寝たきりの方の寝る姿勢

今は、ポジショニングと言って、寝たきりの方の寝る姿勢を大切に考えるようになってきました。

どういうポジショニングがいいか理学療法士の先生方に見て決めていただくこともありますが、私が問い合わせいただき介護士さんや看護師さんと一緒に決めていくことも増えてきました。

寝たきりで自分で手足をうまく動かせなかったり、寝返りが出来ないと床ずれが出来たり、手足が硬く伸びなくなってしまうのを防ぐことはとても大切で、一旦出来てしまった床ずれを治すのはとても大変になるからです。

普通私たちは、無意識に寝返りを打ち、一つ所が圧迫され続けないようしているのですが、自分の重みが接地面にかかり続けることで、その部位が壊死してしまうのが床ずれです。

それで、寝たきりの方に対して、圧が一点集中しない材質のクッションが様々開発されています。

また誰かが、一定時間ごとに体転するのが一般的な床ずれ予防ですが、昼夜を問わず必要とされるその介護負担はとても大きいので、エアマットに自動的に身体の圧のかかる部分を変える製品が開発され、次々と改良された新製品が作られています。
これらは、床ずれ予防に大きな成果をだしているように思います。

しかしながら、動く前提で設計されている人間の身体は、動けないことが作り出す身体の不具合を全てなくすことはとても難しいように思います。

それは身体というものが、皮膚・皮下組織・筋肉・骨といった独立した部品の寄り集まりではなく、身体という一つの有機的な繋がりを持ったものなので、一つの動作を自分でする時はそれに伴い体全体が動くのに比して、他動的に動かす時は一部分しか動かないからだと考えています。

つまり、自動運動では全体が立体的に動くのに比して、他動的な動きになると平面的な折り紙のような動きを考えてみるとわかりやすいかと思います。

そして、この立体的な動きこそが、深層の筋群の動きを誘発し、抹消の全ての関節運動を可能にし、単なる手足の動きだけでなく、その血行を促進し、皮膚や軟部組織の状態をベストに保つ鍵なのだと考えています。

だからこそ、機械や誰かの手で動かすことでは解決しない問題があるのだろうと思います。

ここで、私たちマッサージ師の出番です。

一つ一つの筋肉が果たす役割が果たせるよう全体を整え、まるで自分で動かしているような筋肉の状態を作り上げていく技術を持って、自動運動に近い動きを作り出したり、本人が動きやすくなるように身体を整えることで、失われた自動運動を誘発していくことが出来るからです。

と言うのは簡単ですが、実際には腱や骨まで壊死・感染が進行した床ずれを治すのは容易ではありません。看護師さんや介護士さんの涙ぐましい努力なしには決して改善はありませんが、最新の技術に負けない技術力で、床ずれ治療・予防に当たりたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

寝たきりトラブルに際限はありません。皮膚という防衛の最前線がやられるということは生命の危機を意味するような出来事なのです。

患者さんからのお土産

患者さんから、岡山旅行のお土産をいただきました。

きびだんごです。めちゃくちゃかわいいパッケージに釘付けです😍😍

「これがきびだんご?! こんなのにつられて鬼退治に行くなんて、しょうもないもんやん。」と箱を開けながら呟いていた息子ですが、一口食べると「わあ〜美味しい❗️全部食べていい?」
いやしさにまけて鬼退治に行きそうな勢いでした。

この岡山旅行は、乳癌の術後、肺に転移をしてしまい抗がん剤で治療中の患者さんが「死ぬ前に行きたいところ」の旅の一つです。

百貨店の阪神タイガースフェアに行き、星野仙一監督人形を買っていたら、ご本人である星野監督(岡山県出身)が出てきて「ありがとうございます」と声をかけて下さったのだそうで、ますますファンになり、どうしても行きたいとご家族に連れて行ってもらわれたのです。

ところが、年中無休のはずの、星野仙一記念館が臨時休業で入ることが出来なかったということでした😢

「がっかりなんて言葉であらわせへんで」と。

簡単に行ける身体でもなく、誰かの助けが必要な状況なのでお気持ちを考えるとため息しか出ませんでした。

けれど、「死ぬまでにしたいこと」の目標達成をしてしまい、することがなくなると困るので、もう一度来てよーと星野仙一監督が言って下さっていると信じて、リベンジを果たして欲しいなと思います。

ベストコンディション時の患者さんの美味しい手料理

先日、患者さんが作られたお昼ごはんの炒飯を私もいただきました。訪問前に完成したところだったと、私の分もとりわけて下さったのです。

食が細く、チキンラーメンも半分しか食べられないと言いながらも、お料理がとても上手で、いつも一汁三菜を基本にした食事をされていて、どんなお料理も一手間を惜しまずに作っていらっしゃいます。

炒飯には、きのこが好きだからと、シメジとマイタケ、キャベツと白菜。それから牛肉も入っていました。

味付けは塩コショウとハイミーだそうです。

こんな美味しくできるものかと私も次の日に炒飯を作って見ました。
しかし、残念ながら、この味には及びませんでした。味付けのさじ加減が難しいですね。

私のこの方への訪問マッサージの始まりは5年前まで遡ります。

左手首の骨折後、指の付け根(中手指節関節)が拘縮して使いにくいのでなんとかして欲しいという依頼で訪問が始まりました。

この方は、この訴えとは別に、基礎疾患に、喘息と肺気腫(タバコやホコリ、粉、石などを吸い込むことで肺胞が破壊され、日常生活を送るのにも困難な状況になる肺の疾患)を抱えていらっしゃいました。

まだ老人というにはお若くてしっかりされていま したが、呼吸器疾患のため在宅酸素を手放せず、少し無理に動くと心肺機能がダメージを受けてしまうため、自由に外出ができないという方でした。

呼吸がうまくできないというのは何よりつらいことのように思います。

酸素をうまく取り込めない身体は心臓の拍動を増やしてなんとかしようとするので心臓にまで負担をかけます。
その結果一過性の心不全が起きるのか、肺機能に問題がある人が無理をした後、浮腫が全身に見られることがあり、何かあれば、すぐにわかるくらいです。

この患者さんへの治療は、まず主訴である、手を使いやすくすることです。

指の筋肉・靭帯というのは、細く、複雑な動きに対応できるように複雑に作られているので、他人がどうにか出来るものではなく、本人が使い動かすしかないと考えています。
ですが、使えないことで、大きな腕や背部の筋肉までもが萎縮してしまっているので、こちらを改善することは出来ます。
この大きな筋肉が改善すると、指まで使いやすくなるので、あとは本人が日々の暮らしで使い続けていくことで大きく改善していきます。

こうして今では、見た目はほとんど左右差がなくなりましたが、ご本人はまだまだ違和感があるとおっしゃいます。やはりそこは、ジブンデガンバッテクダサイです。

もう一つこの方にとって、私の訪問が必要な大きな理由があります。

それは、呼吸器疾患です。

胸郭を広げて必死になって息を吸い続けると、呼吸筋がオーバーワークになり疲労し、ますます呼吸困難になります。それで、呼吸筋の疲労を回復し、常に最良の状態にしておくことが何よりも大切なのです。

5年に及ぶお付き合いの中で、施術期間が4日以上あくと呼吸が浅くなり気怠くなってしまうことが、お互いにわかってきました。

呼吸状態さえ問題なければご機嫌に毎日の生活を送ることが出来ます。

美味しい料理だって作れます。

ですから、この方がお料理を出来ているということは、ベストコンディションに近い状態にあるということなのです。

というわけで、お皿に盛って下さった炒飯は遠慮なくいただきました。
ご馳走さまでした👍

粕汁はブタとブリが入っています。どちらも臭み取りに一度湯通しがしてあって、お野菜たっぷりでとても美味しい得意料理の一つです。

赤こんにゃくは滋賀県の特産品。ピリッと辛くてめちゃくちゃ美味しかったです。

美味しい記憶

美味しい記憶。

鰻のお誕生日プレゼントを差し入れしてから6日後の今日106歳の患者さんを訪問。

鰻のことはすっかり記憶の彼方みたいでした。取り立てて話題にもしないで、今日の体調を伺いながらマッサージを始めようとしたら

「あんた、名前なんやったかな。心安すぎて忘れたわー。
うどん注文して食べようか。あんたも好きなもん頼みー」
とおっしゃいます。

もう3年以上伺っていますが、こんなことをおっしゃるのは初めてです。

私と美味しいものが記憶の中で結びついたんじゃないかと思うのです。

美味しいものを食べた記憶は、次々と通り過ぎて行くルーティーンな日常に楔を打ち込むような出来事なのかもしれません。

やっぱり美味しいものは元気の源です!

そして、ボケ予防の一番は、やっぱり食べる楽しみがあることかもしれませんね。

私は106歳の患者さんの言葉にマインドコントロールされそうです。
うどん買って行かなきゃ…って頭の中グルグル🌀

90歳の患者さんの作品。
本当に素晴らしい作品を作り続けていらっしゃいます。
ボケない秘訣・歳や病気、障害負けずに元気でいる秘訣は、いつまでも自分らしくいることなんじゃないかな。
ワガママというのは、我がままつまり私のままいるということだから、社会的弱者になればなるほど、すごく大切なことじゃないかなと思います。

医療費・介護保険の大幅改訂、マッサージ師の置かれている状況

来るべき超高齢社会にむけて、逼迫する医療費・介護保険を切り詰めていくための大幅な改定が進められており、鍼灸マッサージの医療費についても、この6月から往療費を少なくして施術費を少し増やすといった改定が行われます。(制度自体が大きく変わりますが、詳しくはまた今度に)

介護保険もこの4月に大きな改定があったようですが、中でも、リハビリに関してかなり厳しい対応になったようです。

痛みや機能障害によって歩行困難になれば、活動量が低下するため廃用的に機能低下がどんどん進んでいきます。

今までは、そのような状態に対してリハビリをすることで、日常生活動作のレベル低下を防ぎ、現状を維持していくことが、大切な取り組みとなされてきたように思いますが、これからは、理学療法士・作業療法士による機能向上のないリハビリについては打ち切っていくという考えに変わってきていると聞きました。

そういう機能維持リハビリは、デイサービスの中や、老人会の中で行われている集団の体操が担っていくことになるようです。

そして、我が訪問マッサージが置かれている状況はさらに厳しくて、医療保険制度としては残るけれど、マッサージを必要とする場合は、保険ではなく自費治療で行っていくように、医師会の中で指導されているようです。

医療保険が逼迫し、使えるお金に限りがあるのだから、命を左右するような、必要最低限のことにしか保険が適応されなくなるのは仕方のないことなのかもしれません。

自分では、患者さんに必要な医療の提供が出来るように、技術の研鑽・臨床の積み重ねを続けているつもりですが、目には見えないマッサージの効果を出したところで、マッサージ師によるマッサージを必要と考えない医師や保険者、厚労省の考えを覆せるとも思えず、先行きを考え始めると、辛いような悲しいような遣る瀬無い気持ちになってきます。

でも、こういう成果・結果を大前提とした高齢者や終末期医療が本当に患者さんの望むところであるとは限りません。

少し前に、ある患者さんと、ターミナル(終末期)の方に訪問している話をしていたら、
「私は、点滴などの医療処置や陰部洗浄などの保清や清拭をしてもらいながら死んでいきたくないわ。マッサージを受けながら死んでいく方がいいわ。頼むわね」とおっしゃいます。

私は、自分が死の淵にある時、どういうサービスや医療を受けたいのか、具体的に考えた事がなかったので、こんな風に言っていただいて初めて、そういうものかとしみじみ思いました。

ついつい医師や関係者に対して結果を出す事ばかりに気をとられ、心地いい時間を提供できていることの意味を自分では忘れがちです。
私たちには、マッサージ師だから、気持ちいいのは当たり前で、そのこと自体は大したことじゃないという感覚があるのかもしれません。

でも受け手の側からすると、気持ちいい感覚の中で死に向かって行けるというのは、消えそうな命を長引かせる医療処置より、元気な頃と同じような綺麗さを求める保清より、大切に思えるものなんだと、とても新鮮に感じました。

厳しい社会情勢の中で、結果や成果ばかりを気にして大切なものを見失いそうになりますが、心地よさが生きることの希望になることもあるということを忘れずに、心地よさを大切にする施術をしていこうと思います。
そのことが、私自信にとっても希望にもなるように思います。

社会の流れに惑わされず、患者さんの言葉を励みに頑張りたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。

日々移ろう紫陽花のように、心はいつも揺れ動いてます

誕生日プレゼントは鰻

「うなぎこうてきてくれたか?!」
昨日、私が部屋に入るなり、106歳の患者さんがこうおっしゃいます。

???私をヘルパーさんと間違えていらっしゃるのかと思いながら、私が困っていると、

「こうてきてくれへんかったんか」と続きます。

私は一週間前に、お誕生日のお祝いに、おはぎかお寿司をプレゼントすると言いました。
覚えてはいたのですが、お寿司といっても生ものは食べられないだろうし、箱寿司だけをお寿司屋さんで作ってもらおうと考え、昨日は間に合わず来週にしようと思っていました。

患者さんは明らかに先週の約束を鰻のプレゼントに変換して記憶し、待って下さっていたようで、そして鰻がないことを知り、落胆されていました。
「なんや…」

「ごめんなさい。覚えていたのですが、時間がなくて。明日かあさって持ってきます」

次の日は訪問予定にはありませんが、なんとかできるかなと頭の中で明日あさっての予定を考えていました。

「いつ?」と畳み掛けてきます。
「…明日きます」
「何時?」
「……うーんと…1時過ぎにきます」
「わかった」

年相応の認知症は ない…スゴイ…

なので今日は朝から何時にどこで鰻を買うかということを一番に考えて予定を組みました。

七条商店街にある鰻屋さんに行き、鰻の蒲焼を1尾買いました。

訪看さんに相談して、皮を残して身だけほぐせば大丈夫だろうということで、一度には食べられないので、残りは冷蔵庫に入れておくことにしました。
そして、お昼ごはん時のヘルパーさんの訪問に合わせて鰻を持って行きました。

私は患者さんが召し上がられるところが見たくて、ヘルパーさんの食事介助の横で身をほぐしました。

「3分の1くらいでいいかな」
「いや、半分くらいはいけるでしょ」とヘルパーさん。
「えー。そんなに」

美味しそうにもぐもぐ食べられます。
半分の鰻は、どんどん少なくなってきます。

「全部いけるんちゃう?」とヘルパーさん。
「本当に⁈」

1尾の鰻は、あっと言う間に106歳のお腹の中に消えて行きました!

「食べるってすごいですね」とヘルパーさん。
「こんなに美味しそうに食べてもらえて、買って来てよかったです」

「やっぱり花より団子ですね。お花は綺麗だけどねー」とヘルパーさん。

鰻屋さんで、鰻を買ったのは初めてなので、106歳の患者さんのお残りの鰻(の皮)は、家に持ち帰って、もう少し火を入れて夕飯に出しました。

匂いを嗅ぎつけた息子が
「今日うなぎ?」と聞いて来たので、
「うなぎの皮だけ」と答えて106歳の患者さんの話をしながら夕飯をいただきました。

美味しいものはやっぱり人を幸せにするんだなぁとしみじみ思いました。
来年のお誕生日のお祝いもまたできますように。


大谷選手の活躍が患者さんの力に

大リーグ・エンゼルスに行った大谷翔平選手が、大活躍されています。

若い選手の活躍を、私の患者さんたちもテレビを見ながらいろいろ報告して下さいます。

中でも、まだ60代の男性の患者さんは、いつも大谷選手の話ばかりされます。

「ほんまに漫画の主人公やなぁ。ピッチャーで4番。顔も男前。背は高く、手足は長く顔は小さい」
「ほんまですねー。出来過ぎですよね。天はいくつ彼に与えたんですかねー。」

行くたびに毎回こんな会話を繰り返していましたが、先日は、

「毎日、大谷君の活躍を見るのが楽しみやねん。
試合がない日はガッカリ。他の日本人選手の試合だとなんか楽しみな気持ちにならへんねん。

大谷君のことを考えている時は自分の病気のことを考えなくなってん。これって二次的効果かな?」

とおっしゃるのです。

本当にびっくりです。
お若い分、人生に諦めきれず、施術中は、排便コントロールのことや、歩行状態、一日の過ごし方など、元気な頃にはなかった自分の身体に起きた変化について考え続けてしまう時間を毎日毎日過ごされてきたのです。

「毎回毎回おんなじことばっかり聞いて嫌になるやろ」とご自分でおっしゃるくらい、わかっていてもどうしようもなく、心を他に向けることが出来なかった方なのです。

それが、うら若き大谷選手の効果がこんな風に現れるなんて!
なんてすごいことでしょうか!

スポーツで感動を与える力が、希望を失った人の力にもなる事を目の当たりにして、本当にびっくりで、私はそのことに感動しました。

大谷選手の活躍がずっと続きますように。
患者さんの元気がずっと続きますように。

▼大谷翔平、米最多の力投にファン総立ち 「最後はいっぱいいっぱい」 – ライブドアニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/14744101/

病気や老化になるのはつらいことだけど、まだ若いうちにそうなってしまうのは、世間から取り残されたような気持ちが悲しみをより大きくしてしまうように思います。
道にポツンと取り残された荷物みたいに、あるべき場所にない感じの空虚な気持ちになってしまうんじゃないかな。

お年寄りから学ぶことを子育てに活かす

子どもの教育や毎日のご飯、掃除の仕方やお金の使い方といった家の中で行われることの大半は、自分の育った環境の中から知らないうちに身につけていくことが多いように思います。

でも、私の場合は、毎日、他人の居住空間で仕事をしているので、親から受け取ったこと以上に、患者さんのやり方・考え方に影響を受けてきたように思います。

子育てもその中の一つです。

今の高齢者は、戦争体験者です。
物のなかった苦労話、学校に行っても勉強より動員で工場で働かされたことや、防空壕に隠れた話など、戦争の時の苦労話は、多く耳にしすぎて、私自身がその場合を陰から見ていたような気になるくらいです。

戦争の時代に生きた苦労は語り尽くせない一方で、今の教育が直面している問題について話す時、少なくない方が、自分たちには、教育勅語があり、きちんとした考え方の中で教育を受けてきたと、教育勅語を大きく評価されるのです。

戦後生まれの私の中では、教育勅語は軍国主義の象徴のようなもので、軍国主義による洗脳で、こういう全体主義的な考え方を良しとしているのかなと、初めの頃は、批判的に聞いてきたように思います。

でも度々そういう言葉を聞き、またそういう人たちの生きかたが”美しい”と思うことが多いので、あれ?これは軍国主義の洗脳と決めつけてはダメかもしれないと思うようになりました。

私の思う”美しさ”は、自分のいる場所で、自分の納得する秩序を保ち、そのために自己制御できる生き方です。

私は、そういう生活を垣間見た時、なんて美しい人だろうと思います。

他人の尺度ではなく自分の尺度で、それを保つために労力を費やす。
それは、お金で買えるものではありません。慎ましやかで美しい毎日がそこにあるように思います。

そういう暮らしを見たとき、こういう自律的な生き方はどこでどうやって獲得して来られたのかなといつも思うのです。

それは、教育勅語そのもの中や軍国主義の中にではなく、その中で自分を律する心や、自分さえ良ければいいということはよくないことであるという友愛の心が育まれたからなのかなと思うようになりました。

外敵にさらされにくい環境の、小さな島国で生きてきた日本が育んできた心なのかなと思います。

今、若い人たちの中で、このような美しさが失われてきているようにも思います。

そういうわけで、もうかなり手遅れかもしれませんが、自分を律する心、他人を思いやる心が宿るように厳しく子育てをするように心がけるようになりました。

自分自身が全く行き届いていないのでうまくいかないことまも多々ありますが、お年寄りから学んだことを生かしています。

私が訪問マッサージに飽きることがない大きな理由はこんなところにもあるのです。

御歳90歳の患者さんの作品。
丁寧に作られたこの方の作品を見るたび、この方の過ごして来られた90年という歳月に思いを馳せて、深い感慨を覚えるのです。

最高齢の患者さんが満106歳のお誕生日

うちの最高齢の患者さんが満106歳のお誕生日を迎えられました。

(とはいえみんながお祝いに来て「疲れた」と仰ってました・笑)

これから暑い夏がはじまります。
脱水症や室温管理が心配ですが、この方を支えるチームは本当に素晴らしいケアで、この方の連絡ノートからは、「愛がこぼれている」とうちのスタッフがいいます。

このチーム力は、ご本人の魅力が大きいのかなと思います。

私たちもチームの一員として、ご長寿の生活を支える一助になりたいと思います。

㊗️お誕生日おめでとうございます㊗️

救急搬送の判断について

先日訪問した時に、患者さんの様子がおかしく、結局救急搬送をすることになりました。

何度目かの経験ですが、なかなかなれません😭

呼吸数、脈拍、血圧、血中酸素濃度、体温のバイタルチェックの他、意識レベルも大切な観察ポイントです。

私は普段、血中酸素濃度を測定する器械だけ持ち歩いています。3×2cmくらいの小さなもので、持ち運びに便利だし、手指の先に挟むだけで呼吸状態が測れるので、緊急か否かの指標にとても便利なのです。またこれは脈拍も測れます。

パルスオキシメーター

ただ、この器械は、手が冷たいと正確な数値が出ないことがあります。脈拍は自分の手でも測れるので、この器械の脈拍と触診による脈拍の数値が近ければ血中酸素濃度も正確に測定できていると考えるようにしています。

この方は、訪問時、呼吸が苦しそうに見えたものの、呼びかけに反応があり、眼も合い、ちゃんといつも通りの反応がありました。
血中酸素濃度を測ると95%〜93%でした。これは、少し低いものの、許容範囲です。90%を切ると危険,正常値は95%以上です。

しかし、胸郭が動いていなくて、呼吸が出来ていないようにみえました。口の中を見ると、飲みものと痰が絡んだようなものが引っかかっていました。
痰が気道に絡んでいて息苦しいのかなと、とりあえず口の中を口腔ケア用のスポンジで拭き取りましたが、様子は変わらず、ますます苦しそうな様子に見えました。そして、血中酸素濃度は、90%を切ってしまいました。
そうこうするうちに発語もできなくなってこられたのです。

一刻を争う状態になってきたことはわかっていても、救急車を呼ばなくても、引っかかっている痰さえ動けばなんとかなるんじゃないかと考えました。そういうことが度々あるからです。

痰がでるように、胸郭を動かしますが、血中酸素濃度はあがりません。

だんだんと私も冷静さを失い始めました。上のフロアにはご家族がいらっしゃいましたが、呼んでも聞こえないのか返事がありません。呼びに上がる前に訪問看護師さんに電話をしました。
ご家族と相談して、必要なら訪問すると言われたので、ご家族を呼びに行きました。

ご家族は、看護師さんに見てもらってから救急車を呼びたいと言われます。

みんながこんな風に考えるのは、普段から呼吸状態が良くないこともあり、反応が低いこともあります。それでいつもと違うと断言出来ないからなのです。

そうこうするうちにどんどん顔色が悪くなって、唇は真っ白です。ご家族も普通ではないとわかってはいても、決断するのをとまどわれているようにみえました、
もう猶予はないように見えました。「救急車を呼びましょう」とご家族に言いました。

それから5分足らずで救急車が来てくれました。

救急隊員さんは、酸素マスクをつけた後次々とバイタルチェックをしていかれます。
患者さんは、酸素マスクをした後、息を吹き返したように声を出されました。

血中酸素濃度は91%。呼吸数18。体温36.2分。
眼は光に反応あり。
握手して「わかったら握って下さい」と左右で確認。「握り返せてます。麻痺なし」

バイタルチェックは全て正常範囲でした。意識レベルも呼びかけに応じることが出来るレベルでした。

酸素マスクのおかげで、正常範囲に戻ったように見えました。わたしは、見た感じ、眼も合わないし、血中酸素濃度を測っていた手も指が曲がり測れなくなったので、脳がどうにかなってしまったのかと思いましたが、苦しかっただけだったのです。

救急車を呼べて良かったとホッとしました。

その後、病院での診断は、肺炎という事でした。

私は、患者さんの身体が触った感じが、少し熱いなと思いながらも、高熱ではなかったので、肺炎を全く疑いませんでした。だからとにかく痰が詰まっていると思い込み、これさえ動けば病院に行く必要はないという考えから、救急車より痰を動かすことばかり考えていたように思います。

でも、きちんと数値を測ることで他の状態についても客観的なデータとして看護師さんに伝えることも出来たのに、ほとんど家族さんと同じレベルでうろたえていた自分を情けなく思いました。

ただ、結果的にはもう少し遅ければ亡くなられていたかも知れないので、「でかした」と友人の看護師さんからは褒めていただきましたが、今回は、最初の状態から、次第に悪化していったことが私の混乱を大きくしてしまったように思います。

こういう時は、本当に怖くて焦ります。
しなければならないことを紙に書いていつでも取り出せるようにしておけば、もう少し冷静に対応できるかなと思いました。

何はともあれ良かったです。
早くお元気になって退院されることをお祈りしています。