認知症の魅力(1) Aさんのこと

Aさんは、私が最も感謝し、そして出来る限り長く付き合わせて欲しいと願う患者さんの一人です。

早くに妻を亡くされ、男手で子どもを育てあげた後、長い一人暮らしの中で認知症を発症。70半ばで一人暮らしを続けるのが困難な状況になり、子どものいる京都に移られました。

Aさんの状態は、歩行器をなんとか使い少しの手助けで歩くことは出来ましたが、日常生活全般において介護が必要でした。

怖さと痛さが伴う介護になると、いわゆる「指示の通らない」方になり、怒鳴る、叩く真似をする、蹴る真似をする、それでもやめてもらえないと噛む、叩く、蹴ることがあり、排泄などの移乗が困難な状況です。(別にむやみに暴力を振るうわけではなく、怖いという理由がはっきりとあるので、無茶苦茶な人というわけではありません。迫力満点で力が強くて太刀打ち出来ないだけだとも言えるのですが)

また、マッサージもあまり好きではなく心地よい刺激量を模索しながらの関わりでした。

歩行力を少しでも維持してもらいたいというご家族の希望での訪問でしたが、歩く練習も日によって出来たり拒否したりといった状態で、私に出来る関わりがきちんと見えず、歩行レベルがどんどん落ちていってしまいました。

歩行レベルが落ちれば落ちるほど、車椅子への乗り移り、トイレへの移乗と言った必要な動作も怖くなり、排泄介助という基本的なことすらままならない状況でした。

なんとか糸口を見つけようとあの手この手を考えましたが、なかなかうまくいかないまま、介護拒否は強くなる一方で、私のマッサージ訪問だけではなく、関わっている全ての人が困り果てていたように思います。

そうこうするうちに、Aさんはついに、食事も水分も拒否されるようになりました。無理やり口に入れても吐き出してしまわれるのです。どうすることも出来ないまま、みるみるうちに痩せていかれました。

極度のストレスが原因なように見受けられ、
ご家族の話し合いの結果、環境を変えてみようということになり、
話を伺った私からAさんに伝えることになりました。

今までの関わりの中で、Aさんがこちらの話や状況を理解出来ているという確信が持てずにいたので、環境を変えるという複雑な話をご理解いただけるだろうかと懸念しましたが、一刻も早く何かを口にしないと命の危険が迫っているところまで来ているように思え、とにかく食事がとれるようにするため今の環境を変えてみるお話しをしました。

すると、私の話を聞いたAさんは、涙を流して、動きにくい手で拍手をして喜ばれたのです。

関わって一年足らずでしたが、こんな風に感情を表して下さったのは初めてのことでした。

食べられなくなるほど追い詰められる前に、私がAさんのことを正しく理解出来ていればと思うと、本当に申し訳なく思いながら、二人で抱き合って泣いたように記憶しています。

Aさんの身体は衰弱しきっていたため、入院することになり、
それでも新しい環境に移る事を理解したAさんは、病院ではきちんと食事をして1カ月あまりで退院してこられました。

1カ月ぶりに会った時、あの時一緒に涙を流したことは覚えてはいないだろうと思っていました。
私のことを覚えて下さっているかどうかもわかりませんでした。
ところがAさんは私をみるなり、私が何かを言う前に涙を流して再会を喜んで下さいました。

それから2年。
いろいろあってAさんの機能は前より低下しています。
しかし、周りの皆さんの温かい関わりにAさんの心の氷は少しずつ溶けてきているようです。

時には痛い、怖いと怒ってしまう時もあるようですが、ふだんは、食事を美味しそうにパクパク食べ、穏やかな毎日を送れるようになられました。

なかなか訪問出来ないご家族には、とりあえずプンプンした対応で寂しさを表現し、来てよー!というメッセージを出し続けていらっしゃるようです。私も仕事の都合上、他のスタッフに交代してもらった時は不機嫌になられ、挨拶をしても知らん顔をされます。それでも私を忘れることなく、様々なこちらの未熟さも受け入れてお付き合いして下さっています。

私は、Aさんのストレスを少しでも減らすために、Aさんにとっては痛い、怖いこと(施術)をし続けています。Aさんは、怖さや痛みをうまく言葉で表現できないから、怒ったり手が出ることがはっきりしているからです。ここを保証していくことが何より幸せな毎日の元だと思っています。ですから、Aさんが立てるようになることを決して諦めていません。
Aさんもそこは納得して下さっているのでしょう。私がするたいていの痛い・怖いを受け入れ、我慢して下さっています。そして、怒る以外のやり方で伝えて下さるようになりました。

私が「うまく言えないけど全部わかってるんですよね」と言うと、Aさんは、にっこり笑って頷いて下さいます。

とはいえ、食べ物ではない、コップやお皿をガジガジ噛んだりする姿も見ることがあります。
何がわかり、何がわからないのか、一体どうなっているのか細かくはよくわかりません。

けれど、私には、毎日起きるほとんど全ての状況を理解されているように思えますし、(介護で関わっていらっしゃる方はまた違うのだろうと思います)、Aさんが目には見えない他人の愛情や気持ちを、認知症ではない方以上に敏感に感じとっていることは確かなように思います。

施術中は必要なこと以外黙ったままなのですが、信頼し受け入れて下さっていることがわかるので、私も苦手なリップサービスや社交辞令に気を使うことなく、リラックスして施術することが出来ます。

そして、訪問するたびに、お力になれるなら毎日でも訪問したいなと幸せな気持ちにさせてもらっています。

もみじは赤いより緑が好き。
感じ方は人それぞれ。
どんな病気もそうだけど、認知症は取り分けて、関わり次第で、本人にとっては大きな問題じゃない病気な気がしています。

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