嬉しいことがありました

 とっても嬉しいことがありました。

 訪問を初めてもうすぐ一年になる統合失調症の患者さんがいらっしゃいます。

 下肢の浮腫があり、歩行困難になってきていて、外出中に転倒したり動けなくなり警察に保護されるということが増えてきたからと、主治医がマッサージを勧めてくださって、訪問するようになった患者さんです。

 この方の下肢の浮腫は、生まれつき体質的に関節がゆるいため、筋力低下に伴い、関節の指示力が低下し、過伸展になることで血流が阻害された結果の浮腫でした。
 このような場合は大きな問題があるわけではないので、比較的マッサージと運動療法が有効で、定期的な施術により脚が重くて歩きにくいというような状態は改善していきました。

 患者さん本人も心地よいと大変気に入ってくださって、問題なく週一回の訪問を続けてきました。

 この方は生活の予定が変わると様々対応が難しく、一つの変化が生活全般に支障を来たすレベルになるということはわかっていたのですが、どうしても時間の都合がつかず、訪問時間を変更していただくことになりました。すると、そのことが不安要因になってしまい、本人の混乱をきたすことになってしまったのです。
 そこで、時間の調整を再び考え直すこと、また他の関係者の方々にもご迷惑をおかけしたことを詫びようとケアマネジャーさんに連絡をいれました。

すると、ケアマネージャーさんがこうお話してくださいました。

「マッサージ導入後、マッサージが生きる希望に繋がったようで、歩行も安定し、警察に保護されることもほぼなくなりました。精神が安定しない時に服用していた頓服の服用量が半分以下になり、本人が前向きに生きようという発言が見られるため、向精神薬の処方を減量する方向で考えています。関係者のみんなもこれはマッサージ効果だと言っているので、訪問時間の変更が必要なら他のサービスを調整することができます」

 この仕事をして、25年。様々嬉しいお言葉をいただいてきましたが、こんな嬉しいことは初めてです。マッサージの何が生きる希望になったのがわかりませんが、もうそんなことはどうでもよくて、ただただありがたく、私の方がこの言葉を胸に明日からの大きな希望を頂きました。

 この患者さんは、この先自立に向けた大きな目標をお持ちです。その目標に向かって、ともに取り組んでいこうと思っています。

 本当にありがとうございます。
 ますます精進して参りますのでどうぞよろしくお願いいたします。

癒すということの本質

なかなかブログが更新できませんが、心の中が目まぐるしく動いていて心が落ち着かないからかなと思います。

仕事に追われてくると、ついつい次の訪問の約束の時間が気になってバタバタとしてしまいます。

施術にこだわるがあまり、施術時間が押してしまったり、話の流れで途中でやめることができなかったりという理由で、どんどん時間に追われてしまうということが大半なのですが、

患者さんやご家族さんからは、
バタバタしてる
とか
本当に忙しそう
と言われてしまいます。

トレーナーとしては、限られた条件の中でベストコンディションに近づけるために懸命の努力をしているつもりなので、こんな風に言われると本当にがっかりしてしまいます。

けれど、身体状況の改善ということではなくて、広く癒すということから考えると、どんな素晴らしい治療をしたとしても、次の時間を気にする様子が、癒されていた気持ちまでを消してしまい、全てを台無しにしてしまうということがあるのだろうと思うのです。

老化や障害に伴う症状の場合、治療による完治ということではなくて、身体が少し軽く感じるとか、手から伝わる熱の心地よさが明日に生きる心の糧の一つになることの方が、本当はずっと大切なのかもしれないということかなと思います。

昔、まだ私が前の治療院に勤めていた時のことです。もう10年以上前のことです。

老人ホームに入所するとても元気で朗らかな方が、ある時入居者同士のトラブルから笑うことを忘れてしまうということが起きました。
認知症があるものの自立歩行が可能なレベルでしたが、歩行もどんどんおぼつかなくなっていきました。
人が変わったようになってしまったこの方に私が出来ることはなんなのか答えが見つからないまま数ヶ月が過ぎました。

ある時私は、歩く事よりもう一度笑ってもらいたいそれが一番大切だと気がつきました。とにかく今度訪問した時は笑顔が少しでも出てくるそんな関わりをしようと思いました。
そして、次の訪問ではどんな風にしようかと様々考えを巡らせて訪問しました。

すると不思議なことですが、その方が私を笑って迎えて下さったのです。

たまたまかもしれませんが、あまりにもタイムリー過ぎました。私の心が伝わり、ようやくわかってくれたかという風に思われたのかなと思いました。

私としては、以心伝心を眼で見た初めての体験として強く記憶に残っています。

そして、この方は、お亡くなりになるまで、心が病的に沈むことはありませんでした。

これが癒すということの本質で、自分中心の治療に夢中になる私に、神さまが私にそのことを見せて下さったのではないかと思っています。

にもかかわらず、ついつい自分の力でなんとかしたいということに夢中になってしまい、本質からずれていくことを今なお、何度も繰り返しています。

患者さんからの
忙しそうやねの一言で、あー😩って気持ちにはなるのですが…

ゆったりすることの大切さを教わりながら、私自身もまた癒していただいているのだろうと思います。

ついついバタバタしていますが、どうぞ懲りずによろしくお願いします。

ネコくらい癒されることを私に教えてくれるものはありません。

マッサージ施術のおかげで今がある

もう7年近くお付き合いのある87歳の患者さんがいらっしゃいます。

主治医の先生が同意書を書いて下さらないので、自費治療です。

年相応に関節が変形しているので、筋肉の状態を調整しても、なかなか長持ちしません。自費治療ということもあり、なんとか2週間くらいもって欲しいと治療をさせていただいてきました。

だんだんと転倒するなど歩きにくいことも出てきましたが、歳のなせる技には抗えないところもあると自分自身を納得させてきました。

しかしながら、先日、この頃の転倒・腰痛続きで、ほおっておけないということになり、関係各位より整形外科の受診を勧められ通院されました。

その結果、ご家族様からのご報告では、

膝の変形は言うほどのことはない。
脊柱管狭窄症があるものの、87歳という年齢からすると、100人中20人以内に入る機能レベルの高さを維持できている。

と言われたそうです。

家族様からは、マッサージ施術のおかげで今がある。していなければ、もっと悪くなっていたに違いないと感謝していただけました♪( ´θ`)ノ

医療保険を使った仕事も使わない仕事も基本的にすることは同じです。医療費の無駄遣いとマッサージ施術の同意書をいただけないことも増えてきましたが、
アメニモマケズ カゼニモマケズ
信じた道を歩いて行きたいと思います。

また、マッサージを信じて自費を払って続けて下さった患者様には本当に心から感謝申し上げたいと思います。

本当にうれしいです😊😊😊

仕事に行こうとしたら、
白・黒2匹の鳩がいました。飛び立つことなくずっといたので、なんだかすごく縁起がよいようで、仕事に遅れるのも厭わず写真をとりました。
この世は全て陰陽の二層を一対として成り立っているというのが東洋医学思想の基本です。
近頃は経験とともにこの理解が深まりつつあるように思っています。

片麻痺の改善方法

この異常な気象に天気予報が外れてばかりです。

7月というのに、なんだか肌寒い風で過ごしやすくて良いのですが心配になってきます。

私のほうは、この1ヶ月の間に脳梗塞後の片麻痺の患者さんを新規で数名紹介していただきました。

患者さんたちは、突然の身体の変化に、早くよくなって発症前の暮らしに戻りたい、でも麻痺した手足が思うように動かないことを受け入れるしかないという気持ちと諦めたくない気持ちの葛藤自体が本当にお辛そうでなんとかお力になれればと思っていますが、そう簡単にはいかないのが現実です。

ただ、今までは、私が施術することで、その改善の手助けをすることをメインにしてきましたから、回数・時間などなかなか超えられない壁があり、少しの改善をしながら、生活を維持できたらいいのではという風に私もまたあきらめてきたように思います。

しかしながら、理屈的に片麻痺の改善方法はわかってきましたから、それを御本人に伝えることで、もしかしたら私の予想を超える結果が得られるのではないかと考えるようになりました。

麻痺した手足がうまく動かないのは、単純に神経がやられたからではないと考えています。
もちろん最初はそうなのですが、よほどのひどい麻痺でない限り神経は再生され指令をきちんと出しています。

しかし、重力に抗い重い手足を動かせるほどには再生されていないこと。
身体の動きは螺旋状の動きを基本としていて、この神経の異常事態に、直線的な動きを作ることで、とりあえずの回復を図ろうとすること。これが痙性麻痺というきちんと動かず硬くなるだけという状態を作り出してしまうのですが、このことを理解すれば、元どおりとはいかなくても少しずつですが、回復することが出来ると考えています。

そして、この新しい患者さんたちにこのことを出来るだけ丁寧に伝えるよう努力してきました。

すると、一人の方が、2回目の訪問時に、

この間まで動かなかったのに、麻痺した足が動くようになりました

と言って下さったのです。わずか一回の施術で!こちらがビックリしました。

動きにくい筋肉もまだうごいているよと伝えること、実際に動きを誘導することで、動く感覚を本人の身体に実感してもらうことで、こんなことも可能になるのだと知り、これから先微力ながらますます尽力したいと思っています。

そこで、これらに興味を持たれた方はご連絡いただきましたら、その実際をお伝えできたらと考えています。

どうぞよろしくお願いいたします。

決めつけないでよく見ること。
これが全ての始まりだと思っています。

治療師としての成長

毎日かんかん照りが続いていてアジサイがなんだかしょんぼりみえますが、関西もようやく梅雨入りしたそうです。

先日、うちの従業員から、
自分の母親が足が痛いというので、治療したのだが、母親の痛いという訴えに共感を示す感情が全く湧いてこなくて、自分の感受性はここまで枯れ果ててしまったのかと、涙ながらに訴えてきました。

涙ながらに訴える彼女を見ながら、彼女に対して抱いていた私の心配の半分くらいは、飛んでいきました。

「良かったね。おめでとう🎉。あなたもようやく治療師の入り口にようやくたてたのよ」

自分がなんとかしなければということがなければ、無責任に、あーだこーだと心配そうに言うのは簡単ですが、自分がなんとかしなければという責任を感じた瞬間から、そんな簡単に共感や同情を示す余裕がなくなるものだと思います。

この真面目な責任感こそが、治療師を治療師に成長させる一番大切な要素なのだと思います。

彼女は目の前の今することに必死で、自分が果たさなければならない責任について考える余裕のなかった人だっただけに、この成長を本当に嬉しく受け止めました。

ですが、これは単なる入り口です。
ここからがまた苦しい闘いの始まりです。

今ならマッサージ施術で軽減できる膝の痛み、その痛みを軽減できるようになるまで、私は多分15年くらいの歳月を必要としたように思います。

いくら見てもわからない膝を皮膚の上から眺めては、その皮膚の下で起こっていることを理解したいと見続けました。

いくら見ても、痛い膝と痛くない膝の違いがみえてきませんでした。

仕方がないので、私の両の手で膝を包み込み、自動運動をしていただくことで、手のひらの下で動く皮膚や筋肉、関節の動きの違いを感じることができました。

初めてその違いを感じられた時は、うれしくてうれしくて、患者さんに何度も何度も繰り返し動かしていただいて、うんざりされたりしました。

それでも毎日毎日同じことを繰り返しながら、徐々に、その違いを見てわかるようになってきました。

これらの退屈で地味な作業を飽きずに、続けることが一番難しいのかなと思います。

プロフェッショナルになるのは、簡単なことではないように思いますし、これで十分というゴールに行き着くこともないからこそ、飽きることなく続けていけるとも言えますが、簡単に得られない結果に諦めてしまう人が多いのも事実です。

うちのワカイシュウの成長をビシバシお尻を叩きながらのんびり待ちたいと思います。

皆さまにご迷惑をおかけすることもありますが、真面目に一生懸命頑張っております。どうぞ暖かい眼で見てやって下さい。よろしくお願い申し上げます。

施術後に、体力が低下して思うように水分補給が出来ない独居の方に水分補給の援助をするのは大切な役割の一つになっています。
元介護士の彼女は水分補給の介助がとても上手です。
画像は肖像権に配慮し一部加工しています。

受領委任払い制度の運用がスタート

京都市でも、受領委任払い制度の運用が始まりました。

今までは、患者さんが請求すべき療養費(鍼灸マッサージは医療費ではなく療養費という枠組みに入るのです)を、代理で請求するという制度だったのが、マッサージ師に直接療養費が振り込まれる、つまり保険者が治療院に委任する制度になったのです。ですから、この制度に参加しない保険者は従来どおりの請求ということになっています。

実際のレセプトには、大きな変化はないのですが、医療保険の不正使用を防ぐために添付書類が増え、また請求に関しては、治療院の施術者が誰であっても、管理者(国家資格を有するもの)が全ての責任を負うようになったことが大きな変化かと思います。今までは、請求をする施術者個人が責任を負う形となっていて、施術者ではない経営者の場合その経営者に不正請求があった場合でも全くお咎めがない状態でした。

ただ、提出すべき書類が増えたので、今までのやり方に慣れていた私たちにとっては、大きなストレスとなりました。

具体的には、往療の際、どこから来たかを記入する往療順位表の添付と、医師への報告書が加算対象となり(6か月に一度300円)、領収書の発行が義務づけられました。

求められることがあまりに細かいので、マッサージ師の保険使用を阻止するための嫌がらせじゃないかと言いたくなるものですが、公的保険を使用するということを考えると、実は当たり前のことなんだと思うようになりました。

それは、知り合いの訪問看護師さんの事業所に入った実地指導の話を聞いたからなのです。

介護保険事業所は、提出書類は電算化されていて、その請求内訳だけでよいようですが、記録に残すべき書類は大変細かなことを求めらるそうです。

例えば、関連機関と連携をとっていることを証明するために各事業所にサインをもらうようになっているのですが、それが実際にやり取りしているという証拠として、FAXの送付状や切手の使用記録などを残す必要があるといいます。記録に残らない行動はないことと同じという理屈なのだそうです。

カルテへの添付義務はないようですが、実地指導は数年に一度は必ずあり、おかしいと監査になり、全額返金になるそうです。

これに比べたら我が業界は、そもそも取り組み自体の記録・科学的根拠の提示が困難で、薬品や道具の仕入れを必要としないマッサージは仕入れなど関連を表せるものもないので、その実際のところを客観的に示すのは難しく、今までがゆるゆるに来たとも言えるのかなと思うようになりました。

たた、どんなに仕組みをきちんとしても、その網の目を潜り抜け、いかにお金を稼ぐかを考える人はどこの業界にもあるので、国家としては、取り締まりを強化するしかないのが現実なのだと思います。

もっとも、そのお役人さんが記録を残さず公的資金を喰いものにしている現実もまたあるわけですが、真面目なだけが取り柄な私は、お役所の通達のままに、真面目に資料を揃え、真面目に仕事に取り組んで人生を終えたいと考えています。それが私の性に合っているようです。

頭を使い抜け道を歩く人たちのことを考えると真面目にしていることがバカバカしくなることももちろんありますが、
日本の医療保険は、本当に多くの人のお金でまかなわれている素晴らしいシステムであることに間違いはなく、その使用に際しては、心して無駄のない施術になるよう、また自分たちの施術を記録として証明していけるよう取り組んでいきたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

寝たきりの方はマッサージの後座ってもいただきます。マッサージでほぐれた後、座位をとるとしない時と比べて楽に座る事が出来て、飲み込みも楽に。呼吸も深く出来るようになります。

理学療法とマッサージ

「今度、担当が変わって僕が関わることになりました。マッサージの先生とも協力していきたいのでよろしくお願いします。」

今年の3月に、訪問リハビリの先生からこんな電話をいただきました。
関わる患者さんとはもう5年以上のお付き合いで、私たちが関わった時にはすでに訪問リハビリも行っていましたが具体的な連携をすることはなくきていました。

この患者さんにかかわらず、訪問リハビリの先生から連携をとろうと連絡をいただいたのは長年訪問マッサージをしていますが、初めてのことでした。

ずっと理学療法士の先生たちと具体的に協力して仕事がしたいと考えてきましたから、このチャンスを大切にしたいと考え、私のしようとしていること、出来ていないこと、悠生治療院の体制としての弱点をつまびらかに説明しました。
先生は、私の話を丁寧に聞いてくださり、今後も細やかな連携を取っていこうと話して下さいました。

その後も、定期的に様子を尋ねる電話を下さるようになり、また、自分たちの出来ていること、出来なかったこと、これからしようとしていること、私たちのしていることへの疑問なども話して下さるようになりました。

私は本当にうれしくて、それから少しあつかましくなって、この患者さんの話から外れた、自分のマッサージの到達点とその中で出来ていないこと、リハビリの先生と連携したい具体的な点まで話をしたり、全く別の患者さんのことまで相談させていただいたりしました。(本当にあつかましい!)

そんな中で、リハビリの先生は、

「マッサージという手技に関しては、開業されている鍼灸マッサージの先生の方が病院勤めの私たちよりはるかに優れている方がたくさんいらっしゃると思っています。
運動療法に関しても、理学療法士より工夫をこらし、素晴らしいものを持つマッサージ師の先生がいっぱいいらっしゃると思っています。

僕は、そういう腕がないので、患者さんの生活の中で出来る訓練メニューを作り、実行してもらうことで生活を変えていってもらうというスタンスで訪問リハビリをしています。

僕たちが行った時に訓練をするよりその方がよほど大きな変化に繋がると考えています。」

と話して下さいました。

こんな事を考えている理学療法士の先生がいらっしゃるなんて本当に心の底から驚きました。

そして、

「また時間が合えば、マッサージ施術を見学しに行ってもいいですか」と尋ねて下さいました。

もちろんです。見ていただいてご意見をいただきたいのはこちらのほうです。

それからしばらくして、私の訪問時間は、リハビリの先生のご都合がつかず、お互いの都合がついて患者さんの予定もあう時間を別に設定すること(訪問日を振り替えて)になりました。

きちんと日時が決まってからは、とにかく説明が下手な私は、どう伝えれば、いまの自分の考えをうまく伝えられるかずっと考えました。

私のマッサージは筋膜療法を基本として成り立っています。
筋膜療法というのは、
ものすごく乱暴な説明ですが一言で言うと

偏った使い方を続けると筋膜は、ねじれて肥厚していく、この部分をゆっくりとした持続圧で解かしていき、正常な状態にしていく療法です。

アメリカで提唱されたこの療法を私は一から学んだわけではなく、自分なりの仕事の中で到達した先にこの療法があったという感じだし、アメリカの筋膜療法は、寝たきりや中枢性疾患の症例の記載がなく(私が読んだ限りの中ではという意味)、私よりも知識も経験も多いと思われるこのリハビリの先生に伝わる言葉を探しながら仕事をしていました。

もちろんこれまでも、いろんな人に伝える努力をしてきましたが、
うまく伝える言葉を見つけることが出来ませんでした。
でも、伝えたい相手がリハビリの先生であるということは、基礎的な理解は一致しているのですから、その先の私のしていることを伝えるだけで伝わるのだと思うと私の中にシンプルな言葉が浮かんできました。

筋膜が捻れるのは、重力に逆らうための筋力が足りないために生じるアンバランスからです。ですから、手足の重みを他力的(つまり施術者の力で)取り払い、正確な関節運動が出来れば筋膜の捻れが矯正されていく。と考えているので、マッサージという手技を中心にするよりは、自動介助運動(自分で動かしていただきながら足りない部分を補いながら運動をすること)を中心に施術を組み立てていること。

また、その引き攣れた部分を少し揉みほぐす時は、その動きの始まりと終わり(手で言えば肩と手指)を近づけることで、平面的なマッサージでなく立体的な動きを作ることが出来ると考えていること。平面的なマッサージをすると深層の筋が揉めず表層の筋だけ緩めることになり、返って動きを悪くすることがあると考えていることなど説明しました。

その患者さんに関わっていらっしゃる二人のリハビリの先生が見に来てくださって、私の説明を熱心に聞き、そして細かなところを見て質問して下さいました。

その上に、患者さんはとてもよく状況を理解出来る方だったので、普段説明が不足していることもあり、私が何を考えてマッサージをしているか一緒に聞いてもらうようお願いしたので、心おきなく説明が出来ました。

私の説明が終わった後に、リハビリの先生が、私の始まりと終わりを近づけたポジションでほぐすやり方は理学療法のテクニックの中の一つにあること。
深層の筋は単関節筋(つまり筋肉が一つの関節しか超えない)であること。
それから私の関節の動かす方向がバッチリ正しいと教えて下さいました。

その後、リハビリの先生に介助で歩行練習をしてもらいました。大きな患者さんをわたしよりずっと細い小柄な身体で上手に誘導し、軽く歩行を介助されていました。歩行前の座位姿勢は傾きがあったのに、歩行後はまっすぐ(見たことがないくらい真っ直ぐに!)座ることが出来るようになっていらっしゃいました。

「マッサージの後に機能訓練をすればパーフェクトですね。患者さんからマッサージの後は動きやすいと聞いていましたが今日その理由がわかりました」
と言って下さいました。

そしてその翌日、リハビリの先生からメールが届きました。

「この患者さんの障害と生活スタイルに比して機能レベルが高い理由がわかりました。安井先生のマッサージがあるからです」

と言って下さったのです。

本当にうれしくてうれしくて、これから本当の意味で、一緒に仕事が出来たら最高に幸せだと思いました。

マッサージと理学療法は、本来は一つの体系の中にあるはずのものが、歴史的な経緯から二つに分かれ、その上少し対立的な立場になってしまっているだけだと考えています。

さあ、いざ、ともに歩まん❣️

よろしくお願いします。

患者さんの手作りシュウマイ。美味しくいただきました。
この方の場合はうまく連携が取れていません。
私はどうしたら一歩が踏み出せるか思案中です。

ワクワクできる未来にむけて

先日、ある患者さんのことで、病院の訪問リハビリの先生から問い合わせのお電話がかかってきました。
「どんなことをされていますか?」

訪問看護師さんからの紹介の患者さんで、もう5年くらい訪問させていただいています。
年齢が若く、お一人暮らしなので、リハビリがとても大切な要素になっている方でした。

今回お電話をいただいた訪問リハビリの事業所さんも、私たちより長いお付き合いだと聞いています。

ところが、訪問リハビリと訪問看護、そしてマッサージがうまく連携できずに今に至っていました。

大きな理由の一つは、介護保険ではなくて障害者の自立支援によるサポートの中では、介護保険のような細かな縛りがなく、ケアマネジャーがはっきりと舵取りをしなくとも、本人がしっかりと自己主張できるため、多職種の横のつながりが薄くても物事が進行するということだろうと思います。

ここの訪問リハビリの先生は若い女性だったので、経験年数からしてこちらから声をかけて連携を取れたらよかったのですが、マッサージ師という私の立場を考えるとなかなか声をかけにくいものがあり、うまく連携が取れていませんでした。

マッサージ師から、リハビリの先生に何か言うのは難しく、私の意図や考えを正確に伝える自信もなく、こじらすくらいなら黙っている方がまだいいと長い間この状況をそのままにしていたところ、電話をいただいたのでした。

リハビリの先生が交代されて、新たに方針を再確認して仕切り直そうというお考えのようでした。

私の方でもちょうどこの方への関わりは行き詰まってました。
立ち上がり・立位保持は安定してきたのですがこの先の歩行の可能性をどうするか、リハビリの先生と連携をしないと難しいのではないかと考えていたところでした。

新たな出発でどちらに向かうかはまだわかりませんが、少なくとも今よりは前に進んでいくように連携をとっていきたいと思います。

今日その患者さんを訪問し、お電話をいただいた話をしました。

するとその新しい先生は、この患者さんが15年前の発症直後に入院されている時に、見て知っていたということでした。
そして、その時の姿からは、今のように機能が回復しているとは考えられなかった、想像を上回る回復だと言って下さったそうです。

服薬、リハビリ、マッサージ。それから生活の何が回復の力か定かではないとご本人は言われましたが、とにかく

「すご〜い!」と思います。

そして、そんな評価をしてくださる方がチームに加わってもらえるとはとても嬉しいことです。

失われた機能の回復は簡単なことではありません。
多分回復への一番のエネルギーは、この方自身の気持ちの強さに違いありません。

そして、これからも、少し遠い先に少しでもワクワクできる未来が思い描けたら、それだけでもまた、更なる生きるエネルギーになるんじゃないかなと思います。
思い通りの回復が手に入らなくても、その関わり自体が楽しい時間になることで、大きな生きるエネルギーの源になると思います。

私自身もリハビリの先生に伝える言葉をもっと勉強して、一緒にワクワクを作って行きたいと思います。
どうぞよろしくお願い致します。

途中障害の方との関わり

治療院の患者さんの多くは、70歳以上の方ですが、中には働き盛りになんらかの理由で障害者になられた若い方もいらっしゃいます。

私が歳を重ねてきたこともあり、自分と同世代という方も増えてきました。
そのような途中障害の方を紹介していただいた時の最初の面談は本当に緊張します。

その心のうちはいかばかりか、毎日仕事をしている私には理解することが困難な気持ちを抱えて生きていらっしゃるだろうし、不用意な発言で傷つけてしまわないだろうかと思うからです。

自分の身体が思うように動かないということは、いくつであろうと辛いものだと思いますが、人生これからって時に突然襲われる障害を受け入れるのは本当に大変なことなのだろうと思います。

多くの人にとって、生活とは自分のもので、仕事などの社会的な拘束の時間が終わり、家に帰れば、自分の都合で食事を取り、気分に合わせてお風呂に入り、眠くなったら眠る。来客は非日常というのが一般的なんじゃないかと思うのです。

ところが、在宅でケアを受けるということは、自分の生活が来客(訪問介護・看護師・マッサージ・医師など)の都合でコントロールされていくことになるのですから、自分の家にいながら集団生活に放り込まれるようなことではないかと思います。

一人の力では生活がままならないので、支援を受け入れていくしかないのだとは思いますが、自分の身体に慣れていくのも簡単ではないところに、四六時中気が抜けない毎日を過ごすとなると、それ自体に慣れるまでのストレスも相当なものじゃないかと思うのです。

障害者になり、このような生活の細部に起きる変化は、多分実際に体験してみないとわからないのではないかと思います。
仕事をする側としては、当たり前になってしまった日常で、患者さんの中に積もっていくわだかまりや違和感を忘れがちで、患者さんと私の感覚のズレに耳を澄まし眼を見開きながら関わらせていただかないと、気がついた時には大きな溝があるという事になってしまうことを多く経験してきました。

障害者と一括りにはできない、それぞれに違う受け止め方、こだわり、マッサージへの希望などがあり、わかったような気になったつもりでも、本当のところは、長い時間をかけて少しずつしか理解に近づいていくしかないのだとようやく思えるようになってきました。

今年一年は、この人はこうなんだろうと「決めて」いたことが、患者さんの何気ない会話や行動の中で、自分の理解がズレていたことにようやく気がつくということがいくつかありました。

そして、今年の新たな「発見」は、私の中で決めつけていた「大変な暮らし」だけではなく、毎日を楽しく過ごされている姿をようやく私が感じることができましたことです。今までも見せて下さっていたのだと思いますが、私の決めつけがその事を感じなくさせてきたように思います。

自分が相手に対して失礼で傲慢な気持ちでいたのだと反省しながら、でも楽しそうに生きていらっしゃる一面がある事が本当に嬉しくて、ホッとしました。

途中障害の方に関わることは、まだまたわからないことだらけで、治療的にも精神的な関わりにおいてもいつも迷いの中にいます。

それでも、人生を生き延びてお迎えを待ちながら過ごしている「老人」に関わる仕事と同じに考えること自体が、途中障害の患者さんの心を傷つけ、心の架け橋を外してしまうのではないかと思います。
その上で、自分の中で患者さんののゴール設定が見つけられず、迷いながら仕事をする姿勢自体が心の架け橋の始まりになるのではないかと思っています。

二十代の頃は、仕事とプライベートを明確にわけ、仕事の顔で接しなければならないと信じ込んでいました。
五十代になった私は、患者さんと同世代だったり、孫と一緒の世代だったのが子どもと一緒の世代になり、人間とは多面的なものであることを理解し、仕事とプライベートの顔を分けることなくお付き合いさせていただけるようになりました。

愚痴も聞くけど愚痴も言います。
励ましてあげられる時もありますが、励ましてもらう方が多いかもしれません。
仕事ばかりしているので、気の合う友人に会う時間より、気の合う患者さんに会う時間の方が長かったりするので、なんだか遠くの親戚みたいな感じになることもあります(友達でもなく、仕事以外の関わりでお役に立つこともないけれど、縁があるので心配する感じでしょうか)。

治療させてもらうことでお役に立ちたいとは思っていますが、そのおかげでお金を得ることができ、精神的にもいろいろ教えられることが多く、私の方が助けてもらってるなと思えるようになりました。

感謝の心で毎日を過せますように。来年もまた今以上に多くの気づきがありますように、日々精進したいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

患者さんからいただいたクリスマスプレゼント🎁来年はこの手帳でがんばりまーす。

自然治癒力を最大限引き出せるのが上医

「鍼灸師マッサージ師の上手下手は、患者の自然治癒力を最大限引き出せるのが上医、引き出せ無いのは下医。相手の病人に合わせられる技量の差なんやね。今夜思い至った。」

鍼灸師の辻村先生から送られてきたメールです。

『黄帝内経』という現存する中国最古の医学書があるのですが、そこには「上工は未病を治す」と書かれているそうで、本当の上手い医者というのは、病気を治すことではなくて、病気になる前に患者の自然治療力を引き出し、その体質にあう治療を施し、病気に至ることを防ぐという考え方です。

この考え方はよく知られてもいるので、「患者の自然治療力を最大限引き出せるのが上医」というのは東洋医学において当たり前のように思いますが、辻村先生からのメールでしみじみ、治療師というのは、自分の技術の誇示という欲がある間は、上工には決してなれないのだろうと思い至りました。

何故って辻村先生の鍼治療のおかげで、私は更年期も肉体労働の疲れによる痛みも気にならなくなってしまいまうくらいの腕前を三年前に既に持っていらっしゃったのです。

先生から治療を受ける三年前までは、枯渇してきた女性ホルモンを出せと脳が命令するせいで、筋肉が絞られるように身体中が痛くて、とりわけ耳の後ろ辺りが痛くて目が覚めることもありました。
またマッサージで使い過ぎる腕は、月曜から金曜に近づいてくにつれ、肩甲骨周りが痛くて、土日の休養を身体が欲していました。

でも辻村先生の鍼治療を受けるようになり、そんなことがあったこともすっかり忘れてしまったくらい、私の身体は軽く変身してしまったのです。

こんな治療効果が出せる辻村先生が、今更ながら「思い至った」と言われるのには、私が未だ到達できない深い境地からさらに思い至ったということなのだろうと思うわけです。

それは、多分、単純に自然治癒力を引き出す治療を心がけるということではなくて、治療の主人公はやっぱり患者本人であり、治療師はほんの少しの手伝いをするに過ぎないと脇役になれる力なのかなと思います。

若い治療師の先生方を見ていると、かつての私もそうであったように、自分の技術力でなんとかしたいという欲からはなかなか自由になれないで、患者さんの身体ではなく、患者さんの身体に投影してる自分自身を見ているのだろうと思うことがよくあります。

私自身は今年、51歳になりましたが、私のこの一年は、患者さんの身体に寄り添うことを少し深く覚えることが出来た年になりました。

まだまだ自分勝手な治療ですが、その中でもうまくいかないことを患者さんに指摘される前に、ようやく自分で気がつけるようになってきました。そして、自分の影響力を加減するということを少しずつ学んでいるところです。

こういうわけで、治療師としての成長は、その内面的な成長抜きにはやはり難しいのかと思い至ってきたところですが、その熟成には、懐の計算や自己顕示欲の枯れる年齢まで待つしかない面があるのかもしれないと辻村先生のメールでしみじみと考えました。

それでも、向かう先が少しずつはっきり見えてきたので、澄みきった穏やかな心持ちで治療出来る世界に向けて歩みを進めていきたいと思います。
そのような境地に達することが出来るとすれば、何よりも幸せなんだろうなぁとうっとり想像します。

先日90歳を迎えた患者さんが、

「今振り返ると、50歳からが第二の人生の始まりだと思う。今からやで」
と言って下さいました。

第二の人生を穏やかに泳いで行きたいと思います。まだまだ必死の形相かなとは思いますが、この思いは確かです。どうぞよろしくお願い致します。

寒い朝の空気が好き。気持ちが引き締まる感じがとてもいい。