老人福祉に関わるということ

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今日は土曜日の祭日です。
昔は、紀元節と言い、お休みだけど学校に行き、お祝いをして紅白饅頭をもらって帰ったそうです。

私の子どもの頃には、もうそんな事はなかったけれど、何かの機会にもらえた紅白饅頭は、とても好きでした。あんこが多すぎて食べるのに難儀してたにもかかわらずですが。

祝日は、訪問の仕事はお休みさせていただいていますが今日は一人だけ自費治療をさせていただきました。訪問マッサージに伺っていた患者様のご家族樣です。

この方は、お母様がいつまでも元気でいられるようにと、歩けないお母様の機能維持のために、介助歩行・トイレ誘導・車での外出など、丁寧な介護を続けておられたため、慢性的な腰痛に悩まされておられました。そのため、お母様の施術の後、一緒に治療させていただくようになりました。

あまり運動が好きでなかったらしいこの方の身体の筋肉は、それほど強くなく、持続的で長期にわたる介護は、自分の持てる筋肉以上の仕事量を自分の身体に課すことになり、脊椎の正常な弯曲をいびつなものにしてしまっていました。

介護が続いているうちは、その疲労に治療が追いつかず、介護が終わった今も、なかなかスッキリとした身体に戻るには、私の力量が足りません😢が、飽きることなくマッサージに通って下さっていて、申し訳ない気持ちになりながら施術させていただいています。

訪問マッサージに伺うようになり、ご家族樣の治療を依頼していただくことも増えました。訪問マッサージの患者樣が亡くなられたり、施設に入所された後も、ご家族樣のマッサージが続くこともあります。

マッサージすることで、外から見てるだけではわからない介護者の疲労や、心の中がわかることもあります。

夜間のトイレ介助やオムツ交換は、介護者の睡眠リズムとは無関係に行われ、疲労を倍増させてしまいます。そして疲労は筋肉の弾力性を失わせ、身体の芯まで疲労を蓄積させて行きます。その疲労は、心の余裕を失わせ、優しい気持ちを奪い取って行きます。個人の性格の問題じゃないと言っても、多くの方は自分の至らなさにその原因を求め、さらに辛い気持ちになられるのです。

そんな疲れ果てた上での、被介護者の施設入所であったり、お迎えであったりするのですが、介護が終わった後も、もっとしてあげられたんじゃないかとか、自分のやり方が悪かったんじゃないかと自分を責め続ける方も少なくありません。

そんな方に私が出来ることはありませんが、長い時間、介護する側もされる側にも関わることで見えてくることもあります。

今日マッサージに来て下さった方は、お母様を施設に預けてもう2年になるのだけれど、今も、お母様が辛いのではないかとずっと罪悪感を抱いていらっしゃいます。こんなに身を粉にして介護をされて来たのだから、罪悪感を抱くことは全くないのだけれど…
私たち老人福祉・介護に関わる人間は、こんな複雑なご家族の心の内に想いを馳せながら、人生の最後の時間に関わらせていただいていることの重要性を理解しなければいけないと思います。

ついつい忘れがちですが、今はボケていたり、自力排泄が困難で、排泄にまで世話にならなければならない方々も、少し前まではフツウの人生を送られていて、その人生の中で自分を介護してくれる誰かと関わって生きてこられたのです。

今という時間は、眼の前のお年寄りだけでなく、その過去から続くご家族樣の心にまで繋がっているということなのだと思います。

ですから、眼の前のお年寄りが笑顔で過ごせるということは、介護されてきたご家族の心まで笑顔にできるし、お年寄りの心に響かないルーティーンな決まりきった仕事としての関わりはそのご家族の心の苦しみまで大きくしてしまうのだと思います。

「人生の最後が台無しだと、それまでの人生が全て台無しになってしまいます。老人福祉に関わるということは、その最後の一番大切な時間を、長い人生からするとほんの短い時間だけれども、その大切な時間に関わるということなのです。」

これは、私の尊敬するソーシャルワーカーの方がこれから老人福祉に関わる方に必ず話す言葉なのだそうでしす。

私も日々の仕事に流されず、最後の時間に関わらせていただいている事を心して毎日を送りたいと思います。

心の闇は見えない。
本当に大切なことは目には見えないものなんだよっていう星の王子様の言葉が好きです。

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