途中障害の方との関わり

治療院の患者さんの多くは、70歳以上の方ですが、中には働き盛りになんらかの理由で障害者になられた若い方もいらっしゃいます。

私が歳を重ねてきたこともあり、自分と同世代という方も増えてきました。
そのような途中障害の方を紹介していただいた時の最初の面談は本当に緊張します。

その心のうちはいかばかりか、毎日仕事をしている私には理解することが困難な気持ちを抱えて生きていらっしゃるだろうし、不用意な発言で傷つけてしまわないだろうかと思うからです。

自分の身体が思うように動かないということは、いくつであろうと辛いものだと思いますが、人生これからって時に突然襲われる障害を受け入れるのは本当に大変なことなのだろうと思います。

多くの人にとって、生活とは自分のもので、仕事などの社会的な拘束の時間が終わり、家に帰れば、自分の都合で食事を取り、気分に合わせてお風呂に入り、眠くなったら眠る。来客は非日常というのが一般的なんじゃないかと思うのです。

ところが、在宅でケアを受けるということは、自分の生活が来客(訪問介護・看護師・マッサージ・医師など)の都合でコントロールされていくことになるのですから、自分の家にいながら集団生活に放り込まれるようなことではないかと思います。

一人の力では生活がままならないので、支援を受け入れていくしかないのだとは思いますが、自分の身体に慣れていくのも簡単ではないところに、四六時中気が抜けない毎日を過ごすとなると、それ自体に慣れるまでのストレスも相当なものじゃないかと思うのです。

障害者になり、このような生活の細部に起きる変化は、多分実際に体験してみないとわからないのではないかと思います。
仕事をする側としては、当たり前になってしまった日常で、患者さんの中に積もっていくわだかまりや違和感を忘れがちで、患者さんと私の感覚のズレに耳を澄まし眼を見開きながら関わらせていただかないと、気がついた時には大きな溝があるという事になってしまうことを多く経験してきました。

障害者と一括りにはできない、それぞれに違う受け止め方、こだわり、マッサージへの希望などがあり、わかったような気になったつもりでも、本当のところは、長い時間をかけて少しずつしか理解に近づいていくしかないのだとようやく思えるようになってきました。

今年一年は、この人はこうなんだろうと「決めて」いたことが、患者さんの何気ない会話や行動の中で、自分の理解がズレていたことにようやく気がつくということがいくつかありました。

そして、今年の新たな「発見」は、私の中で決めつけていた「大変な暮らし」だけではなく、毎日を楽しく過ごされている姿をようやく私が感じることができましたことです。今までも見せて下さっていたのだと思いますが、私の決めつけがその事を感じなくさせてきたように思います。

自分が相手に対して失礼で傲慢な気持ちでいたのだと反省しながら、でも楽しそうに生きていらっしゃる一面がある事が本当に嬉しくて、ホッとしました。

途中障害の方に関わることは、まだまたわからないことだらけで、治療的にも精神的な関わりにおいてもいつも迷いの中にいます。

それでも、人生を生き延びてお迎えを待ちながら過ごしている「老人」に関わる仕事と同じに考えること自体が、途中障害の患者さんの心を傷つけ、心の架け橋を外してしまうのではないかと思います。
その上で、自分の中で患者さんののゴール設定が見つけられず、迷いながら仕事をする姿勢自体が心の架け橋の始まりになるのではないかと思っています。

二十代の頃は、仕事とプライベートを明確にわけ、仕事の顔で接しなければならないと信じ込んでいました。
五十代になった私は、患者さんと同世代だったり、孫と一緒の世代だったのが子どもと一緒の世代になり、人間とは多面的なものであることを理解し、仕事とプライベートの顔を分けることなくお付き合いさせていただけるようになりました。

愚痴も聞くけど愚痴も言います。
励ましてあげられる時もありますが、励ましてもらう方が多いかもしれません。
仕事ばかりしているので、気の合う友人に会う時間より、気の合う患者さんに会う時間の方が長かったりするので、なんだか遠くの親戚みたいな感じになることもあります(友達でもなく、仕事以外の関わりでお役に立つこともないけれど、縁があるので心配する感じでしょうか)。

治療させてもらうことでお役に立ちたいとは思っていますが、そのおかげでお金を得ることができ、精神的にもいろいろ教えられることが多く、私の方が助けてもらってるなと思えるようになりました。

感謝の心で毎日を過せますように。来年もまた今以上に多くの気づきがありますように、日々精進したいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

患者さんからいただいたクリスマスプレゼント🎁来年はこの手帳でがんばりまーす。

自然治癒力を最大限引き出せるのが上医

「鍼灸師マッサージ師の上手下手は、患者の自然治癒力を最大限引き出せるのが上医、引き出せ無いのは下医。相手の病人に合わせられる技量の差なんやね。今夜思い至った。」

鍼灸師の辻村先生から送られてきたメールです。

『黄帝内経』という現存する中国最古の医学書があるのですが、そこには「上工は未病を治す」と書かれているそうで、本当の上手い医者というのは、病気を治すことではなくて、病気になる前に患者の自然治療力を引き出し、その体質にあう治療を施し、病気に至ることを防ぐという考え方です。

この考え方はよく知られてもいるので、「患者の自然治療力を最大限引き出せるのが上医」というのは東洋医学において当たり前のように思いますが、辻村先生からのメールでしみじみ、治療師というのは、自分の技術の誇示という欲がある間は、上工には決してなれないのだろうと思い至りました。

何故って辻村先生の鍼治療のおかげで、私は更年期も肉体労働の疲れによる痛みも気にならなくなってしまいまうくらいの腕前を三年前に既に持っていらっしゃったのです。

先生から治療を受ける三年前までは、枯渇してきた女性ホルモンを出せと脳が命令するせいで、筋肉が絞られるように身体中が痛くて、とりわけ耳の後ろ辺りが痛くて目が覚めることもありました。
またマッサージで使い過ぎる腕は、月曜から金曜に近づいてくにつれ、肩甲骨周りが痛くて、土日の休養を身体が欲していました。

でも辻村先生の鍼治療を受けるようになり、そんなことがあったこともすっかり忘れてしまったくらい、私の身体は軽く変身してしまったのです。

こんな治療効果が出せる辻村先生が、今更ながら「思い至った」と言われるのには、私が未だ到達できない深い境地からさらに思い至ったということなのだろうと思うわけです。

それは、多分、単純に自然治癒力を引き出す治療を心がけるということではなくて、治療の主人公はやっぱり患者本人であり、治療師はほんの少しの手伝いをするに過ぎないと脇役になれる力なのかなと思います。

若い治療師の先生方を見ていると、かつての私もそうであったように、自分の技術力でなんとかしたいという欲からはなかなか自由になれないで、患者さんの身体ではなく、患者さんの身体に投影してる自分自身を見ているのだろうと思うことがよくあります。

私自身は今年、51歳になりましたが、私のこの一年は、患者さんの身体に寄り添うことを少し深く覚えることが出来た年になりました。

まだまだ自分勝手な治療ですが、その中でもうまくいかないことを患者さんに指摘される前に、ようやく自分で気がつけるようになってきました。そして、自分の影響力を加減するということを少しずつ学んでいるところです。

こういうわけで、治療師としての成長は、その内面的な成長抜きにはやはり難しいのかと思い至ってきたところですが、その熟成には、懐の計算や自己顕示欲の枯れる年齢まで待つしかない面があるのかもしれないと辻村先生のメールでしみじみと考えました。

それでも、向かう先が少しずつはっきり見えてきたので、澄みきった穏やかな心持ちで治療出来る世界に向けて歩みを進めていきたいと思います。
そのような境地に達することが出来るとすれば、何よりも幸せなんだろうなぁとうっとり想像します。

先日90歳を迎えた患者さんが、

「今振り返ると、50歳からが第二の人生の始まりだと思う。今からやで」
と言って下さいました。

第二の人生を穏やかに泳いで行きたいと思います。まだまだ必死の形相かなとは思いますが、この思いは確かです。どうぞよろしくお願い致します。

寒い朝の空気が好き。気持ちが引き締まる感じがとてもいい。

「大脳皮質基底核変性症」の臨床にチームの一員で関わること

大脳皮質基底核変性症という病気があります。

ググッてみても、難しくて具体的に他の神経難病との違いがわかりません。

臨床経験のない初めての疾患の時は、いつもお世話になっている秦診療所の秦先生にどういう病気かを尋ねます。

秦先生は、福祉関係者や私たちマッサージ師のために月に一度無料で勉強会を開き、医療の基礎知識を教えて下さっています。

もう10年以上続けて下さっていて、わたしの仕事を「特別」にしてくれているのは、この勉強会の果たしている役割がとても大きいと思います。

とてもわかりやすく身体に起きる変化や気にするべきポイントを教えて下さるのです。

それでこの神経難病のことも尋ねてみました。

「パーキンソン病とよく似ているけれど、抗パーキンソン薬が効きにくく、進行が早い。そして、転倒が多いのは、後頚部が硬くなり、足元が見えないから。」と教えて下さいました。

そう教えていただいてから5年。
脳の進行性の病変には、なかなか太刀打ちできません。転倒、骨折、怪我を繰り返すたびに症状も進行してきました。が、とりあえず後頚部が硬くなることを少しでも軽減すべく施術を続けてきました。

後頚部の硬直は、筋萎縮が進行すると、まっすぐ硬くなるというだけでなく、顎が上がって首が後ろに反ってしまいます。
そうなると、顔の筋肉もますます硬直・緊張するので、食べたり飲んだり話したりという機能も一気に奪われてしまいます。

それでもなんとかギリギリ飲み込みが保てていましたが、徐々に嚥下に障害が出てきたので、訪問看護師さんが新しくチームに加わることになりました。

この方は、自分でベッドに臥床したままお水を飲まれていました。
食事はベッドから起きてベッドの端に座り、倒れないように、紐でサポートしながら(つまり紐で縛って固定して)ご家族の介助で食べていらっしゃったのです。
どちらも医療の常識から考えると、誤嚥を誘発するようなやり方ですが、それでなんとかうまく生活出来ていたので、ケアマネジャーさんやヘルパーさん、リハビリの先生も何も言わずそのまま続いてきていました。

が、これを見たあらたに加わった看護師さんは、改善指導されたのです。リハビリの先生も合意され正生活の改善が一気になされました。

水分は寝たまま飲まない。手元に届くところに水分を置くと寝たまま飲まれるので、だれか援助者が来た時に(定期的にだれかが入るので)ベッドをギャッジアップして水分補給をする。
食事もベッドをギャッジアップして行うことになりました。

誤嚥を防ぐためには、当たり前のことです。

ところが、これを実行するようになりすぐに、嚥下が困難になり、むせて入らなくなってしまったのです。

私は、この方が大脳皮質基底核変性症だったからなのだと思いました。
首が後ろに反る症状に対して、ギャッジアップで後頭部を押し上げる形になり、その反作用で後傾が一気に進んだのだと思いました。

また、ずっと臥床して水分補給をしている場合、気道も食道もそれに合わせて変化しているので、必ずしもそれが誤嚥に結びつくわけではないのではないか、いきなりやり方を変えることの方が誤嚥を誘発するのではないかと考えました。

こういう時はマッサージ師である身は本当に困ります。私以上のスペシャリストであるリハビリの先生も訪問看護師さんも関わっていらっしゃっることに異をとなえるのはなかなか困難です。
頚部硬直は、ググッても出てきません。もしかしたら秦先生の臨床から得られたことかも知れませんが、私は秦先生のおかげでより詳しい症状を知っているのです。

ケアマネジャーさんに現状を報告させて頂きましたが、ケアマネジャーさんも看護師とリハビリの先生の方針だから誤嚥防止のためだしと言われたので私もそれ以上は言えませんでした。

それで、仕方がないので、秦先生に尋ねました。先生はそういうことは考えられるから、指示書を出している医師に報告してみるのがいいのではないかと助言して下さいました。

それでちょうど同意書を再同意をいただく時期でしたから、私の考えと現状を報告しました。

しばらく様子を見ていましたが、方針は変わらず、患者さんの状態は徐々に悪化傾向に見えましたから、訪問看護師さんにFAXで尋ねてみることにしました。

少し意見を言うだけでも反発にあい、仕事がうまくいかなくなることもよくあるので、ヒヤヒヤしながらいましたが、訪問看護師さんが、とてもいい方で、リハビリの先生にも話をして下さり、方針を考え直して下さったのです。

リハビリの先生がきちんと評価をして、むせなければ、寝たままの水分補給も大丈夫ということに方針が変更になりました。
食事はご家族の介助がしやすいようにする事を基本に、もとのやり方に戻ったのでした。

やり方の変更が一気に症状を加速させた面はありますが、根底には病気自体の進行があり、将来的なことを考えれば、徐々に介護・看護のやり方を変えていかなければならない時期に入っていたのでした。

それで、そうこうしているうちにこの患者さんは、誤嚥性肺炎で入院になってしまわれました。

しかしながら、これらのやり取りは全く無駄にならず、退院される前のカンファレンスで顔を合わせた時は、お互いが信頼し合えるチームの中に私も入れてもらえているように感じられ、とても嬉しくなりました。

患者さんのレベルはかなり落ちてしまいましたが、少しでも「楽に、心地よい」毎日が続くようチームの一員として関われたらと思っています。

そして、この話にはもう一つとても嬉しいおまけがありました。

退院カンファレンスの時に、病院のリハビリの先生が、
「この患者さんの問題は、頚部の筋緊張です。これは、リハビリだけの取り組みでなく、他職種連携の中で取り組む必要があります」
と何度も言って下さったのです。

私の報告書を読んで言って下さったという証拠はないのだけれど、リハビリの先生がこんなことを言われたのを聞いたことがないので、私の報告書を先生もリハビリの先生もちゃんと読んで下さったのかなぁと嬉し恥ずかし、とてもいい気持ちになりました😊

何が一番難しいって、自分の意見を人に伝えることほど難しいことはありません。
コミニケーション能力を磨きつつ、多くの人に支えられていることを忘れずチームの人を信じて取り組んでいけたらと思っています。

こういうことが、私を保険治療の一員でありたいと強く思わせるのです。
どうぞよろしくお願い致します。

これは、南禅寺の紅葉🍁
うまくいってるときはこんな気持ちになれます🍁

生きる場に必要な「リハビリ」

先週の金曜日のミーティングは、久しぶりにマッサージの実技の練習をしました。

わたしは、他の人が施術した患者さんの身体を触ると、ある程度はその人の”腕前”がわかります。
スタッフそれぞれに個性があり、その施術もそれぞれの個性が出てきますが、よくないクセが目立つようになってきたのでマッサージをしてもらったのです。

すると意外なことに(笑)前より指のあたりも探り方も上手になっているではありませんか!

それでも、患者さんの身体がうまく調整できないいくつかの点を指導しましたが、
「こんなうまくなってるのに、なんで患者さんにもっと返せないのかな?」
と尋ねると、一人のスタッフが
「患者さんは、正常な身体じゃないからです」
と教えてくれました。

とてもシンプルな答えだけど、なんだかそうなんだとしみじみ実感しました。

私は、この仕事をして24年目になりました。
この24年という歳月の中で、私は、簡単には経験できない、とても恵まれた環境の中で、臨床を積んでくることが出来ました。

この24年を知るお医者さんからも、こう言われました。

「安井さんは特別。安井さんみたいな経験をしている人はいない。」

特別な経験とは、介護保険導入前の医療と福祉が連携を必要とした自主的な取り組みの中で、私が訪問マッサージの仕事をスタートすることが出来たことです。

その中でチームで患者さんを支えることを学ばせていただきました。

それは、「在宅医療」を模索しながら、看護をサポートするために医師が動くという取り組みの一員に入れてもらい、個々の患者さんの神経内科的な説明から起こりうる症状の説明を受けながら訪問マッサージに関わるといった具合でした。

私の周りには、いつも様々な職種の大先輩がいらして、経験のない私の疑問や困り事の全てを受け入れて、そして助言して下さったように思います。(実際には、患者さんの困り事や愚痴を長い目で見ることも出来ず、騒ぎ立てた私を傷つけることなく、説いて大切な視点を教えて下さったのだと思います)

この中で、慢性期のリハビリテーションに必要なものは何か。マッサージ師の私に出来ることは何なのかを問い続けてきました。

半年後・一年後・三年後・五年後のゴール設定において最も大切なことは何なのか。

辛くて痛いのがリハビリという考えのもと、必死に取り組み、力尽きて寝たきりになった方を数多くみてきました。

また、全く機能訓練的な取り組みがなく、身体が小さく固まってしまい、寝返りやオムツ交換すらままならくなった方々も見てきました。

その中で、私の一番長い付き合いの患者さんは20年に及びます。
私の果たした役割は全く大きくありませんでした。しかし、僭越ながら私の存在なしには無理だったかもしれないとも思っています。

私がしたことは、本人が行う動作がしにくくならないよう出来る限りトレーナーとしての役割を果たすことでした。本人の意思がとても強く、こちらの考えや計画を受け入れられなかったのです。
私はこの方のやり方に合わすしかなかったのです。

ご本人の意思に沿って、優しく筋肉を整え、出来る動作を少し手伝って、一人でするより難易度の高いことをしてもらうを施術の基本にしてきました。

その結果、20年に渡る在宅生活を送っていらっしゃるのです。

もちろん私だけでなく、ヘルパー、訪問看護、デイサービス、往診、福祉用具、ケアマネジャー、それからご家族の熱心な介護があってのことですが、全ては、ご本人の意思を中心に動いてきたように思います、
私はこのケースから本当に大切なことをたくさん学びました。

筋肉を整えるということは、動作が軽く出来るようにするということです。
いつもの動作がより軽く出来ることで、自信が湧いて少し難しいことも出来ます。介助することでより安心な動作に繋がり、意欲が高まるし、また繰り返しすることで関節の状態がよりよくなり、施術後の日常生活動作により繋がっていくのです。

筋力を測ることも関節可動域を測ることもできませんが、筋肉をベストに保つことは、マッサージ師として何より大切なことです。
これが全てのリハビリの基本に繋がると信じています。

これは、私が、病院ではない、生きる場に必要な「リハビリ」として見つけてきたやり方です。

疾患や個々人の体型によりベストに保つべきポイントは、違ってきます。このポイントは、お医者さんや看護師さん、ケースワーカーさんなどに教わりながら覚えてきました。
ここが、私を「特別」にしている点かなと思います。

この「特別」を誰かに伝えていきたいといつも思ってはいますが、なかなかチャンスがありません。いつかこのチャンスがめぐってきて、私を育てて下さった全ての方にご恩返しが出来る日が来るといいなと思っています。

が、まずは自分の仕事をより良く取り組んで行きたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。

今日は気持ちの良い秋晴れになりました。

ごまめは力をつけても歯ぎしりをする

昨夜は、いろいろいつも助けて頂いているお医者さんと看護師さんと食事を楽しみました。

おしゃべりな私はついつい一人でいろいろ話すぎたことを思い出し、今頃になって自己嫌悪に陥いっています。

それでも、お医者さんが「いろんな思いがいっぱい溜まっているんやろなぁ」と言って下さったのを思い出し少し救われた気分にもなっています。

自分では、ただただ仕事がいただけるように、日々真剣にやっているにすぎないのですが、訪問マッサージの置かれている状況が厳しすぎて、「なんとなく」仕事をしていられないのです。

マッサージ治療院も飽和状態にあり、また、訪問リハビリもどんどん増え、その上に、マッサージの同意書を書かないように医師会からも締め付けが厳しくなっていると聞きます。

実際のところ、経験の少ない若い理学療法士の訪問リハビリは、マッサージ施術以上の効果を本当に発揮しているとは限らないように思います。時代の要請で訪問リハビリの仕事は多く、その結果、研鑽や反省することが少なくないような話を耳にすることもよくあるからです。

また、喜ばしい事ではありませんが、マッサージの保険点数は、訪問リハビリの3分の1程度ではないか、つまり医療費の節約になるのになとも思います。

いろいろ言ってもごまめの歯ぎしりのようなものですが、この数年の厳しさの中で、おかげ様で、私だけでなく我が治療院全員のレベルは少しずつ向上してきているように思います。

圧倒的な臨床経験と技術力、医療人としての確たる倫理観だけが生き残る力の元になると考えています。

「ゴマメ」は力をつけて歯ぎしりしながら、頑張ります❣️

どうぞよろしくお願い致します。

気持ちいい天気です🍁🍁

いつもの会話を繰り返すこと

「私はアホの見本。私みたいなアホを相手してくれるおかげで、私は幸せに暮らせます」

と言って私を迎えて下さる患者さんがいらっしゃいます。

「アホの見本」⁇
どんなのをアホの見本というのだろうと思い描きます。総合的に考えて、
「あー。私のことですやん」と返事します。

「なんで~。よう言わはるわ。先生は賢いから、こんなアホの世話が出来るんですよ」

「みなさんの優しさのおかげで働けてるんですよ。ほんまにアホは私ですねん」

この方とは、こんな会話を行くたびごとに繰り返します。

認知症の人と話す時は、定番の会話を繰り返すのが本当に大切なのです。出来るだけ相槌がぞんざいにならないように工夫しながら、繰り返す会話は、患者さんに安心感を与えるように思います。

たまに患者さんのことが知りたくて、余計な質問をするとうまく答えられなくて、追い込んでしまい、イライラさせてしまうという失敗をします。

それでいつも安定の繰り返しになるように心がけています。

これは、繰り返しの会話の一部ですが、私は本当にそう思っています。

こんな風に上手に褒めて人と付き合えるこの方を本当に頭のいい方だと思っています。私はとてもこんな風に上手に人に挨拶ししたり、褒めたり出来ません。
話をしながら、こんな風に謙遜される、この方の人生の苦労に思いを馳せます。

この仕事を始めて、24年目になりました。

この24年間は、世間の常識も人との付き合い方も何も知らなかった私が、患者さんに一つ一つ教わりながら、数々の失敗を許してもらいながら過ごしてきた時間でした。

マッサージをしながらする話は、本当に徒然なるままで、今夜のおかずの話から、幼少期の話、人との付き合いの困難さなど多岐にわたりますが、どんな会話にも人生の重みを感じることができて、とても興味深いのです。

二十代からこのような話に触れることで、私の心はかつてない成長を遂げたように思っています。

そして、世間知らずの様々の無礼を許して下さる患者さんの寛大な心のおかげでここまで仕事を続けてくることが出来ました。

おかげで技術の向上・研鑽も出来てきたと思っています。
ですから、私の持てる技術を精一杯次の患者さんに生かすことが一番の恩返しだと思っています。

患者さんの話を聞きながら施術する時間が大好きです。この幸せな時間が続きますように。
精一杯頑張りたいと思います。
どうぞよろしくお願い致します。

患者さんからのおすそ分け。カリフォルニアから来たザクロです。日本のと違って甘くて美味しかったです。

自分の身体を通して考えること

㊗本庶佑先生 ノーベル医学・生理学賞受賞おめでとうございます🎉🎉

今回の研究は、
「感染症が大きな脅威でなくなったのと同じような日が、(がんでも)遅くとも今世紀中には訪れる」素晴らしい研究のようです。なんて素晴らしい!

私の毎日は、鍼治療を受けてすっかり元気になっていましたが、一週間の時間の経過とともに、少し体調不良が戻ってしまっているところがあります。

いつもは次の治療の便りが来る頃まで疲れ知らずで、そういえば疲れてきたかなと思うくらいなのですが、今回は少し違うように思います。
これは、鍼の効果が薄いということではなくて
私の体力がレベルダウンしていることだと思います。

この夏は、仕事で、遠方の移動が多かったため、自転車に乗ることがほとんどなく、車の移動に頼りきりでした。疲れ果て、ウオーキングレッスンもお休み…かなり筋力低下をきたしたみたいで、これが体調不良の根っこにあるように思います。

このような、耳の不調を、西洋医学的に、治療すれば、副鼻腔炎や上気道炎(いわゆる風邪)をこじらせたせいという考えのもとに炎症を治める治療がなされるかと思います。

また、鍼治療だと、気血の流れの滞りを改善するために、経絡に沿った治療を施すのかと思います。
今回の私の場合は、歯に問題があるという反応がでていると、その経絡に沿った治療をしてもらいました。

そのことを辻村先生には伝えていなかったのですが、実際に、歯磨きの時に膿(うみ)の味がしたので、虫歯かと思い緊急で受診していました(病院嫌いの私ですが、歯医者さんだけは、すぐに行きます)が、疲れからくる歯茎の炎症と言われて帰ってきていました。

辻村先生の鍼治療の後は、ウソみたいに、歯茎の炎症も、めまいも耳内圧の閉塞感も、少し耳の中が痛かったのもすっかり治っていました。

しかし、治療効果を長持ちさせていくには、筋力が衰えた身体には、さらにもう一つ、骨格バランスを整えることが大切な治療なんだろうと思います。

老化や障害による骨格の変化が身体に与える影響は、肩こりや腰痛だけではなく、内臓の働きを不十分にするとともに、耳などの器官を歪めたり引き吊れたりさせることで、その働きを阻害すると考えています。
ですから、根本的には身体の歪みを最小限にとどめることが、免疫力を高めることに繋がり、それは筋肉に直接働きかけるマッサージが一番得意とする分野ではないかと思います。

医学の進歩の中で、免疫の仕組みや臓器の機能について、より詳しく解明が進んでいます。
今までには、考えられなかったことがわかってきています。多くの常識が覆されているのです。

この流れのなかで、鍼の効果や、筋膜・筋肉の有機的な繋がりが科学的に明らかになっていくだろうと思います。
そして、近い将来、西洋医学的なアプローチと鍼灸マッサージ的なアプローチが、より総合的に施されるようになるのではないかと思っています。

私は、西洋医学的解剖学の世界で、陰陽論に依拠した身体のあり方を感じながら治療するのが大好きです。

決して、自慢出来ることではありませんが、私は、細分化された筋肉の働きや名前に、なかなか興味がもてず、一つ一つの働きを熟知していませんが、身体が有機的な一つらなりとして働く躍動的な生命の不思議を感じる瞬間が大好きです。
そこには、確かに経絡の流れとほぼ同じ繋がりが存在しているのを感じることが出来ます。

日進月歩に発展していく科学に取り残されないよう、古典からきちんと学びを得続けられるよう、日々精進を重ね、あまりに小さな力ではありますが、医療従事者として医療に貢献していきたいと思います。
どうぞよろしくお願い致します。

嬉しい夏の便り/マッサージ師からの情報発信

千葉県から、「夏の便り」が届きました。

ブログを読んで私を応援してくださっている鍼灸マッサージ師の先生からです。

嬉し恥ずかし、うまく言い表す言葉もありませんが、私の経験や言葉が誰かの力になっているならこれ以上嬉しいことはありません。

私たちは、毎日の仕事の中で、他では決して得ることのできない貴重な経験をさせていただいています。

その一番大きなものは、高齢者の豊かな心や生活観や、障害者の深い悲しみ・絶望感に触れることが出来ることです。

介護保険制度が始まってからというもの、個々人の支援者の気持ちとは裏腹にパッケージ化されたサービスの提供に追われてしまう傾向が強くなっているように思います。
不正を防ぐための様々な手続きが煩雑になっていることがそれに拍車をかけているように見えます。

介護保険の充実により、サービスは充実して、一年以上お風呂に入ったこともないなんて人は本当に少なくなりましたが、その陰で心を置き去りにされた高齢者や障害者の気持ちに寄り添うチャンスが少なくなってしまっているように思います。

訪問マッサージは、とにかくその時間マッサージ施術を中心に関わるので、寝物語に聞く話が尽きることはありません。
私一人で独占するのは勿体ない話ばかりです。
この貴重な経験を知ってもらいたくてブログを発信しています。

それから、リハビリテーションや薬ではなく、マッサージ治療だからこそ出来る治療があることを知ってもらいたいと思っています。

先日聞いた話ですが、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の最新のリハビリテーションの考え方は、筋疲労を回復させることなのだそうです。

これは、ALSの患者さんに限らず、全ての方に有効なものであり、マッサージ師の専門分野です。
眼には見えない皮膚の下の筋肉を探っていくには、熟練を必要とします。机上の理論だけではわかることのできない深い世界が広がっているのです。この世界に到達するには我慢が必要です。
しかし我慢した先には確かなものがあることをまだ経験の浅いマッサージ師の先生方に知ってもらいたいと思っています。

そして最後に訪問マッサージの臨床の世界が本当は、超高齢社会の医療費の無駄遣いではなくて、安価で安全な方法であると知って欲しいと思っています。

鍼灸マッサージ師の医療保険の適応のために厚生労働省と交渉を続けて下さっている鍼灸マッサージ師の先生がこう仰っています。

「こんないい治療をしているという事実ではなく、政治家先生に動いてもらえる関係性が現実を左右するのが現実です。」

それが現実かもしれませんが、私たちは自分がどのような医療を受けて死んでいきたいのか自分で選べるはずなのです。
薬や医療処置よりも心地よいマッサージを受けながら最期を迎えたいと思っていただけるように、吹けば飛ぶ塵のような力ですが、諦めないで発信し続けたいと思っています。

皆様の「いいね」が何よりの力です。
読んでいただいて心の底から感謝しています。
これからもどうぞよろしくお願い致します。

自費治療:手指の痺れ

本当はうまくいったことより、うまくいかなかったことの中にこそ、次への大きな「飛躍」の鍵があるように思いますが、施術のこととなると、「失敗した話」を誤解を恐れずに伝えるのは難しいように思います。

でも、本当は、私の日常は、施術の内容も関係性もガッカリすることの連続です。

このブログに書いているのは、そんなガッカリした気持ちの中で、活路を見出したいと、もがいている私に起きたステキな出来事の話です。

(ですので私のリアル仕事を知っている人から、ブログ見たよとか声をかけていただくと、はずかしくてドキドキしていたりします)

治療の方法論に関してはこれでいいと思っても、次の瞬間には奈落の底に突き落とされるようなことの連続です。
そんな時は、自分の考えの足りなさ加減、手技の下手さに本当にガッカリしますが、仕事を続けていく限りは前を向いて進むより他に仕方がありません。

ことに、自費治療の方の場合には、見通しの立て方や説明の甘さが私の課題であることを強く実感する日々です。

保険治療に関しては、計画的な訪問が可能なので、方針の間違いをその都度修正しながら関わり続けることができます。毎日の仕事が即、患者さんの身体を「師」として、勉強させていただいているようなものなのです。

しかし自費治療はそういうわけにはいきません。一回のミスが次の仕事の機会に影響を及ぼしていきます。

自費治療も保険治療で得た経験を元に、主訴の改善を一番にし、リラクゼーション的要素やその満足は第二に考えるように自分の中で徹底していきたいと考えるようになりました。

自信のなさがそれをうまくいかせずにきましたが、どっちつかずの中途半端な結果のほうがよくないはずです。

そんな中で、先日治療させていただいた方は、手指の痺れを訴えておられました。

整形外科の医師からは、頚椎の変形からきていると説明を受けたとのことですが、今は手術の適応ではないようでした。

マッサージ師の習わしとして、つい肩や腰の「コリ」も楽にしてあげたいと考えてしまいます。
しかし、頚椎に問題がある場合、施術により緊張を緩めることで、自分で作っている肩背部のコルセット(つまりコリ)を緩めてしまい症状を悪化させてしまう危険性をはらんでいます。

骨盤・腰部脊柱の彎曲を改善することで、緩やかに時間をかけて頚部にまで影響を及ぼしていくことが肝要です。時間をかけることで、頚部の筋力が自ら正しい方向に進んでいくからです。

その日に症状を改善することが求められてしまうように思いますが、時間をかけていくことが大切なことであることを理解していただくように伝えなければなりません。

今までの私ならどっちつかずで、刺激量を調整できず、手の痺れの治療とともに、肩こりなどの疲労の回復にも手を出してしまっていたように思いますが、今回は手指の痺れというデリケートで、重症化させてしまう危険をはらむ症状だったこともあり、基本に忠実に下肢体幹の調整を中心に施術できました。

すると施術後は、一目でわかるほどに、脊柱の状態が改善し、自分でも驚くほどの変化となりました。

右が術前。左が術後。

もっとも、この方の場合は、日常的に肩こり疲労の回復にマッサージ治療院に通われていたようで、基本的に筋肉が凝り固まっていなかったため、深部の筋肉を整えることで、変化が現れやすかったのかなとは思います。
通われているマッサージ治療院は、この辺りの方には評判のよい治療院で、まさに評判通りだったわけです。

そして、患者さんは、症状の目的に合わせて、通う治療院を選択されているのだということもわかりました。この方は定期的に通われている治療院が嫌なわけでは決してないのです。

施術師としては、オールマイティに身体の問題を解決できる人という信頼を得たいと思いますが、それとこれとは同じではないと身をもって知ることができたのも大きな収穫でした。

治療は始まったところです。
痺れの改善は痛みの消失よりも難しいというのは、この業界の(西洋医学を含めて)の定説なように思います。

いただく対価に見合った仕事ができますように。
最後は神頼みですが、神様が微笑んで下さるのは、たゆまぬ努力の賜物だと思っています。

記憶 魂の同化

「石けん使った時は私を思い出してや」

先日、小さくて履けなかった靴をもらっていただいた患者さんから、靴のお礼にとステキなハーブの石けんをいただきました。
その時にこう言って下さいました。

こんなチャーミングな台詞を言われたことも言ったこともありません。この石けんを使い終えてもハーブの石けんを見るたびに思い出すことになりそうです。
本当にありがとうございます。

記憶というのは、その体験した時の自分の魂が、時間と空間に支配されることなくずっとそこにいて、それを思い出す時、今の自分と、その体験した時の自分の魂が同化しているのだと、私に話して下さった方がいます。
全く荒唐無稽な感じで、その時は、その意味さえ理解できないように思いましたが、今ならなんとなくわかるような気がしています。

何かを思い出すとき、私はその時の私と同じ場所と時間と隔たりなくまさにその時の私なんだと感じるのです。
とりわけてもその記憶の相手が亡くなってしまっている時は、思い出す度に、一緒にいるような気になります。

随分と長い時間、訪問マッサージをしてきました。そして多くの方の別れを経験してきました。

自転車で家の前を通った時や、なにか関連するものを目にした時に思い出す記憶も増えてきました。

そんなこんなで、訪問マッサージの仕事は孤独だと思ってきましたが、いつも誰かの何かのことを思い出している時間が増えて、寂しい時間が少なくなってきたように思います。

記憶を近くに感じることで寂しさが紛れるなんて! 歳のなせる技なのかもしれませんね!

何はともあれ、仕事を続けさせていただいている全てに感謝です。