「死んでもつきあいしてや」

「死んでもつきあいしてや」

106歳の患者さんは、あの地震の日以来すっかり体調を崩されていて、主治医の先生からもお迎えが近いだろうと言われています。

訪問する時も、お顔をみるまでは大丈夫かなとドキドキです。先日は、定期訪問ではない日にもかかわらず、心配で様子を伺いました。思ったよりお元気で、声もしっかりしています。すると、ほっとした私に「死んでもつきあいしてや」とおっしゃいました。

「………?」

まだまだいてやと言うのが精一杯でしたが、こんなことを言われたこともなく、真意がつかめません。今から思うとちゃんと尋ねてみれば良かったなと思いますが、不意を突かれて返答に窮してしまったのです。

「死んでも」の「つきあい」とは、お墓まいりやお葬式のことなのか、あの世とこの世で交信するということなのか、自分があの世に行っても私の心の中に置いておいておけということなのか。

いずれにしても、私につきあい続けてと言ってくださっている有り難い言葉に変わりはないように思います。

お迎えが来る前に確かめておきたいとは思いますが、こういう話は旬が過ぎると同じ会話にはならないのが常なので、もう一度ご本人の口から同じ言葉が出るのを待つしかないかもしれません。

とはいえ、
「死んでもつきあい」させてもらうので、もう少しこちらにいてもらえると嬉しいなと思います。

106歳の患者さんには翻弄されっぱなしですが、それが、私にとっては大きな魅力なのかもしれませんね。

この日はこの後お世話してはる姪御さんがいらっしゃって、元気な頃にどんなに酷い人だったかを聞かされました。
長い人生について考えましたが、前半部分だけで、終わりました。お迎えが来た後にいつか書きたいなと思います。

母が亡くなり事あるごとに母親の言ってたことを思い出します。
亡くなった人に対して「心の中にいる」から寂しくないとよく聞いてきてもピンと来なかったけれど、こういうことかとようやくわかった気がしています。

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