄な私は、お役所の通達のままに、真面目に資料を揃え、真面目に仕事に取り組んで人生を終えたいと考えています。それが私の性に合っているようです。

頭を使い抜け道を歩く人たちのことを考えると真面目にしていることがバカバカしくなることももちろんありますが、
日本の医療保険は、本当に多くの人のお金でまかなわれている素晴らしいシステムであることに間違いはなく、その使用に際しては、心して無駄のない施術になるよう、また自分たちの施術を記録として証明していけるよう取り組んでいきたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

寝たきりの方はマッサージの後座ってもいただきます。マッサージでほぐれた後、座位をとるとしない時と比べて楽に座る事が出来て、飲み込みも楽に。呼吸も深く出来るようになります。

理学療法とマッサージ

「今度、担当が変わって僕が関わることになりました。マッサージの先生とも協力していきたいのでよろしくお願いします。」

今年の3月に、訪問リハビリの先生からこんな電話をいただきました。
関わる患者さんとはもう5年以上のお付き合いで、私たちが関わった時にはすでに訪問リハビリも行っていましたが具体的な連携をすることはなくきていました。

この患者さんにかかわらず、訪問リハビリの先生から連携をとろうと連絡をいただいたのは長年訪問マッサージをしていますが、初めてのことでした。

ずっと理学療法士の先生たちと具体的に協力して仕事がしたいと考えてきましたから、このチャンスを大切にしたいと考え、私のしようとしていること、出来ていないこと、悠生治療院の体制としての弱点をつまびらかに説明しました。
先生は、私の話を丁寧に聞いてくださり、今後も細やかな連携を取っていこうと話して下さいました。

その後も、定期的に様子を尋ねる電話を下さるようになり、また、自分たちの出来ていること、出来なかったこと、これからしようとしていること、私たちのしていることへの疑問なども話して下さるようになりました。

私は本当にうれしくて、それから少しあつかましくなって、この患者さんの話から外れた、自分のマッサージの到達点とその中で出来ていないこと、リハビリの先生と連携したい具体的な点まで話をしたり、全く別の患者さんのことまで相談させていただいたりしました。(本当にあつかましい!)

そんな中で、リハビリの先生は、

「マッサージという手技に関しては、開業されている鍼灸マッサージの先生の方が病院勤めの私たちよりはるかに優れている方がたくさんいらっしゃると思っています。
運動療法に関しても、理学療法士より工夫をこらし、素晴らしいものを持つマッサージ師の先生がいっぱいいらっしゃると思っています。

僕は、そういう腕がないので、患者さんの生活の中で出来る訓練メニューを作り、実行してもらうことで生活を変えていってもらうというスタンスで訪問リハビリをしています。

僕たちが行った時に訓練をするよりその方がよほど大きな変化に繋がると考えています。」

と話して下さいました。

こんな事を考えている理学療法士の先生がいらっしゃるなんて本当に心の底から驚きました。

そして、

「また時間が合えば、マッサージ施術を見学しに行ってもいいですか」と尋ねて下さいました。

もちろんです。見ていただいてご意見をいただきたいのはこちらのほうです。

それからしばらくして、私の訪問時間は、リハビリの先生のご都合がつかず、お互いの都合がついて患者さんの予定もあう時間を別に設定すること(訪問日を振り替えて)になりました。

きちんと日時が決まってからは、とにかく説明が下手な私は、どう伝えれば、いまの自分の考えをうまく伝えられるかずっと考えました。

私のマッサージは筋膜療法を基本として成り立っています。
筋膜療法というのは、
ものすごく乱暴な説明ですが一言で言うと

偏った使い方を続けると筋膜は、ねじれて肥厚していく、この部分をゆっくりとした持続圧で解かしていき、正常な状態にしていく療法です。

アメリカで提唱されたこの療法を私は一から学んだわけではなく、自分なりの仕事の中で到達した先にこの療法があったという感じだし、アメリカの筋膜療法は、寝たきりや中枢性疾患の症例の記載がなく(私が読んだ限りの中ではという意味)、私よりも知識も経験も多いと思われるこのリハビリの先生に伝わる言葉を探しながら仕事をしていました。

もちろんこれまでも、いろんな人に伝える努力をしてきましたが、
うまく伝える言葉を見つけることが出来ませんでした。
でも、伝えたい相手がリハビリの先生であるということは、基礎的な理解は一致しているのですから、その先の私のしていることを伝えるだけで伝わるのだと思うと私の中にシンプルな言葉が浮かんできました。

筋膜が捻れるのは、重力に逆らうための筋力が足りないために生じるアンバランスからです。ですから、手足の重みを他力的(つまり施術者の力で)取り払い、正確な関節運動が出来れば筋膜の捻れが矯正されていく。と考えているので、マッサージという手技を中心にするよりは、自動介助運動(自分で動かしていただきながら足りない部分を補いながら運動をすること)を中心に施術を組み立てていること。

また、その引き攣れた部分を少し揉みほぐす時は、その動きの始まりと終わり(手で言えば肩と手指)を近づけることで、平面的なマッサージでなく立体的な動きを作ることが出来ると考えていること。平面的なマッサージをすると深層の筋が揉めず表層の筋だけ緩めることになり、返って動きを悪くすることがあると考えていることなど説明しました。

その患者さんに関わっていらっしゃる二人のリハビリの先生が見に来てくださって、私の説明を熱心に聞き、そして細かなところを見て質問して下さいました。

その上に、患者さんはとてもよく状況を理解出来る方だったので、普段説明が不足していることもあり、私が何を考えてマッサージをしているか一緒に聞いてもらうようお願いしたので、心おきなく説明が出来ました。

私の説明が終わった後に、リハビリの先生が、私の始まりと終わりを近づけたポジションでほぐすやり方は理学療法のテクニックの中の一つにあること。
深層の筋は単関節筋(つまり筋肉が一つの関節しか超えない)であること。
それから私の関節の動かす方向がバッチリ正しいと教えて下さいました。

その後、リハビリの先生に介助で歩行練習をしてもらいました。大きな患者さんをわたしよりずっと細い小柄な身体で上手に誘導し、軽く歩行を介助されていました。歩行前の座位姿勢は傾きがあったのに、歩行後はまっすぐ(見たことがないくらい真っ直ぐに!)座ることが出来るようになっていらっしゃいました。

「マッサージの後に機能訓練をすればパーフェクトですね。患者さんからマッサージの後は動きやすいと聞いていましたが今日その理由がわかりました」
と言って下さいました。

そしてその翌日、リハビリの先生からメールが届きました。

「この患者さんの障害と生活スタイルに比して機能レベルが高い理由がわかりました。安井先生のマッサージがあるからです」

と言って下さったのです。

本当にうれしくてうれしくて、これから本当の意味で、一緒に仕事が出来たら最高に幸せだと思いました。

マッサージと理学療法は、本来は一つの体系の中にあるはずのものが、歴史的な経緯から二つに分かれ、その上少し対立的な立場になってしまっているだけだと考えています。

さあ、いざ、ともに歩まん❣️

よろしくお願いします。

患者さんの手作りシュウマイ。美味しくいただきました。
この方の場合はうまく連携が取れていません。
私はどうしたら一歩が踏み出せるか思案中です。

魂のスナップえんどう

今週のお弁当に3日連続顔を出しているスナップえんどうは、患者さんからの頂き物。

大きな心臓の手術をしているにもかかわらず、自家栽培の逸品です。

心臓疾患を患われている方の多くは、死と直結するその恐怖から、室内で過ごすことが多く、廃用性予防にと訪問マッサージに伺うことがよくありました。

スナップえんどうのつくり手である患者さんは、自分が死の恐怖を味わわない限り、自分の行動に制約を設けることなく生きていらっしゃいます。(見ていいるこちらはハラハラですが…)

魂のスナップえんどうは本当に美味しくて、今まで食べたスナップえんどうとはまるで違う美味しさでした。

私はこの方をサポートしたくて、循環を助けるために懸命の努力を重ねていますが、

「いつまで生かす気?マッサージいい加減でやめようかな」と言われしまいました😨😨😨

眼鏡

眼鏡👓作りました。

老眼がつらくなり、薬局で購入した老眼鏡を使い続けると眼が疲れて、
「きちんと眼に合ったものを処方してもらわないと」
と患者さんに叱られて、これまた別の患者さんから紹介していただいた「眼球フェチ」の眼鏡屋さんに行ってきたのです。(詳しくは前回ブログをお読み下さい)

私は老眼鏡を作りに行ったので、測定結果から「遠中両用眼鏡」を勧められても、中というのは、近くに焦点は合わさないけど、ゆるい老眼鏡だと信じて疑わずにいました。

どうやら近視と乱視のせいで、老眼の測定値よりは見にくくなっているらしい。だから本当に近くを見る時は、眼鏡に差し込み式の老眼ルーペを買い足しました。

このように、眼鏡屋さんを紹介してくれた患者さんに報告しました。

すると
「老眼の要素は1ミリもありませんよ。近視と乱視の矯正眼鏡ですよ。だから老眼ルーペ別付けなんですよ」

と言われました。

えー!私は老眼鏡を買いに来ましたと言ったんだけど…思い込んでちゃんと聞かなかったから。別に構わないのですが、素人判断で勝手に決め付けるのはあかんなぁと思いました。

近頃は、仕事中は、花粉・PM2.5・紫外線避けに伊達メガネをすることが多かったので、遠中両用眼鏡を日常的にすることで、プロテクトをしながら視界もスッキリ、眼の疲れともおさらばできる眼鏡生活になり、私としては、願ったりかなったりなのでした。

さて、この眼鏡をかけて、初めて自動車の運転をして帰った時は、今まで緊張して引き攣れていたのだろう耳の下あたりの筋肉が緩んで来たのでしょう。こそばゆい感じで、なんとも言えない違和感を覚えました。

えー!こんなに見るために筋肉を動員して一生懸命に見ていたんだ!

それは、眼鏡をかけている間にきっと引き攣れた顔の相も優しい顔に変わるんじゃないかなぁと思わせる違和感でした。

それから一週間すっかり眼鏡生活に慣れてきました。顔の歪みが直るといいなぁ。

眼球フェチのプロフェショナルなメガネ屋さん

今日は、齢を重ねたために近くが見えなくなる眼(つまりいわゆるところの老眼)のために眼鏡を作りにメガネ屋さんに行ってきました。

少し前に、患者さんが、
「眼球フェチでリーズナブルなお値段な」メガネ屋さんで、いつも眼鏡を作っていると話して下さいました。

その店のご主人は、眼の構造から語り始め、年齢やその形などの話を始めると止まらないと言うのです。

筋肉フェチの私としては、眼球フェチという響きだけで興味津々。既製の老眼鏡での眼精疲労が響いてきていたところなので、時間ができれば行きたいと考えていたのです。

ウワサに聞いた「眼球フェチ」の店主は、まず近眼というのを悪いことのようにとらえること自体がよくない。
眼球というのは、黒眼につくレンズを周りの筋肉が、そのレンズの厚さを調整していて、単に使いすぎたために、筋肉である白眼部分が肥厚し、眼球自体が肥大してしまう結果であり、悪いことのように受け止めるのは違うと話を始めて下さいました。

眼球は、10円硬貨大の径が正常な大きさなのだけれど、筋肉が引っ張りすぎて五百円硬貨大にまで肥大することで、大きくなった分が、レンズの像を結ぶ位置をずれさせてしまうと説明をして下さいました(私の理解の及ぶ範囲が正しければです)。

ただ、使いすぎ、引っ張りすぎた状態なので、眼にあった眼鏡をかけることで、白眼である筋肉を助けることができ、結果的に眼球の大きさを正常な大きさに近づけることができると言います(眼の状態でそう簡単ではないとはおっしゃっていましたが)。

また、老眼による状態は、筋肉が老化により弾力性を失い調整能力が落ちてしまった状態なのだそうです。
通常は、40歳くらいに、プラス1から始まり、70歳にはブラス3になると言われていました。

このプラス1というのは、1足すことで、10円硬貨の正常な大きさの位置で像を結ぶことができるという意味だそうです。
ですから、近眼の場合は、大きくなりすぎた眼球の結ぶ像の位置からマイナスしていく数字で正常な位置を表すのだそうです。
そして、老眼もまた、眼鏡で筋肉を助けることにより、疲労を軽減し、より若い状態を長く維持することができるとおっしゃっていました。

私は老眼だけでなく、近視と乱視も持っていたのです。乱視は、よく眼鏡検査にある放射状の線が濃い線と薄い線に見えるのが、これが乱視によるものだということでした(私は今回まで自分が乱視ということを知りませんでした)。そして、遠近の度を入れない、乱視を矯正するレンズをいれただけで、小さな字もよく見えたのでとても驚きました。

乱視というのは、水晶体が歪んだ状態にある時に生じるらしいのですが、それは生まれつきのものだということでした。

10代から20代には近視のために眼鏡を必要としてきましたが、乱視があることも知らず、このように詳しく説明をしてもらったのも初めてでした。

少しの近視と乱視、それから老眼のある私は、眼精疲労を助け、紫外線から眼球を守るために、いつも眼鏡をかけて生活することを勧められました。

その提案に従い、遠中(遠近ではなく、近場は困らない程度の度にする)両用眼鏡を購入することにしました。

最後に、仮レンズで店内を歩いてみるように言われました。
近視、乱視、老眼すべてあるにもかかわらずなんとか見ていたぼんやりの世界に慣れていた私の眼は、矯正レンズで世界を見たとき、床が盛り上がり、少し離れたところにある棚は長方形でなく、跳び箱のように台形に見えました。

それは、眼鏡が合わないからではなく、長年見えないことに慣れた眼が見せている「錯覚」でしばらくすると慣れていくのだそうです。

また、レンズを次々と変えながら見え方を検査している時に、私は見えていることを見えたままに言葉にしていたのですが、見えないことが続くと感じる力を脳が失ってしまうこともよくあるそうで、私は眼の感じ方が敏感だと言って下さいました。そのため、眼の錯覚がなくなるのも速いのではないかとも言って下さいました。

眼の感じ方に敏感とか鈍感というのがあるというのが、この日一番の驚きでした。ワガママな私は自分の感じにいつも素直なのかなと思い、これが私を私たらしめている大きな要素だという気もしますが、何はともあれ、眼についてこんなに詳しくなれるなんて! ウワサどうりのプロフェッショナルなメガネ屋さんでした。

10日後に出来てくる眼鏡を楽しみにしています。

これは小出光学という京都のメガネ屋さんに行ってきた話です。