斜頸治療の話の続き

今回は、年末に宣言した斜頸治療の話の続きです。

斜頸とは、先天的、あるいは後天的に頸を傾げる状態に固定された状態を指します。斜頸という診断を受けていても、お元気な方の場合、一見してすぐわからない方もいらっしゃるそうです。
施術して初めて、頸部の状態が左右違うことがわかったりします。

ただ、そういう方が寝たきりになってしまうと、斜頸があることが大きな障害になってしまうことがあります。
筋力が低下して、重量に逆らう力が衰えることで、身体のクセはデフォルメされる上に、傾げた頸を真っ直ぐにするには、真っ直ぐな頸を真っ直ぐにするより、大きな力が必要になるからです。

骨格異常が、大きな障害として目に見える時には身体中の変化が完成した結果なのだろうと思います。

それは、鹿威し(ししおどし)が返るのと似ていて、変化を起こすだけの十分な蓄積の結果(鹿威しの場合は十分に水が溜まって初めて音を出す)身体の歪みが外から見てもわかるくらいに明らかになります。
そんなこんなで、今関わらせていただいている斜頸の方は、寝たきりになった後、身体を寝かせても、枕に頭を付ける事すら難しい状態になってしまわれていました。

頭が真っ直ぐにないということは、枕に頭がつかず、頭が浮いたままだったり、座った時も歪んだまま、立つ力があってもうまく立てないし、頭が真っ直ぐにならないから、ご飯を食べるのも一苦労ということになります。
とにかくご本人も、お世話する方も大変なのです。見ているだけでも、お辛そうで、なんとかしてあげたくなります。

それで、毎回片側のキンキンに縮んだ筋肉と、反対の伸びきったパンパンの筋肉をみては、なんとかしたいと格闘してきました。
頸だから危なくて、無理矢理伸ばすなんてことは出来ません。頚部の歪みは、脊柱の彎曲の結果なので、腰部から緩め、施術の最後には、頸の縮みをそろりと伸ばしてみます。その時はかなり緩んでいい手応えを感じます。が、一週間後に訪問すると施術前と大差ない状態に戻っています。

こんなことを数ヶ月繰り返し、やはり自分のやり方が間違っているのだと思うようになりました。

斜頸の頸を除いて、この方の身体の中で一番”おかしい”ところは、左の踵の動きでした。
口では、うまく言えませんが、この方の踵は、踵としての機能を失っています。
踵は五つの骨が組み合わせて出来ていて、全体重がうまく衝撃が一点に集中しないように出来ていますが、この方の踵は、今まで触ったことのない状態にあり、もしこの足で体重を支えたら痛くて立っていられないような状態でした。
それで、治療の基本に還り、問題のある箇所からもっとも離れた位置にあり、且つ、もっと正常から離れている場所の治療を中心に施術してみることにしました。

踵を中心に、その周囲の筋肉がより滑らかに動くように、調整を続けました。その日は、他の箇所を探ることはほとんどしないで、踵の調整だけをしたのですが、踵骨も萎縮した筋肉に引っ張られ、その向きが少しおかしくなっていたようで丹念にほぐしているうちに正常な状態に戻ってしまいました。
そうすると、頸も今までに見たことないくらい余裕のある状態に変化していたのです。

それからは、本当に畳の目ほどですが、頸に緩みを感じることが出来ているように思います。

老化や寝たきりは、長い時間をかけて身体全体が少しずつ変化していきます。ですから、より慎重に遠隔から治療を進める必要があるというのが私の考えの中心にありますが、ついついすぐに結果が現れないと余計なことをして、事態をより悪化させてしまうことがあるのです。

何百回と同じ過ちを繰り返していても、また同じようなことをしてしまうのです。

そうして、その日は、反省と希望に満ちた一日となりました。

この反省を今年こそは忘れずに頑張りたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。

ご本人様は、とても上品で、いつも上手にお気遣い下さいます。
ご主人も、とても喜んで下さっていて、いつも誉め殺しにあっています。で、余計に功を奏してしまったのだろうと思います。

悠生治療院の新年会

今日は、治療院の新年会でランチコースを頂いてきました。

ゆっくり出して下さるお食事を味わいながら、仕事を離れ、日々のあれやこれや徒然に話し続け、気がつけば2時間以上の時が過ぎていました。

私を始め、悠生治療院は、一人ではうまく世間を渡れない人間が集まっています。だからこそ私たちは、お互いに助け合いながら、日々なんとか仕事をさせていただいているように思います。
院長としての私は、至らないことだらけで、陰に日向にみんなに支えられながら、治療院を運営できています。

そんなこんなで、お正月もまだ開けない昼下がり、4人の酔っ払いがゆったりと時間を過ごさせていただきました。

これで一年また頑張って行こうと思います。どうぞよろしくお願い致します。

🍷ごちそうさまでした🍷

新年明けましておめでとうございます

🎍新年明けましておめでとうございます🎍

新年は、明日4日(木)から初仕事させていただきます。
本年も一生懸命頑張りますので、どうぞよろしくお願い致します。

昨年は、ブログの毎日更新を目標にしました。
読んでいただいた方々、本当にありがとうございました。
長くて読めなかった方も、タイムラインに流れる更新しましたの記事を見ていただいてありがとうございました。

悠生治療院を開業した時に、営業用にiPhoneを買ったのは手軽に発信していくためでした。
それはすぐには。形に出来ませんでしたが、SNSで新たな出会いのチャンスにめぐまれるようになりました。

その中で
「自分を表現することが大切だ」
と教えて下さった方がいました。

その意味がずっとわかりませんでしたが、ブログを書くようになり、ようやくその本当の意味がわかってきたような気がします。
なにより私自身が自分の中の変化に一番驚いています。

営業の苦手な私は、仕事を見ていただくことが営業だと頑張ってきましたが、昨今の医療訪問マッサージに対する厳しい状況の中で、ブログでマッサージの力を積極的に発信していこうと考えました。

書き始めた最初の頃は、言いたいことを読んでもらえるチャンスが巡ってきたことが嬉しくて「いいね👍」の数や人の反応がとても気になっていました。

けれどもそのうち、自分の中の想いや考えが出せるということ自体が私を解き放ち、どんどん楽にしてくれていることに気がつきました。

ブログに書くことで、私の中に溜まっていた澱が流れ、自分をわかってもらいたいという気持ちが薄れて、いつもシンプルな自分でいられるような気がするのです。

それに伴い治療自体もどんどんシンプルになってきたように思います。

今年はもっとマメに更新していきたいと思います。
どうぞよろしくお願い致します。

読んでくださっている方々には、本当に心から感謝です。ありがとうございます。いつも大きな力を与えてもらっています。

それから、いつ何時書き終わるかわからない原稿を手直しして、わかりやすく編集して、ブログの更新に力を貸してくれている林さかなさんに感謝です。林さかなさんなしで私のブログはありえません。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

緑の菊に心惹かれて衝動買しちゃいました。
実は人付き合いが得意ではないので、花とか植物に向かい合う仕事の方がよほど向いているんじゃないかなと思うこともしばしばですが、こんな私でも支えて下さる方々のおかげで仕事を続けていられるので、心の底から感謝です。だから、一生懸命頑張りたいと思うのです。

この一年での私の技術革新

今年一年を振り返るような時期になっていますが、私の今年一年は、私のマッサージ人生の中で最も大きな技術革新が起きた年となったように思います。

その違いは、傍目から見ても、施術を受けていただいていてもわからないかもしれないようなものですが、施術後の感覚は、以前のそれとは一味違うのではないかなと思っています。

それは、

問題を抱える身体が全体の中の変化であるという捉え方と、
その身体の持ち主に合わせた刺激量の調整の仕方を学んだこと、

それらが少しずつ形になってきたからだろうと思っています。

自分としては、東洋医学的なものの見方の中では、これらを当然のこととして今までもアプローチしてきたわけですが、鍼灸師の辻村先生と出会うことで、凝り固まった身体をほぐすということが力技ではないことを意識するようになり、受け手の状態への合わせ方もより繊細に変えていく必要があることを知りました。

私たちマッサージ師の日々の臨床の多くは、外科の手術のように、レントゲンで変性部位を確認し、そこに狙いを定めて取り除くというようなはっきりしたものではありません。

ご本人の訴えと医師の診断を基本に、より問題が集中している場所を探りながらの作業になります。ご本人の訴えや診断のついている病変部位が、問題解決の部位とは限らないからです。それは結果ではあっても、原因を他に求めた方が効果的に治療できるということがあります。

このことは、頭では理解していても様々な疾病や、老化に伴う病変の場合、解決の糸口を探っていくのは、容易ではありません。
目の前の一番大きな訴えに目を奪われてしまったり、様々な問題が混在しているように見えるからです。

このような身体をより全体的に、また、より陰陽虚実という生命力や治癒力という大きな視点から見直してみることが少しずつ出来てきた一年でした。

先日も、斜頸という、頸が先天的、あるいは後天的に傾げた状態になってしまった方の治療をしていて、自分の考えがまだまだ狭かったということに気づきましたが、この続きは次回に。

弘法さんも、もうお正月の準備が整っています。

悠生治療院にピアノ教室あります

ついに今年も残すところ十日余りになってきました。

実は、3年前に悠生治療院をリニューアルした時から、悠生治療院の一角でピアノ教室を始めました。

友人がピアノの先生をしていて、スペースが空いているので、使ってもらうことにしたのです。
ただ、建物の都合上、アップライトのピアノすら入らず、電子ピアノでのピアノ教室です。

子どもの頃に、ピアノを習っていましたが、レッスンに励めず、6年かけて、黄色のバイエルを終えたところで、やめてしまいました。

ピアノは好きなのに、何故かレッスンは全くする気になりませんでした。

機会があればもう一度チャレンジしたいとずっと思ってきました。

で、ピアノレッスンを受けて少しずつ曲を完成してきました。

今は、ショパンのノクターンの2番を一年の時間をかけて弾けるようになりました。
うまいとは言えませんが、ひとつの和音を弾くことすら気の遠くなるような取り組みから始め曲が完成できてゆく快感は相当なものです。

先生が、練習の進まない私に辛抱強く付き合い励まして下さるおかげで、諦めずに続いています。

来年は、ビートルズに挑戦する予定です。
興味のある方は是非お問い合わせください♬

治癒力

15歳のアスリートの股関節の痛みはあっけなく治ったようです。
基本的には、オーバーユースなので、休養が治療の基本です。
それに、ほんの少しの筋肉の調整。バランスのとれた動きに誘導すれば、後は本人の力で最善の状態に戻っていったのだと思います。

ただ今回は、意外なおまけがついてきました。
足底にあった巨大なイボが割れて大きな穴が空いてしまったのです。
大腿後面の筋緊張を改善することで、足底の筋肉が伸びてイボが裂けてしまったようです。

びっくりですが、身体の中で起きていることは、本当にシンプルで、人間の頭では、その全体を理解することがなかなか難しいように思います。

若いこの方のように、本人の治癒力が大きいと、こんなことが簡単に起きます。

治癒力とは、誰にでも備わっている、身体を恒常的に維持しようとする自らの内にある力のことです。どんな最悪の状態に思えても、身体は常に治癒に向かって働き、その時の最善の状態を維持しているのです。

ただ、高齢になってくると、その働きも落ちてくる上に、使い込んだ身体は、あちこちが傷んでいるので、治癒力が働いても、若い頃のように身体がすっきり元どおりとは行きません。

傷んだなりに、一番ベストな状態に落ち着かせてあげられるのか、治療師としての腕の見せどころなのだろうと思います。
しかし、凝り固まった筋肉をもみほぐすことで、変形した関節をサポーターのように固めている筋肉までも必要以上に柔らかくして、逆に身体に負担を与えてしまうこともあります。

このところの匙加減がなかなかうまくいきません。

ですから、誰も彼もが15歳の方のようにはうまくいきません。

もう10年にわたり、心臓疾患をお持ちの方の治療にかかわらせていただいておりますが、慢性的に怠さを抱える方の治療は、そのところが全くうまくいきません。

本人の力と私の治療の兼ね合いがバッチリいかず、反応をお聞きしては、ため息をつく日々です。

それでもあきずに治療を続けさせて下さっていることに、心から感謝です。
もっともっと上手になりたいです😢

強くたくましく、季節や場所を選ばず真っ直ぐに伸びているラベンダー。
こういうたくましい草花に、人を癒す大きな力があるのだろうと思います。
こんな風に強くたくましく生きていたいものです。

靴べらの準備が整いました

ついに(?)靴べら買いました❣️

先日、来院して下さった男性の方が、お帰りになる時、靴べらがなくてお困りでした。

革靴を履いて来られる方がうちの治療院に来られることが、ほとんどなかったので、全く気がつきませんでした。

靴べらも用意いたしましたので、
革靴のお方も是非是非お越し下さいませ。

闘争心と自信

本格的な冬がやってきました。
空気が冷たいと心が引き締まる気がしますね。

先日、患者さんが、ホノルルマラソンの最後の調整にと、フライト当日の朝に来院されました。

数日前に、鍼治療で整えたのだけれど、最後の最後にマッサージが必要だと身体の声が言ったのだそうです(笑)

3時間以内という目標を掲げる彼女の肉体は、しなやかで無駄がなくとても美しいです。
彼女の肉体に合わせ、私の手はするすると動きます。その肉体には、わずかなクセも如実に現れていて、それを解いていく作業はとても心地よいものです。

以前に、脚が重いと来てくださった時より、さらに身体が絞れて美しくなっていらっしゃいました。

脚が重く感じるとすれば、平地でのトレーニングは、どうしても重心が遅れがちになり、従重力筋優位になりがちだからではないかと話をさせていただきました。

それから彼女は、毎日坂道トレーニングを続けられたそうです。

マッサージ中、彼女はマラソンについて話をしてくれました。

一人で練習をするのと、レースで走るのは気持ちが全く違う。
レースとなると、前を走る人を見ては、ここでは負けていられない、もっと抜かないとなど、心が平静ではいられない。闘争本能のなせる技かなと言われます。

学生時代は、ウエイトリフティングをされていたそうです。
ウエイトリフティングをする時には、ほんの少しの迷いや不安があると挙がらないし、怪我をしたりするのだそうです。
それで、試合となると、心の中で審判に向かって
「おまえら見とけよー」という気持ちになるのだそうです。こんな傲慢な自分がどこからやって来るのかと不思議なのだと話しながら笑っていらっしゃいました。

それから、また、マラソンは沿道の応援があるからこそ、最後まで頑張れる。一人では絶対無理だとおっしゃっていました。

私は、これらの話にとても考えさせられました。

闘争心と自信。
どちらも日本人的理性では、表面には出さない感情じゃないかと思いますが、
生きていく上では、どちらもとても大切な感情なように思います。

プロフェッショナルな自分になるには、自分にも、素人にも、同業者にも負けたくないという闘争的な心や、技術を我が物にしたいという欲、自分を信じる力が必要で、それこそが自分の限界を超えるパワーの源になるのかなと思いながら聞いていました。

それから。沿道の応援なしには完走出来ないなんて‼︎
誰かの応援が自分の限界を超える力を支える大切な力になるのだなぁとしみじみ”誰かの励ましの力”に感じ入りました。

私たちの仕事は、実際にどれくらいお役に立てているか数字で表れるものではないので、最後はいつも不安がつきまとうのです。

でも、身近で応援し続けることだけでも、力になるのだとしたら、治療の後の、毎回毎回の「頑張って下さいね」の言葉がけも意味があるのかなぁとなんだか救われた気持ちになりました。

自信を持って、負けずに、寄り添い続ける事を頑張りたいと思いました。

この方が、ホノルルマラソンで、本能全開でベストタイムがだせますように。

私もまた、本能全開で、日々是精進できますように。

ブログに書いた方とは別の患者さん(90歳)がつくられた手作りトンボ。
器用に几帳面に作品を作られます。歳に関わらないやり方に脱帽です。

鍼灸師の辻村先生

身体に疲れがたまって来た頃、鍼灸師の辻村先生からメールが来ます。

「そろそろ調子が悪くなって来たんちゃう?」

辻村先生は、2年前に、ネパールの無医村にボランティアでご一緒させていただいた鍼灸師の先生です。

ネパール旅行が終わってからも毎月治療交換会をして下さっています。

身体が楽になるだけでなく、いろいろなことを教えてもらったり、アドバイスを頂いたりの時間で、私にとっては、深い気づきの場になっています。

先日の治療中の出来事です。

辻村先生は滅多にお灸をされません。
私はずっと、鍼とお灸は一つの治療体系の中にあると思って来たので、ほぼ鍼治療だけの先生の治療を不思議に思ってきました。

どうしてお灸をしないのですか?

「必要ないから。鍼で十分同じ効果が出せるから」

「鍼師と灸師は別の資格になってるし。
中国の古典にも江戸時代の文献にも今の日本のようなお灸の記述はないし。」

えー!そうなんですか?!
でも、松尾芭蕉の『おくのほそ道』に足三里に灸をすえるとでてきますよ。

「でも中国のお灸は、日本のようなお灸と違うし、棒灸(お線香の束くらいのもぐさを紙で包んだもので、皮膚の上から温める)か、灸頭鍼(刺している鍼の上をもぐさで温めるタイプの灸)やしなぁ」

ふーむ。

江戸時代には、鍼治療を受けられない人が、民間療法として鍼のかわりに直灸(じかきゅう)をするようになって今のようなお灸が広まったんですかね。

「そうかもしれんなぁ」

ヨモギを叩いてもぐさって作れますよね。

「作れるよ」

誰でも出来たお灸が、意外に効果が高く、明治になって、鍼灸の治療として組み立てたんですかね?

「きっとそうやわ」

なるほどー。

お灸が鍼の代替医療だったとしたら…なんだか今までにない考えにいろいろワクワクしてきます。

本当のところはわかりませんが、こんな風に話をしながら、仮説を立てたりして楽しんでいます。

私にとっては、この治療交換会は、本当にエキサイティングな時間なのです。

おかげで、私のマッサージ治療は、辻村先生の鍼治療をうけるようになり劇的に変化しました。

身体への本当の変化を必要としているのは、
凝り固まった奥のコリだけではなく、
表面を覆う皮膚、あるいはその下の筋膜の果たす役割の大きさを考えるようになりました。

辻村先生の鍼治療の刺激で変わっていく、私自身の身体から、このことを確信することが出来たのです。

『コリをもみほぐす』

長い間、この言葉に囚われて大切なことを見逃してきたように思います。

しかしながら、皮膚・筋膜へのアプローチを可能にするのは、深層のコリを感じ、探り当てることが出来るからなのです。

「ミニマムの刺激を治療に使えるのは、マックスの刺激を与えることが出来るから」だと、これも辻村先生から教えて頂きました。

そうであれば、今までの私の道のりは無駄ではなく、ミニマムな刺激の治療を可能にするために必要だったのだと思えます。

私の治療の旅はまだまだ先があるようです。

振り返ると未熟な自分に申し訳ない気持ちでいっぱいになりますが、懲りずにどうぞよろしくお願い致します。

患者さんが川柳で大賞受賞!

㊗️大賞受賞

食欲が 気になるときが 頼もしい

患者さんが作られた川柳が、京都市の下南エリアで、大賞を受賞されました。

「生きててよかったわ」と本当に嬉しそうに話して下さいました。

老人になることでおきる、自信の喪失とどう向き合うかというのは、多かれ少なかれ誰もが直面する課題なのかなと思います。

だから、予期せぬ大賞がこの方の元気を引き出し、生きていく大きな希望になったのだと思います。

悠生治療院は、患者さんそれぞれに合わせたゴール設定を考えますが、何より今日の施術が、心や身体に自信を回復していただける時間にしたいと考えております。

この方の足取りさえ軽くしてくれた川柳大賞に心から万歳です。