あこがれの三重県

息子たちが幼かった頃、彼らは虫博士でした。
一緒に絶滅危惧種になったタガメを探したこともありますが、
見つけることは叶いませんでした。

関西で今もタガメがいる可能性があるのは
人の手が一番入っていない自然が残されている
三重県だと何かで読んだことがあります。

そんなタガメが残る秘境出身の患者様が、
私の治療院には3人いらっしゃいます。

ある時、
その方たち3人ともが、
身長が高くなく、少し頬骨が出ていて、目が細いという特徴があり
よく似ていらっしゃる事に気がつきました。

たまたまかなと思いながら、
一人の方に話してみたら、
「そうなんや。屋台のラーメン屋が親父そっくりだったから、
どこから来たか尋ねたら、同郷人やったんや」
とのことでした。

私は一人勝手に想像するのです。
その患者様たちは、
心もどこかしら似ていて、
戦前戦後を生き抜いてきた
真面目で一生懸命な日本人のスピリットを
そのまま体現されれいるような方々なんじゃないかと。

なぜなら、
治療中に話して下さるお話は、
それぞれに全く別の境遇にもかかわらず、
どこかしら似ていらっしゃるように感じるからです。

人生を生き抜いて来られた強さと、
その御苦労の深さから出てくるカンの良さと
細やかな気遣いが
どことはなしに、
他の人たちとは違う気がするのです。

私は治療をしながら、
この患者様たちの残りの人生が
穏やかなものでありますようにと
いつも願わずにはいられません。
そういう気持ちをもたらせてくれる方達なのです。

お一人は、
二週間に一度治療院に来て下さる自費治療の患者様です。

先日の連休明けの土曜日にも来て下さいました。

この方は
身体中の関節が柔らかすぎて、
身体を支えるのが大変になっていました。
関節が柔らかいということは、
身体の支持力が弱いので、
歳をとると結構大変です。

前回来られた時に、
歩くのが少しずつ大変になっていたので、
できる範囲でたくさん歩く方がいいとお伝えしました。

助言に従い、
毎朝の散歩を続けられたそうで、
足の筋肉は見違えるくらいしっかりされていました。

毎回「いい先生に巡り会えて幸せや」と言って下さるので、
私も「いい人に来ていただけて本当に幸せです」と答えます。
耳が少し遠いので、ちゃんと聞こえているか心配ですが。

治療院は二階にあるので足元が心配で、
「一人で大丈夫」と言われても、
「万が一のことがあったら悔やんでも悔やみきれません。手伝わしてください」と、
一階まで降りるのをお手伝いしていました。

「またお越しくださいね。」とお見送りしましたが、
それが、最後になりました。

その6日後、
同居の妹さんに
「お寿司が食べたい、今日はわたしのおごりやで」と伝え

妹さんが出かける前、
洗濯物を取り入れるのに席を外し
戻ってみたら呼吸が止まっていたそうです。

生きて来られた人生をそのまま体現するような、
素晴らしい大往生だと思います。

それでも、
定期的にお会いしている人が突然に逝かれるのは
やっぱり寂しいです。

お会いできたことは本当に幸せでした。

御苦労の連続だったので、
あの世でようやくゆっくりのんびり過ごされるのだろうと思います。
心よりご冥福をお祈りします。

そして、ありがとうございました。

お伊勢さんの飴なんだそうです。おみやげに下さいます。ニッキがきいたとても美味しい飴です。

我が気持ちの動きよ

ある患者様からこんなことを言われました。

「朝採れいちごはおいしい、
夕採れいちごはもうしなびておいしくない。

あなたも朝一番の指からは活力がみなぎっているのに、
夕方になると力がなくなっている。
だからできるだけ朝一番に来てもらいたいんですよ」

自分ではそんなつもりはもちろんないのですが、
疲れてくると指から出る力が消えて行ってしまうのでしょうか。

患者様の言葉で、
自分の無力さばかりが見えてきます。
自分が能無しでダメダメな人間に思えてくるのです。

でも、別の患者様から
「指が身体に溶けて行くんですよ。
あなたの指は私の身体に合うんです」

なんて言われると、
ついさっきまでの悩みがきれいに消え去ります。

そうなると、
至って単純な人間なので、
マッサージでお金がいただけて、
ご飯が食べられて、
ついでに感謝してもらえるんだから、
神様に感謝しなきゃって思えてきます。

患者様のたった一言で涙が溢れそうな安心感を与えてもらい、
その一言で私は癒されます。

本当の癒しというのは、
身体が楽になるというような、
単なる技術の提供の中にはないのかもしれません。

我が治療院、最高齢の104歳の患者様は、
いつも私を優しく見ていて下さいます。

年相応に、
物忘れがあったり、
夜間にベッドの下から伸びて来る手に悩まされていたりされます。
(つまり、あり得ない物が見えたりするわけです)

でも、私が元気がないとすぐに見て取って励まして下さいます。

私自身はむろん何にも言わないし
普段通りにしているつもりです。
でも、いつも見破られます。

「今日は元気ないなぁ。
どうしたんや。
たまにはガツンと言ってやったらいいんやで。」

なんて言って下さるので、思わず涙が出ちゃいます。

そういう優しい言葉に勇気と元気をいただいています。

毎日、心を込めて一生懸命を信条に仕事をしていますが、
与える側という一方的な立場を超えたところに、
本当に心が溶け合うような安心感が生まれます。

私自身が癒されたと感じる時は
患者様の心も同時に癒されているような気がします。

意識して作れるものでもありませんが、
治療師という立場に胡座をかくことなく、
誠実に向き合う中でこそ訪れる瞬間なのかなと思います。

今回のブログは日々仕事をしている中での
気持ちの動きをつらつらと書きました。
書いていると我が身の未熟さを恥じ入るばかりですが、
どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

患者様の家の近くで子ネコが生まれました。子ネコから人間の目をそらすため、母ネコが反対方向に歩いていきます

ハーモニーきょうと/ハーモニーきっず

友人の始めた放課後デイにようやく行くことができました。
広くてきれい❣️で、自由な空気に満ちていました。
ハーモニーきょうと(深草)http://harmonykyoto.seesaa.net/

ハーモニーきっずの作品

座位のとれない子ども用クッション

始めたばかりで軌道にのるまでいろいろ大変そうですが
夢を膨らませながら歩む姿にすごいなぁと思いました。

子どもの頃、友達がいっぱいいることや、
人より目立つことや、
全てにおいて一番であることを目指し、
到達できない自分にガッカリしながら毎日を過ごしていたように思います。

大人になると、
必ずしもそれが全てではなく、
真面目にコツコツ歩むこと、
誠実であること、
毎日を楽しむことなど、
一番になることが一番ではないと知りましたが、
ここに来るまでの道のりの中で一番を目指し、
一番になれなくても諦めずに目指し続ける心が
大切だったんじゃないかなと思います。

けれど、
多様な価値観を知ることができる大人になるまで
諦めずに行き続ける道のりは
決して簡単なものではないかもしれません。
子どもの世界は自由な反面、小さくて残酷だからです。

そんな子どもの頃に、
様々な価値観の大人と接することで、
画一的な価値観の中ではない
自分なりの一番があると考えられるように思うし、
それがすごく大切なことなのではないかと思います。

この友人が運営するハーモニーきっずには、
そんな多様な価値観を持ったスタッフと考えが
びっしりと詰まっているように思いました。

今は重度の障害を抱えた子どもたちが多いようですが、
発達障害を抱え居場所を見つけづらい子どもたちにこそ通ってほしい
型破りな場所ではないかと思いました。

障害を抱えた子どもたちが自分を受け入れられる場所になるといいな。

それと、カンパも大歓迎のようです(笑)!

NPO法人ハーモニーきょうと/ハーモニーきっず
住所:京都市伏見区深草瓦町47 フェリーチェ47 1階
電話:075-748-6196
E-mail:harmony.kyoto★gmail.com (※★を@に変えてください)
ブログ:http://harmonykyoto.seesaa.net

《アクセス》

「不良ばあさん」になろう

風薫る五月になりました。
新緑が目に眩しく、
街は様々な花であふれています。
こんな時は自転車🚲で訪問するのがとても気持ちがいいのです。

こういう季節には、
自分一人では外出できない患者様を散歩にお連れすることも、
在宅生活を支える一環として行います。

今日は、ずっとお誘いしていたけど、
体調不良でそれどころじゃないと断り続けていらっしゃった患者様を、
ようやく近くのスーパーまで買い物にお連れすることができました。

今年90歳になるこの方は、
ずっと美容師をされて来られたそうで、
寝たきりに近い暮らしを送られている今も、
自分のやり方を曲げずに持ち続けておられます。

一日に用事は一つまでと、
マッサージの予定を含め自分のことは自分で管理されています。
多くの方が、
ケアマネジャーの立てたプランの中で生活することを
基本にされていることからすると、
ちょっと異色な存在です。

彼女は、彼女の予定に翻弄される事業所とは、
なかなかうまく折り合わない時もあるようです。
でも私は、あまりに”はっきりワガママ”な暮らしぶりを
尊敬の眼差しで眺めています。
もちろん私のマッサージの予定が、
週替わりになることもキャンセルになることも珍しくありません。

「昔は不良バアさん。今はヨレヨレバアさん」と
ご自身のことを表現されるその身体は、
何度かの腰椎圧迫骨折後、
食べた物もうまく胃に収まらないのか、
ご飯も喉を通りにくいらしく、
体重は30キロを切っています。

ですから、長らくなんとかスーパーで食材をみて、
好きなものを買って欲しいと考えていたのでした。

天気もいい今日の外出の結果は予想以上で、
スーパーに向かう道すがら
「この道通るの何年ぶりやろ。
いつも車でデイと病院の往復やろ。
お上りさんみたいやわ。ウキウキや」と
はしゃいで下さいました。

スーパーでは、
「そんな食べられへんけど、見るだけでいいし」と
いいながら、
野菜からお刺身、お惣菜、おやつにデザートまで買われました。
あまりに嬉しそうに、
日持ちするものをと探されるので、
「次の機会に。また来ましょう」と言ってしまいました。

予定の倍以上の時間がかかってしまいましたが、
これで少しは食欲が湧いて、
美味しく食べていただけたら何よりです。

「不良バアさん」は、「ヨレヨレバアさん」になっても、
自分で考えたことを自分のやり方でされます。
それは、時に一般的なやり方と違うので、
私たちは、戸惑い、関わりの距離を遠ざけようとします。
でも、本当は、多様な人生を受け入れることで、
ステレオタイプではない関わりを模索して行くことが出来ると思います。

そして、自分が齢を重ねて行った先は、
誰になんと言われようと、嫌われようと、
「不良バアさん」みたいになるのが
いいような気がする今日この頃です。

連休はお休みいただきます。休み明けにリフレッシュしてまた頑張ります。よろしくお願いします。

スーパーレディーは東北出身、唄うまし

みなさまから励ましのお言葉をいただくだけで、気分アップです。
前回のブログを読んで下さって本当にありがとうございます。

ガッガリすることもいっぱいありますが、
訪問の仕事は何気ない会話の中で
それぞれの深い人生観を垣間見られることがあります。
日々の仕事の中でそういう経験ができる事は、
最高の贅沢だなと思います。

どの方の人生もそれぞれに教えられることが多いのですが、
中でも私の一番長いお付き合いの患者様は、
御苦労が多かったからでしょう、
どんな話しもサラリと笑いに変えて、
いつも私を笑わせて下さいます。

東北生まれのこの方は、
「おしん」顔負けの人生を送って来られたように思います。

親元を離れて、
子守ざんまいだった幼少期を過ごされたそうで、
流れ流れてたどり着いた京都でも、
京都に馴染むまでの苦労は言うに言われないとおっしゃいます。
その頃は苦しすぎて笑う顔が引きつっていたから、
鏡を見て笑顔の練習をしたそうです。

「笑顔がいいから話しかけやすいと
言われたことがあるけど、
これは練習した笑顔なんやで」
と笑って話して下さいました。

20年前に脊椎の疾患のため、
手足から麻痺し、歩行困難になり、
訪問マッサージを受けられるようになりました。
しばらくは歩いて生活できるようになっていらっしゃいましたが、
今は立つ事さえ難しくなってしまわれました。

しかし、
ベッドの上ではなんとか、時間をかけて、
必死に、自分の事をされています。
それでも、
今迄の苦労に比べれば、
食べる心配をしなくていい今の暮らしは
苦労の内には入らないそうです。

「お金がなくて、
毎日、毎日、団子汁しか食べられなかった時がある。
今は何でも食べられるのに、
身体が大変でたくさん食べられない。
こんなもんやなー」と
ポツリと呟かれることもあります。

慢性心不全をかかえた身体は、
「話していても苦しくなる時がある」とおっしゃるので、
「しんどい時は休憩したらいいんですよ」と言うと
「おばあが楽しみで話してるんやからいいねん」と
事もなげに言われます。

出来ないことがあっても、
なんとか、自分でやろうと様々工夫をこらしていることを、
行くたびに話して聞かせて下さるので、
私は彼女のことを、
尊敬の念を込めて、『スーパーレディー』と呼んでいます。

彼女も、
東北なまりで「すーぱーれでぇ」といいながら、
この方呼び名を気に入って下さっているようです。

スーパーレディーの彼女とは、
ワイドショーを見ながら、
ああでもない、こうでもないと話をしたり、
昔話を聞かせてもらったり、
たまには、
私のダメダメ子育て話を聞いてもらったりしながら
マッサージをします。

「辛くて、うまく行かなくても、
ちゃんと見る人は見ていてくれるから、
人に意地悪したりしたらあかん。
一生懸命真面目にしてたら、
必ずいい風になるから」と
話して下さる彼女の人生を見るたびに、
真面目に生きることの大切さをしみじみと感じます。

私の仕事は、
心疾患と四肢麻痺をかかえた身体が、
小さな力でも効率よく動くように、
関節可動域が小さくならないように
コンディションを整えることです。

それから、心臓の負担を少しでも減らすように、
血流を良くし、浮腫を軽減することです。

歳を重ねるごとに、
状況は厳しさを増してきているように思いますが、
毎回の訪問が少しでも彼女の役に立つように
がんばりたいと思います。
そして、
まだまだ長くお付き合い出来たらいいのになと思っています。

おらがの嫁っ子はでっぱりだ。でっぱりだら、ぼんだせ。ぼんだしたらあげまんまととっぽじるかーね。

うちの嫁っ子は不器用だ。不器用な嫁は追い出せ。追い出したら赤飯と豆腐汁でお祝いしよう。
という意味だそうです。

ヒドイ唄だけど、彼女にかかるとなんともユーモラスでかわいい唄になるように思います。

患者様とのご縁

先週はいろいろなことがありました。

一つめ
ケアマネジャーさんから新しく仕事を紹介していただきました。

訪問リハビリの先生が、その患者様の訪問リハビリは終了するからと、
マッサージに引き継いで下さいました。
主治医の先生も快く同意して下さったおかげです。

患者様は
円背(えんばい)、足腰に痛みがあるけれど
生活動作はほぼ自立されている方で、
その自立している生活が長く続くためのお手伝いです。
引き継ぎのために、
訪問リハビリの先生の治療を見せていただきました。
治療はとても丁寧、爽やかで若くて男前な先生です。
ストレッチと可動域訓練をしながら、
その患者様の問題点を的確にお話しして下さり、
その上で、必要なことを教えて下さいました。
長いお付き合いだったそうなので、
リハビリの先生のやり方を基本に関わらせて頂きたいと考えています。
これから、ご期待に添えますように。

二つめ
入院中の患者様の退院カンファレンスがありました。

神経難病を患われている方です。
意思疎通や嚥下(えんげ)もままならず、
起居動作(ききょどうさ)はほぼ全介助です。
認知レベルは全く問題ありません。
カンファレンスでは、
病院において
看護師・理学療法士・言語聴覚士・作業療法士
そして医師がチームを組んで、
機能の確保に取り組んでおられる様子を知ることができました。
在宅でも、
訪問リハビリ・訪問看護の方とともに関わることになります。
身体が楽になるように、
リラクゼーションをメインにした関わりになる予定です。
退院カンファレンスに参加させていただくと
医療従事者がどのようにリハビリやケアを進めておられるかを
知ることができ、いろいろ勉強になるのです。

三つめ
一番ショックだった出来事でした。
関わらせていただいて3年になる患者様の治療同意ができないと主治医から言われたことです。

治療効果が認められず、治らないから必要ないということでした。
その上に、関節拘縮がきついので、骨折の危険性があるからという理由でした。
脳梗塞を何度か繰り返されているため寝たきりの方です。
失語症があり言葉を発することが出来ませんが、アイコンタクトは出来ます。
イエス・ノーで会話をしていきますが
もちろん完璧に意思を汲み取ってあげることは出来ません。
ご家族は、
「治らないけど、スキンシップで関わってもらえるだけでもいいのに」と言って下さっていますが、
主治医の決断を覆すことは難しいようです。

マッサージの治療は
マッサージという手技に科学的根拠があるかどうか、
治療効果があるか、
計画的に関われているかなど、
様々なご指摘をいただきながら、
医師の同意のもとで治療をさせていただいています。

治療効果があるなと私が考えている場合も、
言語化できないと効果に入らないこともあります。
また、私が効果と判断していることが
医師には効果とは考えられないこともあります。

逆にこんなことで良いのだろうかと不安になる仕事であっても、
患者様の訴えが強い場合は医師が同意して下さるということもあります。

科学的根拠があり、治療が素晴らしいから訪問マッサージが認められているというより
患者様とご縁があったからと思う方がしっくり来ることが多くあります。
同意がいただけない時やお断りされた時は
ご縁のない方だったと思うことで心が落ち着きます。

ただご縁のあった患者様には全て愛のある治療を目指しています。
手から愛が溢れるような関わりを一番に考えています。

西洋医学においても
治療の中心をなす薬がすべて100%ということはないように思います。
そして、同意下さる医師が同じ教育を受けられたとしても、
先生によりお考えは様々です。

日々の仕事で
主治医の関わりが最期の看取りを大きく左右する現実を前にして
患者様の治療は縁のあるなしが大きいのかなと思ったりします。

私に患者様との縁を繋いで下さる関係者の方々のおかげで
毎日仕事をさせていただいていますから、
ご紹介して下さった方の想いも大切にしながら、仕事ができたら幸せです。

いろいろありますが、私に出来ることを誠実にするしかありません。

映画スターみたいな患者様の若かりし日の御姿。今も、男前の性格で女心を上手にくすぐって下さいます。
お話を傾聴しながらマッサージをする30分が患者様の心の栄養になり明日への活力になるなら医療として認めてもらえないかなぁ〜。

片麻痺と肩こりの治療の共通点

先日から、脳梗塞後発病後10年になる、右片麻痺の患者様の訪問を初めました。
その方には一年前に1カ月訪問した後「身体の力が抜けて歩きにくくなった」と断られた方で、今回は再開の依頼をして下さったのです。

脳梗塞の後遺症では、
一つ一つの筋肉がそれぞれ個別の働きをすることができず、一つの大きな動きとなってしまいます。

手を動かそうとすると、肩・肘・手首・手指関節全てが同時に働いてしまうために、なかなか実用的に回復することが難しいのです。
足の場合も同じで、なんとか歩くことが出来ても、複雑な動きの回復は難しく、力を入れ、足を一本の棒のように固めることで、歩行を可能にしている方が多いように思います。

これを専門用語では、共同運動といいます。私の説明だけではわかりにくいかと思います。参考にウィキペディアから引用しておきます。

共同運動(きょうどううんどう)とは、脳梗塞や外傷による後遺症の一つで、特に回復期に認められるものである。発病の当初は随意性を喪失していることが多いが、やがて肩・肘・手指全体を生理学的な屈曲あるいは伸展方向に同時にのみ動かせる運動だけができるようになりこれを共同運動と呼ぶ。続いて各関節を単独で動かせ、さらに回復が進めば、複数の関節を屈曲・伸展逆方向に同時に動かすことができる複合運動が可能になる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E5%90%8C%E9%81%8B%E5%8B%95

このような状態が続くと、麻痺側のみならず、健側も含めた全体の柔軟性が失われ、やがては歩行困難になったり、血流不全による浮腫から感染症になるなど、二次障害を併発してしまわれることになったりします。

なぜなら、そもそも筋肉というのは、
基本的には相対する二つの動きから成り立っていて、
その伸び縮みによって関節を動かしているので、
一方向だけの動きが強ければ、骨格の変形など様々な影響が出てくるのです。

また、このような状態を痙性麻痺(けいせいまひ)と言い、
脳卒中など、中枢性の麻痺が起こす状態で、
この状態の改善がリハビリテーションにとって大きな課題となっています。

こちらもわかりやすく書かれた説明をのせておきます。

痙性 / Spasticity
痙性は麻痺に伴う副作用で、軽度の筋硬直から、重度の脚部運動制御不能まで、各種の痙性があります。症状には筋緊張の増加、急激な筋収縮、深部腱反射亢進、筋肉の痙攣、鋏状脚(無意識な足の交差)、関節の固定が含まれます。

https://www.christopherreeve.org/ja/international/top-paralysis-topics-in-japanese/spasticity

特定の筋肉が継続的に収縮した状態と定義されることもあり、この硬直によって、歩調や身体の動きや発話が妨げられることが起きてきます。

私は、このような痙性麻痺と共同運動に苦しんでおられる方の治療をする時は、
中枢性の麻痺に対する治療という観点ではなく、
継続的に収縮した一かたまりの筋肉を再分化、
つまり、もとの一つ一つの筋肉に揉みほぐしていくという考えの元に治療を始めていきます。

というのも、筋肉が元々の働きどうりに働かず、
代償的に働いたり、
一体化して弾力性を失っていくことは、
なにも痙性麻痺の時に特別に現れる症状ではないからです。

一番身近にある例だと、肩凝りの筋肉の状態も同じようなものだと考えています。
ただ肩関節という可動性の少ない場所と、
手足という可動性の大きな場所の筋肉の違いが見た目には全く違う印象を与えますが、
継続的に収縮した結果である筋肉の状態はよく似ていると考えています。

ですから、リハビリテーション医学の世界では、
痙性麻痺による筋収縮を改善するために、
様々なテクニックが考え出されたり、
シワ取りに使われるボトックス注射が行われたりしていますが、
私の経験では、
肩凝りをほぐすように、
一つ一つの筋肉を丁寧に揉みほぐしていくことで、
かなりの効果が得られると考えています。

ただ、痙性麻痺の治療をしたことのある人や、
身をもって体験されている方ならわかると思いますが、
強く揉めば揉むほどに緊張が強くなったり、
縮んだ関節を伸ばそうと力任せに引っ張れば、
ますます縮んでしまうので揉んでどうにかなるとは考え難いかもしれません。

このことこそがコリをもみほぐすためには、
力技ではなく、
まず緊張を取り除くことが何より大切だと考えるきっかけを与えてくれたように思います。

筋肉が一かたまりの硬い固まりの様になっている時、
筋肉ではなく、
まず表面の筋膜が緊張し硬くなり、
中の筋肉を覆っているのです。
ですから、まず筋膜の緊張を緩めることが大切です。

この筋膜の緊張を解くことが最も難しいことの一つではないかと考えています。

鍼治療はそれに対しては、とても効果的です。

鍼治療が出来ないマッサージ師の私は、
鍼の刺激の深さに到達するには、
鋭い深い指圧が必要だと考えていたため、
「痛いけどごめんなさい」と言いながら筋膜のねじれや緊張を解くために、
力の治療を続けてきました。
効果がないということはありませんでしたが、
痛みを伴うことが悩みの種でした。

ですが、実は、皮膚の表面への最も柔らかな刺激が、
心地よい刺激であり、
また私自身の労も一番小さく、かつ、最も効果的であったのです。
(これは自分で発見したのではありません。このことは、またいつか、きちんと文章にしたいと考えています。)

筋膜の緊張が解けたら、
少しずつ筋繊維の中に指を入れ、
筋繊維がこんがらかっているところをほぐしていきます。

痙性麻痺が強ければ強いほど、
筋膜の緊張をとることも、
筋繊維の間に指を入れことも容易ではなく、
根気よく治療を続けることが必要です。

しかし、肩凝りの治療のように、
ストレスや長時間のデスクワークで凝り固まった身体を1ヶ月〜半年、
あるいは一年以上の時間をおいてほぐしていく「作業」に比べれば、
一週間に1〜3回を継続的に関われる脳卒中後遺症の治療の方が、
私にとっては「楽な作業」だと感じています。

脳卒中後遺症の方のリハビリにとって、
痙性麻痺を軽減することは治療のゴールではなく入り口です。
柔らかくなった手足をより使いやすいものにしていくには
その先の訓練が欠かせませんが、
硬いままよりは柔らかい方が、
全体が楽であることに間違いないと思います。

今回、再開を依頼して下さった患者様のご希望は、
足が背屈すること、
つまり足首が自由に動くことと、
肩から手首の動きの出現です。

なんとか鉛筆が使える指にまで回復されているのに、
肩から手首にかけては、
鉄の塊が付いているようだと感じておられるのです。

一年前の失敗は、
私が性急に患側の改善を図ろうと刺激量が多すぎたことと、
全体のバランスを欠いた治療をしたことだと反省しています。

ですから今回は、
ご本人の訴えから、
一番遠い場所からほぐしていこうと考えています。
一番遠い場所とは、健側の体幹です。

なんとかお役に立てるよう頑張っています。

コリの正体と格闘すべき相手の話から遠ざかりましたが、
凝り固まった状態の治療の中では、
片麻痺の治療も、
肩凝りの治療も基本的には同じことだったのです。

屈筋と伸筋(あるいは抗重力筋と従重力筋ともいえます)という
二つの筋肉のバランスの崩れた結果生じた状態という意味では全く同じ。

あるところでは、強い力が必要になる時もあります。
しかしその緊張を取り除くには、
まず最も小さな刺激が、最も効果的であり、
その先にこんがらがった筋繊維をほぐす道が伸びているのです。

コリという「敵」と闘うのではなく、
コリを抱えた、
あるいは苦痛を抱えた身体を治療させていただいている、
という気持ちを基本に持ち続けることが、
患者様の身体丸ごと優しい気持ちで包みこめるような治療を生み出し、
そしてその先に本当の癒しがあるのだろうと思います。

まだまだ未熟で、毎日が発見の連続です。

患者様の訴えにいつも謙虚に向き合える治療師でいたいと考えています。
どうぞよろしくお願い致します。

ネコみたいに身体が柔らかいといいのだけれど。でも、ネコちゃんもマッサージ大好きです。

按摩について考える/コリの本質を捉える

「10年ごとに体力が落ちるから、施術のやり方を変え、最小の力で最大の成果を出すようにしていきや」と毎月治療し合っている鍼灸師の先生に助言いただいていましたが、本当に、寄る年波に疲れが取れません😢
昨夜も9時には眠くて眠くて…

マッサージ師は、基本全身を使って患者様の身体を治療していきます。私は、硬いコリを力で揉みほぐすことを技術の基本に考えてきましたから、先の先生からの助言は言われていることはわかるけど、その道筋が全く見えないものでした。
力でコリを揉みほぐすことが、マッサージ師の最大の課題だと考えてきたからです。

最初に働いた治療院の院長からは、硬いコリと向き合う姿勢を教わりました。「ジーンズの上からでもベルトの上からでもにっこり笑って、揉めなあかん」と教えられました。

マッサージ師になり始めた頃、硬いコリと格闘した指は、一人施術しだだけで、腫れて熱を持っていましたから、一日の終わりには、流水で手が痺れるまで、冷やさなくてはなりませんでした。

始めて一年くらい後には指が熱を持つこともなく、見た目は変形しているとわからないけど、親指の関節は、突き指状態に固まり、腕から続く一本の棒のようになりました。

おかげで、今では、小さな力でもぶれることなく、筋肉の奥まで指を入れることが出来ます。

その後、治療院の院長の師匠のところまで教えを請いに、しばらく通わせて頂きました。

院長の師匠という人は、15歳の頃から、按摩を始めた人でした。その先生の揉捏(じゅうねつ 、いわゆる揉みほぐす按摩の手技)はコンパスの針で刺しているように中心が全くぶれることなく筋肉の奥まで届いてくる素晴らしいものでした。後にも先にも先生の他にそのような揉捏(じゅうねつ)を味わったことはありません。

先生は、「按摩とは細かな筋肉を揉みほぐすことで五十肩も治療できる技術だ」と教えて下さいました。また、按摩術の中には、肉体を使ってできる治療の全てが含まれていて、全身を調整するために全身を揉みほぐす全てを教えて下さいました。

私は、先生のようになりたくて、先生のような技術を手に入れるためにずっとコリと格闘し続けてきました。

私たちの資格の正式名称は「按摩・指圧・マッサージ師」と言って、三つの手技からなっていますが、「あんま」という響きは、近代医療から離れた、慰安、肩凝りあんま、ホテルに出張みたいなマイナスイメージがあって、一般的にはあまり好まれず、「指圧」とか、「医療マッサージ」という表現が好まれる傾向にあるように思います。

しかしながら、按摩というのは、日本で江戸時代に完成したと言われている手技で、江戸時代には、全身調整の大きな役割を果たしていたのだろうと思います。

按摩は――あくまで私の個人的考えですが――
何の道具も使わず、指先の感覚だけを頼りに、身体の状態を探り調整していくには、かなりの経験を必要とするにも関わらず、
動かないために凝り固まる身体への対応、あるいは、医療の進歩により、不自由な状態に対する治療の必要性の高まりなどに対して、
技術改革を成し遂げてこなかったために、
西洋医学や、他の療法に主流の座を奪われたのではないかと思います。
肉体を頼りに生活を成り立たせていた時代とは違い、
熟練した施術師が少なくなった背景もあるかもしれません。

そんなこんなで、按摩はコリと格闘する手技という枠の中に押し込められ、治療師は毎日コリと格闘することを目的化してしまった側面があるのかなと思っています。

それでも私は、有り難い出会いの中で、按摩の技術のすごさに取り憑かれ、コリの正体はなにか?格闘すべきは何か?について考え続けてきました。

凝り固まったコリは力で格闘するものでなく、優しさで包み込むことなのかなというのが、今の私の答えです。そして、それは新しい技術ではなく、按摩の技術の基本に帰ることではないかと思っています。
最小の力で最大の成果を出すという考え自体が、コリの本質を捉えることの答えだったのです。

この続きは次回のブログで。

施術は全身使います。使えるものは手だけじゃなくて足も腰も使います。足りなかったら頭も使います。揉みほぐしたい筋肉が、手足や体の重みから解放される状態にするためです。

フライングダイナソーで宇宙飛行士気分

息子の春休みに合わせて、仕事を休ませていただき、ユニバーサルスタジオジャパンに行ってきました。

人混みが苦手な私と、ちいさい時から並ぶのが苦手な息子たち。ところが中学生になった息子が行きたいと言うので、初ユニバーサルスタジオジャパンでした。

初めて行ったそこは、近隣の駅から人波が続き、開園30分前に行ったのに、入場するのに15分もかかりました。

並びたくなければもっと早く行かなければなかなかったようです。
それでも、年間パスポートを持っている甥っ子が一緒にきてくれたおかげで、待ち時間の長い中、いくつかのアトラクションを見てまわることができました。

中でも一番人気だったフライングダイナソーというジェットコースターは、210分待ちを乗り越えてようやく乗ることが出来ました。
くるりと逆さ向けのまま周るこのジェットコースターは、身体に心配のある人や高所恐怖症の人の乗車を注意していました。周りは若者ばかりの行列の中で、中年の私が乗車できるか心配になってきましたが、息子に「大丈夫やろ」と言われ乗ることにしました。

ようやく回ってきた座席は最前列でした。
プテラノドンにつかまれたまま一緒に空を飛んでいるように作ってあるジェットコースターです。始めは怖くて吐き気をもよおしそうでしたが、次第に怖さより、空を飛んでいる快感のほうが大きくなってきました。まるで宇宙飛行士になったような気持ちになりました。

ほんの1,2分の時間だったと思いますが、乗り終えた時に身も心も若返った気持ちで満たされていました。
決して自分の力ではなく、全くの他力なのに、不思議な感覚でした。

寝たきりになって自分では歩けなくなった方を、まるでご本人が歩いているかのように介助して歩かせてあげる時があります。その方が正しい筋肉運動ができて、身体状況がよくなるからです。ですけれど、よくご本人からは、「自分で歩いていないのに歩いている気持ちになれて元気になる」とか、「あんたを24時間ずっと雇いたい」と喜んでいただけることがあります。

今日私が味わった気持ちは、これに近い気持ちなのかなと思いました。肉体で感じることは、頭が考えることを超えることがよくありますが、思考は、やはり肉体の感覚に支配されているのだろうなとしみじみ思いました。

待ち時間が長く、ずーっと立ち続けて、足腰はクタクタですが、息子のおかげでちょっと若返った一日が過ごせました。

明日からまた、皆様のケアに精を出したいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

自分の課題を明確にし問題を解決していく

息子が小学校を卒業し、春休みで家にいるので、ついつい私も仕事より家庭モードで過ごしているうちにブログも更新できずに日が過ぎてしまいました。

ブログを書いていなくても、毎日毎日、当たり前に様々な問題が起きては解決の糸口を探すこともできないままに過ぎ去っていきます。

そんな問題の一つが、患者様の状態をスタッフ全体で、どうやって共有していくかということです。

ほとんどが患者様の家で一人でする仕事なので、可能な限り情報の共有をするようにしているのですが、患者様の身体状況を数値化することが難しく、スタッフ全員がいかに同じ眼でみるか、頭の痛いところです。

患者様の状態把握をどのように行うかというところからして慣れないと難しいのです。
それぞれの患者様の日常生活動作を中心に全体像を把握して、その上で、その患者様の在宅生活の生命線となる事柄にフォーカスして経過的に観察をおこなわなければなりません。

自費治療の場合は、患者様の訴えを中心に治療を進めて行けばよいのですが、訪問マッサージは、定期的で、計画的な治療を求められます。何より大切なのは、時系列的な患者様の経過観察と、早期にレベル低下を捉えて状態を維持していくことなのです。

例えば、廃用的に下肢の関節拘縮があるけれども、なんとか室内の歩行が出来ている、でも先々の身体状況に不安があるので、いつまでも動けるようにと、マッサージを依頼して下さった患者様に訪問をする場合のことを考えてみます。

日常生活動作の評価スケールは、自立・道具を使って自立・なんらかの助けがあれば自立・不可の4段階で評価していくことが一般的ではないかと思います。しかし、私たちがそれを維持することを目的とする場合、自立の中でも楽々自立から、なんとか危なっかしいけど自立という微細な変化を捉える必要があります。

起き上がりが楽々出来ているのに、歩行だけがスムーズに行かないなら、下肢の関節だけが大きな問題を抱えていると考えられます。
逆に起き上がりからしてぎこちない動作であれば、上肢や体幹にも問題を抱えていると考えます。

下肢の状態に問題がある場合は、立ち上がり動作のスムーズさや、そのための足関節の可動域、足趾の状態の把握がとても大切になります。

反対に上体に問題がある場合は、肩関節の状態や、脊椎の可動性などの状態もしっかり観察して置く必要があります。

大切なのは微細な変化を見逃さないこと、その変化と日常生活動作の状態との相関関係を把握し、状態を維持していくことなのです。変化を把握できるから、その改善の治療も可能になると考えています。

室内歩行の状態の観察、身体のパーツの状態の把握をしながら、老化や廃用的な身体状況の変化に抗い、状況を維持していくのです。

でも、その身体の中で起きている変化がわからなくて、転倒や痛み、足が出にくいなど患者様の訴えがあって初めて、身体の変化に気づくことがあります。

関節拘縮に傾きかけた身体は、浮腫がちになったり、皮膚トラブルや爪のトラブルが増えたり、一つ一つの動作に時間がかかるなど、指先で身体の中の変化を捉えたり記憶ができないとしても、視覚的にわかる変化を起こしてきます。
歩けなくなる前に様々な信号を見つけて治療することができます。

私の頭の中にはこれらが記憶の引き出しにしまわれていて、必要な時に自在に取り出せるようになっています。しかしながら、これらは、長年の訓練と経験の賜物です。この視覚、触覚に焼き付けた感覚を他の人と共有するということが、私に課せられた大きな課題だと考えています。

それでも、ついつい、自分の言葉足らずを棚に上げて、
「なんでわからへんのん? みたらわかるやん。ちゃんとみてる?!」
とうなってばかりいた先週の金曜日でした😭

子どもの部活がオフなので家族旅行。淡路島です。