認知症の魅力(2) Bさんのこと

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Bさんは、私に認知症との付き合い方の新たな扉を開けて下さった人です。

Bさんは、転倒し右股関節を骨折して歩きにくいという以外は、自分のことはそれなりに自分で出来、たくさんおしゃべりもして下さる、会社を経営してこられた女性です。

骨折後、リハビリがきちんと出来ず退院されたBさんに、出来るだけ自分の足で歩き続けて欲しいというご家族のご希望で訪問することになりました。
でもBさんは、座ってする脚・肩のマッサージは好きでも、ベッドに横になるのは気持ちが落ち着かないようで拒否されていました。

認知症の方には、Bさんのように、ベッドで横になるのを拒否される方が少なくありません。それは、マッサージが嫌というより、”するべきこと”があるのに、横になっていられないという焦りから来るものではないかと思います。

身体を整えたいので、ベッド上でのマッサージが出来ると歩きやすくなってもらえるのですが、仕方ありません。
こういう時は、決して無理強いしないで、ご本人のご希望に添うのがなりより大切だと考えています。

なぜなら、他の関わりの中では、生活上の必要なことと、ご本人の気持ちがずれていても、必要性が優先されることも多いと思うので、心地よさを感じていただくことが第一目的のマッサージの時間くらいはご本人の意に添えることは、出来る限り、添っていきたいと考えているからです。

Bさんは、最初から、サポートをすれば歩けたので、お声かけした後は、ご本人のしたいように歩いていただきました。
お部屋に入ったかと思えば、すぐに廊下に出たり、玄関まで行ってはすぐ帰ったりという具合です。

私は、歩きながら、少しの抵抗をかけ、姿勢や歩幅を調整しながら歩行の安定をり、座って休憩をするときに、四肢のマッサージや可動域訓練、少しの筋トレをしました。

日々の生活では、介護される方々も、危ないからと言ってBさんの動きを制限されることなく、素晴らしいサポートをされていました。

それで、歩くことに自信を取り戻したBさんは、すぐに独歩(杖なしで歩くこと)が出来るようになり、家の中では、自分で行きたいところにいけるようになられました。

社会的にも豊かな仕事をされてきたBさんは、ますます活発にお話をしてくださるようになりました。

しかし、お話はいっぱいして下さるのですが、その話に対して質問をしたり、相づちをうったりしても、その次には話題が全く変わってしまって、会話が成立しないのが、私にとってBさんと関係を結ぶ上で一番大きな問題となっていました。

認知症の方の多くは、どんなに記憶が曖昧でも話している間のやり取りは、概ね問題がなくて、きちんと会話が成立することが多いのです。

例えば、30分の施術中に

「今日の晩御飯は何作るんや?」
「そうですね。カレーにしようかなと思います」
「そうか、カレーはいいな。簡単やし、子どもが好きやろ。あとサラダだけ作ったらいいしな」

という会話を10回以上繰り返すことがよくあります。

10回目くらいになると、
「今日の晩御飯は何作るんや?ああ、カレーやったな」と答えまで言って下さることもあります。

私はこういう会話を患者さんと同じ気持ち、つまりいつも1回目の質問という気持ちでするようにしています。
何度も繰り返すのに疲れてきたら、「何がいいと思いますか」と答えを変えたりはしますが、とりあえず飽き飽きしないように注意しています。

相手から自分がリスペクトされていると感じ続けることが、認知症になって焦りや不安を抱えているご本人の心が穏やかになっていくのに何よりも大切だと考えているからです。

ところが、Bさんとは、ここのところ全く上手くいきませんでした。

話題が次々と変わっていくのです。一つところに留まれないのと同じで、絶えず焦りや不安が心の中にあるように思いました。
なんとか、すれ違わずに会話を成立させようと、褒めたり、驚いたり、様々してみましたが、なかなかうまくいきません。

そこで、話の中味は言いたいことと違うのかもしれないと考えてみました。
エピソードではなく、その時語られる気持ちだけに焦点を当てて、その言葉を繰り返してみました。

(どういうことかというと、
例えば英語で会話をしているときに、すべては聞き取れないけれど、ハッピーとかグッド、バッド、ソーリーだけを聞きとりフィーリングを理解するような感覚です。)

するとBさんの目が、キラリと光りました。
閉ざした心を開いて下さる瞬間です。

認知症の方と関わっていると、こんな風に、「えっ!」と”正気”に戻り、驚きの目で見て下さる瞬間を経験することがあります。

多分、Bさんは、辛いとか悲しい、嬉しいという気持ちを伝えることが出来なくて、それを伝えるために、それを感じたエピソードを独り言のように話し続けていらっしゃったのではないかと思います。

だから、会話が成立しないこと以外は、それほど”問題行動”はなくて、誰から見ても、わかってはいらっしゃるみたいなんだけど…という人になっていらっしゃったのではないかと思います。

このやり方で、少し会話が続くようになりました。
Bさんの気持ちを表している言葉を相づちのように、繰り返すと、「そやろ。そういうしかないやろ」と返ってくるようになったのです。

そこから先は、今の状況から推察して、その感情が起きている出来事を尋ねてみます。当たっているとニヤリと笑って下さるようになりました。

例えば、
私の代わりに行っているスタッフと同行し、その対応に問題がないか、身体の具合はどうか私が尋ねると
「何にもない」
とおっしゃいます。
(この前後に何か言われていますが、あまりに饒舌で、意味がわからないので、私の記憶に残っていず、書くことができません)

認知症になろうと元社長、いつも大きな心で私たちを可愛がって下さる方なのです。嬉しい時はそういう表現をして下さいます。ですから「何にもない」はマイナスの言葉だとわかります。

そこで、
「痛いんですね。上手にしてくれないんですね?」と聞きました。
すると
「そういうしか無いやん。他にどう言える?」
と笑いながら答えて下さるのです。

とても多弁で、話し続けているからついそちらに気が向いてしまいます。でも、本当に伝えたいことは、その話そのものにはないなんて、本当に驚きました。

その上、気持ちを上手に表現することは出来ないけど、その裏側では、相手を気遣い言葉を選んで話されているのです!

認知症の方は、わからないから、何を話してるかわからないから、”健常者”は、リスペクトしなかったり、適当にあしらったり、これくらい大丈夫だろうとぞんざいに扱ったりしているのに、Bさんの懐の深さと人柄の良さと認知症という病気の不思議さをしみじみ感じています。

本当に脳って不思議で魅力に満ち満ちているなと思います。

こんな風にリスペクトしてもらえているにもかかわらず、気持ちに応える施術が出来ないスタッフに、しっかりするように叱咤激励したのは言うまでもありません。

加齢によって起きる病気の多くは使い過ぎが原因だと思う。
人によって、臓器の寿命と消費量が違うから、疾病は、臓器寿命が尽きた場所に起因して発症すると聞いたことがある。
だから認知症は脳のどこかの寿命が尽きて、社会生活を送りにくくなってしまったんじゃないかな。でもそうなるくらい、人一倍敏感に使い過ぎたからじゃないかな。
そんな社会的な仮面を外した心優しい人と過ごす時間 is 最高 です。

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