13年間の勉強会に深い感謝を

13年間、毎月第3土曜日に、続いてきた医療の基礎知識の勉強会が昨日で最後となりました。

南区の内科医である秦診療所の秦先生がずっと無料で続けて来て下さいました。

13年はとても長い時間です。

13年前に先生が勉強会を始められた時、私の息子はまだ保育園児でした。
勉強会に参加するために、土曜保育をお願いしたのを覚えています。
それから、 息子が小学生、中学生、高校生と成長し、私自身のライフスタイルが変化していく中できちんと参加できないことも多くありました。

このような参加者の変化は私だけではなくて、他の多く方々も様々な事情で毎回参加というわけにいかない中でも、秦先生は、毎月変わることなく勉強会を続けてきて下さいました。

参加の確認も、連絡先の確認もせず、参加費もとらず、レジメを準備し継続して下さる姿勢は、秦先生の人柄をよく表しているのかなと思います。

医師という大きな責任を背負う立場でありながら、在宅を支える医療従事者のみならず、福祉関係者や私たちマッサージ師に対してもフラットに「患者ファースト(利用者主体)」の姿勢で付き合って下さる秦先生のもとに、参加者は、自身の抱える個々のケースの相談から自身の問題まで様々なことを、繰り返し(何度聞いても覚えられない)質問をさせていただき、先生は、嫌な顔をせずに何度も答えて下さいました。

この勉強会には、いろいろな人が参加され、この継続の中で、秦先生の周りに集う人たちと在宅チームを組むこともよくあり、そんな時は、いつも以上にエキサイティングな気持ちで仕事をすることができました。

それは、医療の知識だけではなく、在宅を支えるチームの一員として利用者のために、立場を超えて連携していく、そんな気持ちを学び、鼓舞していくことができた場となって来たからだと思います。

この場が終わることはとてもさみしいことですが、学んだこと、繋がれた仲間は私の宝物です。これからも大切に大切にしていけたらと思います。

秦先生、長い間本当にありがとうございました。
でも、これからもよろしくお願いいたします。

薬の副作用について

厚生労働省は2年前の2016年3月22日に、解熱鎮痛消炎剤の「ロキソプロフェンナトリウム水和物(経口剤)」について、医薬品添付文書の「重大な副作用」の項目に「小腸・大腸の狭窄・閉塞」を追記するよう指示を出しました。(※1)
このネットニュースがFacebookでシェアされていた記事を読み、わたしも自分でシェアしたところ、思いのほか反応があったので、ブログにまとめることにしました。ネットニュースの見出しは扇動的(※2)であったことも反応を引き出したのかもしれません。

わたしは、日々薬の凄さを実感しながら、仕事をしているので、薬の服用を否定的には考えていません。

痛み止めというのは、老化や障害で心身に不具合が生じた時には大変有効な薬だと思います。

ただ薬の作用・副作用をきちんと理解して服用することが大切だと思います。

ロキソニンはつい数年前までは、もっとも一般的に処方されていた消炎鎮痛剤ではないかと思います。

しかしながら、ロキソニンの副作用が大きく、今では一般的に処方されることは少なくなったように思います。

その副作用の一番は、ロキソニンなしでは我慢出来なくなる依存性が大きい上に、長年にわたる服用で、痛みに対する感受性が高まるという副作用があるそうです。
それでも10年くらい前までは、患者さんの依頼に従って1日3回服用する頻度で普通に処方されていたように思いますが、副作用で大量の吐血で始まる胃潰瘍になる方が続出し、簡単に処方しなくなったのではないかと思います。
その結果、ロキソニンを普通に処方する医師はほぼいなくなり、今は一般的な消炎鎮痛剤としてカロナールという薬が処方されているようです。
しかし、効果がロキソニンより弱いようで、市販のロキソニンを買って飲み足す方がいらっしゃるようです。

また、痛みというのは、痛みが長期間持続すると痛みの回路が出来上がり、原因を取り除いても痛みが持続するそうです。
外傷の場合、早期の痛み止めの使用は大変重要だと考えています。
(頭痛のような内的要因についてはよくわかりませんが)
その上、小さな筋の損傷を放置することで、二次損傷が起こり回復を困難にすると考えていますから、早めのロキソニンテープの使用も大切だと考えています。

このようなわけで、副作用について考えた上で服用することが望ましいと思います。

長期にわたる継続的な服用が問題であり、腎不全や肝不全の方以外は副作用より作用のメリットが大きいと思います。

施術により、痛みを緩和することができれば、消炎鎮痛剤の服用を抑えることに繋がりますから、マッサージ師として、緩和ケアが大変大切なことであるのは言うまでもありません。

(※)1 使用上注意の改訂について 別紙2参照(厚生労働省サイトより)

(※)2 ネットニュース記事の見出しはこういうものでした。
【緊急警告】ロキソニン飲んでる奴ガチで危険です・・・重大すぎる副作用が発覚!!!

祝!小平奈緒選手 金メダル! 筋膜リリースやアナトミートレインの実践

平昌オリンピック、女子500mショートトラックで金メダルを取られた小平奈緒選手は、全てにおいて研究を重ね、金メダルを目指して来られたそうです。その求道者としての姿に深く感動と尊敬を覚えます。本当におめでとうございます。

報道の中で、小平選手が解剖学まで学び、筋膜リリースの方法論のアナトミートレインを実践されて来たとありました。

▼小平の強さ、自分の体を熟知しているから 清水宏保(朝日デジタル・有料記事)
https://www.asahi.com/articles/ASL2L33XBL2LULZU003.html

無敵の強さを誇る金メダリストが、その拠り所の一つにしていたことに、筋膜リリースやアナトミートレインの効果の高さが実証されたようで、筋膜リリースの治療師にとっては、とても嬉しい知らせです。

アナトミートレインというのは、簡単に言うと、筋肉を解剖学的に分離した一つ一つ動きを中心に考えるのではなく、身体の動きを中心に一つらなりの働きを持つものとして捉えて治療していく考え方の基礎理論のことです。

東洋医学における経絡とよく似た走行のものもありますが、気血の運行ではなく、解剖学的な考えを基礎に持つものだと言われています。

私的には、筋膜リリースは、按摩術の中にあるものと、ほぼ同じで、按摩術の熟練の先に、経絡経穴を感じる道があり、そこに鍼灸治療による内科的治療があると考えているので、やはり、解剖学的に発展してきたこれらより、3000年の歴史を持つ、東洋医学の方が奥が深いようには思います。

ただ、この東洋医学というのは、熟練した技や目に見えないものを感じる力が必要なので、広く受け入れられにくいというのが現状なのかなとは思っています。

しかしながら、アナトミートレインや筋膜リリースなど、アメリカを中心したマヌュピレーションmanìpulátion(手技療法)の本には、必ず施術者だけでなく、被施術者の身体の感受性を高めることが何より大切だと書かれています。

結局のところ、洋の東西にかかわらず、解剖学的な分析よりも、感じることが、健康な肉体の基本なのだと言うことじゃないかと思います。

私たちは、素晴らしいものを受け入れつつも、アメリカから輸入された流行りに飛びついてばかりいないで、四季を感じ、繊細な感受性と肉体を持つ日本人が作り上げてきたことを大切にしていけばいいんじゃないかなと思います。

高齢者疑似体験グッズを考案!?

先日、包括支援センターで働いている友人から

「啓蒙活動の一環に、小学生を対象に高齢者体験をする予定なのだけど、簡単に出来そうななものはない?擬似体験グッズも売ってるんだけど、身近なもので、代用できるものないかな?」

とメールが来ました。

老化の始まりは、二足歩行のために立ったている骨盤の後ろへの傾きからだと考えています。

そうなると、まず下っ腹がでてきて、お尻が垂れて来ます。
背が少し小さくなって、肩の痛みが起きたり、頚の動きも悪くなり、白髪が増えたり、目や耳も遠くなります。

なので、一番に下腹と太ももをガムテープで固定するだけでかなり「老人」に成ると返事しました。
デモテープも付けました(息子に協力してもらいました)

解説があると尚いいとのことで、2月10日に約束を入れていました。

当日伺うと、インフルエンザで子どもたちの参加が延期になり、お年寄り向けの健康教室の講師依頼に変わっていました🤣2月16日の予定です。

ラッキーな営業のチャンスだと思って頑張ります。

今回は、筋膜が老化に伴う身体にどんな悪影響を及ぼすかを具体的にお話しさせていただこうかと思っています。
そして、頭・顔の簡単で効果的なケアを一緒にしようと思います。

あまりに短い準備期間ですが、頑張りまーす💪

鍼灸師の辻村先生

身体に疲れがたまって来た頃、鍼灸師の辻村先生からメールが来ます。

「そろそろ調子が悪くなって来たんちゃう?」

辻村先生は、2年前に、ネパールの無医村にボランティアでご一緒させていただいた鍼灸師の先生です。

ネパール旅行が終わってからも毎月治療交換会をして下さっています。

身体が楽になるだけでなく、いろいろなことを教えてもらったり、アドバイスを頂いたりの時間で、私にとっては、深い気づきの場になっています。

先日の治療中の出来事です。

辻村先生は滅多にお灸をされません。
私はずっと、鍼とお灸は一つの治療体系の中にあると思って来たので、ほぼ鍼治療だけの先生の治療を不思議に思ってきました。

どうしてお灸をしないのですか?

「必要ないから。鍼で十分同じ効果が出せるから」

「鍼師と灸師は別の資格になってるし。
中国の古典にも江戸時代の文献にも今の日本のようなお灸の記述はないし。」

えー!そうなんですか?!
でも、松尾芭蕉の『おくのほそ道』に足三里に灸をすえるとでてきますよ。

「でも中国のお灸は、日本のようなお灸と違うし、棒灸(お線香の束くらいのもぐさを紙で包んだもので、皮膚の上から温める)か、灸頭鍼(刺している鍼の上をもぐさで温めるタイプの灸)やしなぁ」

ふーむ。

江戸時代には、鍼治療を受けられない人が、民間療法として鍼のかわりに直灸(じかきゅう)をするようになって今のようなお灸が広まったんですかね。

「そうかもしれんなぁ」

ヨモギを叩いてもぐさって作れますよね。

「作れるよ」

誰でも出来たお灸が、意外に効果が高く、明治になって、鍼灸の治療として組み立てたんですかね?

「きっとそうやわ」

なるほどー。

お灸が鍼の代替医療だったとしたら…なんだか今までにない考えにいろいろワクワクしてきます。

本当のところはわかりませんが、こんな風に話をしながら、仮説を立てたりして楽しんでいます。

私にとっては、この治療交換会は、本当にエキサイティングな時間なのです。

おかげで、私のマッサージ治療は、辻村先生の鍼治療をうけるようになり劇的に変化しました。

身体への本当の変化を必要としているのは、
凝り固まった奥のコリだけではなく、
表面を覆う皮膚、あるいはその下の筋膜の果たす役割の大きさを考えるようになりました。

辻村先生の鍼治療の刺激で変わっていく、私自身の身体から、このことを確信することが出来たのです。

『コリをもみほぐす』

長い間、この言葉に囚われて大切なことを見逃してきたように思います。

しかしながら、皮膚・筋膜へのアプローチを可能にするのは、深層のコリを感じ、探り当てることが出来るからなのです。

「ミニマムの刺激を治療に使えるのは、マックスの刺激を与えることが出来るから」だと、これも辻村先生から教えて頂きました。

そうであれば、今までの私の道のりは無駄ではなく、ミニマムな刺激の治療を可能にするために必要だったのだと思えます。

私の治療の旅はまだまだ先があるようです。

振り返ると未熟な自分に申し訳ない気持ちでいっぱいになりますが、懲りずにどうぞよろしくお願い致します。

松浦先生の勉強会

サントリーのバレーボールチームのトレーナーとしての長年の実績をお持ちの松浦先生の講演会に参加してきました。参加者は100人近かったです。

20年前私が学生だった時、すでに活躍されていた松浦先生の手技については、専門学校の授業でも紹介・説明を受けていました。当時は、私自身がまだまだ未熟だったため、全くピンときませんでした。

学生の頃には、すでに訪問マッサージ治療院で助手のアルバイトをしていましたし、機能訓練をメインにしか考えられなかったからだと思います。またスポーツトレーナーに興味が持てなかったこともあり、全国的に名を馳せていらっしゃる先生がいらっしゃる程度の認識しかできませんでした。

そんな私が、先生の勉強会に参加させていただいたのですが、
本で読んだり人から聞いたりインターネットで見聞きする事と、実際の先生のお話をうかがい手技を見せていただく事は全く違いました。あまりの素晴らしい手つきにすぐに魅力されてしまいました。

今回は、試合前のウォームアップのマッサージを教えていただきました。身体を暖かく動きやすく整えていくものです。

先生の治療される場所や流れは、御経験から考えだされた先生のオリジナルなものでしたが、揉み摩り押すという手技は、按摩の手技を中心にした治療でした。

私の師匠は、ホテルなどで按摩をされてきた方です。いわゆる慰安としての按摩です。
師匠からは、按摩という手技の持つ繊細さや奥深さを教えていただきました。
按摩は日本で発展してきた手技で、日本人の細くて小さな身体を治療するのに向いている、およそ身体を道具にして揉みほぐすことができる全てを兼ね備えているものだと教わりました。
ですから私は、按摩を治療とは別のように表現したり、指圧こそ手技療法の王道のように言われることを好みません。

そんなわけで、松浦先生が按摩の手技を中心に治療されているのを見て大変驚きました。やっぱり按摩という手技の持つ力はすごいんだと嬉しくなりました。

先生の手つきはとにかく素晴らしいとしかいいようがなく、澱みなく動き続け、全体を指先や手掌で探り治療されます。その御様子から、先生の集中力のすごさと経験の深さを感じることができました。

松浦先生のご指導の下で、参加した全員が二人一組で実技を行い、
私は、実技では、学生時代に松浦先生と同級生だった先生にお願いして組んでいただきました。

どんどんほぐれていく身体を味わいながら、手技療法って本当に有難いものだなぁとしみじみ感じた時間となりました。

先輩の治療師の方々の治療を味わう毎に、私がまだまだ井の中の蛙であることを思い知らされます。しかし、それは同時にまだまだ進むべき先があることを知る、とても有難い時間であります。

松浦先生の素晴らしい集中力とそれを後進に伝える表現力・技術力に触発され、私ももっと緻密に確実に結果を出していけるようにしたいなとしみじみ思いました。

まだまだ未熟な私ではありますが、どうぞよろしくお願い致します。

ここ数年は、松浦先生自身の視力に問題があるそうで、人に教えることを控えていらっしゃるそうです。
ですが、だからこそ視力障害のある施術師の方々にも触覚で伝えるご指導をされていました。
このような気遣いも含めて本当に素晴らしい先生だと思いました。

マッサージの実技漬けの一日

11月6日の日曜日に、関西運動器障害研究会(KATA)の会長をされている松浦先生の勉強会に参加させていただきました。

この企画は、鍼灸マッサージの専門学校生に、より専門的な知識を学んでもらうためのサポートと、卒業後の資格者の支援・交流の一環として、京都府鍼灸マッサージ師会主催で開かれたものでした。

講演会に先立ち、午前中は資格者と学生の手技交流会を行い、午後からは、松浦先生の実技を中心とした講演会というプログラム。
参加者はマッサージの実技漬けの一日を過ごしました。

実技の勉強会というのは、お互いの身体を練習台にして手技を学びます。
私たちは、朝10時から夕方4時まで一日中揉み・揉まれ続けたことになります。

マッサージという手技の身体に直接触れるその影響力は決して小さくなく、一日中揉み続ける以上に、一日中揉まれ続けるのは、とても疲れてしまうことなのです。
そのため翌朝には、ほぐされすぎた身体はヘロヘロで、身動きできないくらいでした。

このまま一日中横になっていられたら、溜まった疲労がかなり回復するのだろうなぁと思いながら、動かない身体に鞭打って寝床から這いだしました。

マッサージというのは、慰安とかリラクゼーションとか、医学的なエビデンスがないとか、とかく医療の世界からは冷たい評価を受けがちですが、スポーツの世界では、トップアスリートにとっては、なくてはならないものに位置づけられているように思います。

筋肉の疲労を取り除き、最高のパフォーマンスを発揮するのに、筋肉のケアは欠かせないということなのです。
ですから、本当はトップアスリートでなくても、一般の生活もその暮らしを支えるのは、筋肉なので、そのコンディションがいいということは、体調がいい、つまり健康を支える基礎になるということだと思います。

手技交流会の時に学生さんから、
「鍼灸はクセになるからしたくないと言われたのですが、本当ですか?」と質問をうけました。

その通りだと思います。
疲労の蓄積を取り除き、高いレベルでコンディショニングできてしまうと、疲労の蓄積で、筋肉が鉛みたいに動きを制限してくることを自覚出来るようになるのです。
それで、また少し若返る治療を身体が必要としてしまう、つまりクセになるのじゃないかと思います。

でも、お酒や痛み止めの様な薬に頼ってコンディションを整えたり、ごまかしたりするより、鍼灸マッサージに頼っていただける方が身体に優しいし、いいことじゃないんじゃないかと思います。

是非ともクセになってもらいたいものです。

こんな話をしながら、学生さんたちと楽しい交流の時間を過ごすことが出来たように思います。

マッサージの真髄を言葉でうまく説明するのは、本当に難しいのです。

言葉で伝えるのは、簡単ですが、それがどのようなものなのかは、実際に受けてみないとわからないからです。
またその体得は、言葉による理解ではなく、感覚なんじゃないかと思うからです。
それで、短時間で、いろんな人の施術を体験できるこの様な企画は、本当に大切で、意味のあることじゃないかと思います。

これから資格者になる方々が、身体で感じて、マッサージ師という仕事に希望を持って取り組んで行ける明日への活力の一助になれたら嬉しいです。

午後から、受けた松浦先生の勉強会のご報告は次回のブログに。

先生のお話を拝聴した今週の私は、より、繊細に注意深く、そしてマッサージという手技に自信を持って取り組めたと思います。

乞うご期待!です。よろしくお願いします。

京都仏眼鍼灸理療専門学校で行われました。
ベッドが整えられていて、勉強会に最適でした。
どの資格者の先生方も額に汗して、学生さんに指導施術されていました。

勉強会「在宅での看取り」

高度医療も在宅ターミナルケアもその先に起きること、つまり生きることをどう考えるかで行き着く先は全く違って来ると改めて感じた勉強会・講演会に立て続けに参加できました。

その一つめは、毎月定期的に在宅医療に関わる人のために勉強会を開いて下さっている秦診療所の秦先生の勉強会です。

今回のテーマは、「在宅での看取り」。

人生の最終段階における医療のあり方は、医療が高度になリ、病院で身体中、管で繋がれるスパゲティ症候群と呼ばれる状態が当たり前だった時代から、延命措置を行わない尊厳死や、積極的治療を行わず丁寧なケアにより穏やかな終末を迎えることができるとする平穏死などが提唱されるようになり、最期の迎え方は多様になり自分たちのライフスタイルや考え方に合わせて、やり方やその場所を選びとることができるようになってきているそうです。

しかしながら、終末期かどうかの判断を下すのはそんなに簡単ではなく、治療をすればまた元気に生活できるようになることもあり、いつの段階が、患者に負担を強いるだけの無駄な延命治療かを判断するのは難しいそうです。

また、秦先生は、「死ぬ権利」が「死ぬ義務」に、
家族の「死なせる権利」が「死なせる義務」になることをとても憂えていらっしゃいました。

何も出来なくなったら死にたい・死なせてほしいは、
何も出来ないから、死ななければならないに変わってしまうという危険をはらんでいるのだと。

患者様のお辛そうなご様子を見ていると、お迎えが来た時は、寂しさより良かったという気持ちが勝つこともよくあります。でも、それが「死ななければならない」になってしまうのは、やはり人間の尊厳からは遠ざかることであり、そこにすり替わるのは容易いことなのだと言われて、なるほどその通りだと思いました。

こういう、役に立たない人間=障害者や高齢者は必要ないとする優生思想は絶対にダメ。
戦争中にはこの優生思想がまかり通って来たが、そこに返っては絶対にいけない。
「何にも出来なくても生きていいやん。
寝たきりは生きたらあきませんか」と話して下さいました。

お金のためとか、医療側の都合ということでなく、医師の倫理としては、どんな命も大切にし治療しなければいけないのだそうです。

厚生労働省は、来るべき時多死社会=算定では、年間160万人以上の命が失われ、日本の人口が8000万人にまで減少していく=に備え、医療費の削減を目指し、在宅での看取りを推し進めて来ているそうです。
そのなかで、様々な終末の迎え方の選択肢が広がり、アドバンス・ケア・プランニングという事前にどうするか打ち合わせておくという考え方が取り入れられてきたということでした。

秦先生自身は、もう20年前から、患者様自身の、家で死にたいという気持ちに寄り添うための医療を模索してきたので、今起きている様々なことは、僕たちがずっとやってきたことで新しいことではないと思っているし、様々な選択肢の広がりの中で在宅での看取りへのこだわりはなくなったとおっしゃっていました。

この勉強会を通して、社会状況や医療の在り方がどうであろうと、今目の前に関わっている患者様に対して、ご本人の意志を尊重し、気持ちよく過ごしていただく援助者であるという視点をいつも持ち続けることが何より大切であるとしみじみ感じました。

また秦先生は、このところにブレなく強い意志で医療に向き合われているからこその医療なのだと改めて先生のすごさを感じる日となりました。

勉強会に参加させていただき本当にありがとうございました。

この日の勉強会後は交流会があり、みんなで美味しくお酒とお料理をいただきながらワイワイおしゃべりさせていただきました。

Zii-Baa体験研修

悠生治療院の新人スタッフです。
7/14にお年寄り体験研修に参加させていただきました。

以前特養で働いていた時も体験した事はありましたが、15分くらいの短いものでした。
今回は午前中座学の後、午後から約3時間座りっぱなしの体験でした。

車椅子チームと椅子チームに分かれ、手すりに利き手を固定、両足を閉じて足首をガムテープで固定、プラス目を覆って視覚障害体験も合わせて行いました。私は車椅子チームでした。

  

体験で何が一番辛かったかと考えると、孤独な事が一番辛かったです。
目が見えないので体が触れているところ以外は何も分からない状態で、近くに誰かいるのかいないのか分からず、声をかけようにも話しかけていいか分からない状態。耳と口は自由なので普通に喋っても良いのですが、広い室内にぽつんと一人だけ取り残された感覚で、声をあげるのが非常に難しく感じました。

しばらくするとお尻が痛くなり、腰、背中、首とどんどんしんどくなっていき、体全体が硬くなっていくようでした。実際終了後立ち上がると膝の拘縮が少し始まっていました。車椅子上で少しでも楽な姿勢を求めて体を傾けて紛らわせていました。

途中スタッフの方が声をかけて体をさすってくれました。一人ぼっちですごく孤独を感じていたので、声をかけてもらったことが本当に嬉しく、少し体をさすってもらっただけで物凄く体が楽になったような感覚でした。

車椅子チームは外に出る機会もありました。体は動かないですが、空間を移動する事で気持ちがリフレッシュし、後ろに人がいる感覚が孤独感を紛らせてくれました。

体験自体は身体的・精神的に辛いものでしたが、印象に残っているのは声をかけてくださった嬉しさや外に連れ出してもらったありがたさでした。3時間のうちのたった数分の出来事ですが、体の辛さや孤独を忘れられ、もう少し頑張れそうな気がしました。

じっとしている事でこんなに体がしんどくなるのかという事が長時間座る事で初めて実感できたのと、体に触れてもらう事や少しでも体が動く事が、動けない人にとって非常に重要で、とてもありがたいものと実感出来ました。

今私はマッサージの仕事をさせてもらっていますが、この体験を活かしてお年寄りの生きる希望に少しでもなれたらいいなと思います。

片麻痺と肩こりの治療の共通点

先日から、脳梗塞後発病後10年になる、右片麻痺の患者様の訪問を初めました。
その方には一年前に1カ月訪問した後「身体の力が抜けて歩きにくくなった」と断られた方で、今回は再開の依頼をして下さったのです。

脳梗塞の後遺症では、
一つ一つの筋肉がそれぞれ個別の働きをすることができず、一つの大きな動きとなってしまいます。

手を動かそうとすると、肩・肘・手首・手指関節全てが同時に働いてしまうために、なかなか実用的に回復することが難しいのです。
足の場合も同じで、なんとか歩くことが出来ても、複雑な動きの回復は難しく、力を入れ、足を一本の棒のように固めることで、歩行を可能にしている方が多いように思います。

これを専門用語では、共同運動といいます。私の説明だけではわかりにくいかと思います。参考にウィキペディアから引用しておきます。

共同運動(きょうどううんどう)とは、脳梗塞や外傷による後遺症の一つで、特に回復期に認められるものである。発病の当初は随意性を喪失していることが多いが、やがて肩・肘・手指全体を生理学的な屈曲あるいは伸展方向に同時にのみ動かせる運動だけができるようになりこれを共同運動と呼ぶ。続いて各関節を単独で動かせ、さらに回復が進めば、複数の関節を屈曲・伸展逆方向に同時に動かすことができる複合運動が可能になる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E5%90%8C%E9%81%8B%E5%8B%95

このような状態が続くと、麻痺側のみならず、健側も含めた全体の柔軟性が失われ、やがては歩行困難になったり、血流不全による浮腫から感染症になるなど、二次障害を併発してしまわれることになったりします。

なぜなら、そもそも筋肉というのは、
基本的には相対する二つの動きから成り立っていて、
その伸び縮みによって関節を動かしているので、
一方向だけの動きが強ければ、骨格の変形など様々な影響が出てくるのです。

また、このような状態を痙性麻痺(けいせいまひ)と言い、
脳卒中など、中枢性の麻痺が起こす状態で、
この状態の改善がリハビリテーションにとって大きな課題となっています。

こちらもわかりやすく書かれた説明をのせておきます。

痙性 / Spasticity
痙性は麻痺に伴う副作用で、軽度の筋硬直から、重度の脚部運動制御不能まで、各種の痙性があります。症状には筋緊張の増加、急激な筋収縮、深部腱反射亢進、筋肉の痙攣、鋏状脚(無意識な足の交差)、関節の固定が含まれます。

https://www.christopherreeve.org/ja/international/top-paralysis-topics-in-japanese/spasticity

特定の筋肉が継続的に収縮した状態と定義されることもあり、この硬直によって、歩調や身体の動きや発話が妨げられることが起きてきます。

私は、このような痙性麻痺と共同運動に苦しんでおられる方の治療をする時は、
中枢性の麻痺に対する治療という観点ではなく、
継続的に収縮した一かたまりの筋肉を再分化、
つまり、もとの一つ一つの筋肉に揉みほぐしていくという考えの元に治療を始めていきます。

というのも、筋肉が元々の働きどうりに働かず、
代償的に働いたり、
一体化して弾力性を失っていくことは、
なにも痙性麻痺の時に特別に現れる症状ではないからです。

一番身近にある例だと、肩凝りの筋肉の状態も同じようなものだと考えています。
ただ肩関節という可動性の少ない場所と、
手足という可動性の大きな場所の筋肉の違いが見た目には全く違う印象を与えますが、
継続的に収縮した結果である筋肉の状態はよく似ていると考えています。

ですから、リハビリテーション医学の世界では、
痙性麻痺による筋収縮を改善するために、
様々なテクニックが考え出されたり、
シワ取りに使われるボトックス注射が行われたりしていますが、
私の経験では、
肩凝りをほぐすように、
一つ一つの筋肉を丁寧に揉みほぐしていくことで、
かなりの効果が得られると考えています。

ただ、痙性麻痺の治療をしたことのある人や、
身をもって体験されている方ならわかると思いますが、
強く揉めば揉むほどに緊張が強くなったり、
縮んだ関節を伸ばそうと力任せに引っ張れば、
ますます縮んでしまうので揉んでどうにかなるとは考え難いかもしれません。

このことこそがコリをもみほぐすためには、
力技ではなく、
まず緊張を取り除くことが何より大切だと考えるきっかけを与えてくれたように思います。

筋肉が一かたまりの硬い固まりの様になっている時、
筋肉ではなく、
まず表面の筋膜が緊張し硬くなり、
中の筋肉を覆っているのです。
ですから、まず筋膜の緊張を緩めることが大切です。

この筋膜の緊張を解くことが最も難しいことの一つではないかと考えています。

鍼治療はそれに対しては、とても効果的です。

鍼治療が出来ないマッサージ師の私は、
鍼の刺激の深さに到達するには、
鋭い深い指圧が必要だと考えていたため、
「痛いけどごめんなさい」と言いながら筋膜のねじれや緊張を解くために、
力の治療を続けてきました。
効果がないということはありませんでしたが、
痛みを伴うことが悩みの種でした。

ですが、実は、皮膚の表面への最も柔らかな刺激が、
心地よい刺激であり、
また私自身の労も一番小さく、かつ、最も効果的であったのです。
(これは自分で発見したのではありません。このことは、またいつか、きちんと文章にしたいと考えています。)

筋膜の緊張が解けたら、
少しずつ筋繊維の中に指を入れ、
筋繊維がこんがらかっているところをほぐしていきます。

痙性麻痺が強ければ強いほど、
筋膜の緊張をとることも、
筋繊維の間に指を入れことも容易ではなく、
根気よく治療を続けることが必要です。

しかし、肩凝りの治療のように、
ストレスや長時間のデスクワークで凝り固まった身体を1ヶ月〜半年、
あるいは一年以上の時間をおいてほぐしていく「作業」に比べれば、
一週間に1〜3回を継続的に関われる脳卒中後遺症の治療の方が、
私にとっては「楽な作業」だと感じています。

脳卒中後遺症の方のリハビリにとって、
痙性麻痺を軽減することは治療のゴールではなく入り口です。
柔らかくなった手足をより使いやすいものにしていくには
その先の訓練が欠かせませんが、
硬いままよりは柔らかい方が、
全体が楽であることに間違いないと思います。

今回、再開を依頼して下さった患者様のご希望は、
足が背屈すること、
つまり足首が自由に動くことと、
肩から手首の動きの出現です。

なんとか鉛筆が使える指にまで回復されているのに、
肩から手首にかけては、
鉄の塊が付いているようだと感じておられるのです。

一年前の失敗は、
私が性急に患側の改善を図ろうと刺激量が多すぎたことと、
全体のバランスを欠いた治療をしたことだと反省しています。

ですから今回は、
ご本人の訴えから、
一番遠い場所からほぐしていこうと考えています。
一番遠い場所とは、健側の体幹です。

なんとかお役に立てるよう頑張っています。

コリの正体と格闘すべき相手の話から遠ざかりましたが、
凝り固まった状態の治療の中では、
片麻痺の治療も、
肩凝りの治療も基本的には同じことだったのです。

屈筋と伸筋(あるいは抗重力筋と従重力筋ともいえます)という
二つの筋肉のバランスの崩れた結果生じた状態という意味では全く同じ。

あるところでは、強い力が必要になる時もあります。
しかしその緊張を取り除くには、
まず最も小さな刺激が、最も効果的であり、
その先にこんがらがった筋繊維をほぐす道が伸びているのです。

コリという「敵」と闘うのではなく、
コリを抱えた、
あるいは苦痛を抱えた身体を治療させていただいている、
という気持ちを基本に持ち続けることが、
患者様の身体丸ごと優しい気持ちで包みこめるような治療を生み出し、
そしてその先に本当の癒しがあるのだろうと思います。

まだまだ未熟で、毎日が発見の連続です。

患者様の訴えにいつも謙虚に向き合える治療師でいたいと考えています。
どうぞよろしくお願い致します。

ネコみたいに身体が柔らかいといいのだけれど。でも、ネコちゃんもマッサージ大好きです。