フライングダイナソーで宇宙飛行士気分

息子の春休みに合わせて、仕事を休ませていただき、ユニバーサルスタジオジャパンに行ってきました。

人混みが苦手な私と、ちいさい時から並ぶのが苦手な息子たち。ところが中学生になった息子が行きたいと言うので、初ユニバーサルスタジオジャパンでした。

初めて行ったそこは、近隣の駅から人波が続き、開園30分前に行ったのに、入場するのに15分もかかりました。

並びたくなければもっと早く行かなければなかなかったようです。
それでも、年間パスポートを持っている甥っ子が一緒にきてくれたおかげで、待ち時間の長い中、いくつかのアトラクションを見てまわることができました。

中でも一番人気だったフライングダイナソーというジェットコースターは、210分待ちを乗り越えてようやく乗ることが出来ました。
くるりと逆さ向けのまま周るこのジェットコースターは、身体に心配のある人や高所恐怖症の人の乗車を注意していました。周りは若者ばかりの行列の中で、中年の私が乗車できるか心配になってきましたが、息子に「大丈夫やろ」と言われ乗ることにしました。

ようやく回ってきた座席は最前列でした。
プテラノドンにつかまれたまま一緒に空を飛んでいるように作ってあるジェットコースターです。始めは怖くて吐き気をもよおしそうでしたが、次第に怖さより、空を飛んでいる快感のほうが大きくなってきました。まるで宇宙飛行士になったような気持ちになりました。

ほんの1,2分の時間だったと思いますが、乗り終えた時に身も心も若返った気持ちで満たされていました。
決して自分の力ではなく、全くの他力なのに、不思議な感覚でした。

寝たきりになって自分では歩けなくなった方を、まるでご本人が歩いているかのように介助して歩かせてあげる時があります。その方が正しい筋肉運動ができて、身体状況がよくなるからです。ですけれど、よくご本人からは、「自分で歩いていないのに歩いている気持ちになれて元気になる」とか、「あんたを24時間ずっと雇いたい」と喜んでいただけることがあります。

今日私が味わった気持ちは、これに近い気持ちなのかなと思いました。肉体で感じることは、頭が考えることを超えることがよくありますが、思考は、やはり肉体の感覚に支配されているのだろうなとしみじみ思いました。

待ち時間が長く、ずーっと立ち続けて、足腰はクタクタですが、息子のおかげでちょっと若返った一日が過ごせました。

明日からまた、皆様のケアに精を出したいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

自分の課題を明確にし問題を解決していく

息子が小学校を卒業し、春休みで家にいるので、ついつい私も仕事より家庭モードで過ごしているうちにブログも更新できずに日が過ぎてしまいました。

ブログを書いていなくても、毎日毎日、当たり前に様々な問題が起きては解決の糸口を探すこともできないままに過ぎ去っていきます。

そんな問題の一つが、患者様の状態をスタッフ全体で、どうやって共有していくかということです。

ほとんどが患者様の家で一人でする仕事なので、可能な限り情報の共有をするようにしているのですが、患者様の身体状況を数値化することが難しく、スタッフ全員がいかに同じ眼でみるか、頭の痛いところです。

患者様の状態把握をどのように行うかというところからして慣れないと難しいのです。
それぞれの患者様の日常生活動作を中心に全体像を把握して、その上で、その患者様の在宅生活の生命線となる事柄にフォーカスして経過的に観察をおこなわなければなりません。

自費治療の場合は、患者様の訴えを中心に治療を進めて行けばよいのですが、訪問マッサージは、定期的で、計画的な治療を求められます。何より大切なのは、時系列的な患者様の経過観察と、早期にレベル低下を捉えて状態を維持していくことなのです。

例えば、廃用的に下肢の関節拘縮があるけれども、なんとか室内の歩行が出来ている、でも先々の身体状況に不安があるので、いつまでも動けるようにと、マッサージを依頼して下さった患者様に訪問をする場合のことを考えてみます。

日常生活動作の評価スケールは、自立・道具を使って自立・なんらかの助けがあれば自立・不可の4段階で評価していくことが一般的ではないかと思います。しかし、私たちがそれを維持することを目的とする場合、自立の中でも楽々自立から、なんとか危なっかしいけど自立という微細な変化を捉える必要があります。

起き上がりが楽々出来ているのに、歩行だけがスムーズに行かないなら、下肢の関節だけが大きな問題を抱えていると考えられます。
逆に起き上がりからしてぎこちない動作であれば、上肢や体幹にも問題を抱えていると考えます。

下肢の状態に問題がある場合は、立ち上がり動作のスムーズさや、そのための足関節の可動域、足趾の状態の把握がとても大切になります。

反対に上体に問題がある場合は、肩関節の状態や、脊椎の可動性などの状態もしっかり観察して置く必要があります。

大切なのは微細な変化を見逃さないこと、その変化と日常生活動作の状態との相関関係を把握し、状態を維持していくことなのです。変化を把握できるから、その改善の治療も可能になると考えています。

室内歩行の状態の観察、身体のパーツの状態の把握をしながら、老化や廃用的な身体状況の変化に抗い、状況を維持していくのです。

でも、その身体の中で起きている変化がわからなくて、転倒や痛み、足が出にくいなど患者様の訴えがあって初めて、身体の変化に気づくことがあります。

関節拘縮に傾きかけた身体は、浮腫がちになったり、皮膚トラブルや爪のトラブルが増えたり、一つ一つの動作に時間がかかるなど、指先で身体の中の変化を捉えたり記憶ができないとしても、視覚的にわかる変化を起こしてきます。
歩けなくなる前に様々な信号を見つけて治療することができます。

私の頭の中にはこれらが記憶の引き出しにしまわれていて、必要な時に自在に取り出せるようになっています。しかしながら、これらは、長年の訓練と経験の賜物です。この視覚、触覚に焼き付けた感覚を他の人と共有するということが、私に課せられた大きな課題だと考えています。

それでも、ついつい、自分の言葉足らずを棚に上げて、
「なんでわからへんのん? みたらわかるやん。ちゃんとみてる?!」
とうなってばかりいた先週の金曜日でした😭

子どもの部活がオフなので家族旅行。淡路島です。

好きなことは自立して生きる力になる

日曜日に久しぶりに、写真整理をしていたら、懐かしい患者様との写真が出てきました。

この写真の患者様は2年前に亡くなられました。
以前勤めていた治療院から、20年近く付き合わせていただいていました。

「若々しくて歳とらはらへんねー」と私が言うと、いつも最高の笑顔で応えて下さる患者様です。

軽い知的障害があり、水虫から感染症を起こし蜂窩織炎になられたのでしょう。処置が遅れて、病院に救急で運ばれ、右下肢を大腿から切断されていました。
体重が重かったためか、理解力が足りなかったためか、当時、まだ60代の若さにもかかわらず、義足を作ることさえなく、ほとんどリハビリもないまま退院、在宅生活を始めておられました。

ご主人と小さな長屋での二人暮らしでした。所狭しと物が置いてある部屋に介護用ベッドが導入されていましたが、ベッドから床に下りるのが大変で、それでも、なんとか下りたり、部屋の外のトイレに行ったり、いざっていうときは台所まで移動されていたように思います。

とりあえず最初はベッドからの移動が簡単にできるように。また台所に立ってご飯を作れるようになることを目標に訪問を始めました。

彼女の場合は、怖さが様々な動作の障害になっていましたので、それを取り除くことだけで、すぐに多くの動作が可能になりました。

彼女と出会った頃の私は、まだまだ未熟でしたが、怖さが半減するように介助するのはそう難しくありませんでした。

それは、立ち上がり、立位、移乗など、本人の行う全ての動作を、腰をキープして助けてあげればよいのです。
腰を中心とする体幹の動きが、こわばったり、筋肉が過緊張することがあれば、私の介助の方向や量が間違っているのです。

うまく安心感を与えてあげることができれば、日常生活動作は格段に広がります。
リハビリは本人が頑張るものではありますが、怖さを取り除くだけなら、こちらのやり方、努力次第でかなり改善がみられます。

自分の家での動作に自立された彼女は、台所でご飯を作ることができるようになられました。

その後は、マッサージをして残った足が痛まないようにしながら、車椅子で散歩に行ったり、4点歩行器という杖で歩行(?)練習をしたりしました。

しかし、そのうち、私は彼女の担当を離れてしまい、彼女との関係が薄くなってしまいました。

その間に、ご主人が亡くなられてお一人になられたり、家を引っ越すことになったり、内科的な疾患から発熱が続いたりと、最終的にはトイレや車椅子の移乗が出来なくなり施設に入所された後に亡くなられました。

それでも彼女のことは、とても印象に残っています。
食べるのが大好きだった彼女ですが、片脚に負担がかかりすぎると食事の制限がいつも課題になっていました。

様々制限をされても、彼女は、大きな体に小さな前掛けをして、お好み焼きを焼いて食べたりされていて、私はそういう自立した生き方が好きでしたし、好きなことにかける気持ちの大切さを見せていただいたように思います。

最後まできちんと関わることが出来なかったことが大きな後悔です。が、本当に楽しく仕事をさせていただいたことを感謝しています。

あの世でご主人と仲良くされてたらいいなと思います。

老いの準備 歯について

先日歯医者に行きました。
3ヶ月に一度の定期チェックです。

私は病院があまり好きではなくて、心配なことがあるとちゃんと行くのだけれど、今のところは寝たら治ることが多いので、ついつい足が遠のいてしまいます。

でも、歯は寝ても治らないし、虫歯などのトラブルを早期に発見することで、健全な状態が保てるので、定期チェックは必ず行くようにしています。

定期チェックでは、虫歯の有無と歯ぐきの状態のチェックをしてくれます。それから、クリーニングをしてくれます。

それで、ここ最近は、歯ぐきの状態が少しずつ悪化していて、糸ようじをしてもらうと、口の中が血だらけになります。
歯科衛生士さんは、いつも「糸は?」と尋ねはります。私は「してません…」と答えます。

私は糸ようじが嫌いなのです。糸ようじをしてもらった後は歯が弛んでしばらく違和感が残るし、私には合わないんじゃないかと思ってきました。
顎が小さくて歯がぎゅうぎゅう詰めに生えていて、歯並びもよくありません。
なので、何度ご指導いただいてもする気にならずに来ました。

ところが今回の定期チェックの後、数時間過ぎてから、口の中にいつもの糸ようじ後の違和感とは違う、何がはさまっているような違和感がありました。調べてみると、歯と歯の間の歯ぐきに血豆が出来ていました。
糸ようじの嫌いな私は、糸ようじのせいに違いないと思い、ネットで検索してみました。

心配ご無用!デンタルフロス使用時の出血について | デンタルフロスのオカムラ
http://www.okamuragroup.com/jp/column/2292/

するとそこには下記のように書かれていました。

決して、歯茎を傷つけているわけではありません
デンタルフロスによる出血は、
特に使いはじめた頃に血が出ることが多々あります。
それは実は、デンタルフロスで歯茎を痛めているからではなく、歯ブラシだけでは残ってしまう歯垢が原因で、歯と歯の間に炎症を起こしているためです。
つまり、歯周ポケットにばい菌が集まり、歯茎が腫れて血がたまっている状態。
デンタルフロスは、そんなすでにたまっている血を、はき出してくれるんです。
なので、最初は出血したとしてもまったく問題ありません。
自分の歯と歯茎の健康のために、たまった悪い血をはき出す。
それが、デンタルフロスの特徴的な役割といってもいいのかもしれません。
歯周病予防にもつながります
逆にフロスを毎日つづけると、徐々に血が出なくなっていきます。
さらに、歯茎の腫れもおさえてくれます。
歯茎を腫れた状態から健康的な状態になるようはたらきかけ、
結果的に歯と歯口を守ることにもつながります。
デンタルフロスをすることは、歯周病の予防にも役立つというわけです。

これを読んで、
お口の健康のために、糸ようじは、私には必要なことがよく理解できました。

それから、二週間。極力毎日糸ようじをするようにしています。
ここに書かれている通り、出血は数日で治ってきました。
その上、歯みがきするだけより、歯がツルツルになるのです!

口の健康は本当に大切です。
生きるとは食べることなので、口の中がよくないときちんと食べられないし、口の中がより不衛生だと誤嚥性肺炎の大きな原因になるのです。
在宅ケアの中で歯科衛生士さん、歯科医師はとても大切な存在です。

知っていることと、ちゃんと実践出来ることはまた別なのです。やはり、専門家の言うことにきちんと耳を傾け、素直な高齢者を目指さねばと思いました。

先生であることのこだわりがとけた時

仕事を始めた頃は、まだ二十代で、「先生」であることや、「与える側」でいるために、必死だったように思います。障害老人があきらめた人生に希望の光を見いだせる力になりたいと思っていたような気がします。

でも、五十歳になろうとする今は、マッサージという専門分野において私が「先生」であるのは変わらないですが、生きた時間の長さや人生経験において患者様から教わることが多く、「先生 ― 与える側」「患者様 ― 与えられる」という一方的な関係ではなく、お互いに様々な側面を出しながら付き合えるようになってきました。

こんな風に思えるようになったのは、ゆうこちゃんとの出会いが大きかったように思います。

ゆうこちゃんは、もう亡くなられた患者様の息子嫁だった人で、歳が近いことや、子育ての悩みが似てることなどから、患者様が亡くなられた後も、お付き合いが続いていて、一年に一度くらい、会って話をします。

先日がその日でゆうこちゃんと6時間も呑んで話していました。お互いの毎日の仕事のことや、家族のこと、友人の話をしているとあっと言う間に時が過ぎました。

患者であるゆうこちゃんのお義母様は、一代で会社をおこした社長で、アルツハイマーを発症され足腰が弱ってきたのでマッサージでもと依頼をして下さいました。この患者様とそのご家族との付き合いは、それまで経験してきたどんな仕事とも違いました。

例えば、患者様が人に物をあげることで自尊心を保ってきたからと毎回お菓子などのお土産をたくさん下さいます。こんなにいらないと断っても、ゆうこちゃんは「お義母さんがないと落ち着かないからもらって」と、お持たせ用の袋まで下さるのです。

一般的な考えややり方とは違うのだけれど、なるほどとも思えるのでそれ以上言えなくなりました。

「先生」として何か与えられないかと考えるものの、ゆうこちゃんのアルツハイマーのお義母様との付き合いや、私に対する気遣い、他の関係者との付き合い方など全てが、私の経験や考えを超えていました。日々、お義母様が穏やかに過ごせるように、考えられる最善の方法を自分の労も惜しまずにこなされていて、私は「ゆうこちゃんの世界」の一登場人物だったように思います。そのうち、不要な気負いがなくなって、知らないうちにただ「ゆうこちゃんの世界」を楽しませてもらうようになりました。

おそらく、その楽しんだ時間が、私の中の「先生」であることへのこだわりを吹き飛ばしてくれたような気がします。

その患者様とは5年ばかりの付き合いでしたが、その間に、息子様が先立たれ、患者様は施設入所されました。その大きな環境の変化の中でもゆうこちゃんは、誰も想像できないやり方で、お義母様や関係者と付き合いを続けていかれました。

そんなこんなで、ゆうこちゃんのおかげで、訪問マッサージ師とそのご家族という垣根も、超えたことすら気付かない間にするりと超えてしまっていました。

それで、患者様が亡くなられた後もたまにお会いして話をします。

ゆうこちゃんとの話は、たとえていうなら――お醤油みたいに馴染みの深い調味料の中に見たことも聞いたこともない異国のスパイスが混じってる――感じで、教えてもらうことばかり。少し年下の私ですが、苦労の多いゆうこちゃんの幸せをいつも願っています。

ゆうこちゃんにもらった東京土産。
みんなで美味しく頂きました。ごちそうさま。

中途障害

先日、若くして中途障害になられた患者様の訪問中、区役所の人と電話で何かお話されていました。詳しくはわかりませんが、役所の対応に憤慨されていたようでした。

このようなすれ違いの根っこにあるのは、制度の不足や憤慨する側の個人的な資質ではなくて、中途障害を受けながらも、懸命に生きていることに対するこちらの共感のなさにあるのではないかと思います。

若い中途障害者の患者様に訪問を始める時は、本当に緊張します。
中途障害を受けるということ自体が、健常で働いている私には想像出来ない苦しいことだからです。

その上に、機能回復は望めないとか、病状がやがて進行していくとか、治療方法はないなどと言われている患者様が、最後の望み、あるいはせめてもの救いの手としてマッサージを希望されることが多いからです。

身体が自由に動かないということは、動いている機能までも動きにくくすることであったり、循環器の機能をも低下させることになるので、機能の回復目的ではなくても、生活の質の向上のためにマッサージは多くの場合に力を発揮することができると考えています。

でもそんなことで満足するのは、する側の考えであり、医療的な"正しい"見解を受け入れることさえも簡単なことではない中で、最後の希望として仕事を始めることになるので、安易な発言を慎みながら、お役に立てる事を探さなくてはなりません。

でも、よくよく考えてみれば、機能的な障害という事以上に、働き盛りの、自分で自分のことが何でも出来るその時期に障害にみまわれ、手足の自由を奪われるということは、精神的に自分を支えている全てを奪われることに等しいのだろうと思います。

自分の考えで行えていたことが、一つ残らず一人では出来なくて、常に誰かしらの手助けを必要と
する状況を簡単に受け入れることができる方が稀だと思います。

でも、私も含めて、在宅支援サービスを提供する側はついつい、生活の利便性や保清のためには、こうすることが簡単で一番いい方法だと提示し、そのスタンダードに合わないと、やりにくい人だと批判的な目で見てしまうことが多いように思います。

自分でできない"わずか"の助けを求めたら、他人が家に入り込み、タンスの中身まで見、パンツの中まで、全てをさらけ出すことになります。
このような事態の中で、共感のない理解ない言動に出会えば、心がハリネズミみたいになってしまうのは、仕方ないことかなと私は思います。

老人や小さい頃からの障害者は、長い時間の中で数々の事を諦めた上に助けを受け入れられるようになっているだけで、それをスタンダードにしてはいけないように思います。

不満やすれ違いの元は、心の混乱や不安や苦悩、受け入れがたい状況に対する共感のない心ない対応に傷ついているのであって、クレームのためのクレームではないのです。

共感するということは、とりあえず一旦相手の言い分を聞くことだと思います。その上で努力したら、出来ること、どうしても出来ないことをきちんと伝える努力が必要だと思いますが、状況が苦しいのだから、その中の混乱や意地悪したくなる気持ちが相手の中に芽生える時は、少し大きな優しい眼で見てあげられるとこちらの対応にも余裕が生まれるように思います。

私も訪問マッサージを始めた頃は、若い中途障害の患者様から、怒鳴られて泣いてしまったり、あまりに厳しい言葉に言い返してしまい訪問が中止になることがありました。
もう亡くなられた患者様ですが、50代でリウマチを発症され、痛みの辛さを抱えながら機能低下が進行するのを防ぐためにと訪問させていただいていた患者様がおられました。

その方は、二人といないくらい厳しくて、気に入らないと私の人格にまで言及して来られる方でした。けれど、打ち解けて話がはずむと、10歳の少女みたいに可愛らしく、お母様を助け子守にあけくれた日のことを話して下さっていました。

10年以上の付き合いの中で、本当に無茶苦茶に言った後に笑いながら、「悪いなあ、あんたしかあたるとこないねん」と言って下さったことがありました。加齢とともに機能がどんどん低下するに従い、言葉がどんどんきつくなっていきましたが、その言葉に支えられ最後まで訪問することが出来ました。

受け止めるということの本当の意味をこの方に教えてもらったように思います。おかげで今はそれほど相手を傷つけることなく仕事が出来ているかなと思います。

先日、「中途障害者の支援に関わり始めると、他の仕事はしたくなるなる」と障害者支援センターの方がおっしゃっていました。パッケージされたサービスの提供ではない本当の支援に関わり出すと楽しすぎてやめられないのだそうです。

私もそんな気持ちになれるよう、困難なケース(つまり患者様の生活や心が安定しないケースという意味)をマッサージを通して関わって行けたらステキだなと思います。

未熟な人間ですが、謙虚に頑張っていきたいと思います。お気づきの点は、ご指摘いただけるとありがたいです。どうぞよろしくお願いいたします。

前を向いて歩いて行けるのは身体が動くからじゃないと思う。前を向ける心があるからだと思う。前を向く心を一人で保てない時もある。誰かのほんの少しの優しさが心を強くしてくれる時がある。そんなほんの少しの力になれるマッサージが出来ますように。言葉ではなくて、手から愛がこぼれるようなマッサージができたらいいな。

虫の目、鳥の目で繊細な治療

自分に照らして相手を理解しようとしてきたのが、わたしの数々の過ちの原因だよとソーシャルワーカーの先輩にご指摘いただきました😭

ありのまま、まるごとを受け取るということは自分を基準にしないことらしいです…

「♪ありのままの姿みせるのよ♪ありのままの自分になるの🎶」
うまく行かないことがあると、いろいろ考えてありのままの自分でいいともとても思えませんが😩

私たちの業は、盲人の人たちの職業の選択肢の一つにもなっています。目には見えない身体の奥を探る力が何より大切な力の一つになるからです。しかしこれは簡単なことではなく、ある程度の訓練が必要なので、私たち晴眼者と同じで、資格を得たからと言ってすぐに収入を得るチャンスが得られるわけではありません。

先日の訪問マッサージであら稼ぎという記事は実は全く事実無根という話ではなく、私が知る一番ひどい業者は、患者である老人だけでなく、盲人の施術師をも食い物にしているようなところがあります。

そういう業者の多くは、マッサージ師の資格を持たない経営者で、テレフォンアポインターや営業を雇い、広く患者を集め、専属の医師と契約し同意書を用意し、運転手をつけて盲人のマッサージ師を訪問させています。

請求金額が大きく違うわけではないので、営業の人の給料やお抱え医師への報酬や利益は、往療費の高額な請求や施術師の低賃金で賄われているのだろうと考えられます。

このような治療院から実際に訪問を受けた方から話を聞いたわけではないので、本当のところはわかりませんが、施術の内容を大切にしているようには思えません。

また万が一何らかの違反や保険の不正で摘発があった場合、罰せらるのは、経営者ではなく、国家資格を持っている施術師になります。

そのため、このような治療院で働いていて、やり方に疑問を抱きやめてしまう人も多いようですが、盲人の場合、運転手付きという条件に合う仕事が他にないこともあり、仕事をやめられないという話を耳にしました。

どこの業界にもある話かもしれませんが、小さな個人事業主が多いマッサージ業界においては、大手の参入に勝つことは難しく、またこのような大手の業者のあおりを受けているように思います。

そんなこんな状況の中で、私には絶対に負けたくないものが二つあります。

一つはこのような利益優先の大手の業者です。

もう一つは、最近ますます性能のよくなったマッサージチェアーです。

治療の基本は、手当てであり、心です。人の温もりを大切にできない業者や心のない機械には負けないようにがんばりたいと思っています。

物事を時には虫の眼でみないとわからない。
また時には鳥の眼を持たないとわからないことがある。
広い心で細やかで繊細な治療をめざします。

 

春がきたことを知らせてくれる身体

昨日は京都府鍼灸マッサージ師会のブロック総会と懇親会がありました。帰りついたのは午前様でした。

今日は朝から町内ソフトボール大会があり、2年ぶりのピッチャーで、二試合も投げました。もう身体が動きません。身体中が棒のようです😭

今週は京都に春が来ました。

春が来ると、患者さんたちの身体が、すっごく、まるで別人のようにほぐれます。本当は見た目はほとんど一緒かもしれませんが、一ミリの隙間を作ることに必死になっている私からすると別人のように思えるくらいの緩みです。

気温が上がった時にある日突然緊張が抜けるのです。何度になると緩むという単純なことではない気もしますが、とにかく春が来たのを植物みたいに知らせてもらえる緩みです。

最初この変化に気がついた時は、今日はどうしたんだろう。私天才?なんて思ったりしましたが、毎年同じことが繰り返されるので、春が来た❣️ってわかるようになりました。

身体は正直ですね。

そんな中で一番嬉しかった出来事は、パーキンソン病で寝たきり、四肢の筋緊張が強く、衣類の着脱も大変な方の身体に春が訪れたことです。
主治医も抗パーキンソン剤の調整に苦心されていますが、あまりの硬さに手のつけようもなく、ご家族だけでなく、ヘルパー・訪問看護などみなさん困っているし、なんとかしたいと必死の努力をしてはいるのですが大きな改善がみられません。

四肢の緊張が強く、嚥下も発語も困難な方です。緊張が強くない時は、両下肢を上手に動かして足を足で掻いたり、手で胸を掻いたりされていましたが、この頃は自由に動かせるのは、眼の開閉くらいになっていらっしゃいました。

こんな生活がもう五年以上続いてるこの方の意思表示は本当に小さいし、出来ないことが多すぎます。こういう状態が続くと、意思表示することや世界にコミットすること自体が嫌になられる方が多いように思います。
ところが、この方は私の質問や声かけにちゃんと目で返事をして下さいます。座ることさえままならない本当の寝たきりで、発語も出来ないのに、閉じこもったりいじけたりせず、必ず返事して下さる様子から、人柄を感じることができるすごい人だなといつも思わせていただいています。

その動かない、目でしか返事できないこの人が、先日は、施術する前に、脇が硬くならないようにかませてあるクッションを取ろうとすると、少しですが御自分で脇を開いて下さいました。
驚きながら施術をすすめると、背部など全身の緊張が少し緩んでいます。
そして最後は、私とご家族様の話を聞いて、笑みを浮かべて下さいました。久しぶりの表情に本当に嬉しくなりました。

長い時間筋緊張が強かったので、少しの緩みが出ただけで、関節は固まってしまっています。それでも1ミリの隙間が全身に作れるようにすることがとても大切です。
皆さんの努力が功を奏していて、床ずれも大きな皮膚トラブルもありません。しかし残念ながら、唾液を飲み込むことや、呼吸することはだんだん厳しくなってきておられます。

御本人様が諦めきっていらっしゃらないのです。私も春の力を借りて、楽な呼吸が出来るように、またもう少し表情がいっぱい出せるよう取り組みを進めて行きたいと思います。

陽射しが春です。
短い春にはマッサージのかわりに車椅子散歩に行ったりします。

生きてきたように死んでいかれる

今日は月末です。楽しいレセプト業務の日ですが、くたくたで、もう一歩も動きたくありませんが、するしかありません。

今日は先日の肋骨ペコペコの顛末を少し。

あの患者様は転倒の痛みに耐え兼ね、結局入院されました。
診断結果は、左第六肋骨骨折ということでした。
知り合いの医師に尋ねると、あのビードロペコペコは肋軟骨の脱臼または骨折音だそうです。
けれども、肺に突き刺さるとかそういう重篤な状態ではなく、息しても痛い時は、だいたい肋骨骨折で、バストバンド固定くらいしかすることはなく、全治1カ月だそうです。
ご高齢なので、もう在宅復帰は難しいかもです😢
病院が大嫌いだっただけに、もう一度在宅に帰って来て下さると嬉しいのですが…

どんな風に最期の時をどこでどう送るかは、全てが理想通りというわけには行きません。

この知り合いの医師は在宅でも病院でも、多くの方を送っておられます。この先生が言われるには「みなさん、生きてきたように死んでいかれる」そうです。
それは、私たち、外部の人間というよりはご家族との関係や、ご家族がいない方は周りの人間との関係の延長線上に死があるということかなと思います。
とにかく、ここから先はただ祈るのみです。いつ何が起きても不思議ではない毎日の連続です。悔いのない仕事を積み重ねて行きたいと思います。

さあ今からレセプトでーす😭

 

今日は動画をアップします。痙性麻痺に苦心しているところです。

保険治療と自費治療

医療保険による治療が日々厳しくなるのを心配して、友人の医師やケアマネジャーは、保険治療から自費治療に切り替えていくように勧めてくれます。
自費治療で生計が立てられたら、理解を得られない悔しさはなくなるし、レセプトの煩わしさからも解放されるし言うことはありません。

でも自費治療で生計を立てるのは、それはそれで本当に大変で、自費治療しかしていない治療師は心の底からリスペクトです。

収入のほとんどが保険治療なので、自費治療でお金をいただくことに慣れません。私ごときの治療にこんなにお金をいただいていいのだろうかという気持ちがなかなか抜けません。

なんらかの疾病を抱えた方だと、保険でも自費でも症状を軽減することができれば、相応の対価をいただくことに遠慮はありません。

しかしながら肩こりや疲労に対する治療は、全身の調整だけでは済まないものがあるように思います。
肩こりが完璧になくなるというのはなかなかイメージしづらく、私の治療でいいのかなっていう自信のなさがつきまといます。

疾病に対する治療と、リラクゼーション的な治療だと、リラクゼーションの方が容易いように思う方もあるかと思いますが、実際はリラクゼーションの方が不確定要素が多いので難しいと思います。そんな効果のほどが確かにわからないことに少なくない人がお金をかけていらっしゃるということは、働く皆さんのストレスはとても大きいということなのでしょうか。
そう考えるとリラクゼーションが提供できる治療への憧れは小さくありません。

しかしながら、マッサージの技術だけでなく、雰囲気・会話・部屋の様子全てにおいて心地よさを味わっていただかなくてはと思うと、そんな仕事の後は、自信のなさと精神的な疲労でぐったりしてしまいます😓

私自信の性格からくるのでしょうが、そんなこんなで、認知症で会話や発語が困難な方や寝たきりで身体が動かない方や、ガン末のターミナルケアの治療が、本当に好きです。
文字通り死ぬか生きるかという肉体を、少しでも軽く、息が深く出来るように手助けさせてもらえることはこの上ない喜びです。
ただただ、患者さんの肉体に溶けていくように自分の手を走らせ、生命活動を滞らせている筋肉を助けたり、解いたりしていると時間も何もかも忘れてしまうことがあります。

そんな時コミュニケーションもままならない方から、お礼の言葉をいただいたり、なんとなく心が通じているような気持ちになれたりして、肉体の解放が精神的な解放に繋がるのを実感したりします。

こういう治療は自費ではなかなか難しいのですよね。医療保険だからこそ可能なんだと思います。

認知症の患者さんの口コミから仕事が拡がったら私も安泰なのに、それがないのが残念です😅

訪問マッサージについての新聞記事についたブログに何人かの方から励ましの言葉をいただき、本当にありがとうございました。そう思って下さる人がいると思うだけで、前を向いて頑張れます。

あきらめない気持ちを大切に。

後縦靱帯骨化症術後、四肢不全麻痺があるのに絶対に寝たきりになりたくないと、どんなこともあきらめないで工夫を重ねやり遂げはります。
伺う度にリスペクトです。見習わねば。