脳の不思議、自尊心や愛情を感じる心

もう10年のお付き合いになる患者さんが今年に入り、インフルエンザから体調を崩され、入退院を繰り返しているうちに、食べたり飲んだり出来なくなって来られました。

アルツハイマーの患者さんが、末期に嚥下困難になるのは仕方ないことなのですが、もう長いこと、声も聞いたこともないのに、先日は何か話しているのを耳にすることができていたし、いつもの通り、目でちゃんと返事もしてくださいます。

末期じゃなくて、だだ体調不良なだけなんじゃないかと思ったりもしていました。

こんな想いは私だけじゃなくてケアマネさんたちも同じ気持ちだったようで、

「もしかしたらパーキンソン病からの嚥下困難ってことないですか」と声をかけてきて下さいました。

アルツハイマーの初期は、パーキンソン病やうつ病と判別が難しく、この方も診断が下るまであちこち受診したと聞いていました。

最近ではパーキンソン病ではなくても抗パーキンソン剤を処方することで活気が出ることがあり、私の別の患者さんもおかげで発語が増えたという話をご家族にさせていただきました。

そうして、一度神経内科を受診してみようということになりました。神経内科を受診されるのはもう15年ぶりということでした。

もし、パーキンソン病だったら、抗パーキンソン剤でまたいっぱい話が出来るようになったらすごいねなんてご家族と話しながら受診日を迎えました。

神経内科内科の医師も経過を聞き、本人を見て、「そうね。拘縮もないね。とりあえずCTを撮ってみましょう。」と言って下さったそうです。

しかし、CT画像が出来上がった時のお話は、

「治療の段階はもう終わっていて、末期の末期。今まで食べられていたことが不思議なくらいで、明日に亡くなっても不思議じゃない状態です。もう治療出来る段階にはなくて、あとは自然の流れにまかせていくのがいい」

というものでした。

それくらい脳は萎縮して真っ黒に写っていたのだそうです。

少しずつ弱って来られていたので、こういう日を覚悟されていたご家族ですが、その眼は涙で潤んでいました。

はっきりと現実を知らされた私も、思わずこぼれる涙を抑えることが出来ませんでした。
なんだか、今までの長い時間がこれからも続いていくような気に勝手になっていたように思います。

眼を閉じまま、その話を聞いていた患者さんは、最初の出会いの時にはすでに、うまく話すことが出来なくなっていらっしゃったのですが、いつも私と、ご家族の話を聞いて笑ったり、上手に相の手を入れて会話に入って来られるのが常でした。この時も、3人でいたのは久しぶりだったのですが、大きくニヤリと返事をして下さり、脳って何?と思わないではいられないご様子でした。

でも眼を閉じていらしたので、私たちの涙は伝わらず、受診の結果をただ明るく話している風に聞こえたのか、自分が「いらないもの」だと感じていらっしゃるのではないなかという気がしました。

ですので、
「違うよ。みんな泣いてるよ。今までも奇跡だから、これからまだ奇跡を起こしてくれると思ってるよ」と伝えました。

すると患者さんの眼にも涙が浮かびました。

脳って本当に不思議です。

食べることや生きるための基本動作さえ出来なくなるのに、自尊心や愛情を感じる心は元気な時のままなのです。

誰かが死に向かって行くとき、私は出来るだけ冷静に、いつも通りに接するようにしています。今は生きてるから今まで通りが一番の安心な時間になるように思うからです。

でもこの患者さんは、アルツハイマーという病気になることで、自分の存在が悪なんじゃないかというような不安と闘い続けて来られたように思います。ですから、今回は10年分の出会いの感謝をいっぱい表現しながら、思いっきりうろたえて、最期の時を迎えたいと思います。

アルツハイマーでも何にも出来なくても生きていいやん。今まで必死で頑張ってきたやん。楽して人の世話になったらいいやん。私は来るたび癒してもらってるやん。ありがとうですやん。

いっぱいいっぱいもっといっぱい、その感謝を伝えてあげていただろうかと振り返ってしまいそうです。

今さらながら、いっぱい伝えていきたいと思います。

猫って見てるだけで、こっちまでのんびりとした気持ちになる。あくせく何かに囚われてばかりの自分が馬鹿らしく思える。認知症の人と付き合ってるとそういう同じような気持ちにさせられる。

拘縮予防具のご紹介

あまりの被害の大きさに言葉もありませんが、先日の大雨で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

輝く太陽や穏やに吹く風が愛おしく、毎日同じように来る日常が素晴らしいのだと思い知らされました。

さて、今回は施設に入所されている患者さんの体の拘縮予防具のご紹介です。これは施設職員さんの手作りだそうです。

この方には、自分で出来る動作がなくなっていく中で、せめて自分の手でものが食べられたり、うまく使える動作が増えて欲しいというご家族のご希望により訪問させていただくようになりました。

脳梗塞による不全麻痺(全く動かないことはない状態)の後、本人の気持ちを無視したと思われるリハビリの中で、動いていた方の手まで動かなくなっていったそうです。
そういう経緯の中でご家族がなんとか使える方の手だけでも使って暮らして欲しいと願われていました。

うまく身体を使うことが出来なくなってしまった身体は全身の関節が硬くなり、筋萎縮も進んでいました。
少しでも無理に伸ばしたり曲げたりをすると、筋萎縮も著しいため、関節可動域の拡大は、即靭帯のゆるみになり、その結果、身体の防御本能から、さらにまた筋緊張が増してしまうということになっていました。

こうなると、その日に結果を出すことより、長い時間をかけて自然に伸びていくような取り組みが大切になってきます。

積極的な関節可動域の拡大を目的とした運動よりも、筋萎縮の改善や生活での変化をもたらし、使える身体に変えていくことで全身の関節拘縮を改善していく方法です。

手を使って欲しいというようなはっきりとした目標があると、マイナス面より、つい結果を出すことを優先しがちですが、ご家族が大変理解が深く、手が使えるようになって欲しいという希望はありつつも、お母さんの気持ちを一番にとお考えの方でしたので、出来る限りゆっくり患者さん本人に意思・意欲を大切に関わらせていただくことができてきたように思います。

そして少しずつ、身体が動く部分も増え、少しずつ関係性もよくなってきてるかなと思えるのですが、こんなによくなりましたよと報告するほどには大きな変化もなく、やはり、あと少し生活に結びつくなにかが欲しいなぁと思いながら訪問を続けてきています。

そんな中で、指が自然に伸びるようにと、なんと施設の職員さんが考えつかれた予防具です。

見た目も可愛く、矯正的な感じもなく、手にぴったりフィットした感じが最高です。

関節拘縮の予防具も私たちの施術と同じことです。強い力で関節を拡げるような矯正力の強いものは、その反動でどんどん関節拘縮を進ませてしまうのです。
ですから手袋の中にちぎったスポンジか入っているこれは、患者さんの手の力に負けながらも、その余裕を作る優れものに見えます。

ちなみに中に入っているのは台所用スポンジだそうです。軍手では手が荒れてしまったということでした。

愛ある作品にうっとりしました。心なしか指が伸びて楽そうです。

血行が悪くなると爪水虫になるのですが、それも治ってきて、喜んでいるところにこの予防具の登場!
これからも焦らずあきらめず施術を続けていきたいと思います。

写真は爪水虫が取れて、きれいな爪が伸びてきたところのものです。

「死んでもつきあいしてや」

「死んでもつきあいしてや」

106歳の患者さんは、あの地震の日以来すっかり体調を崩されていて、主治医の先生からもお迎えが近いだろうと言われています。

訪問する時も、お顔をみるまでは大丈夫かなとドキドキです。先日は、定期訪問ではない日にもかかわらず、心配で様子を伺いました。思ったよりお元気で、声もしっかりしています。すると、ほっとした私に「死んでもつきあいしてや」とおっしゃいました。

「………?」

まだまだいてやと言うのが精一杯でしたが、こんなことを言われたこともなく、真意がつかめません。今から思うとちゃんと尋ねてみれば良かったなと思いますが、不意を突かれて返答に窮してしまったのです。

「死んでも」の「つきあい」とは、お墓まいりやお葬式のことなのか、あの世とこの世で交信するということなのか、自分があの世に行っても私の心の中に置いておいておけということなのか。

いずれにしても、私につきあい続けてと言ってくださっている有り難い言葉に変わりはないように思います。

お迎えが来る前に確かめておきたいとは思いますが、こういう話は旬が過ぎると同じ会話にはならないのが常なので、もう一度ご本人の口から同じ言葉が出るのを待つしかないかもしれません。

とはいえ、
「死んでもつきあい」させてもらうので、もう少しこちらにいてもらえると嬉しいなと思います。

106歳の患者さんには翻弄されっぱなしですが、それが、私にとっては大きな魅力なのかもしれませんね。

この日はこの後お世話してはる姪御さんがいらっしゃって、元気な頃にどんなに酷い人だったかを聞かされました。
長い人生について考えましたが、前半部分だけで、終わりました。お迎えが来た後にいつか書きたいなと思います。

母が亡くなり事あるごとに母親の言ってたことを思い出します。
亡くなった人に対して「心の中にいる」から寂しくないとよく聞いてきてもピンと来なかったけれど、こういうことかとようやくわかった気がしています。

手の温もりは機械に代えられない

オックスフォード大学が認定 あと10年で「消える職業」「なくなる仕事」(2014/11/8)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40925

—-ここから上記記事引用———

『「コンピューターの技術革新がすさまじい勢いで進む中で、これまで人間にしかできないと思われていた仕事がロボットなどの機械に代わられようとしています。

たとえば、『Google Car』に代表されるような無人で走る自動運転車は、これから世界中に行き渡ります。そうなれば、タクシーやトラックの運転手は仕事を失うのです。

これはほんの一例で、機械によって代わられる人間の仕事は非常に多岐にわたります。私は、米国労働省のデータに基づいて、702の職種が今後どれだけコンピューター技術によって自動化されるかを分析しました。

その結果、今後10~20年程度で、米国の総雇用者の約47%の仕事が自動化されるリスクが高いという結論に至ったのです」

人間が行う仕事の約半分が機械に奪われる—そんな衝撃的な予測をするのは、英オックスフォード大学でAI(人工知能)などの研究を行うマイケル・A・オズボーン准教授である。』

——引用ここまで———

4年前の記事ですが、オックスフォード大学のオズボーン博士の発表は衝撃的なもので、実際にAIによってどんどん仕事がとって代わられてきているのが現状だと思います。

先日、患者さんとこの話をしながら施術していました。

消えない仕事のトップは、
リハビリ師らしいですと私が言うと、
患者さんが、

「そうかな。
一番消えないのはマッサージ師だと思うよ。
人工知能は、そのうち関節の位置も筋力の強さも自動で測ることができるようになるんじゃないかな。でも手の温もりは機械に代えられないと思うよ。マッサージはAIには負けないよ」と言ってくださいました。

なるほどそうかもしれないなぁと思いました。
なぜならリハビリの今の最先端はまさにロボットリハビリだからです。
ロボットリハビリとは関節の動きをロボットがサポートすることで正常な筋肉の動きを作るリハビリで、今はまだ限られた施設でしか受けることの出来ないリハビリですが、安価でリース出来るようになれば在宅リハビリの強い味方になることは間違いないと思います。

人の寂しさは人の温もりを必要とするというのは、なんとなく肌感覚で理解出来るところがあるように思います。

寝たきりで、ほとんど自分では何も出来ない患者さんに、床ずれが出来ないように、あるいは、肺炎になりにくいように、あるいは排便が催すように、血流の改善を図りますが、体力が落ちてきて活気がなくなってしまった時、患者さんが望んでいるのは血流の改善なんてそういう小さなことではない気がするのです。

あまりいい例えではないかもしれませんが、雨の中に捨てられた仔犬みたいに、行くところもなくて、ただただ辛くて不安で心が震えているそんな様な気持ちでいらっしゃるような気がするのです。

そんな時、お部屋に二人きりな時は、こっそり、座位保持をしてもらうのに、私の身体をぴったりと寄せて、一緒に座りながらしばらくハグしていることがあります。
起こせないときは、上から私の耳を患者さんの胸に置いて、心臓と肺の音を聞きながらただただ身体の温もりを伝えることがあります。

すると、患者さんの緊張が解けるのか、動かなかった腸がグルグルと音を立てて動いたり、おしっこがジャーと出たりすることがあるのです。

あまり褒められたやり方ではないかもしれませんが、人には、肌の触れ合う力が一番必要な時があるように思います。それは他の何かに代えることの出来ない心の安らぎなのかなと思います。

AIに負けないように、指先や手のひらから温もりを伝えることの出来るマッサージ師でいられるように、寄り添う気持ちを大切にしていきたいと思います。

患者さんが作られた玉ねぎ。
メロンみたいに大きい玉ねぎを初めて見ました。愛情たっぷりで玉ねぎも大きく育ったんじゃないかなぁ。

大阪の地震

今週の月曜日の朝、大阪で震度6弱の地震があり、京都でも震度5強という揺れがありました。

患者さんもそれから私の身近な人たちにも大きな被害はなかったのですが、初めての震度5強に大きく動揺しました。

そして、その時に、何かをする時間があったにもかかわらず、ただうろたえるだけで何も出来なかったことにショックを受けました。

今までは、他処で起きる震災をニュースで見ながら、生き延びた後のために何かを用意することや連絡の取り方を考えたりして来ました。少しの防災用品を準備したり、避難場所を確認したりしてきました。
また、患者さんの多くは、地震が来たら逃げられない。家にいるしかない、死ぬしかないなぁという話をされるので、なんとなく笑い話にしてそうしかないよねーなんて話して来ました。

しかしながら、あの揺れの時間は「長く」何かをすることで生死を分けるかも知れないと初めて強く思いました。

でもあの時間に何ができるんだろう。

いつどこで起きるかわからないからこそ不安で考えることすら思い浮かばないのですが、そんなことではいけないのだと思い様々考えを巡らせてみました。

とりあえず机などの下に入る。なければ毛布かクッションで身を守る。

やはり、これしかないかなと今は思っています。
(他にいいやり方があれば是非教えてもらえればと思います。)

それから患者さんたちとも、近い将来起きるかも知れない事態に、身を守った後のことを一緒に具体的に話し合ってみました。(身を守るために何かをすることは本当に困難だろうと思うので)

震度5強の揺れのせいか、その緊張が解けないせいか、今週は、体調不良になられた方が続出でした。嘔吐、不眠、嚥下不良など原因のはっきりしない症状が多いように思います。

何事も経験してみないとわからないことばかりです。どうすることも出来ない自然の脅威ですが、私に出来ることをきちんとしていきたいと思います。

被災された方々に心からお見舞い申し上げます。

寝たきりの方の寝る姿勢

今は、ポジショニングと言って、寝たきりの方の寝る姿勢を大切に考えるようになってきました。

どういうポジショニングがいいか理学療法士の先生方に見て決めていただくこともありますが、私が問い合わせいただき介護士さんや看護師さんと一緒に決めていくことも増えてきました。

寝たきりで自分で手足をうまく動かせなかったり、寝返りが出来ないと床ずれが出来たり、手足が硬く伸びなくなってしまうのを防ぐことはとても大切で、一旦出来てしまった床ずれを治すのはとても大変になるからです。

普通私たちは、無意識に寝返りを打ち、一つ所が圧迫され続けないようしているのですが、自分の重みが接地面にかかり続けることで、その部位が壊死してしまうのが床ずれです。

それで、寝たきりの方に対して、圧が一点集中しない材質のクッションが様々開発されています。

また誰かが、一定時間ごとに体転するのが一般的な床ずれ予防ですが、昼夜を問わず必要とされるその介護負担はとても大きいので、エアマットに自動的に身体の圧のかかる部分を変える製品が開発され、次々と改良された新製品が作られています。
これらは、床ずれ予防に大きな成果をだしているように思います。

しかしながら、動く前提で設計されている人間の身体は、動けないことが作り出す身体の不具合を全てなくすことはとても難しいように思います。

それは身体というものが、皮膚・皮下組織・筋肉・骨といった独立した部品の寄り集まりではなく、身体という一つの有機的な繋がりを持ったものなので、一つの動作を自分でする時はそれに伴い体全体が動くのに比して、他動的に動かす時は一部分しか動かないからだと考えています。

つまり、自動運動では全体が立体的に動くのに比して、他動的な動きになると平面的な折り紙のような動きを考えてみるとわかりやすいかと思います。

そして、この立体的な動きこそが、深層の筋群の動きを誘発し、抹消の全ての関節運動を可能にし、単なる手足の動きだけでなく、その血行を促進し、皮膚や軟部組織の状態をベストに保つ鍵なのだと考えています。

だからこそ、機械や誰かの手で動かすことでは解決しない問題があるのだろうと思います。

ここで、私たちマッサージ師の出番です。

一つ一つの筋肉が果たす役割が果たせるよう全体を整え、まるで自分で動かしているような筋肉の状態を作り上げていく技術を持って、自動運動に近い動きを作り出したり、本人が動きやすくなるように身体を整えることで、失われた自動運動を誘発していくことが出来るからです。

と言うのは簡単ですが、実際には腱や骨まで壊死・感染が進行した床ずれを治すのは容易ではありません。看護師さんや介護士さんの涙ぐましい努力なしには決して改善はありませんが、最新の技術に負けない技術力で、床ずれ治療・予防に当たりたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

寝たきりトラブルに際限はありません。皮膚という防衛の最前線がやられるということは生命の危機を意味するような出来事なのです。

患者さんからのお土産

患者さんから、岡山旅行のお土産をいただきました。

きびだんごです。めちゃくちゃかわいいパッケージに釘付けです😍😍

「これがきびだんご?! こんなのにつられて鬼退治に行くなんて、しょうもないもんやん。」と箱を開けながら呟いていた息子ですが、一口食べると「わあ〜美味しい❗️全部食べていい?」
いやしさにまけて鬼退治に行きそうな勢いでした。

この岡山旅行は、乳癌の術後、肺に転移をしてしまい抗がん剤で治療中の患者さんが「死ぬ前に行きたいところ」の旅の一つです。

百貨店の阪神タイガースフェアに行き、星野仙一監督人形を買っていたら、ご本人である星野監督(岡山県出身)が出てきて「ありがとうございます」と声をかけて下さったのだそうで、ますますファンになり、どうしても行きたいとご家族に連れて行ってもらわれたのです。

ところが、年中無休のはずの、星野仙一記念館が臨時休業で入ることが出来なかったということでした😢

「がっかりなんて言葉であらわせへんで」と。

簡単に行ける身体でもなく、誰かの助けが必要な状況なのでお気持ちを考えるとため息しか出ませんでした。

けれど、「死ぬまでにしたいこと」の目標達成をしてしまい、することがなくなると困るので、もう一度来てよーと星野仙一監督が言って下さっていると信じて、リベンジを果たして欲しいなと思います。

ベストコンディション時の患者さんの美味しい手料理

先日、患者さんが作られたお昼ごはんの炒飯を私もいただきました。訪問前に完成したところだったと、私の分もとりわけて下さったのです。

食が細く、チキンラーメンも半分しか食べられないと言いながらも、お料理がとても上手で、いつも一汁三菜を基本にした食事をされていて、どんなお料理も一手間を惜しまずに作っていらっしゃいます。

炒飯には、きのこが好きだからと、シメジとマイタケ、キャベツと白菜。それから牛肉も入っていました。

味付けは塩コショウとハイミーだそうです。

こんな美味しくできるものかと私も次の日に炒飯を作って見ました。
しかし、残念ながら、この味には及びませんでした。味付けのさじ加減が難しいですね。

私のこの方への訪問マッサージの始まりは5年前まで遡ります。

左手首の骨折後、指の付け根(中手指節関節)が拘縮して使いにくいのでなんとかして欲しいという依頼で訪問が始まりました。

この方は、この訴えとは別に、基礎疾患に、喘息と肺気腫(タバコやホコリ、粉、石などを吸い込むことで肺胞が破壊され、日常生活を送るのにも困難な状況になる肺の疾患)を抱えていらっしゃいました。

まだ老人というにはお若くてしっかりされていま したが、呼吸器疾患のため在宅酸素を手放せず、少し無理に動くと心肺機能がダメージを受けてしまうため、自由に外出ができないという方でした。

呼吸がうまくできないというのは何よりつらいことのように思います。

酸素をうまく取り込めない身体は心臓の拍動を増やしてなんとかしようとするので心臓にまで負担をかけます。
その結果一過性の心不全が起きるのか、肺機能に問題がある人が無理をした後、浮腫が全身に見られることがあり、何かあれば、すぐにわかるくらいです。

この患者さんへの治療は、まず主訴である、手を使いやすくすることです。

指の筋肉・靭帯というのは、細く、複雑な動きに対応できるように複雑に作られているので、他人がどうにか出来るものではなく、本人が使い動かすしかないと考えています。
ですが、使えないことで、大きな腕や背部の筋肉までもが萎縮してしまっているので、こちらを改善することは出来ます。
この大きな筋肉が改善すると、指まで使いやすくなるので、あとは本人が日々の暮らしで使い続けていくことで大きく改善していきます。

こうして今では、見た目はほとんど左右差がなくなりましたが、ご本人はまだまだ違和感があるとおっしゃいます。やはりそこは、ジブンデガンバッテクダサイです。

もう一つこの方にとって、私の訪問が必要な大きな理由があります。

それは、呼吸器疾患です。

胸郭を広げて必死になって息を吸い続けると、呼吸筋がオーバーワークになり疲労し、ますます呼吸困難になります。それで、呼吸筋の疲労を回復し、常に最良の状態にしておくことが何よりも大切なのです。

5年に及ぶお付き合いの中で、施術期間が4日以上あくと呼吸が浅くなり気怠くなってしまうことが、お互いにわかってきました。

呼吸状態さえ問題なければご機嫌に毎日の生活を送ることが出来ます。

美味しい料理だって作れます。

ですから、この方がお料理を出来ているということは、ベストコンディションに近い状態にあるということなのです。

というわけで、お皿に盛って下さった炒飯は遠慮なくいただきました。
ご馳走さまでした👍

粕汁はブタとブリが入っています。どちらも臭み取りに一度湯通しがしてあって、お野菜たっぷりでとても美味しい得意料理の一つです。

赤こんにゃくは滋賀県の特産品。ピリッと辛くてめちゃくちゃ美味しかったです。

美味しい記憶

美味しい記憶。

鰻のお誕生日プレゼントを差し入れしてから6日後の今日106歳の患者さんを訪問。

鰻のことはすっかり記憶の彼方みたいでした。取り立てて話題にもしないで、今日の体調を伺いながらマッサージを始めようとしたら

「あんた、名前なんやったかな。心安すぎて忘れたわー。
うどん注文して食べようか。あんたも好きなもん頼みー」
とおっしゃいます。

もう3年以上伺っていますが、こんなことをおっしゃるのは初めてです。

私と美味しいものが記憶の中で結びついたんじゃないかと思うのです。

美味しいものを食べた記憶は、次々と通り過ぎて行くルーティーンな日常に楔を打ち込むような出来事なのかもしれません。

やっぱり美味しいものは元気の源です!

そして、ボケ予防の一番は、やっぱり食べる楽しみがあることかもしれませんね。

私は106歳の患者さんの言葉にマインドコントロールされそうです。
うどん買って行かなきゃ…って頭の中グルグル🌀

90歳の患者さんの作品。
本当に素晴らしい作品を作り続けていらっしゃいます。
ボケない秘訣・歳や病気、障害負けずに元気でいる秘訣は、いつまでも自分らしくいることなんじゃないかな。
ワガママというのは、我がままつまり私のままいるということだから、社会的弱者になればなるほど、すごく大切なことじゃないかなと思います。

医療費・介護保険の大幅改訂、マッサージ師の置かれている状況

来るべき超高齢社会にむけて、逼迫する医療費・介護保険を切り詰めていくための大幅な改定が進められており、鍼灸マッサージの医療費についても、この6月から往療費を少なくして施術費を少し増やすといった改定が行われます。(制度自体が大きく変わりますが、詳しくはまた今度に)

介護保険もこの4月に大きな改定があったようですが、中でも、リハビリに関してかなり厳しい対応になったようです。

痛みや機能障害によって歩行困難になれば、活動量が低下するため廃用的に機能低下がどんどん進んでいきます。

今までは、そのような状態に対してリハビリをすることで、日常生活動作のレベル低下を防ぎ、現状を維持していくことが、大切な取り組みとなされてきたように思いますが、これからは、理学療法士・作業療法士による機能向上のないリハビリについては打ち切っていくという考えに変わってきていると聞きました。

そういう機能維持リハビリは、デイサービスの中や、老人会の中で行われている集団の体操が担っていくことになるようです。

そして、我が訪問マッサージが置かれている状況はさらに厳しくて、医療保険制度としては残るけれど、マッサージを必要とする場合は、保険ではなく自費治療で行っていくように、医師会の中で指導されているようです。

医療保険が逼迫し、使えるお金に限りがあるのだから、命を左右するような、必要最低限のことにしか保険が適応されなくなるのは仕方のないことなのかもしれません。

自分では、患者さんに必要な医療の提供が出来るように、技術の研鑽・臨床の積み重ねを続けているつもりですが、目には見えないマッサージの効果を出したところで、マッサージ師によるマッサージを必要と考えない医師や保険者、厚労省の考えを覆せるとも思えず、先行きを考え始めると、辛いような悲しいような遣る瀬無い気持ちになってきます。

でも、こういう成果・結果を大前提とした高齢者や終末期医療が本当に患者さんの望むところであるとは限りません。

少し前に、ある患者さんと、ターミナル(終末期)の方に訪問している話をしていたら、
「私は、点滴などの医療処置や陰部洗浄などの保清や清拭をしてもらいながら死んでいきたくないわ。マッサージを受けながら死んでいく方がいいわ。頼むわね」とおっしゃいます。

私は、自分が死の淵にある時、どういうサービスや医療を受けたいのか、具体的に考えた事がなかったので、こんな風に言っていただいて初めて、そういうものかとしみじみ思いました。

ついつい医師や関係者に対して結果を出す事ばかりに気をとられ、心地いい時間を提供できていることの意味を自分では忘れがちです。
私たちには、マッサージ師だから、気持ちいいのは当たり前で、そのこと自体は大したことじゃないという感覚があるのかもしれません。

でも受け手の側からすると、気持ちいい感覚の中で死に向かって行けるというのは、消えそうな命を長引かせる医療処置より、元気な頃と同じような綺麗さを求める保清より、大切に思えるものなんだと、とても新鮮に感じました。

厳しい社会情勢の中で、結果や成果ばかりを気にして大切なものを見失いそうになりますが、心地よさが生きることの希望になることもあるということを忘れずに、心地よさを大切にする施術をしていこうと思います。
そのことが、私自信にとっても希望にもなるように思います。

社会の流れに惑わされず、患者さんの言葉を励みに頑張りたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。

日々移ろう紫陽花のように、心はいつも揺れ動いてます