交換治療会

今日は午後から鍼とマッサージの交換治療会の日でした。

一緒にネパールの治療ボランティアに行った辻村猛先生と月一の治療交換会をしています。

最初はネパールに行くまでにお互いの治療をわかり合う必要があるからという理由でした。

ネパールが終わってからも続けて下さっていて、頚椎が良くなかったり、三半規管が弱かったり、胃腸が丈夫じゃないとケアしてもらっています。

今では長い時間治療しないと、頚椎からの痺れが顔を出してきます。知らない間に私の身体は不調な箇所がどんどん少なくなってきているように思います。

治療の間、普段治療について迷いのあることについて質問したり、自分の考えを聞いていただいたりもします。

私の方がものすごく徳をしているなと思って申し訳ない気持ちもありますが、お言葉に甘えています。

これだけ書くのがようやっとです。鍼治療のあとはおそろしい睡魔に襲われます。

これで、またあと1ヶ月がんばれます。

おやすみなさい🌙

ちくわの燻製おみやげ付き。いろんなおみやげまで持って来て下さいます。ありがとうございます。

老人福祉に関わるということ

今日は土曜日の祭日です。
昔は、紀元節と言い、お休みだけど学校に行き、お祝いをして紅白饅頭をもらって帰ったそうです。

私の子どもの頃には、もうそんな事はなかったけれど、何かの機会にもらえた紅白饅頭は、とても好きでした。あんこが多すぎて食べるのに難儀してたにもかかわらずですが。

祝日は、訪問の仕事はお休みさせていただいていますが今日は一人だけ自費治療をさせていただきました。訪問マッサージに伺っていた患者様のご家族樣です。

この方は、お母様がいつまでも元気でいられるようにと、歩けないお母様の機能維持のために、介助歩行・トイレ誘導・車での外出など、丁寧な介護を続けておられたため、慢性的な腰痛に悩まされておられました。そのため、お母様の施術の後、一緒に治療させていただくようになりました。

あまり運動が好きでなかったらしいこの方の身体の筋肉は、それほど強くなく、持続的で長期にわたる介護は、自分の持てる筋肉以上の仕事量を自分の身体に課すことになり、脊椎の正常な弯曲をいびつなものにしてしまっていました。

介護が続いているうちは、その疲労に治療が追いつかず、介護が終わった今も、なかなかスッキリとした身体に戻るには、私の力量が足りません😢が、飽きることなくマッサージに通って下さっていて、申し訳ない気持ちになりながら施術させていただいています。

訪問マッサージに伺うようになり、ご家族樣の治療を依頼していただくことも増えました。訪問マッサージの患者樣が亡くなられたり、施設に入所された後も、ご家族樣のマッサージが続くこともあります。

マッサージすることで、外から見てるだけではわからない介護者の疲労や、心の中がわかることもあります。

夜間のトイレ介助やオムツ交換は、介護者の睡眠リズムとは無関係に行われ、疲労を倍増させてしまいます。そして疲労は筋肉の弾力性を失わせ、身体の芯まで疲労を蓄積させて行きます。その疲労は、心の余裕を失わせ、優しい気持ちを奪い取って行きます。個人の性格の問題じゃないと言っても、多くの方は自分の至らなさにその原因を求め、さらに辛い気持ちになられるのです。

そんな疲れ果てた上での、被介護者の施設入所であったり、お迎えであったりするのですが、介護が終わった後も、もっとしてあげられたんじゃないかとか、自分のやり方が悪かったんじゃないかと自分を責め続ける方も少なくありません。

そんな方に私が出来ることはありませんが、長い時間、介護する側もされる側にも関わることで見えてくることもあります。

今日マッサージに来て下さった方は、お母様を施設に預けてもう2年になるのだけれど、今も、お母様が辛いのではないかとずっと罪悪感を抱いていらっしゃいます。こんなに身を粉にして介護をされて来たのだから、罪悪感を抱くことは全くないのだけれど…
私たち老人福祉・介護に関わる人間は、こんな複雑なご家族の心の内に想いを馳せながら、人生の最後の時間に関わらせていただいていることの重要性を理解しなければいけないと思います。

ついつい忘れがちですが、今はボケていたり、自力排泄が困難で、排泄にまで世話にならなければならない方々も、少し前まではフツウの人生を送られていて、その人生の中で自分を介護してくれる誰かと関わって生きてこられたのです。

今という時間は、眼の前のお年寄りだけでなく、その過去から続くご家族樣の心にまで繋がっているということなのだと思います。

ですから、眼の前のお年寄りが笑顔で過ごせるということは、介護されてきたご家族の心まで笑顔にできるし、お年寄りの心に響かないルーティーンな決まりきった仕事としての関わりはそのご家族の心の苦しみまで大きくしてしまうのだと思います。

「人生の最後が台無しだと、それまでの人生が全て台無しになってしまいます。老人福祉に関わるということは、その最後の一番大切な時間を、長い人生からするとほんの短い時間だけれども、その大切な時間に関わるということなのです。」

これは、私の尊敬するソーシャルワーカーの方がこれから老人福祉に関わる方に必ず話す言葉なのだそうでしす。

私も日々の仕事に流されず、最後の時間に関わらせていただいている事を心して毎日を送りたいと思います。

心の闇は見えない。
本当に大切なことは目には見えないものなんだよっていう星の王子様の言葉が好きです。

シモヤケでした

また、雪の舞う寒い日になりましたが、うちの息子の指の赤みはすっかり治りました。実はやっぱりただのシモヤケだったみたいです😣

前回こうなった時に、突き指でどんどん腫れて痛いと言う訴えから始まったので、ついついオソロシイ病気に結びつけてしまいました😅

でも姿勢の悪さが指のシモヤケの原因になることは間違いなかったようです。
息子の学校に同じような指をした子がいたそうです。尋ねてみたら親が心配して、病院を受診したそうで、その医師が言うには、猫背だと、腕に行く動脈が折れ曲がるので血流が阻害され、シモヤケになりやすいのだそうです。

勝手な判断ではありましたが、漏斗胸による姿勢の悪さが原因なのは当たっていたようで、テーピングと筋肉のバランスを整えている間に、指も足首の不具合もすっかり治りました。😌

忙しさにかまけてついつい治療を後回しにしちゃいますが、育ち盛りの身体を少しでも整えてやりたいなと思います。

身体が整ってくれば、歪んだ頭も少しは整うんだろうと思っています。

治療する時は、ある程度こうしたら、こうなるだろうという予測をたててあたります。経験的に予測できる時もあれば、予想以上に患者さんの身体が弱っていて、過剰な刺激で失敗することもあります。逆に自分の力量では無理だと慰めのつもりでしたことが予想を超えた結果に結びつくこともあります。患者さんに感謝してもらえる喜び以上に、自分のした失敗で今すぐ仕事をやめたくなることもよくあります。

いろんなことがありますが、私の場合、治療に向かうエネルギーの本当のところは、身体の営みのすごさに囚われていると言うのが一番正しい言い方かもしれません😅😅

外回りの仕事は寒くて、暑いけど。毎日見ても見飽きない景色に出会います。京都タワーはその一つ。そんなに高くないけど、小さな京都の街にぴったりな存在感です

施術 リラックス

進行性の神経難病の患者様で、自律神経の働きが悪く在宅生活を継続することが困難なため、数ヶ月に数日間だけ在宅生活を送られる方がいらっしゃいます。

自律神経の働きが悪いと、気温の変化に合わせて体温調整をすることがうまく行かず、すぐに高熱を出したり、、唾液の分泌や胃腸の動きもうまく行かない。また便秘でふくあつがあがるだけで高熱を出すということが起きたりします。自力での排尿も困難になります。

また、神経難病の多くは飲み込み・発語を司る神経もうまく働かないため食べる・話すことも困難になります。
その上に、四肢体幹の麻痺もあるので思うように体を動かすことも困難で、しだいに廃用的に手足が縮み、固まってしまいます。またバランス障害もあると寝返りだけでもめまいがしてしまうことになってしまいます。

闘病が長く続くと身体を横たえることすら大変なので、この状態に高熱など、内科的問題まで起きると在宅生活は本当に厳しいものになります。

私の治療院の患者様は、在宅生活を送られている時からの関わりで、病状の進行とともに在宅生活が困難になられ、今に至ります。

数日間の退院にあたり、病院のスタッフと在宅で関わる関係者が集まりカンファレンスが開かれます。細かな打ち合わせをしないと、安定している容体が急変することもあるからです。私は介護保険サービス提供者ではありませんが、参加させてもらっています。

私の仕事は、入院中にリハビリで確保されている機能を維持することと、もう一つは、過緊張状態にある身体を少しでもリラックスしていただくことです。

廃用症候群で、関節運動がほとんど不可能なほど関節拘縮が進んでいるとき、改善をはかるのは容易ではありません。

しかし、患者様の可動域を拡げようと施術者が関節と力比べをしてしまっている時、関節を支持する靭帯が伸びてしまい、それを守るためにますます緊張が高まり関節の余裕が全くなくなるということがあります。

そういう時は、関節可動域を拡げず、関節を包み込むように優しく触れると、筋緊張が抜けるのです。

緊張の抜けた関節からは、やせ細った筋肉、伸びきった靭帯、グラグラの関節を感じることができます。

この状態から、次にようやく本当の意味での可動域訓練を行うことが出来ると考えています。ただし、関節は屈曲・進展という二方向でなく、内転・外転、内旋・外旋、伸びる・縮むという8方向の動きがあり、また全ての関節にわたり拘縮は”完成"していくので、一つ一つの動き、筋肉を薄皮を剥がすように、拘縮の状態を見極め緩めていかなくてはなりません。決まった型通りのことをしたらほぐれていくという単純なものではありません。

こんなふうにして、私はこの患者様に数回だけ、施術する事が出来るので、この数回で、少しでも緊張状態を少なくし、全体の関節に緩みを作っておくように努力しています。

私の施術がどこまで効果を発揮しているかは、本当のところはわかりません。しかし、患者様から、入院先まで来て欲しいと言っていただけるので(実際はいけません)窮屈な服を一枚脱いだようなリラックス感を味わっていただけていると思っています。

今回の退院カンファレンスでは、ナースコールを押せないため、肩関節を外転させ肘でナースコールを押すようにしているので、その確保が出来ればありがたいとお話をいただきました。が、今日、口元が痒いとご自分の手で掻かれていたのを見て、安心しました。外転じゃなくて内転動作ですが…

意思疎通もますます困難になってこられていますが、今回はもう数回訪問させていただけそうです。昨夜は呼吸困難になり、訪問看護さんに緊急訪問して、大事に至らずに済んだそうです。あと数日、無事に在宅生活を過ごしていただけますように。

動かせない手足は枯れ枝みたいに細く硬くなってしまいます。以前は硬い手足は伸ばすべき打倒対象でしたが、今は頑張っている手足自体が愛おしく感じるようになってきました

マッサージ師を志した理由

ブログの毎日更新を目標にして、一か月がすぎました。毎日はさすがに無理ですが、なんとか続いています。

20代のころ、専門的な技術で、誰かの役に立てたらと、マッサージ師を志しました。社会の矛盾や不平等について頭で考えるより、自分の技術力で役に立てたらと考えたからです。

マッサージ師になる前、内戦が終わった直後のカンボジアを訪れました。日本の援助で送られた自動車が故障すれば、修理出来る技術がなく、ガラクタ同然になるため、日本の自動車修理工の方が技術指導のボランティアをされていました。1年のつもりがもう5年目になると言われていたように思います。技術が架け橋になる援助ってすごいなとマッサージの学校に行きました。

そして、マッサージの専門学校に入学してから、医療保険を使った訪問マッサージというのがあることを知りました。障害老人や寝たきりの人を目にすること自体初めてで、曲がって伸びない枯れ枝のような手足、鼻腔栄養のチューブ、唾液すら思うように飲み込めない方などを見て、大きなショックを受けたのを覚えています。
そして、その生活を支えようと活躍される人たちの存在を知り、私もその一員になりたいと強く願いました。

それから、20年。

在宅介護は普通になり、マッサージ師による訪問マッサージも数多く行われるようになりました。訪問マッサージのチェーン店もいくつも出来ました。その結果、増え続ける医療費を背景に、マッサージ師の保険治療は年々厳しさを増しています。

しかしながら私の中では、時にマッサージというのは、薬よりもリハビリよりも人の生きる力になることがあるとても大切なものだという想いが年々強くなっています。

それは、マッサージが、障害者や老人、神経難病を抱える人にとって、足し算ではなく、ただ一つの引き算になるのではないかと考えているからです。

痩せた、麻痺した筋肉であっても、生命の営みとは、身体を守るために必死に働いているものです。もうこれ以上は頑張れないギリギリの筋肉といのは、全身を強張らせ、結果、血流が阻害され、血液の還流を滞らせます。
そうして、寝たきりや、起居動作困難な方の手足の多くは浮腫んでしまうのです。浮腫んだ皮膚は、治癒力が落ちるので、床ずれなどの皮膚トラブルの原因になりやすいのです。

そういう状態に対して、関節可動域が足りない、筋力が足りないとリハビリを行います。あるいは利尿剤で浮腫を取り除いたり、筋肉の過緊張を和らげるための薬が処方されます。最近の流行りはボトックス注射です。これは、過緊張を和らげるのに、ボツリヌス菌から抽出したタンパク質を注射し、筋肉を麻痺させるものです。
これら全ては足りない状態に対する足し算です。

でも、本当は足りない結果ではなく、働きすぎて状態を悪化させてしまっていることの方が多いように思います。
例えば、力ない手足がダラリと力が抜けてぶら下がっていれば骨折の危険に常に脅かされることになるから、身を固めている方が安全で、そのために手足を縮めているのではないかと思います。ただ、それが度を超え様々な困難な状態になってしまっているのです。

このような状態に対して、マッサージによるゆったりとした刺激は、過緊張を状態にある皮膚・筋膜・筋肉から、緊張を取り除くことができます。緊張を取り除くだけで、伸びない手足は力が抜けるのです。力が抜ければ、関節可動域を拡げることも浮腫を軽減することもそう難しいことではありません。

これには少し熟練した感覚を必要とするかもしれませんが、生命の営みの在りようやマッサージの可能性を常識として知っていれば必ず到達できる技術です。

このような技術の担い手である私たちが、超高齢化社会で活躍できないのは、私たちマッサージ師にとっての損失のみならず、高齢者、そして保険者にとっても大きな損失なのではないかと考えています。

私の声はあまりに小さく、いつ消えるかわからないものです。でも黙って消えたくないという思いで、ブログを書いています。

私の20年の歩みを一番に支えて下さったのは、今いる患者様であり、亡くなられたりご縁の切れた患者様です。数多くの失敗の上に知り得たこれらを、これから高齢者になる方々や、展望を持てないマッサージ師の方々に伝えることが、一番のご恩返しになるのではないかという思いも持っています。

また同意書を書いてくださる医師だけでなく、相談業務をされているケアマネジャー始め関係者の方々や、保険者(つまり行政)の方にもこの声が届いたらと願っています。

こんな想いを持ちながら毎日仕事をし、ブログを書いています。文章を書き続けることは、予想以上に大変ですが、楽しみにしているよと言って下さることが書き続けるエネルギーになります。読んでもらえると本当に嬉しく思っています。どうぞこれからもよろしくお願いします。

うっすらみえる虹。毎日空をながめながら仕事しています

マッサージという技術について思うこと

月末月初はレセプト業務があります。締め切りが平日の時は、通常業務を終えてから行います。一日の終わりには、身体はすでにクタクタなので、心身ともに結構な負担になります。

誰かにしてもらったら楽なんだけど、1ヶ月に一度、全体を見渡し、お金を考えながら請求業務に集中する時間は、それなりに大切です。

訪問回数や内容、病名の再確認。主治医の確認や、訪問開始当初の状況や話し合いを思い出したりしながら、一人で作業をします。

最後に、治療院を始めてからの患者さん全員の一覧表に、継続や中止の書き込みをして、亡くなられた方や途中で断られた仕事や、施設に入所された方々のことを思い出しながら、毎日仕事を続けさせてもらえていることに感謝して、請求業務を終えます。

医療保険を使う訪問マッサージの置かれている状況は決して安心できるものではありません。

超高齢社会に向けて保険者はマッサージの適応を軽減しようと必死です。医師会は小さくなるパイの分け前から、マッサージ師を追い出したいと考えています。治療効果が薄く保険の無駄遣いと考えているからです。

その上に高齢者が要介護にならないためには機能訓練が一番大切ということで、今まではマッサージ師しか対応できる人材がなかったところに、訪問リハビリ、通所リハビリ、機能訓練をメインとするデイサービス、マシーンを使う通所リハビリ。機能訓練士による訪問指導、体操教室など様々なサービスが増えています。マッサージ師の出る幕は年々小さくなっています。

そんななかで、私は、マッサージという技術が、薬より安価で効果が高く、声かけによる指導以上に、マッサージという人の手による治療効果の高さが、一個人ではなく、マッサージ師業界全体として評価されることで、医療保険の枠組みに残っていけたらという希望を持っています。

実際の効果は疑うところがないように思っていますが、医療人としての倫理観や、医師を中心とするチームケアの一員になるには、西洋医学における共通言語の使用や治療方針・報告の訓練がなされてないところに大きな問題があるようです。悲しい😖

ということで今月も無事請求業務を終えることが出来ました🤤🤤

患者さんちの宝船
これを見てるだけで、今年の福はこっちのもんだ😆って気になります。マッサージしながらいつも拝んでます。

治療師として息子の身体をみる

今日は久しぶりに会った介護士さんと介護の現場について話していました。慢性的な人手不足が悩みだと言うことでした。

その話しの中で、私に一緒に働きませんかと言われます。私には、オムツ交換も食事介助もできないなぁと思いながら、役立たずですよと答えると、三人分くらい仕事できるよと言ってくれました。訪問マッサージの厳しい状況に朝からげんなりしていたので、なんだか本気で嬉しくなりました。

介護士さんの厳しい職場環境を考えると、へこたれてる場合じゃありません。

ところで、我が小天狗(息子)の指の腫れはまだ引きません。でもかゆみを伴うようになってきたらしいので(まさかただのシモヤケ⁈)、治癒に近づいていると信じて治療を続けています。

漏斗胸による骨格の形成不全が、その原因かもしれないと考え、体幹を中心にキネシオテープで補ってみました。

今は一般的に知られるようになったキネシオテープは、日本で考え出された治療です。筋膜が治療の世界でクローズアップされる前に、人体最大の器官である皮膚に注目し、皮膚を補うことによる骨格器の疾患の鎮痛作用や、内臓反射を利用して内臓疾患の治療できるのではないかと考えられた療法です。

テープによる皮一枚の補強で、びっくりするくらい痛みが消えたり、関節可動域が拡がったりするので、スポーツケアの世界では広く利用されています。

漏斗胸というのは、肋軟骨の形成不全が原因と考えられていて、胸郭の狭さから、息がすぐ上がったり、食が細くて嘔吐することが、伴うケースもあるそうです。治療は、筋肉で補うか、無理なら手術ということになることもあるということでした。

それで、肋軟骨と、その支えの弱さを補う部分を補強してみました。

結果は、指の痛みはあるけど、部活動中のパフォーマンスが、体幹がぶれずに決まったからやりやすかったと帰ってきました😄

若い身体は本当に素直で、ほんの小さな刺激で十分に症状が好転して行くことが多くあります。

治療師は、その本人のもつ治癒力を邪魔することなく、足りない部分を補うことを大切なのです。

プライバシーの侵害と言いながら、撮らせてくれました。胸骨下端が凹んでます。猫背になるので、背部の上下で引っ張ってみました。
患者さんからの頂き物。京バームショコラ。きれいで、とっても美味しかったです。

息子は天狗の生まれ変わり

俺は天狗の生まれ変わりやと思ってるからええねん。

息子の頭はちょっと歪んでいます。産まれた時はとても歪んでいて、周りの人から気にしなくても治ると言われたけど、15歳になる今も、結局ちょっと歪んだままになってしまっています。

あんまり気にしすぎないようにしてきたけど、先日、息子の手の指の付け根が赤く腫れて痛がるので、マッサージしていました。するとやっぱり頭が歪んで、首まで歪んで、その傾きから、脚の腓骨という外くるぶしにジョイントしている骨も、足関節も変形しかかっています。

今までは、ここまでではなかったのだけれど、部活で、基礎トレに励んでいる間にどんどん筋肉のバランスが崩れ、頭蓋骨の歪みが全身に影響を及ぼしているように思いました。

そんな頭を触りながら息子に気にしてるかと尋ねたら、「誰もそんなこと見てないから気づかないけど、一人だけ、気づいて、どうしたかと聞かれた。生まれつきだって答えたら、へぇー。天狗みたい。天狗って頭がでこぼこなんやろって言われたから、俺は天狗の生まれ変わりやと思うことにしてる」と、あっけらかんと答えてくれたので、ホッとしました。

この子は小さい頃から漏斗胸と言われていました。みぞおちの上の胸骨がくぼんでいる胸郭のことをいうのだけれど、実害はないと聞かされてきました。が、その後の成長を見ていると、他の子に比べて、腹圧が弱かったように思います。だからみぞおちのところで、身体が折れてしまい、姿勢が悪く、走ったり飛んだりがあまり得意ではないように思いました。

その子が中学になり部活で身体を鍛え、腰筋始め全身を鍛えることで、腹圧も強くなり、姿勢も良くなって来ました。

しかしやはり、生まれつき関節を結ぶ靭帯が弱いようで、冬の寒い時期に疲労が蓄積すると、筋肉や骨格器の異常(つまりオーバーユースによる怪我)になる前に、指の付け根の関節あたりの皮膚が炎症を起こし突き指のような痛みが出て来てしまいます。

初めてこのような状態になった時は、ググってみると、恐ろしい難病名に行き当たり先行き真っ暗みたいな気持ちになりました。しかし、疲労と寒さから起きるものなら、血行を改善するマッサージが有効に違いないと考え、朝晩マッサージを始めると一週間足らずで症状がなくなり、大変安堵しました。

で、今回の寒波でまた、指が腫れてしまい、よくよくみると、全身に関節の変形が現れていたのです。

頭の形や関節が生まれつき奇形であることは、そう珍しいことではありません。身体を触る仕事をしていると、大なり小なりおかしなところがある人をよく見かけます。

奇形は見た目の問題だけではありません。人間の身体は、地球の重量に逆らい二本足で立ち歩くために、最も合理的で無駄のない進化を遂げて来ているので、その骨格器に異常があるということは、重量に抗う構造に弱点を抱えて人生を出発するということになります。

骨格期の異常や中枢の命令系統の異常を筋肉で補いきれない時に、先天的な障害となります。

少しの奇形であれば、筋肉でその弱点を補って問題なく生活できる場合が多くあるのです。
筋肉は弱点を補ってくれる最強の武器です。ですから、構造に問題がある時は、アンバランスな筋肉を手入れした方がその歪みが大きくならなくて済むことが多いように思います。だから適切なマッサージは障害、特に子どもの場合は、大変有効な治療となると考えています。

息子のあちこち変形しかかった身体を触りながら、この身体でよくも飛んだり跳ねたり頑張ってやっているのだと思い、関節の変形が不可逆的にならないよう成長期が終わるまでは小まめな手入れをしてやろうと思いました。

薬指の付け根が赤く腫れています。前回腫れた時は、熱がなかったので、内分泌的な疾患でなく、皮膚の炎症を考えると医師から言われました。治ったしそれ以上は調べませんでした。
中指。赤く腫れて痛いようです。部活後は皮がパンパンに張ってしまいます。
マッサージすると赤みが引きます。
今回も無事治りますように。

笑いすぎる笑い話

書き出すと、ややこしい心のウチですが、毎日の多くの時間を患者さんに笑わせてもらいながら仕事しています。

笑いすぎて、鏡に写る笑いジワに、目の前のご老人よりシワが深いやんと、よる年波にがっかりしたりしています。“シワシワになるしあんまり笑わんとこ”と思うのに、ついつい話に引き込まれお腹が痛くなるくらい笑っていることもよくあります。

「あんたなぁ、昨日おかしかったで。息子がなんか欲しいもんあるか?ってめずらしく聞くから、そらうちかて聞かれたら欲しいもんあるやろ。もうすぐバレンタインやし、伊勢丹にチョコレート売ってるやん。チョコレート食べたい言うたら、そんなん違うおかずややて。おかずはヘルパーさんがこうてくれはるしいらん言うたら、何にもこうてきてくれへんかったわ」

――伊勢丹よるん大変やったんちゃいますか。スーパーでもいいって言ったらどうですか?

「なんでや、すぐやん。伊勢丹には駐車場もあるえ。ほんでなぁ、手ぶらで来て、コーヒーとパン食べて、ずっとメールして、すぐ帰っていったわ。ウチ、わかったわ。あれはオンナや。オンナに会いに行くのに嫁の手前オカンに会う言うて出て来てんねんや」

きっと息子さんは一人暮らしのお母さんを気遣い、ご飯に困ってないか、顔だしたらそれだけでも母親が喜ぶやろという気持ちで顔を出されたのだと思います。まさかお母さんが探偵並みの洞察力で観察しているとは露ほども思ってないのでしょう。

少なくない人が、相手がお年寄りだと、自分の中の年寄り像に合わせて行動されているのに比して、お年寄りの多くは、頭の回転がゆっくりになったり、世間事情から疎くなっていたとしても、自分の知りうるあらゆることを総動員して考え、それまでの人生経験に基づいて考え、行動されます。
歳を重ねることは、見た目も中身も衰えて“いいこと何にもないわ”ってことになります。でも経験の多さとあきらめを超えたところにある達観したような態度は、若い人間の及ぶところではありません。

そのあきらめたフリをしている建前と、裏側の本音があまりにも違っていたり、よそ行きの態度と本音の差とを、どうこうしてもらいたいわけじゃなく、ただの話として、語るその口調に、私はお年寄りの懐の深さと悲しさ、優しさなど色々なものを感じます。そして、一方では、そんなことに全く気がついていない相手とのギャップを想像して、私は本当に面白くて笑ってしまうのです。

毎日いろいろな事があります。

どちらかというと、うまくいかない方が多いかもしれません。でも、お年寄りとつき合わせていただいていることで、私は、自分の歳の数よりはるかに多くの経験を見聞きし、考える力をもらっているように思います。また私の無礼を大きな心で許してもらえたり、マッサージしながら、話を聞いてるだけで、おかげで元気でたわと私のほうが元気をもらっていることも多いので、やっぱりお年寄りは大切にされる価値が十分にある存在なのだと思います。

パーキンソン病の患者様。細かいことは病状を悪化させるからあまり奨励されません。が、細かいことばかりされてますが、ずっと機能を維持されてます!

新年祝賀会

昨日、リーガロイヤルホテルで行われた、京都府鍼灸マッサージ師会(以後府師会)新年祝賀会に初めて参加させていただきました。

国会議員の先生や府知事・京都市長、鍼灸学校の校長や、介護支援専門員会会長、全国の鍼灸マッサージ師会の会長や理事の方々など普段お目にかかることのないご来賓の顔ぶれにちょっとミーハー(これはすでに死語⁈)気分で皆様からのお言葉を聞かせていただきました。

その後の御食事会では、介護支援専門員会の副会長や静岡の先生とお話しさせていただいたり、いつもお世話になっている先生方から声をかけていただいたりと、またとない経験となりました。

私は、自分で治療院を開業するまで、この府師会の活動に参加することはほとんどありませんでした。開業する際に、お世話になるのだから少しは顔を出そうと、何かの折には参加させていただくようになりました。正直、自分たちの会であっても、あまりいい印象がありませんでした。訪問マッサージに対する姿勢や会の運営に違和感を抱いていたからです。
ところが、久しぶりに顔を出した府師会は、自分たちの資格に誇りが持てるようにと熱心に取り組む若い先生方がたくさんおられました。

私は、深く知ろうともせずに、つまらないと思い込んでいた自分の傲慢をはずかしく思いました。
それから自分の出来る範囲ではありますが、少しだけ参加するようになりました。

そうして府師会に参加しようと考えた私の考えは、大当たり🎯でした。

この20年、私は自分の信じた道を進んできましたが、私の考え方はわかるけど、実際的でないとか、それは机上の空論だとか、青すぎるとか、そういう批判めいた感想を耳にすることが多く、治療上の相談であっても、他業種の方に聞いていただくのが、常でした。

ところが、一人の府師会の先生が、私の気持ちや考え方を理解し、手技交流会の講師にと声をかけて下さいました。私は声をかけていただけたことが嬉しくすぐ快諾しました。そのおかげで、他の先生方とも知り合いになり、励ましていただいたり、また勉強会の講師に声をかけていただくようになりました。
共に歩めると思える先生方と出会えたことや、それぞれの経験に裏打ちされたお話しをうかがえることが私の世界を一挙に広げてくれました。

また、いつもは小さな治療院の中にいて、自分の中に大きな力を感じることはありません。小さな小さな個人事業主にすぎません。しかし、府師会の一人になると、大きな組織の一員として、少し自分にも大きなことが出来るんじゃないかと思えるのも、いいことです。昨日の豪華な来賓を見てつくづくそう思いました。

御多分に洩れず、我が府師会も、参加される方々の高齢化が進んでいるように思います。若い息吹がもっと増え、私たちの業の未来を明るいものに出来たらと思います。

なかなか多くのことは、出来ませんが、府師会の活動に少しの力になれたらと考えています。

おそれおおい方々の中で私がうつっているのもまぎれさせました(^:-)