患者さんとのお別れ

ブログを更新したいと思いながら、毎日何かと格闘していて、落ちついて心を整理することが出来ずにいました。

何かというのは、もちろん治療院がうまくいくように私自身の患者さんの治療についてや、スタッフの治療について考え続けているのは以前から変わらずなのですが、そんなこととは別に自分の中にあるものが本当にこれでいいのかしら、もっと大きくて広いものなんじゃないかと想いを巡らせているとなかなか文章にまとめることができなかったのです。

きっかけは様々ありますが、一番大きなきっかけとなったのは、私の仕事人生の大半をお付き合い下さった患者さんが亡くなられた時の体験が大きいかもしれません。

この患者さんから教わったことは、絶対に忘れることが出来ない、治療師として私の基礎をなすものとなりましたから、是非文章で残したいと思っているのですが、この方が亡くなられた時の体験が私の根幹を揺るがすようなものでしたから、心の様々を表現することがなかなか簡単ではなくなってしまったのです。

この方が亡くなられるほんの一時間前に訪問していました。

食事の量が減り、心臓の働きが落ちてきいたのでいつ何時なにがおきても不思議ではない状態が続いていましたが、ふつうに会話が出来て身体も自力で動かせるところがまだまだ残っていました。

それでも、その時が近いのはわかっていました。

この方とは、長きに渡る付き合いの中で、私なりにお役にたてるよう最大限の努力を重ねてきましたが、精神的には全く反対で、経験豊かなこの方はいつも私たちを励まし、問題解決の提案をして私を助けて下さっていました。

それで終わろうとしているこの方にお礼が言いたいけど、まだ話も出来るのに今までありがとうございますというのもどうかと思いながら、どうしてもちゃんとお礼を伝えたかったので、

「いろいろいつもありがとうです。これからもずっとおつきあいして下さいね」とお願いしました。それは肉体を離れても私を助けて下さいという意味を含んでいました。

すると少し意外そうな顔をされたようにも思いますが、とても嬉しそうな笑顔をして「そうか。こちらこそ頼むで」と言って下さいました。

そしてその方の家を後にして、20分以上車を走らせた次の場所に向かっていました。すると綿毛がフロントガラスに次々と飛んできます。

その時は7月でした。
タンポポがいっぱい咲いている季節ですら、フロントガラスめがけて綿毛が飛んでくることを経験したことがなかったので、近くに“花”がたくさんあるのかとキョロキョロしてもそれらしいものは見当たりません。

それでも次々と飛んでくるのを、不思議に思いながら車を走らせていました。

そして次の目的地に到着してしばらく後にその方の訃報の知らせをいただきました。

その時、私は、あの綿毛は、患者さんが別れを告げに、そしてこれからも付き合えることを知らせに来て下さったのだ確信しました。

わたしはいわゆるスピリチュアルな世界が好きな人間でしたが、一方で目に見えないものは、ないものにした方が治療がシンプルでうまくいくので、経絡の流れや気の運行ということより、目に見える筋肉や皮膚といった物質的なものを指標にした治療に重きを置いてきました。

ですから、見えない霊というものにもあまり興味がなく、「ここに来ると嫌な感じ」といったことも感じたこともありませんでした。

その私に、目に見えるように風に乗って魂が知らせに来てくれたのですから、否が応でも私の世界は半分しか開いてなかったのかも知れないと信じざるを得なくなってしまったのです。

そして、今まで物理的な作用で起きているに過ぎないと考えてきた様々なこと、例えば目の前に落ちる木の葉であったり、目の前を遮る蝶にもっと深い魂-スピリット-の働きを感じるようになりました。

だからといって私の日常がなにか変わったということはないのですが、患者さんの治療という意味では、私が気がつかなかったものがあるのではないか、もっと深く長い時間の中で考えることで、よりよいアプローチがあるのではないかと考えるようになりました。

それで文章にすることが困難になっていたのですが、グルリと一周回って、結局は相手を大切に思うことが最善の治療に結びつくのだから何ら間違いはなかったのではないかと思うに至っています。

ただスピリットの持つ力は気のせいではなく、ただ気がつかないだけではっきりと目に見えてあると言うことに確信するようには日々なっていますので、ますます愛のある治療の大切さを感じるようになりました。

魂の治療ができるよう頑張りたいと思っていますので、私に治療の機会が多くありますよう皆様の応援をよろしくお願いいたします。

この方から教わったことは次回に書こうと思っています。おしんよりすごい苦労を乗り越えて来られたお話です。

雲は風で形をかえます。

片眼で「見る」

金属加工する職人をされていた患者さんのお話です。

大阪城の天守閣の屋根についている金属を全て一人で納品したと言われるので、とてもしっかりとした腕で仕事をされていたのだろうと思います。

使い込んだ身体は、年齢とともにあちこちが悲鳴をあげていました。一番の問題は、めまいだと言われます。
脳梗塞後の不全麻痺(見た目はあまりわからないくらいだけれどやはり普通には動きにくい麻痺)もあるので、室内の移動は出来ても、めまいで室外の移動は困難だと言うことでした。

めまいというのは、脳の問題が隠れている場合もあるのですが、加齢に伴う骨格の変形から耳周辺のリンパの流れが滞ることで起きることもよくあります。そんな時はマッサージ施術によりリンパの流れをよくするだけで驚くほどに改善します。

ひどいめまいは、施術を始めてからある程度の改善はみえたのですが、どうにも頚部の筋緊張の左右差が大きく脳梗塞の後遺症のためかと考えていました。

が、実は若い頃に仕事中に体勢が崩れ、アルミ板で額から口元まで切る大怪我をされ、そのために左眼を失明されたのだそうです。

片眼になると遠近感がわからず、片眼による手元作業に慣れるまで3年くらいかかったそうです。
ほんの2、3㎝の違いがわからず、電車と車が並行して走っているところで、それらがすれ違う時に、その遠近感がわからず、あっぶつかる!と一人びっくりするそうです。

遠近感がつかめないのに、どうやって細かな作業をこなしてこられたのでしょうか?
しかも選りすぐりの腕前なのはなんとも不思議です。

片眼でもみているうちに慣れてくるのかと尋ねてみました。
すると意外な答えが返ってきました。
見ればみるほどわからなくなるので、パッと見てあとは見ないでする方がうまくいくとおっしゃいます。

両眼がきちんと働いていた時と同じように見える前提で必死に見ようとしないで、見えないことを受け入れて、片方の眼とあとは経験に裏打ちされた心の眼で見る方がうまくいくということなのかなと思います。

私たちの仕事も同じことが言えるのかなとしばらく片眼で「見る」ということについて考えてみました。

見えないもの、わからないことをわかる前提で考え続ければ続けるほどに迷いが生まれて、正解から遠ざかるということがあると言えるのでしょうか。それより、心の眼を鍛えていくことに時間を費やす方が正解に近づくのでしょうか。

まだ自分の中ではっきりとした答えは見えていません。
きっと頭の片隅に置いておくことで、ある日成熟し、ヒラメキとなってわかる日がくるんじゃないかと考えることを一旦おしまいにしました。

感じる心やカンというのを言葉で言い表したり、人に伝えるのはとても難しいのですが、思考を超える何かがあるのは多分確かなのだろうと思います。

9月7日土曜日の京都の空です。屋上から北のほうを見ていると、そこにだけ雨が降り注ぐ雲を見ることができました。初めて見る雲の様子にしばらくみとれていました。
雲の筋は少しずつ位置を変えていましたが、私の頭上では星が見えていました。

東洋医学を志した理由

この秋で、訪問マッサージの仕事に関わり始めて25年になります。

23歳の時に、バイク事故で意識不明となった友人の目を覚ますためにできることはないかと隣に住んでいらしたヨガの先生に相談し、西洋医学ではカバーできない世界に足をふみいれました。けれど、その友人は覚醒することなく事故から3年後の秋に亡くなりました。

この出来事をきっかけに東洋医学に関わりたいとこの道を目指しました。

専門学校に入学し、マッサージのアルバイトを探していたら、知り合いから訪問マッサージの仕事を紹介してもらいました。当時まだ多くは知られていないこの仕事の面接に行く前の日に、このバイク事故で亡くなった友人が夢に出てきました。

どこかの洞窟の中でこっそり二人きりで会っていました。ただそれだけの夢でしたが、面接の後、仕事見学に行った時、夢の理由を知りました。

在宅で、きちんと意思疎通出来ない寝たきりの人たちの身体を動かしたり、能動的な人生を送れるように働きかけたりする仕事だったのです。

病院で寝ていた友人にどう接したらいいいいのか、お見舞いに通いながらも戸惑いの方が大きい3年間でした。お見舞いに行っても何もできずに付き添いの人と話をして帰ってくるしかできなかったのです。

私は訪問マッサージに関わることで、その戸惑いを乗り越えて自分にできることを探して行く旅を始めたのでした。

それから25年。
寝ている人に必要なこと。
私にできること。
障害を背負って生きるということ。
そして死ぬということ。

まだまだ見えない答えもありますが、患者さんに支えてもらいながら一つ一つ答えを見つけてこれたように思います。

私にこの道を示してくれたこの友人には感謝しかありません。寝たきりでいるということは、逆説的ですが、必死に生きるということではないかと思うようになりました。

まだもう少しこの道を進んで行きたいと思っています。
どうぞよろしくお願い致します。

雲が神様からのメッセージだとしたら、見るのが楽しくなっちゃいます。

スタッフに伝えたい仕事の奥深さ、素晴らしさ

8月いっぱいで、うちの若手が退職し、9月からは新しいスタッフが加わって新体制をスタートすることになりました。

新体制が落ち着くまで、様々ご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが、全力でより良い体制が組めるよう取り組んでまいります。
どうぞよろしくお願いいたします。

プロフェッショナルを目指す限りはどのような仕事であっても、それぞれに深い経験を積むごとに、深い洞察や完璧さのレベルが深まるのは当たり前かもしれませんが、訪問マッサージという仕事の奥の深さもまた、底なし沼のごとくです。

それは時に施術者を苦しめるものであると同時に、この世を生きるヒントの全てを手に入れることのできる最上級の仕事の一つであると思っています。

それは、マッサージ師として、気持ちいいという時間の提供だけでは済まない状況にある方々の暮らしを支える一助となるような技術の習得を前提としていることがあります。
患者さん本人の感覚だけではない、他覚的な効果をつくりあげる過程は、とても大きな経験とそれに伴う自身の仕事への誇りを得ることが出来るからです。

そして、加齢や疾病による障害を持って生きることをサポートするということは、技術の提供以上に大切なものがあるということから目をそらすことはできません。

毎回の施術は心の交流なしには継続が困難で、癒すということの本質に近づかざるを得ないからです。

患者さんのホームに定期的・計画的に訪問するこの仕事は、そこに愛がなければ受け入れていただけずお断りを受けることがよくあります。

一度きりの関わりや、大きな期待をしない、切り取られたようなマッサージや、患者さん自身の治癒力から遠のいていくようなマッサージは、マッサージ治療の本質からどんどん遠ざかっていくように思います。

もちろんどのようなマッサージ施術であろうとその本質にせまることは出来るのですが、訪問マッサージの場合は、その本質から目をそらし続けることが困難で、そらし続けていると様々なしっぺ返しがやってきて現実に気づいていけるような気がしています。

私の訪問マッサージの関わりは、まさに、毎日山あり谷ありでした。
怒られては泣き、断られては憤慨し、医療保険の無駄遣いだと言われた日には、吐きそうになるまでおやつを食べ続けないと訪問に向かえない、そんな時をたくさん過ごしてきました。そのような経験の上に今があります。

今となっては、それら全てが、今の私を作ってくれた愛おしい経験となりました。

今では、患者さんの家が私のホームになってしまったようなところがあり、間違えて「ただいま」といいそうになる時があります。それくらいに訪問治療は、私をも癒してくれてきたのではないかと思っています。そして多分そんな時は、技術を超えた心地よい空間が私と患者さんを包んでいるのだろうと思います。

新しく加わってくれるスタッフにも是非この素晴らしさを伝えられるよう頑張ろうと思っています。

どうぞよろしくお願い致します🤲🤲🥺

心の揺らぎ

おはようございます。

ブログが更新できません。
仕事が忙しいというよりは、心が忙しいというか、満たされてしまったという方がぴったりくるかもしれません。

きっかけは、息子が好きな米津玄師さんの歌を聞いたことです。
脳が働く前に感情が揺り動かされ、気がついたら号泣していました。そして、ここ数年抑え込んでいた心の引っかかりが溢れてきて、頭の中で大混乱が起きました。

そのあとから、不思議な感覚になって、鳥🦅や虫🕷、木の葉やわた毛の風に舞う姿に目が奪われるようになりました。

公園で、これらを眺めていると時が経つのを忘れて、私がここにいないようなただ、蟻🐜に同化してしまったみたいな気持ちになるのです。

以前より、手に気が宿るようになったのか、ずっと関わっている患者さんから
「手が暖かい。気持ちいいわぁ」
と言っていただくことが増えました。

もう号泣したりすることはありませんが、自然と一体化しようとしているだろう自分を感じることで、今までにない心の平安を感じることがあるように思います。

これからは、心の揺らぎとその治療を少しずつ報告できたらと考えています。

元々スピリチュアルなことが大好きでしたが、ここ数年は遠ざかっていた世界でした。そして今、長い旅を経て、もう一度帰ってきたような気持ちになっています。この変遷は、わたしにはとても自然なことで、患者さんたちから大切なことを日々教えていただいて来たからじゃないかと思っています。

魂のスナップえんどう

今週のお弁当に3日連続顔を出しているスナップえんどうは、患者さんからの頂き物。

大きな心臓の手術をしているにもかかわらず、自家栽培の逸品です。

心臓疾患を患われている方の多くは、死と直結するその恐怖から、室内で過ごすことが多く、廃用性予防にと訪問マッサージに伺うことがよくありました。

スナップえんどうのつくり手である患者さんは、自分が死の恐怖を味わわない限り、自分の行動に制約を設けることなく生きていらっしゃいます。(見ていいるこちらはハラハラですが…)

魂のスナップえんどうは本当に美味しくて、今まで食べたスナップえんどうとはまるで違う美味しさでした。

私はこの方をサポートしたくて、循環を助けるために懸命の努力を重ねていますが、

「いつまで生かす気?マッサージいい加減でやめようかな」と言われしまいました😨😨😨

眼鏡

眼鏡👓作りました。

老眼がつらくなり、薬局で購入した老眼鏡を使い続けると眼が疲れて、
「きちんと眼に合ったものを処方してもらわないと」
と患者さんに叱られて、これまた別の患者さんから紹介していただいた「眼球フェチ」の眼鏡屋さんに行ってきたのです。(詳しくは前回ブログをお読み下さい)

私は老眼鏡を作りに行ったので、測定結果から「遠中両用眼鏡」を勧められても、中というのは、近くに焦点は合わさないけど、ゆるい老眼鏡だと信じて疑わずにいました。

どうやら近視と乱視のせいで、老眼の測定値よりは見にくくなっているらしい。だから本当に近くを見る時は、眼鏡に差し込み式の老眼ルーペを買い足しました。

このように、眼鏡屋さんを紹介してくれた患者さんに報告しました。

すると
「老眼の要素は1ミリもありませんよ。近視と乱視の矯正眼鏡ですよ。だから老眼ルーペ別付けなんですよ」

と言われました。

えー!私は老眼鏡を買いに来ましたと言ったんだけど…思い込んでちゃんと聞かなかったから。別に構わないのですが、素人判断で勝手に決め付けるのはあかんなぁと思いました。

近頃は、仕事中は、花粉・PM2.5・紫外線避けに伊達メガネをすることが多かったので、遠中両用眼鏡を日常的にすることで、プロテクトをしながら視界もスッキリ、眼の疲れともおさらばできる眼鏡生活になり、私としては、願ったりかなったりなのでした。

さて、この眼鏡をかけて、初めて自動車の運転をして帰った時は、今まで緊張して引き攣れていたのだろう耳の下あたりの筋肉が緩んで来たのでしょう。こそばゆい感じで、なんとも言えない違和感を覚えました。

えー!こんなに見るために筋肉を動員して一生懸命に見ていたんだ!

それは、眼鏡をかけている間にきっと引き攣れた顔の相も優しい顔に変わるんじゃないかなぁと思わせる違和感でした。

それから一週間すっかり眼鏡生活に慣れてきました。顔の歪みが直るといいなぁ。

眼球フェチのプロフェショナルなメガネ屋さん

今日は、齢を重ねたために近くが見えなくなる眼(つまりいわゆるところの老眼)のために眼鏡を作りにメガネ屋さんに行ってきました。

少し前に、患者さんが、
「眼球フェチでリーズナブルなお値段な」メガネ屋さんで、いつも眼鏡を作っていると話して下さいました。

その店のご主人は、眼の構造から語り始め、年齢やその形などの話を始めると止まらないと言うのです。

筋肉フェチの私としては、眼球フェチという響きだけで興味津々。既製の老眼鏡での眼精疲労が響いてきていたところなので、時間ができれば行きたいと考えていたのです。

ウワサに聞いた「眼球フェチ」の店主は、まず近眼というのを悪いことのようにとらえること自体がよくない。
眼球というのは、黒眼につくレンズを周りの筋肉が、そのレンズの厚さを調整していて、単に使いすぎたために、筋肉である白眼部分が肥厚し、眼球自体が肥大してしまう結果であり、悪いことのように受け止めるのは違うと話を始めて下さいました。

眼球は、10円硬貨大の径が正常な大きさなのだけれど、筋肉が引っ張りすぎて五百円硬貨大にまで肥大することで、大きくなった分が、レンズの像を結ぶ位置をずれさせてしまうと説明をして下さいました(私の理解の及ぶ範囲が正しければです)。

ただ、使いすぎ、引っ張りすぎた状態なので、眼にあった眼鏡をかけることで、白眼である筋肉を助けることができ、結果的に眼球の大きさを正常な大きさに近づけることができると言います(眼の状態でそう簡単ではないとはおっしゃっていましたが)。

また、老眼による状態は、筋肉が老化により弾力性を失い調整能力が落ちてしまった状態なのだそうです。
通常は、40歳くらいに、プラス1から始まり、70歳にはブラス3になると言われていました。

このプラス1というのは、1足すことで、10円硬貨の正常な大きさの位置で像を結ぶことができるという意味だそうです。
ですから、近眼の場合は、大きくなりすぎた眼球の結ぶ像の位置からマイナスしていく数字で正常な位置を表すのだそうです。
そして、老眼もまた、眼鏡で筋肉を助けることにより、疲労を軽減し、より若い状態を長く維持することができるとおっしゃっていました。

私は老眼だけでなく、近視と乱視も持っていたのです。乱視は、よく眼鏡検査にある放射状の線が濃い線と薄い線に見えるのが、これが乱視によるものだということでした(私は今回まで自分が乱視ということを知りませんでした)。そして、遠近の度を入れない、乱視を矯正するレンズをいれただけで、小さな字もよく見えたのでとても驚きました。

乱視というのは、水晶体が歪んだ状態にある時に生じるらしいのですが、それは生まれつきのものだということでした。

10代から20代には近視のために眼鏡を必要としてきましたが、乱視があることも知らず、このように詳しく説明をしてもらったのも初めてでした。

少しの近視と乱視、それから老眼のある私は、眼精疲労を助け、紫外線から眼球を守るために、いつも眼鏡をかけて生活することを勧められました。

その提案に従い、遠中(遠近ではなく、近場は困らない程度の度にする)両用眼鏡を購入することにしました。

最後に、仮レンズで店内を歩いてみるように言われました。
近視、乱視、老眼すべてあるにもかかわらずなんとか見ていたぼんやりの世界に慣れていた私の眼は、矯正レンズで世界を見たとき、床が盛り上がり、少し離れたところにある棚は長方形でなく、跳び箱のように台形に見えました。

それは、眼鏡が合わないからではなく、長年見えないことに慣れた眼が見せている「錯覚」でしばらくすると慣れていくのだそうです。

また、レンズを次々と変えながら見え方を検査している時に、私は見えていることを見えたままに言葉にしていたのですが、見えないことが続くと感じる力を脳が失ってしまうこともよくあるそうで、私は眼の感じ方が敏感だと言って下さいました。そのため、眼の錯覚がなくなるのも速いのではないかとも言って下さいました。

眼の感じ方に敏感とか鈍感というのがあるというのが、この日一番の驚きでした。ワガママな私は自分の感じにいつも素直なのかなと思い、これが私を私たらしめている大きな要素だという気もしますが、何はともあれ、眼についてこんなに詳しくなれるなんて! ウワサどうりのプロフェッショナルなメガネ屋さんでした。

10日後に出来てくる眼鏡を楽しみにしています。

これは小出光学という京都のメガネ屋さんに行ってきた話です。

70年目に到達した作品

「わたしもいつどうなるかわかりませんから」

と患者さんがご自分の作品を下さいました。

治療院男性スタッフがうまい具合に取り付けてくれました。

13歳から父親の仕事をならい、80半ばまで70年の間、様々な作品を作ってこられた患者さんです。

照明器具や社寺や庭園の飾りものなどその作品は多岐に渡っています。
デザインから電気のつなぎ方などその全てをご自分で生み出してこられたそうです。

その作品は、今も、日本全国の有名な施設や社寺に置かれていると聞いています。

絶妙なバランスがとれたそれらの作品は、造形の深くない私が言うのもなんですが、いわゆる黄金比というものというものではないかと思える見事なもので、見るものの心を暖かくするような作品です。

真鍮細工は力がいるにもかかわらず、精巧さを求められ、工程で火を使う作業があるなど、手脚はその仕事用に変形し、70年に及ぶ肉体労働の跡がはっきりとわかるほどです。ケアマネジャーさんが、その身体の手入れにマッサージはどうかと勧めてくださったおかげで、80を超えてから引退されるまでの3年足らずを関わらせていただきました。

今は「90歳までこの世においてもらいたいとおもてます」とマッサージのケアを必要として下さっています。

施術中に聞かせて下さるお話は、本物の職人気質とはこういうものなのかといつも興味深くうかがっています。

個性が売り物ではなく、どの商品も手作りだった時代から、大量生産の機械で作れる時代に変化する中で、手作りの商品で、この方にしか出来ない作品を生み出してこられたセンスと努力、仕事への向き合い方は、同じ職人として生きる私の心に深く響いてくるのです。

70年も一つのことを続けた先に見える世界はどんなものでしょうか。
私がその世界に到達するのは、物理的に無理があると思いますが(100歳まで現役で働かないと到達できないので)、覗けるものならのぞいてみたい世界です。
きっと余計なものは全て削げおち、シンプルで穏やかな世界ではないだろうか、作品からもそのようなものが伝わってくるので、そんな気がしています。

いただいた70年目に到達した作品は、治療院の玄関に飾らせていただきました。
大変光栄至極で、私の治療院にはもったいないものかと思いますが、治療院にお越しの際には是非ご覧になっていただけたらと思います。

穏やかな静寂の空間がそこにあるように思います。

書類作成の雑感

昨年の10月から鍼灸マッサージの保険取り扱いの制度が変更になり、京都市でもこの4月から3ヶ月の移行期間を経て、新たな制度に切り替わることになりました。

そんなに大きな変化はないような気もしますが、とにかく不正使用を防止するために細かな規定が設けられて、子細なことまでを書類に記入することが求められるようになりました。

それでも、医療マッサージを必要とする被保険者の権利は守られなければならず、保険者は、疑わしい事実もないのに、被保険者に対して、単にマッサージ施術の受療を圧迫するような調査をしてはならないとも書かれてあります。

つまり、マッサージ師の医療保険の不正使用はいけないけれど、医療マッサージの存在意義は認めていると解釈できるのかなとこの一文に少し勇気付けられました。(こういう理解でよいのか本当のところはわかりませんが)

様々な書類上に必要となった記載事項が、本当に必要なのか、単に嫌がらせ的な要素を含んでいるのかはわかりませんが、きちんと仕事をしているので恐れることはないと、思うようになりました。

(今まではほとんど一人で書類の作成をしてきましたが、もう一人では無理なので、治療院のスタッフの手を借りることにしましたが)

そんなこんなでなかなかブログを書こうという落ち着いた気持ちになれずにいます。
とりあえず近況報告まで。

がんばります。

いろんなことがやってきた時、抵抗するより受け入れる方が楽だと思うようになってきたのは年の功なのかな。いいことなのか悪いことなのかは死ぬ時にわかるかしらん。