最終回 呪縛からの解放5〜コリはほぐすもの・関節は伸ばすもの、リハビリはゴールを設定して近づくもの⁉️⁉️

呪縛その4 コリは揉みほぐすもの。強い力で揉めるマッサージ師は上手い。

「もっと強く揉んでと言われたら、ジーパンの上からでも、例えベルトの上からでも、にっこり笑って押さなあかん」

私が最初に按摩を教わった師匠に言われた言葉です。

「按摩を買う」こんな言葉がまだ生きていている時代(今もそういう風潮はあるのかなとも思いますが)お客さんからバカにされないように、技術が誇れるように、絶対にコリに負けないで押さなければならないと教えられました。(わざと固い衣類を身につけて試すようなことをするお客さんもいたのかなと思います)

按摩を始めたころは、コリに負けずに押し続けたせいで、翌朝は腫れた親指が痛くてものがつかめませんでした。
それで、毎晩、仕事が終わった後は、流水で指が痺れるまで冷やしていました。(これも師匠から教わりました)

そのおかげで、私の親指の関節は、見た目に変形しているとわからないくらい真っ直ぐです。

でも実際には、突き指状態に関節の間を狭くして、体重を乗せれば一本の棒のようにコリに突き刺さる道具のように変形させています。ですから、この指はそんなに強い力で押さなくても、まっすぐに圧がかかるように作ってあります。このように変形さすのに、3年くらいかかったように思います。

私の師匠は男性で力が強い人でしたが、その師匠の師匠という人は、小柄な女の方でした。しかし、とても指が強くて、背中を揉んでもらうと、まるでコンパスの針が背中にプスリと刺さり、クルクルと回っているように繊細にコリに指がまっすぐに入ってくるそんな指でした。

最終的にはその女の方に教えていただいたので、私にとってコリを強い力で揉みほぐすというのは、按摩師としてプロの証明のようなものでした。

私自身が、強く揉めることを追求してきたので、この呪いに気がつくまでとても長い時間がかかり、その事に気がついてからも、強く揉んでほしいと言われると必要ないと言えず、どこまで強い力でほぐすべきかまだ模索中です。

しかしながら、必要以上に強い力で揉むことは、身体に新たな別の問題をもたらす可能性が高いことは明らかなように思います。

強く揉みすぎて、翌日に筋肉が炎症を起こすということがよくニュースになっているように思いますが、それは、多分、その多くの場合は、筋肉の走行を無視し、筋繊維をぶった切るように押圧しているためであって、強い弱いというような問題ではなく、按摩術の基本から外れているから起きる事故ではないかと考えています。(習いたての頃の私がそういうことが絶対なかったとは言い切れないのですが…)

そうではなくて、

コリというのは身体のバランスがなんらかの理由で崩れた結果の不快感であり、そのコリを他の原因を考えずに、その局所だけを丹念に強く揉みほぐした結果に起きる問題について考えています。

例えば

うちのスタッフの患者さんの話です。

若い頃にアキレス腱を完全ではないけれど、断裂した患者さんがいらっしゃいました。
手術をせずにそのままにしておいた足は、つま先立ち歩きになっていて、そのためかその側の肩がこるというのが主な訴えでした。ご本人はとにかく肩を揉んでほしいと言われます。
肩を強く揉むと、満足されるので、施術時間の半分を肩の施術に充て、残り半分で他の部位を施術するようにしていたそうです。

しばらく問題なく、訪問を楽しみにして下さっていたのですが、3年をくらいすぎた頃から、アキレス腱を断裂した側の股関節の痛みを訴えられるようになりました。

股関節痛というのは、先天的な形成異常やスポーツでの過剰な使用や外傷以外があれば別ですが、日常生活で痛めることが少ない関節です。アキレス腱の断裂は何十年も前の出来事であり、そのためとは考えにくく、肩凝りを重点的に揉みすぎて、身体のバランスが崩れたためではないかと考えました。

一般的には日本人の体型で下肢に問題がある時、股関節を外転させ、筋力不足を補います。股関節が開くと肩関節は、そのバランスを取るために自然と閉じるようにできています。

肩関節を閉じた結果、肩凝りを感じるとすれば、開いた股関節の負担を軽減しつつ、肩凝りの軽減をはかるのが大切かと思いますが、つい患者さんの「気持ちいいわ。あんた上手いなぁ。力が強いなぁ」という褒め言葉にのって施術時間の半分(!)を肩に費やした結果、必要以上に肩だけが開いてしまい、開いた肩に合わせるように股関節が閉じてしまいバランスを失った結果、痛みが出現したのではないかと考えました。

施術の配分を変えても、しばらく痛みは続いていましたが、ちょうどその時、内臓疾患で入院され、股関節の負荷が減り、マッサージ施術もなくなり、身体がリセットされたのではないかと思います。退院後は、股関節の痛みの訴えはなくなりました😭。
その後は、バランスの良い全身施術を続けていて、大きな痛みやトラブルなく過ごしていただいているように聞いています。

これはうちのスタッフの失敗ですが、強く揉みすぎることの弊害は長い年月をかけて現れたりするので、継続的な治療をしていないと自分の施術結果はわからないことも多くあるように思います。

痛みが出る前にすでに、身体の変化を感じ、なんだか少しおかしいと思うこともありますが、患者さんの
「もっと強く押してほしい」という要求をはねのけるのはなかなか勇気のいることなのです。

私自身、背中のコリでご飯も食べられない、痛くて立っていられないという患者さんの施術にあたっている時の話です。

その症状を疲労からきているものだと考え、四肢の筋緊張の取り除きながら背中のコリ、痛みの軽減をはかりました。
しかし、なかなか症状が改善せず、背中の張り、コリも改善しません。それで、患者さんからの痛みのあるところをもっと強く押してほしいという訴えのまま、自分の方法が間違ってたかもしれないと考え、私の中の必要と考える以上の強さで施術していました。

しかし、あまり続く痛みを不信に思った患者さんが、改めてMRIの撮影を申し込んだところ、腰椎の疲労性の圧迫骨折後の痛みだったことがわかりました。

普通ではないハリとコリを感じてはいましたが、まさか圧迫骨折が起きていたと考えなかったこと、患者さんに言われ、骨折後の身体を守るために固めていた周囲の筋肉を揉みほぐしてしまったことに大きなショックをうけました🤯しかし、上から押したりせず良かったと心から思いました。もしそんなことをしていたら、他の箇所も圧迫骨折を起こしていたかも知れないからです。

コリを強い力でほぐすという呪いは、本当に大きく根強いものだと思います。

私の経験ですが、普通に老化が進む身体では、その身体の縮み方にある一定の法則があるように思います。

下肢の関節に問題を抱えている、麻痺がある、喘息など肺機能に問題がある。
あるいは、
職業による偏った身体の使い方をされている場合でも、その法則が見て取れます。

マッサージなどの施術は、その崩れたバランスを助けることが第一目的なのでしょうが、強くて多い刺激こそが、「上手い」という呪いのおかげで、法則から外れた、自然な老化ではありえない身体にしてしまうような危険性があると思うようになりました。

これは、マッサージ施術だけではなく、医師による投薬、子育て時の過剰なケアや教育など、あらゆることに当てはまるもので、マッサージ師だけが特別に、先を見通す能力が低い訳ではないと思います。

それでも人様の身体の治療に関わる私たちは、無意識のうちにかかっている呪いから解き放たれ、患者さんにとって真に利益になるような関わりを模索し、その力をつけていくことがプロとしての証しなのではないかと思うのです。

私の親指。親指の付け根は完全に変形しています。

呪縛からの解放4〜コリはほぐすもの・関節は伸ばすもの、リハビリはゴールを設定して近づくもの⁉️⁉️

呪縛その3 機能訓練は本当に機能を向上させることが出来るのか

今日仕事に行った先での出来事です。

片麻痺で左不全麻痺(動かないわけではありませんが、器用には動かない麻痺の状態)があるけれど、自分のことはほとんど自分でできる患者さんが、私が来るのを待ってたように話をされました。

「ちょっと聞いてー。」
「昨日デイサービスに行って、お風呂から上がった時に、私みたいに手の動かない人がいて、その人は、私と違い、(患側肢の)指が三つ編みみたいになっていて、少しもつまんだりできないから、シャツが着られず困っていたので、少し手伝ってあげたんです。私も不自由だけどまだ動くから、片手で一生懸命手伝ったんです。
お風呂上がりで、はだかのままだと冷えて寒くなるし、少し手伝ってあげたんですよ。
そうしたら、職員さんが、
“手伝わないで、一人でやらせてあげて、リハビリだから”
って怒らはったんです。

私たちは、毎日家でなんとか頑張っているけど、片手で着替えるのは本当に大変で、お風呂上がりは特に濡れていて、片手で届かないところが引っかかるし、息が切れてハァーハァーするんですよ。リハビリのつもりか知らないけど、少し手伝ってくれたらいいのに、職員さんは、何のためにいるのか、怠けているのかなと思うんですよ」

このような話を聞くのは、初めてではありません。ここのようにリハビリを前提としたデイケアでは、普通のデイサービスと違って少し厳しいようです。

似たような話は他でもよく耳にします。

「怠けたいから手伝わない」わけでは決してないのでしょうが、こんな風にしか思われないやり方で、本当によい結果に結びつくのかなと疑問に思います。

こんな風な「若者」とのすれ違いを経験した患者さんの多くは、悔しくて「がんばろう」となるより、情け無い気持ちになって「早く死ねたらいいのに。コロッといかへんかな」と口にされることがよくあります。

機能訓練は、「出来ないこと」を評価し、その改善のためにプログラムを立て実行する。

これは、リハビリとしては当然の流れだと思いますが、相手は「どうやって死んでいくか」を考えているような方々なので、出来ないことを楽しく乗り越えられるならいいのでしょうが、苦労して獲得することに意味を見出すのは難しいこともあるように思います。

このことに、いち早く気がつくのは機能訓練をする側ではなくて、患者さん自身です。

やってもやっても良くならない、何のためにしているのかとなるのですが、出来ない自分が悪いのかもしれない、やめると寝たきりになったら困るという気持ちでいろいろなすれ違いを飲み込み、機能訓練を続けていらっしゃるようこともよくあります。

本当に、機能訓練をすれば出来ないことが改善したり、寝たきりを防ぐことができるのでしょうか?

私自身、介護保険以前から訪問マッサージに携わってきたので、訪問リハビリのサービスが始まるまでは、機能訓練の関わりを期待した仕事をたくさんいただいて来ました。

その頃は、私自身、機能回復・改善を絶対のものとして取り組み、寝たきりにならないためには、患者さん自身が弱っていく自分と闘い、それに立ち向かうことが必要だと考えていたように思います。

そんな時に、感染症から大腿部切断となり、そのショックで全くリハビリが進まず、起き上がることすら出来なかった患者さんに関わらせていただいたことがあります。

その患者さんの家には、一度も使われなかった義足がありました。私は、患者さんが、歩くことが出来たら、足を失ったショックから立ち直って下さると考え、義足による歩行に取り組みました。

初めてのことで、その装着の仕方など基本的なことから病院のリハビリの先生や義足屋さんに教えていただいたり、本を読んだりして、進めていったように思います。

患者さんは、起き上がることにすら、怖さを覚えていらっしゃったので、立つことや、ましてや義足で歩くことは本当に怖かっただろうと思いますが、数ヶ月後には、義足と4点歩行器という「杖」で、室外歩行が可能なレベルにまで到達することが出来たのです。
その時の私は、素晴らしい回復にとても満足していたように思います。

しかしながら、その患者さんにとって、失った足の代わりに得た義足の歩行は、怖くて面倒なものにすぎませんでした。

結果的には、ベッドと車椅子で暮らす生活がスムーズにこなせるようになり、また家族さんの負担は減り、老夫婦の穏やかな生活を送ることが出来るようにはなられましたが、足を失った悲しみは癒えることはなく、生活の中で、義足歩行をされることはありませんでした。

私は、自分の考える目標を患者さんに押し付けていたことにようやく気づくことが出来ました。穏やかな生活を目標にするなら、もっと私の訪問が待ち遠しくなるような他のやり方で良かったのです。

またその一方で、機能訓練は嫌だけどマッサージならしてもいいという仕事をいただくことも増えてきました。

マッサージが終わった後に、
「身体が軽くなった、これで元気がでて頑張れるわ」と言っていただいたり、

機能訓練はいらないけれど、マッサージの後なら身体が軽くなるから、歩いてみるのは嫌がられないということを多く経験するようになってきました。

あるいは、デイサービスもヘルパーさんもいらないけれど、マッサージならきてもらいたいという仕事をいただくこともあります。「ガンコで頑な」な人というのは、どんなに時間がかかっても、自分のやり方で生きていて、生活もなんとかされているという方で、そういう方々を多く目にしてきました。

加齢や障害があっても、自分を失わず生きていらっしゃる方たちの生き方に触れることで、機能訓練こそが寝たきりを防ぐという、私の中の呪いが少しずつ解けていったように思います。

生きることを支える一番大きな力は「生きたい」と思えることなのではないかと考えるようになってきたのです。その気持ちが一瞬であろうと湧いてくる時間を提供することが、何より大切なことではないかと思うようになりました。

機能訓練をすることが一番という呪いのため、患者さんの気持ちとすれ違っていても、提供している側は、気がつかないのではないかと思うのです。

患者さんの「生きる」を支えることが一番だと気がつけば、専門家として様々な角度からアプローチが可能になり、もっと効果的に関わっていけるのではないかと思います。

ある患者さんが、
「往診の先生は、9割人柄が大切だと思います。技術は1割でいいと思います。もし誤診で命が終わったとしても、あの先生が間違わはったんならもういいわ。年寄りはそう思うと思いますよ」
と話して下さいました。

人柄というのは、自分の気持ちに寄り添い、身体も心も任せられるということではないかと思います。
これが私たちがいつも心に留めておかなければいけないことなのかなぁと思っています。

機能訓練について考える時、この文章を書きながら、私自身に深く根ざしている機能訓練の呪いにようやく気がつき、書くことで、私の呪いを解き放てたように思います。自分の犯した罪を考えなおすのはつらいものですが、次の患者さんに必ず返すから許してくださいと祈りながらの作業になります。

次回、最後の呪いは私たちマッサージ師の大いなる呪い、コリは強い力で揉みほぐすものです。

ネコが人気なのは、呪いから自由だからじゃないかな。

呪縛からの解放3〜コリはほぐすもの・関節は伸ばすもの、リハビリはゴールを設定して近づくもの⁉️⁉️

呪縛その2 何のために関節は拘縮する?

寝たきりになると、関節が硬くなり、手足が曲がり、オムツ交換も更衣も大変になってしまいます。動かなくなると関節が硬くなるのは骨折後のギブス固定で関節が固まってしまうのと同じことです。

ところが、寝たきりの患者さんがみんな同じような形で関節拘縮が進むかといえば必ずしもそうとも言えないのです。

麻痺のあるなしだけではなく、元気な時の筋肉のつき方、性格、寝る時の姿勢などが関係しているのかなと考えていますが、本当のところの科学的客観的データはないのではと思っています。

因みに脳卒中などの後遺症の痙性麻痺(ケイセイマヒ、硬く力が入って意図的に動かすのが難しい状態)の関節拘縮の形も、多くの人は曲がってしまう形に力が入るのですが、中には突っ張ってしまう形になる人もいらっしゃいます。不思議に思ってお医者さんに尋ねたことがありますが、理由はわからないとおっしゃっていました。

人体というのは、身体の中で何か起きても、二重、三重に張り巡らされた防衛策があり、少々のことでは異変をきたさないシステムを持っていることを考えると、廃用性の関節拘縮や痙性麻痺にもその害だけではなく、身体の深淵な考えがあるのではないかと私は思うのです。

この関節拘縮や痙性麻痺というのは正常な筋肉運動ができないから起きているわけですから、正常な筋肉運動をするというのが、一番の治療法であることに間違いはありません。

しかしその正常な筋肉運動が不可能という前提で、関節が硬くならなかったらどうなるかを考えてみます。

手や脚というのは相当に重くて、片麻痺の人はその重みを支えきれず肩が抜けそうになることもよくあるのですが、長くぶら下がってしまえば、抜けそうではなくて、本当に抜けてしまうように思います。また脚が曲がらずに力も入らなくてブラブラしていると寝返りをさせたくらいで足が絡まり頸部(付け根)が骨折したとう例が実際にあります。
また、力のない長い手脚が垂れ下がっている状態では、体幹もその重みのために呼吸・消化・排泄などの内臓の機能にもより大きな負担を与えるのではないかと考えます。

こう考えると寝たきりになり、関節が拘縮するのは身体がそれを必要としているのですから、無理に伸ばそうとすると、身体は必死になって緊張を増大させ、身を守ろうとするのは自然なことのように思えます。

それでも関節拘縮が、どんどん進むと、オムツ交換や更衣も容易にできなくなり、呼吸・消化・排泄といった生命活動にも支障をきたしてきますから、身体の防御反応(手足を縮める)が、生命活動に支障をきたさないところに落ちつくようにコンディショニングするのが、機能訓練の大切なところかなと考えています。

私の経験では、手も足も出ない状態(つまり寝たきり)に優しくない力で、関節を伸ばされたり、車椅子への移乗時に乱暴に持ち運ばれるなど恐怖心を抱かせることは、筋緊張を増大させ関節拘縮を加速させていくように考えます。

ですから、介護する人が無理やりな力で介護しなくてもいいような柔らかさを保つこともまた大切な指標かと考えています。

介護するのに、困難が伴うまでに硬くなってしまうと毎日のオムツ交換や車椅子への移乗のたびに緊張されるので、関節拘縮の改善以前に緊張を緩和することしかできず、その改善はとても困難になってしまいます。

この関節拘縮の状態と身体が緊張して力が抜けない状態とは明らかに違うのですが、この違いをわからないで、とにかく関節を伸ばしてしまうということもあるのかと思います。

例えば、

何度かの脳梗塞の後、寝たきりになり、在宅生活を送ってきたけれど、四肢の拘縮が進み、唾液をむせるようになり、床ずれや巻き爪からの感染症を起こすようになってきたので、マッサージに入って欲しいという依頼を頂いた仕事があります。

皮膚の緊張を取り、筋膜の緊張を改善し、萎縮した筋肉を少しずつ伸ばしていけば、普通の手足のようにはなりませんが、リラックスして寝ていただけるようになっていました。

依頼を頂いた理由もクリアして、唾液でむせることもほぼなく、皮膚トラブルもなく、楽々とはいきませんが更衣もそれほど困難を伴わずにできるようになりました。
こうなると後は日々進む小さな筋萎縮を改善し、緊張を緩和してあげれば大きく変化することなく過ごしていただけます。

ところでこの方は、家族さんの休息のために、年二回、二週間くらい入院されます。その病院はリハビリにとても熱心な病院ですから、毎日リハビリをしていただけるように聞いています。

私の在宅での訪問は週に2回ですから、さぞかし関節拘縮が改善されるかと思うのがフツウではないかと思いますが、足はそうでもないのですが、肩は指を入れることも難しいくらいにカチカチになって帰って来られます。

在宅と違って、オムツ交換などがソフトでなく恐怖心を与えているのかもしれませんが、全体的な緊張がさほど強くなく、上肢帯(肩まわり)の緊張が特に強いことを考えると、多分曲がった手を毎日のリハビリで伸ばしてもらった結果なのかなと考えています。

わずか二週間の入院で、入院前より退院時の方が身体が緊張でカチカチになってしまっているのですが、関節拘縮が進んだというより、筋緊張が高まっているのです。

それで、退院された後にまず私がすることは、「もう大丈夫、嫌なことはしませんよ」と話しかけながらリラックスしていただくことです。

すると、すーっと緊張が抜けて身体全体が柔らかくなっていくのです。

科学的客観的なデータがないマッサージ師の、主観的直観的考えに基づいた考えなのですが、リハビリの先生が、必要な柔らかさの確保ということではなく、関節は伸ばさなければならないという呪いにかかっていらっしゃるのではないでしょうか。

この病院のリハビリの先生は本当に一生懸命で評判もいいのです。だから一生懸命に関節拘縮を伸ばされているのではないかと思うのです。

機能訓練やリハビリテーションというのは一体何のために誰のためのものなのかを考えざるを得ない出来事なのかなと思います。

次回は関節拘縮だけじゃなく、慢性期老人・障害者の機能訓練全般にについて考えたいと思います。

ご意見お待ちしております。


筋緊張が高いと呼吸すら思うようにできません。そんな時、手の重みだけで呼吸を助けるくらいの弱い力で十分なのです、

呪縛からの解放1〜コリはほぐすもの・関節は伸ばすもの、リハビリはゴールを設定して近づくもの⁉️⁉️

夢枕獏著「陰陽師」シリーズに登場する安部晴明と、その友・源博雅朝臣との会話に「呪(しゅ)」とは何かというのがあり、「呪とはな、ようするに、ものを縛ることよ」「ものの根本的な在様(ありよう)を縛るというのは、名だぞ」と安部晴明が応えるくだりがあります。

知らず知らずにある考えを前提に物事を進めてしまう態度自体が「呪い」というものかと思うのです。

最近、一人の患者さんに他の職種の方と「機能訓練」を共に担うという仕事が増えてきました。しかし残念ながら、連携がなかなかうまくいかないことの方が多いように感じています。

先日も、患者さんから、「安井さんは、障害者の気持ちをよくわかっている。マッサージが一番役に立っている」というようなことを言っていただきました。とてもうれしく有り難い言葉ですが、マッサージだけが独立して一番と思われるよりも、共に担う職種の方々の連携があってこそと思っていただけるほうがいいのです。それぞれの仕事において同じ方向を向き、協力しながら関わることができたら、患者さんは百倍お得になるのだと思います。

うまく連携が取れない理由に、マッサージ師は医療知識が少なく、コリを揉んでほぐしているばかりで、リハビリ的な関わりができないからと考えることが多いかもしれません。これは「呪い」のようなものかも、と考えるようになりました。

揉んで貰えば気持ちよくて、リハビリはしんどくて痛いこともあるので、患者さんがマッサージを好むのは当たり前だけれど、それを医療として認められない。故に保険適応外で、チームを組めないと考えている人もいるかもしれません。

なぜマッサージ師が医療保険から締め出されて、理学療法士や看護師、機能訓練指導員の関わりは大切だと思うのか、実際のところは、私にはわかりません。

反論したいことはいっぱいありますが、話が噛み合うのか、私の言うことを聞いてくれるのか、言うだけ無駄な気がして、いままでは話すことを諦めてきました。

患者さんの私への評価が、「どうやら、マッサージがうまいらしい。人との関わりがソフトだから、関係を作りにくい患者さんを任せてもなんとかやってくれる」となれば、そこを評価されて、仕事を紹介していただけているなら、もうそれで十分だと思ってきました。しかし、この頃増えてきた、他職種の方と機能訓練を共有することで、マッサージ師はもちろん、他の職種の方の多くがこの「呪い」にとらわれているのではないか、この呪いから解き放たれないと、高齢者や障害者といった「治る」ことのない状態に関わることは、その効果より弊害が大きいのではないと思うようになりました。

できましたら、わたしの拙い文章、考えを批判し、私を新たなステージに導いてくださる意見をいただけることを期待して、私の考えを発信してみようと思います。

一面的で傲慢な理解である場合もあるかもしれません。是非とも批判していただけることをお待ちしております。

長いので、シリーズにしようと思います。今回は導入だけ。

この患者さんは、膝を伸ばす方向が悪く靭帯が伸ばされたせいで、膝が伸びなくなっていたので、キネシオテープで保護。それだけで、膝が動き出しました。
ここが伸びてると見たらわかります。

生きる気持ちに応える施術

日曜日の夕方、お正月休みに「背中が痛い」と緊急コールをいただいた患者さんから、再び「背中が痛い」と電話がかかってきました。

緊急コールで1月3日に訪問し、翌4日は定期訪問の日でしたから、2日連続伺っていました。4日に伺った時は、3日より痛みがやわらいでいるようだったに、と思いながら話を伺いました。

痛みの様子、種類、場所は、ご本人に聴きながら状態を特定し、次に考えられる原因や対処法を考えていきます。

しかし、本人の訴えというのは、例え痛みが改善していても、痛みは変わらないと言われることも多いので、動くことで痛みが悪化するような時は、どの動きの時に、どれくらいの痛みを口にされるか、あるいは表情が変わるかなど細かな観察をしておくことで、痛みが治癒の途中にあるのか、あるいは悪化をたどっているのかを判断する必要があります。

治癒の途中であれば、治療方針に間違いはないと判断しますが、悪化をしていたら、方針を変更しなければなりません。

それで、この方の場合、私から見た痛みは、確かに、軽減していたので、多分骨折の心配はないだろう、呼吸困難からくる筋緊張と考えて間違いないかなと、呼吸補助筋を緩め4日の治療後は、さらに痛みは小さくなっていたように記憶していました。

それで、話を伺うと耐えられない激痛ではなく、鈍痛のようです。月曜日が、定期訪問日なので、待てそうな感じですが、日曜日とわかってわざわざ電話してこられたのですから、きっと不安なのだろうなと思ってやりかけの用事を済ませたら、伺うことにしました。

行ってみると、痛みの様子は、さらに小さくなっているようでしたが、長引く痛みに肺炎を疑っていらっしゃるようでした。
又、痛みの場所は、背中から、お腹側、胸骨下端に変わっていました。

血中酸素濃度は95%前後ありました。ですから、例え肺炎であってもすぐすぐ入院しなければならないということはないかなと思いながらも、月曜日にはレントゲン撮影をすることになっているとおっしゃるので、呼吸による痛みが少しでも楽になるように、肋骨弓にそい、キネシオテープをはり、治療を終えました。

月曜日のレントゲン撮影では、大きな問題はなく、痛み止めの坐薬を処方されたそうです。

大きな問題がなくて、私もホッとしました。
私の考えは全て推論であり、確かなことは、お医者さんの診断を待たないとわからないので、診察を受けて下さると本当に安心します。

どこまでお力になれるか、そういう意味では自信はないのですが、パルスオキシメーターという機械で簡単に血中酸素濃度が測れるので、数値を確認しながら、施術後には正常値になるような施術をするようにしています。

パルスオキシメーターです。小さくて医療用品のわりには安価なので、バイタルチェックにとても便利です。95%以上が正常。90%以下になると心配です。

この患者さんは、TVに出られる方が亡くなられる時に愛の言葉を口にして亡くなられたというニュースを聞きながら、「うちやったら、そんなん言わへんわ。死にたないー!って言って死ぬわ。次のオリンピックまでは死にたくないでー」と仰るくらい、生きる気持ちがしっかりとあります。
この思いに応えられるようしっかりと施術したいなと思います。

2019初仕事

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

営業は明日(4日)からの予定でしたが、患者さんから

「背中が痛いし来てほしい」と電話がかかって来ましたので、初仕事に行ってきました。

訪問マッサージの仕事は、ヘルパーさんや訪問看護師さんのように、なければ毎日の生活が立ちゆかなくなるというものではありませんし、お医者さんのように命の危機に直面しているかどうかを判断するという緊急性のあるものでもありません。

定期的計画的に施術している身体がお休みでどう変化するか、あるいはその変化に気付けるかという、お休みの間の患者さんの身体を知り、これからの仕事に生かすことも大切なことだという思いもあり、カレンダー通りのお休みをいただくことは大切な時間だと思っています。

それでも、定期訪問だからこそ、一週間のお休みで、身体が変わり、転倒の危険性が高まるのじゃないか、身体が硬くなり、循環が滞ることで、肺炎や尿路感染症になるのではないかとか心配になり、ギリギリの状態で維持されていると考える時は、お休み中に訪問することもあります。

また、そう考えている一方で、この考え自体は傲慢なんじゃないかとう悩みを常に抱えてもいます。
大した存在じゃないのに、自分を誇大に評価しているのではないか、単に金儲けしたいだけと思われているんじゃないかと後ろ向きな考えが湧いてくるのです。

ですから「緊急コール」をいただいた時は、都合がつく限り、ありがたく伺いたいと考えています。

今日電話を下さった方は、慢性閉塞性肺疾患で、在宅酸素をされており、緊張が高まると十分な酸素交換ができず、肺炎になりやすいように思います。

背中の痛みは、十分な呼吸ができず、緊張が抜けない時に起きるようで、呼吸補助筋の緊張を緩めることで、「マッサージしてもろたら楽になるから」と電話を下さいました。

この方は、11月の連休の時も訪問日に重なり、お休みを頂きましたら、すぐ肺炎、入院になってしまったのです。軽くて済んだのですぐに退院してこられたのは幸いでした。

マッサージがどれくらいの力を発揮するのか、本当のところはわからないのですが、患者さん本人がマッサージがないとつらいと感じて下さるのが答えなのかなと思います。

数字に現れないかもしれないし、エビデンスとやらで追試できないかもしれないけれど、患者さんから必要とされるように頑張っていきたいと思います。

本年も精進して取り組んでいきたいと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。

「大脳皮質基底核変性症」の臨床にチームの一員で関わること

大脳皮質基底核変性症という病気があります。

ググッてみても、難しくて具体的に他の神経難病との違いがわかりません。

臨床経験のない初めての疾患の時は、いつもお世話になっている秦診療所の秦先生にどういう病気かを尋ねます。

秦先生は、福祉関係者や私たちマッサージ師のために月に一度無料で勉強会を開き、医療の基礎知識を教えて下さっています。

もう10年以上続けて下さっていて、わたしの仕事を「特別」にしてくれているのは、この勉強会の果たしている役割がとても大きいと思います。

とてもわかりやすく身体に起きる変化や気にするべきポイントを教えて下さるのです。

それでこの神経難病のことも尋ねてみました。

「パーキンソン病とよく似ているけれど、抗パーキンソン薬が効きにくく、進行が早い。そして、転倒が多いのは、後頚部が硬くなり、足元が見えないから。」と教えて下さいました。

そう教えていただいてから5年。
脳の進行性の病変には、なかなか太刀打ちできません。転倒、骨折、怪我を繰り返すたびに症状も進行してきました。が、とりあえず後頚部が硬くなることを少しでも軽減すべく施術を続けてきました。

後頚部の硬直は、筋萎縮が進行すると、まっすぐ硬くなるというだけでなく、顎が上がって首が後ろに反ってしまいます。
そうなると、顔の筋肉もますます硬直・緊張するので、食べたり飲んだり話したりという機能も一気に奪われてしまいます。

それでもなんとかギリギリ飲み込みが保てていましたが、徐々に嚥下に障害が出てきたので、訪問看護師さんが新しくチームに加わることになりました。

この方は、自分でベッドに臥床したままお水を飲まれていました。
食事はベッドから起きてベッドの端に座り、倒れないように、紐でサポートしながら(つまり紐で縛って固定して)ご家族の介助で食べていらっしゃったのです。
どちらも医療の常識から考えると、誤嚥を誘発するようなやり方ですが、それでなんとかうまく生活出来ていたので、ケアマネジャーさんやヘルパーさん、リハビリの先生も何も言わずそのまま続いてきていました。

が、これを見たあらたに加わった看護師さんは、改善指導されたのです。リハビリの先生も合意され正生活の改善が一気になされました。

水分は寝たまま飲まない。手元に届くところに水分を置くと寝たまま飲まれるので、だれか援助者が来た時に(定期的にだれかが入るので)ベッドをギャッジアップして水分補給をする。
食事もベッドをギャッジアップして行うことになりました。

誤嚥を防ぐためには、当たり前のことです。

ところが、これを実行するようになりすぐに、嚥下が困難になり、むせて入らなくなってしまったのです。

私は、この方が大脳皮質基底核変性症だったからなのだと思いました。
首が後ろに反る症状に対して、ギャッジアップで後頭部を押し上げる形になり、その反作用で後傾が一気に進んだのだと思いました。

また、ずっと臥床して水分補給をしている場合、気道も食道もそれに合わせて変化しているので、必ずしもそれが誤嚥に結びつくわけではないのではないか、いきなりやり方を変えることの方が誤嚥を誘発するのではないかと考えました。

こういう時はマッサージ師である身は本当に困ります。私以上のスペシャリストであるリハビリの先生も訪問看護師さんも関わっていらっしゃっることに異をとなえるのはなかなか困難です。
頚部硬直は、ググッても出てきません。もしかしたら秦先生の臨床から得られたことかも知れませんが、私は秦先生のおかげでより詳しい症状を知っているのです。

ケアマネジャーさんに現状を報告させて頂きましたが、ケアマネジャーさんも看護師とリハビリの先生の方針だから誤嚥防止のためだしと言われたので私もそれ以上は言えませんでした。

それで、仕方がないので、秦先生に尋ねました。先生はそういうことは考えられるから、指示書を出している医師に報告してみるのがいいのではないかと助言して下さいました。

それでちょうど同意書を再同意をいただく時期でしたから、私の考えと現状を報告しました。

しばらく様子を見ていましたが、方針は変わらず、患者さんの状態は徐々に悪化傾向に見えましたから、訪問看護師さんにFAXで尋ねてみることにしました。

少し意見を言うだけでも反発にあい、仕事がうまくいかなくなることもよくあるので、ヒヤヒヤしながらいましたが、訪問看護師さんが、とてもいい方で、リハビリの先生にも話をして下さり、方針を考え直して下さったのです。

リハビリの先生がきちんと評価をして、むせなければ、寝たままの水分補給も大丈夫ということに方針が変更になりました。
食事はご家族の介助がしやすいようにする事を基本に、もとのやり方に戻ったのでした。

やり方の変更が一気に症状を加速させた面はありますが、根底には病気自体の進行があり、将来的なことを考えれば、徐々に介護・看護のやり方を変えていかなければならない時期に入っていたのでした。

それで、そうこうしているうちにこの患者さんは、誤嚥性肺炎で入院になってしまわれました。

しかしながら、これらのやり取りは全く無駄にならず、退院される前のカンファレンスで顔を合わせた時は、お互いが信頼し合えるチームの中に私も入れてもらえているように感じられ、とても嬉しくなりました。

患者さんのレベルはかなり落ちてしまいましたが、少しでも「楽に、心地よい」毎日が続くようチームの一員として関われたらと思っています。

そして、この話にはもう一つとても嬉しいおまけがありました。

退院カンファレンスの時に、病院のリハビリの先生が、
「この患者さんの問題は、頚部の筋緊張です。これは、リハビリだけの取り組みでなく、他職種連携の中で取り組む必要があります」
と何度も言って下さったのです。

私の報告書を読んで言って下さったという証拠はないのだけれど、リハビリの先生がこんなことを言われたのを聞いたことがないので、私の報告書を先生もリハビリの先生もちゃんと読んで下さったのかなぁと嬉し恥ずかし、とてもいい気持ちになりました😊

何が一番難しいって、自分の意見を人に伝えることほど難しいことはありません。
コミニケーション能力を磨きつつ、多くの人に支えられていることを忘れずチームの人を信じて取り組んでいけたらと思っています。

こういうことが、私を保険治療の一員でありたいと強く思わせるのです。
どうぞよろしくお願い致します。

これは、南禅寺の紅葉🍁
うまくいってるときはこんな気持ちになれます🍁

人との真剣勝負

日曜日にマッサージをしながらして聞いた、患者さんの言葉があまりにカッコイイ。

「息子が高校生の頃、少しやんちゃな子で、バイクが好きだから、高校を中退してレーサーになりたい、と言い出したんです。

こうなったら、私と息子の真剣勝負です。
なりたいという息子と中退をすることはならんという私。
闘いです。先々のことも考え親としてどう責任をとるかですからね。」

子どもが親の価値観から出た生き方を望んだ時は、全身全霊で勝負をする。
子どもを一人の人間として尊重しているからこそ出てくるだろう考え方を耳にして、思わずマッサージの手が止まってしまいました。

こんなことをさらりと言うことができるのは、いつもこういう生き方をされているからなのだろうと思います。

この患者さんには、二週間に一度訪問することになっています。

頚椎症術後ですが、足がうまく動かず、家の中を移動するのも一苦労。お風呂の後の着替えが大変なのでお風呂に入りたくなくなるくらいなのに、主治医が同意書を書いてくれないので自費治療になってしまった患者さんです。

辛そうでも必死で生きる患者さんに施せる手がない時は、マッサージでもしてもらってみるかという気持ちになって下さる先生は少なくありませんが、残念ながら同意を得ることは出来ませんでした。

よくよく聞いてみると、

「自分の納得のいかない説明をされるともう話す気になりません。足の痛みに対してきちんと納得のいく説明なしに、手術しかないというようなことを言われるともう話をしようと思わないのです」というように、医師との信頼関係ができていない場合に、マッサージの同意を得るのは難しいように思います。

立ち上がるのも大変な状態なのに、きっとこの患者さんは、自分の大変さを見ようともせず、触ることなくレントゲンの所見だけで、簡単に手術という先生に身も心もまったく委ねることなく、涼しい顔で診察室から出て来られる姿が目に浮かぶくらい凛とした方です。

こういう真に自立的な精神の持ち主に、必要なのは権利であり、医者の温情としての同意書ではないでしょうか。

そして、この患者さんは、当然のように自費治療でお願いしますと言って下さいました。

こういう方に自費で治療をさせてもらえるというのは、大変光栄なことですし、この気持ちになんとか応えたいと思います。
結果を出すには週一回でも少ないように思いますが、ご本人の努力・懐事情を考えれば二週間に一度でもなんとかならないか奮闘中です。

手術により、もう麻痺はなく、ただ長年の筋萎縮や骨格の変化が起居動作を困難にしているだけではないかと考えているねで、その修正していくことで機能向上を図れるはずです。

治療を開始して3か月。
起き上がりや立位・歩行はスムーズになり安定してきましたが、まだまだ症状が改善したというには課題が多く残っています。

私も患者さんの身体との真剣勝負なわけです。逃げずに頑張りたいと思います。

整形外科にあった椎骨の模型図。
骨の形は、はそそられるものの一つですね😆

痛みを倍増させる「不安」について

いつもは元気印で冗談ばかり言ってみんなを和ませて下さる癌闘病中の患者さんが、足が痛くて歩けなくなってしまいました。

抗がん剤治療が始まり、その後しばらくすると足の痛みが増大するように見えていました。
おそらく抗がん剤の副作用で思うように動けず、筋力低下をきたし、結果的に下肢痛が起きているように思っていました。

でも、患者さんは、骨転移を心配されている様子でした。

先月の受診では、その可能性はなく、近くの整形外科を受診するように言われたということです。それでも消えない痛みに納得のいかないご様子で、痛みの訴えは日に日に大きくなり、自分で出来ていたこともできなくなってきたとおっしゃいます。

主治医の先生に再度痛みの消えないことを訴え、骨転移を心配していると言ったところ、痛みのあり方が、転移の出方とは違うと説明をして下さったそうです。

すると、その次の日から痛み止めを飲まなくても動けて、以前のように用事が出来るようになられました。

癌という病気の怖さは、その症状が命を奪うということだけでなく、転移・再発という恐怖が常につきまとうところなのかなと思います。

不安というのは、痛みを何倍にもさせてしまいます。
ことに高齢者の場合、痛みの原因と対処の仕方がわかれば、我慢出来る痛みは多くあるように思います。

痛みの治療というのは、時に、こういう心の中にある様々な感情をも理解し、その上で身体の異変に気付いていかないといけないのかなと考えます。

こんな時は、マッサージ師の私に出来ることは、ほとんどなくて、ただただ本人の気持ちに寄り添いながら、さするくらいしかできないこともあります。

自費治療なら、しばらくはお休み下さいと言われるところでしょう。

このような関わりは、計画的に目的意識的に関われる保険治療ならではの仕事かなとも思うわけです。でも、こういう目には見えない関わりの積み重ねこそが患者さんの明日の大きな力になっているように思うし、決まったマッサージ施術を行うよりうんと難しかったりするのです。

何はともあれ、「元気印」に少し元気が戻ってきてホッとしました。
もうしばらくお付き合いが続いていくことを祈りながら訪問を続けたいと思います。

北山で見つけたトウモロコシのモザイク画。
ようやく少し街を堪能する余裕が返ってきました!

10年間マッサージさせていただいた患者さん

この8月に、在宅から施設まで(施設入所後は保険が使えなくなり自費治療として)合わせて10年間、お付き合いさせて下さった患者さんが亡くなられました。

最初の訪問依頼は、徘徊ができなくなってしまったお母さんをもう一度歩かせて欲しいというものでした。

徘徊があった方の場合、その介護の大変さから、歩けなくなってホッとしたから、もう歩かないでほしいけど、寝たきりにはさせたくないという依頼を受けることが多い中(そんな上手くはなかなか行かないのですが)、こんな患者さん主体の家族さんもいらっしゃるんだと、どんな方かワクワクしながら面談に望んだように思います。

訪問してみると、わたしより10歳も若い娘さんが、若年性アルツハイマーのお母さんを介護されていました。

患者さんは、ロッキングチェアに座りニコニコされていたように思います。
しかしよく見ると、ロッキングチェアは改造してあり揺らすことが出来なくなっていて、代わりにコマがついて転がして移動出来るようになっていました。

いつも、おしゃれで清潔な洋服に、髪の毛は綺麗に整えられていて、日常的な全てにおいて、自分のことが自分ですることが出来ない、自分の口でうまく自分を表現することが出来ないということ以外は、常に周りの人間を気遣い、自分を気遣われないことには傷つき、そして、いつも娘を心配し、娘が母親に対するリスペクトが足りないと傷つき不機嫌になる、感受性が豊かで、心優しい人。

これが、最初から最後まで変わらないこの患者さんの印象です。

アルツハイマー病は、認知症状と合わせて、身体的には、パーキンソン病と同じような症状を表します。
バランス障害を伴うため、歩けば歩くほどに、重心位置がずれてきて、転倒しないように力を入れれば、入れるほどに、筋肉は固くなりスムーズな動きが出来なくなっていきます。

そしてある日全く歩けなくなるということが起きてしまうように思います。

それは症状の進行ではあるのですが、運動力学的に考えれば、重心位置のズレに伴う筋肉の緊張をその都度戻していけば同じような身体状況で過ごすことが出来、動き続けることで脳の萎縮の進行を最小限に食い止めることが出来るのではないかと考えています。

この方の最大の問題は、日常生活動作に結びつくことに関しては、自発的な動作が困難ということでした。手も足も動くのに、ご飯を自分では食べられない。立って足は動くのに、歩くことは出来ませんでした。

それでも、半ば強引に、室内外を歩いたり(歩かせたりです)、椅子から床に寝たり、床から立ったり、マッサージをしたりしてきました。ひきつれた筋肉を元に戻すのに、優しくないやり方をしたこともしばしばで、「いってぇー」と言わせてしまうこともしばしばでした。

自発的に出来ないことの一番は、気持ちを口から伝えられないことでしたが、思わず出る言葉、意識せず口から出る言葉、相槌や鼻歌は言えるけど、言いたいと思うことは多分ほとんど表現出来なかったのではないかと思います。

ですから、二人きりで、声をかけられ、返答を求められるのは、多分苦痛だったように思います。
そのかわり、私がマッサージをしながら、ご家族と取り留めなく話しているのがお気に入りで、そんな時は、一緒に笑ったり、「そうだよー」と、相槌で二人の会話に割って入って下さったりしていました。

そして、今年に入り、インフルエンザから肺炎になり、食事もうまく喉を通らなくなってしまいました。
少しずつ弱っておられましたが、その姿が最初の頃の様子とほとんどお変わりがないので、アルツハイマーの進行や終末期に入っているのではなく、別の疾患がないか検査してはどうかと施設の職員さんが考えて下さいました。

施設の薦めで検査をしたのは、亡くなられる1か月くらい前でした。

病院の先生も患者さんの様子で、その話に納得してレントゲン撮影をして下さったそうですが、その結果は、アルツハイマーの末期で、今まで口から食事が入っていたことが不思議なくらい。明日命が尽きてもおかしくないと言われたそうです。

私たちは、その事実を知り、患者さんの出来ないことを「責め」励まし続けてきたことに大きなショックを受けました。

脳の指令が途絶えていく中で、みんなの期待に応えようと必死で生きている姿を見せてもらっていたのでした。

もう誰も頑張れと口にしなくなりました。ただただ心地よく過ごしていただけるように関わることを大切にしました。
そして、しばらく後、施設の職員さんとご家族さんがベット周りで談笑するのを聞きながら、本当に眠るように苦しむことなく亡くなられたそうです。

亡くなられたお顔はあまりに美しく、またマッサージをしたくなるくらいでした。

この方もまた、まさに「生きたように死んで行かれた」と思います。

この10年を振り返る時、治療師としては、申し訳ないという気持ちでいっぱいです。
今ならもっと気持ちよく、もう少し機能を回復してあげられたのではないか、もっと楽に動かしてあげられたのではないかと思います。

本当に下手で未熟で申し訳ありませんでした。

それにもかかわらず、未熟な私を受け入れ、いつも気遣って下さったことに心から感謝です。

私は、治療をさせてもらい、暖かく大きな心に包んでもらいながら癒やされ続けてきたのだと思います。本当に本当にありがとうございました。

患者さん、最後まで自費治療をさせて下さったご家族、それから私の訪問をこころよく受け入れて下さった施設の方々に心よりお礼申し上げます。

体圧分散クッション。
仕事で使いたいといただいて来ましたが、私のものになりそうです。