寝たきりの方の寝る姿勢

今は、ポジショニングと言って、寝たきりの方の寝る姿勢を大切に考えるようになってきました。

どういうポジショニングがいいか理学療法士の先生方に見て決めていただくこともありますが、私が問い合わせいただき介護士さんや看護師さんと一緒に決めていくことも増えてきました。

寝たきりで自分で手足をうまく動かせなかったり、寝返りが出来ないと床ずれが出来たり、手足が硬く伸びなくなってしまうのを防ぐことはとても大切で、一旦出来てしまった床ずれを治すのはとても大変になるからです。

普通私たちは、無意識に寝返りを打ち、一つ所が圧迫され続けないようしているのですが、自分の重みが接地面にかかり続けることで、その部位が壊死してしまうのが床ずれです。

それで、寝たきりの方に対して、圧が一点集中しない材質のクッションが様々開発されています。

また誰かが、一定時間ごとに体転するのが一般的な床ずれ予防ですが、昼夜を問わず必要とされるその介護負担はとても大きいので、エアマットに自動的に身体の圧のかかる部分を変える製品が開発され、次々と改良された新製品が作られています。
これらは、床ずれ予防に大きな成果をだしているように思います。

しかしながら、動く前提で設計されている人間の身体は、動けないことが作り出す身体の不具合を全てなくすことはとても難しいように思います。

それは身体というものが、皮膚・皮下組織・筋肉・骨といった独立した部品の寄り集まりではなく、身体という一つの有機的な繋がりを持ったものなので、一つの動作を自分でする時はそれに伴い体全体が動くのに比して、他動的に動かす時は一部分しか動かないからだと考えています。

つまり、自動運動では全体が立体的に動くのに比して、他動的な動きになると平面的な折り紙のような動きを考えてみるとわかりやすいかと思います。

そして、この立体的な動きこそが、深層の筋群の動きを誘発し、抹消の全ての関節運動を可能にし、単なる手足の動きだけでなく、その血行を促進し、皮膚や軟部組織の状態をベストに保つ鍵なのだと考えています。

だからこそ、機械や誰かの手で動かすことでは解決しない問題があるのだろうと思います。

ここで、私たちマッサージ師の出番です。

一つ一つの筋肉が果たす役割が果たせるよう全体を整え、まるで自分で動かしているような筋肉の状態を作り上げていく技術を持って、自動運動に近い動きを作り出したり、本人が動きやすくなるように身体を整えることで、失われた自動運動を誘発していくことが出来るからです。

と言うのは簡単ですが、実際には腱や骨まで壊死・感染が進行した床ずれを治すのは容易ではありません。看護師さんや介護士さんの涙ぐましい努力なしには決して改善はありませんが、最新の技術に負けない技術力で、床ずれ治療・予防に当たりたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

寝たきりトラブルに際限はありません。皮膚という防衛の最前線がやられるということは生命の危機を意味するような出来事なのです。

ベストコンディション時の患者さんの美味しい手料理

先日、患者さんが作られたお昼ごはんの炒飯を私もいただきました。訪問前に完成したところだったと、私の分もとりわけて下さったのです。

食が細く、チキンラーメンも半分しか食べられないと言いながらも、お料理がとても上手で、いつも一汁三菜を基本にした食事をされていて、どんなお料理も一手間を惜しまずに作っていらっしゃいます。

炒飯には、きのこが好きだからと、シメジとマイタケ、キャベツと白菜。それから牛肉も入っていました。

味付けは塩コショウとハイミーだそうです。

こんな美味しくできるものかと私も次の日に炒飯を作って見ました。
しかし、残念ながら、この味には及びませんでした。味付けのさじ加減が難しいですね。

私のこの方への訪問マッサージの始まりは5年前まで遡ります。

左手首の骨折後、指の付け根(中手指節関節)が拘縮して使いにくいのでなんとかして欲しいという依頼で訪問が始まりました。

この方は、この訴えとは別に、基礎疾患に、喘息と肺気腫(タバコやホコリ、粉、石などを吸い込むことで肺胞が破壊され、日常生活を送るのにも困難な状況になる肺の疾患)を抱えていらっしゃいました。

まだ老人というにはお若くてしっかりされていま したが、呼吸器疾患のため在宅酸素を手放せず、少し無理に動くと心肺機能がダメージを受けてしまうため、自由に外出ができないという方でした。

呼吸がうまくできないというのは何よりつらいことのように思います。

酸素をうまく取り込めない身体は心臓の拍動を増やしてなんとかしようとするので心臓にまで負担をかけます。
その結果一過性の心不全が起きるのか、肺機能に問題がある人が無理をした後、浮腫が全身に見られることがあり、何かあれば、すぐにわかるくらいです。

この患者さんへの治療は、まず主訴である、手を使いやすくすることです。

指の筋肉・靭帯というのは、細く、複雑な動きに対応できるように複雑に作られているので、他人がどうにか出来るものではなく、本人が使い動かすしかないと考えています。
ですが、使えないことで、大きな腕や背部の筋肉までもが萎縮してしまっているので、こちらを改善することは出来ます。
この大きな筋肉が改善すると、指まで使いやすくなるので、あとは本人が日々の暮らしで使い続けていくことで大きく改善していきます。

こうして今では、見た目はほとんど左右差がなくなりましたが、ご本人はまだまだ違和感があるとおっしゃいます。やはりそこは、ジブンデガンバッテクダサイです。

もう一つこの方にとって、私の訪問が必要な大きな理由があります。

それは、呼吸器疾患です。

胸郭を広げて必死になって息を吸い続けると、呼吸筋がオーバーワークになり疲労し、ますます呼吸困難になります。それで、呼吸筋の疲労を回復し、常に最良の状態にしておくことが何よりも大切なのです。

5年に及ぶお付き合いの中で、施術期間が4日以上あくと呼吸が浅くなり気怠くなってしまうことが、お互いにわかってきました。

呼吸状態さえ問題なければご機嫌に毎日の生活を送ることが出来ます。

美味しい料理だって作れます。

ですから、この方がお料理を出来ているということは、ベストコンディションに近い状態にあるということなのです。

というわけで、お皿に盛って下さった炒飯は遠慮なくいただきました。
ご馳走さまでした👍

粕汁はブタとブリが入っています。どちらも臭み取りに一度湯通しがしてあって、お野菜たっぷりでとても美味しい得意料理の一つです。

赤こんにゃくは滋賀県の特産品。ピリッと辛くてめちゃくちゃ美味しかったです。

美味しい記憶

美味しい記憶。

鰻のお誕生日プレゼントを差し入れしてから6日後の今日106歳の患者さんを訪問。

鰻のことはすっかり記憶の彼方みたいでした。取り立てて話題にもしないで、今日の体調を伺いながらマッサージを始めようとしたら

「あんた、名前なんやったかな。心安すぎて忘れたわー。
うどん注文して食べようか。あんたも好きなもん頼みー」
とおっしゃいます。

もう3年以上伺っていますが、こんなことをおっしゃるのは初めてです。

私と美味しいものが記憶の中で結びついたんじゃないかと思うのです。

美味しいものを食べた記憶は、次々と通り過ぎて行くルーティーンな日常に楔を打ち込むような出来事なのかもしれません。

やっぱり美味しいものは元気の源です!

そして、ボケ予防の一番は、やっぱり食べる楽しみがあることかもしれませんね。

私は106歳の患者さんの言葉にマインドコントロールされそうです。
うどん買って行かなきゃ…って頭の中グルグル🌀

90歳の患者さんの作品。
本当に素晴らしい作品を作り続けていらっしゃいます。
ボケない秘訣・歳や病気、障害負けずに元気でいる秘訣は、いつまでも自分らしくいることなんじゃないかな。
ワガママというのは、我がままつまり私のままいるということだから、社会的弱者になればなるほど、すごく大切なことじゃないかなと思います。

医療費・介護保険の大幅改訂、マッサージ師の置かれている状況

来るべき超高齢社会にむけて、逼迫する医療費・介護保険を切り詰めていくための大幅な改定が進められており、鍼灸マッサージの医療費についても、この6月から往療費を少なくして施術費を少し増やすといった改定が行われます。(制度自体が大きく変わりますが、詳しくはまた今度に)

介護保険もこの4月に大きな改定があったようですが、中でも、リハビリに関してかなり厳しい対応になったようです。

痛みや機能障害によって歩行困難になれば、活動量が低下するため廃用的に機能低下がどんどん進んでいきます。

今までは、そのような状態に対してリハビリをすることで、日常生活動作のレベル低下を防ぎ、現状を維持していくことが、大切な取り組みとなされてきたように思いますが、これからは、理学療法士・作業療法士による機能向上のないリハビリについては打ち切っていくという考えに変わってきていると聞きました。

そういう機能維持リハビリは、デイサービスの中や、老人会の中で行われている集団の体操が担っていくことになるようです。

そして、我が訪問マッサージが置かれている状況はさらに厳しくて、医療保険制度としては残るけれど、マッサージを必要とする場合は、保険ではなく自費治療で行っていくように、医師会の中で指導されているようです。

医療保険が逼迫し、使えるお金に限りがあるのだから、命を左右するような、必要最低限のことにしか保険が適応されなくなるのは仕方のないことなのかもしれません。

自分では、患者さんに必要な医療の提供が出来るように、技術の研鑽・臨床の積み重ねを続けているつもりですが、目には見えないマッサージの効果を出したところで、マッサージ師によるマッサージを必要と考えない医師や保険者、厚労省の考えを覆せるとも思えず、先行きを考え始めると、辛いような悲しいような遣る瀬無い気持ちになってきます。

でも、こういう成果・結果を大前提とした高齢者や終末期医療が本当に患者さんの望むところであるとは限りません。

少し前に、ある患者さんと、ターミナル(終末期)の方に訪問している話をしていたら、
「私は、点滴などの医療処置や陰部洗浄などの保清や清拭をしてもらいながら死んでいきたくないわ。マッサージを受けながら死んでいく方がいいわ。頼むわね」とおっしゃいます。

私は、自分が死の淵にある時、どういうサービスや医療を受けたいのか、具体的に考えた事がなかったので、こんな風に言っていただいて初めて、そういうものかとしみじみ思いました。

ついつい医師や関係者に対して結果を出す事ばかりに気をとられ、心地いい時間を提供できていることの意味を自分では忘れがちです。
私たちには、マッサージ師だから、気持ちいいのは当たり前で、そのこと自体は大したことじゃないという感覚があるのかもしれません。

でも受け手の側からすると、気持ちいい感覚の中で死に向かって行けるというのは、消えそうな命を長引かせる医療処置より、元気な頃と同じような綺麗さを求める保清より、大切に思えるものなんだと、とても新鮮に感じました。

厳しい社会情勢の中で、結果や成果ばかりを気にして大切なものを見失いそうになりますが、心地よさが生きることの希望になることもあるということを忘れずに、心地よさを大切にする施術をしていこうと思います。
そのことが、私自信にとっても希望にもなるように思います。

社会の流れに惑わされず、患者さんの言葉を励みに頑張りたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。

日々移ろう紫陽花のように、心はいつも揺れ動いてます

最高齢の患者さんが満106歳のお誕生日

うちの最高齢の患者さんが満106歳のお誕生日を迎えられました。

(とはいえみんながお祝いに来て「疲れた」と仰ってました・笑)

これから暑い夏がはじまります。
脱水症や室温管理が心配ですが、この方を支えるチームは本当に素晴らしいケアで、この方の連絡ノートからは、「愛がこぼれている」とうちのスタッフがいいます。

このチーム力は、ご本人の魅力が大きいのかなと思います。

私たちもチームの一員として、ご長寿の生活を支える一助になりたいと思います。

㊗️お誕生日おめでとうございます㊗️

認知症とバリデーション

仕事中に流れていたテレビの中で「バリデーションが認知症を救う」という特集がしていました。

「バリデーションとは、アルツハイマー型認知症および類似の認知症の高齢者とコミュニケーションを行うための方法の一つです。認知症の高齢者に対して、尊敬と共感をもって関わることを基本とし、お年寄りの尊厳を回復し、引きこもりに陥らないように援助するコミュニケーション法です。」

そう説明され、社会福祉学の中で科学的に研究実践されているそうです。

テレビには、バリデーションの研究をされている教授が、老人ホームを訪れ、その実践されている様子が映し出されていました。

共感を示し、スキンシップを行いながら心の距離を縮めていくことで、介護に抵抗を示されていた方が穏やかになっていかれる様子が放映されました。

すごいなと思う一方で、熟練した医療・福祉関係者なら誰でも出来るし、していることですが、名前がついて科学的な実践となると普通に実践していることよりすごく聞こえるのだと少し複雑な気持ちになります。

正しいとか間違っているとか審判しないで、自分の気持ちをそのまま認めてもらえて、さらに共感を示してもらえたら、認知症じゃなくても、大人も子どもも誰だって嬉しいし、心が落ち着きます。

とりわけ、認知症になることで、間違ってるんじゃないか、責められるんじゃないか、バカにされるんじゃないかと不安が高じてくると、去勢を張って怒ったり怒鳴ったりされるのは、ごく当たり前のことで何も驚くようなことではないのです。

でも患者さんの心のトゲを抜いたり、ハリネズミの鎧をはずしてもらうようなやり取りは、受け手の感受性が、大きな部分を占めてしまうことが多いように思うので、科学的な方法論が確立していき、現場で全ての人が実践できるのはとてもいいことなのだと思います。

私自身も、長い間気がつかなかったのだけれど、言葉で表現するのがとても苦手なようで、伝える作業が下手で、治療院のスタッフにもうまく指導・共有できないことが多々あります。ですから、世の中のこういう社会状況にアンテナを張りめぐらすことで、私自身ももっと自分を知ることが出来、苦手を克服していけるのだろうと思います。

新学期の四月になったことですし、気持ち新たに頑張りたいと思います。
よろしくお願いします。

これは御歳90歳の患者さんの作品。
布のチョイスも縫い目の綺麗さも全て驚くばかりです。
他者(認知症のない方)をリスペクト出来る心は、認知症の方にも共感を示しリスペクト出来る心に通じるのじゃないかと思います。

105歳の患者さん/京都府鍼灸マッサージ師会

悠生治療院の最高齢の患者さんは105歳です。

昨年から転倒が増えて、今はもう歩けません。
今日伺うと、
「歩けへんのがあかん。どうやったら歩けるようになるかなぁと考えるけど、医者やないからわからへん。」とおっしゃいます。

お元気で、起き上がりも軽く自力で出来ます。ご飯もパクパク召し上がられます。
でももう一度歩くには、骨折や関節を痛めるリスクを考えると積極的なリハビリをする気にはなりません。介助で立位を取ってもらうのが精一杯です。

お手伝い出来ることがあるかもと、もし歩けたら何がしたいのとお聞きしました。
すると「政治家や。お国のことを考えなあかん。」とおっしゃいました😲

105歳にして、まだ「お国の為に働きたい」という驚くべき志しに恐れ入りました。

話は変わりますが、先日の日曜日は、京都府鍼灸マッサージ師会の保険部会の研修会でした。

日本鍼灸マッサージ協同組合から理事長の堀昌弘先生が「鍼灸マッサージにおける施術事故等について」と題して、昨今の損害保険請求の事例についてご報告下さいました。

また、全日本鍼灸マッサージ師会の保険局長の往田和章先生が「受領委任制度導入後の取り扱いの変化について」と題して導入決定までの厚労省との攻防と今後の見通しについてご報告下さいました。

どちらのお話も非常に興味深く拝聴しました。

お話から先生方が、鍼灸マッサージ業界の命運をかけて日々奔走して下さっていることに感銘を受け、我が事に汲々としている自身を振り返り、申し訳ない気持ちと、多くの同業の先輩方のご尽力に恥じない仕事をしないといけないなとつくづく反省しました。

こんな時に、105歳の方から政治の世界で活躍したいと聞かされて、全くかなわないなぁとしみじみ感じました。

京都府鍼灸マッサージ師会への入会率は年々低下の一途を辿っているようです。
(京都府鍼灸マッサージ師会の上部組織が全日本鍼灸マッサージ師会で、ここに所属していることがこの協同組合に入会する条件になっています)

私自身、自分で開業するまでは、この会に所属はしていてもとりわけ参加することなく過ごして来たので、会費を払うだけの価値を感じることが出来ず入会されない方の気持ちも分からなくはありません。

しかしながら同業の繋がりの中でしか気がつかないことや出来ないことも多くあるように思います。

未入会の方は是非お入り下さいませ。
会員だけど会の活動に参加することのない方々は、是非に交流に来て下さいませ。

▼公益社団法人 京都府鍼灸マッサージ師会公式サイト
https://ksmk.jp/

きっと新しい発見が必ずあると思います。これらは、「孤独で退屈」な毎日のカンフル剤になると思います。

心より、お待ち申し上げております。

生きたように死んでいく

先日患者さんが亡くなられました。

昨年の10月に96歳のお誕生日を迎えられたところでした。
「子どもたちと孫も来て食べに連れて行ってくれて、お祝いしてもらったんですよ」と嬉しそうに話して下さってから、2か月あまりのことでした。

20年以上この仕事をさせていただいているので、お迎えが来て患者さんとお別れすることはめずらしいことではありません。今回は亡くなられる前にお別れの挨拶がご本人からあり、それは初めてのことでした。

「もう十分よくしてもらいました。ありがとう」とかすれた小さな声で言って私の手を握って下さいました。

ご家族もいらしたので、私にだけ言って下さったわけではありませんが、私は、それが自分の終わりを悟った覚悟の言葉だとすぐにわかりました。

お正月前に体調を崩されてベッドから起き上がることも難しくなっていましたから、その時が近いということはわかってはいましたし、その状態を支えるためのチームが再編成されたところでした。

脳梗塞の左片麻痺を患いながら、数か月前まで室内は自分で歩いてすごされていましたが、私から見ればぎりぎりの機能を使っての自立でした。立ち上がりやズボンの上げ下げもようやっとという風でしたが、立ち上がりのコツを伝えるだけで、すぐに実践できた方でした。

普通は何度も繰り返していく中で、「クセ」として獲得される方が多いのですが、少しのアドバイスで自分で工夫して様々な動作が自立できていました。

それで、体調を崩して歩くのも大変になった昨年の秋までは、私の訪問は週一度で、マッサージで身体を使いやすく調整することと、動作の確認だけで十分な方でした。

自分のペースで生活をされ、家で過ごされる姿がとても穏やかで、他人が入るのは申し訳ないような暮らしぶりでした。そこへ頻回に訪問するのははばかられましたから、なるたけ訪問回数を増やさないようにしてきました。

この方は、時間があれば本を読んだり、パソコンを開いてゲームをしたり、そこには確かに彼女の時間が流れていたのです。

多くのお年寄りは、時間を持て余していらっしゃるように見えますし、他人の訪問自体が生活のアクセントになり、そのまま生活の活力になっていくように思いますが、そんなことを感じるところが全くない方でした。

そして、その振る舞いの全てが、私には、どことはなく、高い品格とインテリジェンスを感じさせるものでした。

マッサージ中も多くを語られないので、どんな経歴か聞いて見たくなりある日ついに聞いてみました。きっと良いところのお嬢さまだったに違いないと思っていました。

ところが彼女は、笑いながら
「とんでもありません。貧乏でずっと働いてきました。幼い頃に、母親と死に別れ、親戚に預けられました。小学校を出てすぐに奉公にいきました。小さな頃から、人の顔色ばかりを伺って大きくなりましたよ。

奉公先も結婚もその家のおばさんが決めた通りにしました。自分で決めることはなかったんですよ。
結婚した主人は優しい人でしたが、生まれた長男がダウン症で、小学校も行けず、ずっと家で見てきました。長男が亡くなるまでつきっきりでした。
今ようやく本を読む時間ができたんですよ」
と話して下さいました。

「簡素清貧」という言葉があります。
飾らず質素で、心清らかなる様を表す言葉です。

訪問マッサージで、明治・大正・昭和初期の方とお付き合いしていると、この方のように、本当に苦労をされてなお、心清らかに私のような人間にまで丁寧に気を使って下さる気高さを持ち合わせていらっしゃる方々に会うことがあります。
言葉で言い表すのは難しいのですが、このような方々と接すると、いつもこの言葉が思い起こされます。

私もこんな風に清らかな心で、必要なものだけに囲まれて暮らしたいなと思わずにはいられないそんな方たちです。

在宅医療を支え続けている医師が
「みなさん生きたように死んでいかはります」と話して下さったことがありますが、まさに生きたように死んでいかれたのかなと思います。

特別の訪問看護も医師の往診も受けることなく、その日の昼には入浴サービスの清拭を受け、そのまま静かに亡くなられたそうです。私にご挨拶をして下さった5日後のことでした。

今回は、ご挨拶いただいたおかげで、私もお礼を伝えることができました。
「感謝するのは私です。私に縁を下さって、仕事させていただいて、本当にありがとうございました」

心より、ご冥福をお祈りいたします。

リハビリにと折って下さいました。
甘いものを食べたくなくなったからと、仏さんのお下がりを「もらって下さい」とよく下さっていました。恐縮しながら喜んで、いただいてばかりでした😊

小室哲哉さんの会見:介護をする方をマッサージして感じること

小室哲哉さんの音楽家としての才能やその他のことと切り離しても、この会見は、長期に渡る介護が、介護者の心身を疲弊させていく悲しみについて深く物語っていると思います。
読まれてない方は、是非一度お読み下さい。

▼小室哲哉、涙の引退会見「悔いなし、なんて言葉は出てこない」(ナタリー)
https://natalie.mu/music/news/265902

私は訪問マッサージを初めて23年目を迎えました。患者さんの悲しみしか見えなかった若い日からすると、介護者の深い悲しみを少しずつ感じられるようになって来たように思います。

介護を知らない方のために、私なりに状況を少し捕捉させて頂きたいと思います。

介護者は、
介護を始めた頃は、慣れないことの連続に、疲れ果ててしまうようです。
オムツ交換やトイレ誘導など身体介護の一回一回は、なんとか出来ても、介護は、一日に何度も、毎日の繰り返しです。足腰の痛みの訴えのない方はまずありません。

また、介護保険のサービスなど社会資源に頼れるようになって身体は楽にはなりますが、他人が家に来てくれるということは、人のスケジュールで生活するということで、経験しないとわからないストレスがあるようです。

その上に、介護が長期化するということは、患者さんにとって、それは成長ではなく、歳を積み重ねる時間の経過ということなのです。

時間が経過すれば、障害がなくても老化は進みます。ですが、障害や疾病を抱えるということは、そのスピードが健康な人より速いということなのです。

つまり、良くなっていくより少しずつ悪くなっていくのが普通のことなのです。
時間とお金を費やしてリハビリをして、(私のマッサージもです)一時的に良くなり、お世話が楽になったとしても、自然の摂理には敵わないのです。

このことが、愛情深い介護者の心を直撃してしまいます。やってもやっても結果が出ないことに心が深く傷ついてしまうのだそうです。

その上に、介護中心の生活は、社会的付き合いに制限を加えて来ます。
介護者が若ければ若いほど、同世代の人と付き合う時間を奪われ、介護の悩みを誰とも共有できなかったりで、介護者のその孤独感は計り知れません。

私は、介護者の方のマッサージをさせていただくこともあります。介護の終わりが来て、縁が切れることもあれば、その後も関わり続けられることもあります。

その時に、いつも私が感じることは、介護が、介護者に与えるダメージの大きさは私の想像をはるかに超えているということです。その大きなダメージに、私のマッサージはなかなか太刀打ち出来ません。その心身の回復には、長い時間が必要なように思います。

介護を経験した人にしかわからない心身の疲弊がつきまとうのが介護なのだろうと思います。美談なんて軽い言葉で言い表わせなのじゃないかと思います。

このような現状は、日本の高度医療の進歩が作り出したものだろうと思います。
もちろん介護保険や在宅医療に関わる人たちは、これらに少しでも貢献したいと思って日夜努力を重ねていらっしゃいます。
しかしながら、長寿や生にこだわる日本人の思考や滅私奉公的な姿を美談と捉える風潮を超えていかないと難しいのかなと思ったりします。

日日介護の現場を目の当たりにしている私の目標は、「楽しく生きて天国に行こう!」です。