笑いすぎる笑い話

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書き出すと、ややこしい心のウチですが、毎日の多くの時間を患者さんに笑わせてもらいながら仕事しています。

笑いすぎて、鏡に写る笑いジワに、目の前のご老人よりシワが深いやんと、よる年波にがっかりしたりしています。“シワシワになるしあんまり笑わんとこ”と思うのに、ついつい話に引き込まれお腹が痛くなるくらい笑っていることもよくあります。

「あんたなぁ、昨日おかしかったで。息子がなんか欲しいもんあるか?ってめずらしく聞くから、そらうちかて聞かれたら欲しいもんあるやろ。もうすぐバレンタインやし、伊勢丹にチョコレート売ってるやん。チョコレート食べたい言うたら、そんなん違うおかずややて。おかずはヘルパーさんがこうてくれはるしいらん言うたら、何にもこうてきてくれへんかったわ」

――伊勢丹よるん大変やったんちゃいますか。スーパーでもいいって言ったらどうですか?

「なんでや、すぐやん。伊勢丹には駐車場もあるえ。ほんでなぁ、手ぶらで来て、コーヒーとパン食べて、ずっとメールして、すぐ帰っていったわ。ウチ、わかったわ。あれはオンナや。オンナに会いに行くのに嫁の手前オカンに会う言うて出て来てんねんや」

きっと息子さんは一人暮らしのお母さんを気遣い、ご飯に困ってないか、顔だしたらそれだけでも母親が喜ぶやろという気持ちで顔を出されたのだと思います。まさかお母さんが探偵並みの洞察力で観察しているとは露ほども思ってないのでしょう。

少なくない人が、相手がお年寄りだと、自分の中の年寄り像に合わせて行動されているのに比して、お年寄りの多くは、頭の回転がゆっくりになったり、世間事情から疎くなっていたとしても、自分の知りうるあらゆることを総動員して考え、それまでの人生経験に基づいて考え、行動されます。
歳を重ねることは、見た目も中身も衰えて“いいこと何にもないわ”ってことになります。でも経験の多さとあきらめを超えたところにある達観したような態度は、若い人間の及ぶところではありません。

そのあきらめたフリをしている建前と、裏側の本音があまりにも違っていたり、よそ行きの態度と本音の差とを、どうこうしてもらいたいわけじゃなく、ただの話として、語るその口調に、私はお年寄りの懐の深さと悲しさ、優しさなど色々なものを感じます。そして、一方では、そんなことに全く気がついていない相手とのギャップを想像して、私は本当に面白くて笑ってしまうのです。

毎日いろいろな事があります。

どちらかというと、うまくいかない方が多いかもしれません。でも、お年寄りとつき合わせていただいていることで、私は、自分の歳の数よりはるかに多くの経験を見聞きし、考える力をもらっているように思います。また私の無礼を大きな心で許してもらえたり、マッサージしながら、話を聞いてるだけで、おかげで元気でたわと私のほうが元気をもらっていることも多いので、やっぱりお年寄りは大切にされる価値が十分にある存在なのだと思います。

パーキンソン病の患者様。細かいことは病状を悪化させるからあまり奨励されません。が、細かいことばかりされてますが、ずっと機能を維持されてます!

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