信頼を基本にした関係づくり

祇園祭が始まった京都です。
京都では、祇園祭り中に降る嵐のような雷雨が、梅雨明けを知らせるといわれています。

さて今回のブログは最近訪問を始めた患者様のことです。

脳梗塞の後遺症で、左の不全麻痺があります。

不全麻痺というのは、ある程度は使えるけど、麻痺があるので、出来る動作も努力を要するような状態です。

それから、認知症があります。

認知症というのは、単なる年相応の物忘れがあるということではなくて、論理的思考が出来なくて、毎日の生活に支障をきたす状態です。

例えば、ご飯を食べたからもうお腹が空いていないとか、ご飯は決まった時間にもいただくものという考えの基準が変わってしまいます。
お腹がすいていることと食事が関係ないものになってしまわれるようです。
1日何回もご飯が食べたくなったり、目に付いたものを次々口に入れたりされることもあります。

何々だから何々をする、あるいはがまんするということが通じないので、ご本人が望まないけれど、生活上で必要な事をしなければならない時には、困難が伴います。

介護される人は大変ですが、私たちの仕事上では、身体に触れさせてもらえたり、身体を動かす事の必要に応じて同意し、拒否することなく付き合って下されば、それ以外は大きな問題にはなることはあまりありません。

心身ともに、とにかく気持ちいい時間の提供が出来れば受け入れて下さることが多いからです。

でもこの方は、手足に触れられることを嫌がらます。
「痛い、やめて」とおっしゃいます。

触れる前から、「痛い」と言われます。「まだ何もしてないんですけど」というと「そうやねん。うちもおかしいと思ってるねん」とおっしゃいます。

それから「あー」と叫ぶような声を出されました。
私は、まだ何もしていません。あんまり気持ちよさそうに叫ばれるので、「イライラしてはるんですか?声出すと気持ちいいんですか」と尋ねてみました。
「そうや。すっとするねん」と言われます。

この方は、表現されている態度と裏腹に冷静で筋の通った説明をして下さいます。

認知症のせいで大声を出したり身体に触れられることを拒否されているわけではないように思います。ご本人の意に反して関節を柔らかくしたりするなどの機能訓練が行われた結果ではないかと思います。

気持ち良さや身体のよくなるうれしさより、痛さだけが残った場合、とにかく痛いことから逃れるために、こんな風に表現される方に今までも何人かお会いしたことがあります。

こんな場合、まず穏やかになっていただくことが一番大切なのかなと思います。

優しい施術で、全身の緊張を解き、身体に触れること自体の信頼を得られるようにすることで、機能を含め、いろいろな面で好転していくのではと考えています。

結果ありきの関わりがこのように不信を基本とした関係を作ってしまうのだろうと思います。

個人的には、様々表現される認知症の方との関わりを楽しく感じています。
表現の仕方は人それぞれですが、お元気な時には、見栄とか建前で覆い隠していた本音が見えやすく、その素直さが羨ましくもありますし、またこちらの誠意も口先では全く通用しなくて真剣に向き合うことを要求されます。

そんなやりとりをマッサージ以上に楽しんで仕事させていただいています😊

 

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