フィギュアスケート・長洲未来選手のキネシオテープ

酷寒の中で、平昌オリンピックが開催されていますが、アメリカでは、フィギュアスケートの長洲未来選手の「太もも」に貼られたキネシオテープがその演技以上に話題になっているそうです。

平昌五輪 宣伝効果抜群、フィギュア長洲未来の「太もも」 SNSに問い合わせの声続々
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180212-00000553-san-spo
2018/2/13 産経新聞より

——(ここから産経新聞記事の引用)

平昌冬季五輪のフィギュア団体女子フリーで、日本人を両親に持つ長洲未来(米国)がトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を成功させた。五輪の女子で伊藤みどり、浅田真央に次ぐ史上3人目の快挙となるが、米国内ではその演技以上に長洲の「太もも」に視線が集まった。

五輪をテレビ観戦していた視聴者が、次々にSNSに書き込んだ。「長洲は太ももに『USA』のタトゥー(入れ墨)をしているのか?」「内ももにあるのは青あざ? タトゥー?」「長洲の太ももに『USA』のロゴ? タトゥーだろ」…。演技中、長洲の右太ももの内側にちらついた「USA」の文字に関する質問が拡散された。

米紙ワシントン・ポスト(電子版)によると、この「ミステリー」の正体は「キネシオロジーテープ」。関節などを固定する従来のテーピングとは異なり、筋肉や関節、靱帯(じんたい)などを保護・サポートする目的で開発されたスポーツテープだ。

——(ここまで引用)

キネシオテープは、日本の加瀬建造先生が考え出された優れものです。

加瀬先生が書かれた『キネシオテーピング法』上下巻(医道の日本社)初版の発行は1987年まで遡ります。

 

そして今や、日本のスポーツ界ではキネシオテープを知らない人はいないだろうと思うくらいに有名で、素晴らしい効果を発揮してくれます。

一般の薬局にも必ず数種類のキネシオテープが並んでいます。

治療機序について、『キネシオテーピング法 上巻』では、
炎症部位など血液やリンパの流れるスペースが狭められた箇所に、一定の収縮率を兼ね備えたキネシオテープを貼ることで、皮膚と筋肉間の摩擦が減少し、スペースが確保され、血液やリンパの流れが活性化し痛みの軽減、消失がおこると説明されています。

しかしながら、その効果の大きさが先生の予想を超えたからか、『キネシオテーピング法 下巻』では、人体最大の臓器である肝臓より、その総量において勝る、皮膚を単なる一枚の皮でなく、生命の維持に欠くことの出来ない最も重要な臓器の一つと捉え、キネシオテープの効果が皮膚と筋肉間のスペースの確保というだけでは説明のつかない有効性について言及されています。

私的には、皮膚がその下にある筋肉の働きを守り助けていると考えていて、トラブルを抱えた筋肉の走行に沿ってキネシオテープを貼ることで、様々なトラブルを解決してくれるので、数年前から大変重宝して使わせていただいてきました。

そして、ここ最近の私の治療は、以前にも増して、筋膜リリースを中心とした治療に変化してきているので、キネシオテープを使うことがますます増えています。
というのも、キネシオテープがリリースした筋膜が元に戻るのを防ぎ、治療効果を長持ちさせてくれるからです。
数時間後に剥がしても痛みが消えたままだったという報告をしていただけることもよくあります。

皮膚や筋膜といった”周辺器官”の果たしている役割がとても大きい証なのだろうかと思います。

そう考えると、皮膚とその下の筋肉への働きかけを手技の中心とする按摩・マッサージ・指圧師の果たせる役割は、さらに深い広がりを持てるのかなと未来への期待も膨らみます。

以前ブログに書いたキネシオテープの記事は2つあります。

優れもの キネシオテープ
https://www.yukicure.com/2017/02/19/kineshio/

治療師として息子の身体をみる
https://www.yukicure.com/2017/01/31/kotengu/

ところで、こんなすごいキネシオテープですが、アメリカ人の中では、USAというタトゥーかもしれないと話題になるところがお国柄の違いなのかなと思います。

ちなみに英語ですがTIMEでの長洲さんの記事はこちら。長洲さん本人がタトゥーじゃないですよと否定しているツイートも引用されています。

No, That’s Not a Gigantic ‘USA’ Tattoo on Mirai Nagasu’s Leg
http://ti.me/2Elfwzr#ab1fc91c-4b8f-4322-9049-d2ed833b82d7

桜吹雪や登り竜のキネシオテープを作ったら日本のキネシオテープとして世界中が虜になるのかしら😆
🌸がんばれ日本🌸

高齢者疑似体験グッズを考案!?

先日、包括支援センターで働いている友人から

「啓蒙活動の一環に、小学生を対象に高齢者体験をする予定なのだけど、簡単に出来そうななものはない?擬似体験グッズも売ってるんだけど、身近なもので、代用できるものないかな?」

とメールが来ました。

老化の始まりは、二足歩行のために立ったている骨盤の後ろへの傾きからだと考えています。

そうなると、まず下っ腹がでてきて、お尻が垂れて来ます。
背が少し小さくなって、肩の痛みが起きたり、頚の動きも悪くなり、白髪が増えたり、目や耳も遠くなります。

なので、一番に下腹と太ももをガムテープで固定するだけでかなり「老人」に成ると返事しました。
デモテープも付けました(息子に協力してもらいました)

解説があると尚いいとのことで、2月10日に約束を入れていました。

当日伺うと、インフルエンザで子どもたちの参加が延期になり、お年寄り向けの健康教室の講師依頼に変わっていました🤣2月16日の予定です。

ラッキーな営業のチャンスだと思って頑張ります。

今回は、筋膜が老化に伴う身体にどんな悪影響を及ぼすかを具体的にお話しさせていただこうかと思っています。
そして、頭・顔の簡単で効果的なケアを一緒にしようと思います。

あまりに短い準備期間ですが、頑張りまーす💪

気負いのない、「老人の日常」

先日、患者さんのお孫さんから、
「ブログ見つけたよ。面白くて毎日見てしまう」と言っていただきました。
嬉しすぎて、他の全てが吹き飛んでしまうくらいハッピーな気持ちになりました。
読んで下さって本当にありがとうございます😊

私の仕事は、毎日毎日が、患者さんとそのご家族に支えられ、教えられることの連続です。
そのことが私に大きな気づきと成長をもたらしてくれています。
私のブログが面白いとしたら、それは本当に患者さんとご家族のおかげなのです。

仕事を始めた頃は、自分が誰かの役に立てることや、自分の技術を評価してもらえることが嬉しくて、大きな夢を抱いて仕事に臨んでいたように思います。

しかしながら、長年仕事をしていると、患者さんが入院されたり、亡くなられたり、訪問を断られたりと、仕事自体がなくなることも多く、仕事があるだけでありがたいと思えるようになりました。

こんな気持ちになってくると、成果を出すとか、治療師として尊敬を勝ち取りたいとか、そういうことは、二の次になります。ただ、仕事をさせていただくことがありがたいのです。

そうすると、私に気負いがないからか、相手も気負いのない、「老人の日常」を見せて下さるようになりました。

それは、仕事を始めた頃に考えていた、夢や希望のない絶望的な世界ではなく、全てを成し遂げた後の、自分と自分の築いてきたものにだけ囲まれた、穏やかな、ある意味完璧な世界なのではないかと思うようになったのです。

なぜなら、患者さんの話しは、とても興味深く魅力的で、また、どんな話も、自慢たらしくも自己卑下的な聞き辛さもありません。それは、患者さんの内面が全てを超えてきた成熟した豊かさの中にあるからではないかと思うのです。

私は、施術中の、寝物語的に聞く患者さんの話が大好きです。
私もその時代にタイムスリップして、横からこっそり覗いているような気持ちになります。

また、私の人生を気遣いして下さるアドバイスは、本当にしみじみと心に響き、私の心を軽くしてくれます。

施術しながら一緒にテレビをみていると、物の見方が一つではなくいくつもあることを教えてもらえます。

長い時間を生き抜いてきたこと自体が、その人の自信となり、そこから溢れた言葉だからこそ、私の心に響いてくるのではないかと思うのです。

最初にブログを褒めて下さった方の”ばあちゃん”も、ことある事に私を励まし、一緒にテレビを見ては世間を語り、苦労続きの昔話をして下さった一人です。

その”ばあちゃん”は残念ながら今、入院中です。

過酷な人生を生き抜いてきたその身体は、限界に近づいているようにも思います。
でも、家族みんなから愛されている”ばあちゃん”は、今までも何度も奇跡を起こして立ち上がって来られました。
今回もまた、奇跡を起こして、東京オリンピックを一緒に見て下さるに違いないと信じて、退院の日を楽しみに待ちたいと思います。

どこからも見える京都タワー。すごくないタワーだけど、京都タワーが見えるとほっこりします。
こういう存在になれたらいいなと思います。

スタッフの報告「脳梗塞」

今日のブログはスタッフが書いています。
昨日のブログに書いた(クリックすると記事に飛びます)訪問した患者さんの脳梗塞に遭遇したスタッフがその時のことを書きました。

—————————–(ここからスタッフによる報告)

患者さんのお顔を見て明らかにいつもと様子が違いました。
声かけに反応がなく、目線は合いますがすぐに逸れてしまう。
言葉もない、体の動きもない。
連絡ノートには朝から様子が違うと記載があり、往診センターに連絡していると書いてありましたが、まだ往診はなく、いつ来るかわからない。
呼吸は穏やかだけれどもこのまま往診が来るまでほっといても良いのか、どうしたら良いのか、本当に分かりませんでした。

何かおかしいと思いながらも血中酸素濃度を測ってみました。97%と正常値で、呼吸は穏やかでした。
大丈夫かもしれないけどおかしい、と混乱しました。

往診を待っていいのか、ドキドキしながら、院長に電話をかけました。
「脳梗塞の再発かもしれないけど、どう?」と聞かれました。脳梗塞の再発とは思いつきませんでした。
「救急車を呼んだ方がいい?」とも聞かれましたが自信がなく、返事が出来ません。
「熟睡してるの?」と聞かれました。それは違うことはわかりました。

院長は「往診を急ぐように連絡をする」と言って電話が切れました。

少しホッとしたところに、往診の先生が来て下さいました。

先生は、患者さんに呼びかけても反応がないので、腕をつねって反応を見られました。
しかし、反応が薄く、一番意識レベルが低い300という状態(※)だと言われました。
脳梗塞再発の疑いで救急搬送になりました。

救急搬送されてホッとしました。
院長に状況を報告するように言われていたので、簡単にメールで報告を済ませました。

すると院長からもう少し詳しい報告を求められましたが、自分が混乱し、判断できなかったことを責められていると感じました。

既往歴から脳梗塞の再発の可能性や、意識障害が起きている可能性について考えられなかったことを情けなく感じていましたし、救急搬送されて問題が解決したので、何をどう言われているのかよくわかりませんでした。

わたしは、自分に自信の持てないことが多すぎて、誰かに頼ったり助けて欲しいというのが苦手です。
だからチームで動いているという意識が薄く、治療院や周りのスタッフとうまくコミュニケーションを取るのも得意ではありません。

が、今回は院長だけでなく、往診の先生、ヘルパーの責任者、ケアマネさんも来てくださり、チームで働くということを少し学んだように思います。

また、自分の仕事が、患者さんの命を支える一つの力なのだとしみじみと実感することが出来ました。
出来たら、この患者さんが、もう一度在宅復帰が出来ることをお祈りしています。そして、今度こそは、自覚的にチームの一員として関わっていけたらと思います。

(※)3-3-9度方式という指標
JCS(ジャパン・コーマ・スケール)|意識障害患者の意識レベルの評価指標|看護roo![カンゴルー]
https://www.kango-roo.com/sn/k/view/3082

——————————(スタッフによる報告 ここまで)

いろいろ言っても、愛を基本に仕事するのが一番大切なんじゃないかとしみじみ思う今日この頃です。(田中)

チームケアについて

金曜日の夜は治療院のミーティングです。

今週に起きた特別な出来事の対応について話し合いました。

特別な出来事とは、うちのスタッフが患者さん宅に訪問した時に、患者さんが脳梗塞で意識消失された状態にあったのです。

そのスタッフは、呼びかけに応じず反応のない患者さんをみて、明らかに異常事態が起きているとはわかったものの、どう対応してよいか分からず、私のところに連絡をしてきました。

電話での報告では意識消失されているのか、ただぼんやりされているのか判断できませんでした。
主治医の往診を依頼するのか、救急搬送の連絡をするのか迷いましたが、ケアマネさんとも連絡をとり、脳梗塞の可能性があるかも、ということで主治医の早急な往診を依頼しました。

そして、医師の往診の結果、痛みさえ感じないレベルの意識消失という診断を受け、救急搬送になりました。橋という神経の束が通っている部分に梗塞が起きていたということでした。

うちのスタッフが異変に気付き往診に繋げることができホッとしました。

しかし後から思い返すと、反省点や次に繋げて行かなければいけない大切なことがたくさんあります。

しかし、このスタッフは、その場で一人で判断できなかったことに対する悔しさと、救急搬送できたという安堵の気持ちで、いっぱいになっているように見えました。

経験がないとすぐに分からなくても仕方ありませんし、そのために私たちはチームで仕事をしているのです。また自分の経験を治療院のみんなに伝えることも何より大切な仕事です。

私たちの仕事は、お決まりのマッサージをすればいいという仕事ではありません。多職種連携を含め、チームで仕事をするという気持ちを持つことが、患者さんを適切にサポートする上で、とても大切なことなのです。

このスタッフは、普段から、何事も自分一人で解決し、自分の中で終わらせてしまう傾向にあります。今回のように、多くの連携の上で適切な対応が出来たにもかかわらず、チームのありがたさより、自分がすぐに対応出来なかった未熟さについての言葉しか出て来ませんでした。

それでは、チームケアは出来ません。
自分の力を過信する、言葉は少しきつい表現になりますが傲慢な考えが根底にあるように思います。私たちスタッフは患者さんの命に関わる仕事のチームに入れてもらっているのです。関わらせてくれているチームの人たちへの感謝や信頼、また未熟な自分を受け入れてくれている患者さんへの感謝をもって仕事に当たれば、自分の未熟さに対する嫌悪より、喜びの気持ちが大きくなるのではないかと思います。

昨日の話し合いで、私の怒りが大爆発したのはここだけの秘密です🤫

話し合いは、深夜まで続きました。
疲れて眠いだろうに嫌がらず付き合ってくれたスタッフには、本当に感謝です。

その上に帰り際に、一人のスタッフが、

「院長は、スーパーサイヤ人みたいやな。大変なことが起きる毎に倒れずに、前より強くなる。すごいな」

と言ってくれました。

スーパーサイヤ人とは、ドラゴンボールの主人公一族のことで、自分より強い相手と闘う毎に強くなる、闘うために生まれてきた種族のことです。

優しい言葉が身に染みて本当に幸せな気持ちになりました。
そうです。在宅も治療院も一人では出来ないことをチームだから出来ることがあるのです。

周りに支えてくれる人たちがいるから仕事が出来ていることを忘れず、感謝の気持ちで明日からも頑張ろうと思います。

どうぞよろしくお願い致します。

▼The Rose – Bette Midler (歌詞字幕)English & Japanese Lyrics
スタッフにプレゼントしたいと昨日この歌を聴いていました。ええ歌です。
https://youtu.be/CB4EgdpYlnk

折り紙クリエイターのご紹介

今日患者さんの娘さんが何気に「お母さん、息子の個展のチラシ渡してくれた?」と話されて、
私にチラシを持って来てくださいました。

「息子は折り紙が好きで就職前の最後に個展を開きます。良かったら来てください」

患者さんから話に聞いたこともないお孫さんの個展の話を、私のようなマッサージ師にするのは、なんとなく不思議だったのですが、来てくれる人が一人でも多い方がいいのかななど思いながらステキなチラシを受け取りました。

返事に戸惑っている私に、
「ハイパーステージアで検索してみて下さい」と念押しして下さったので、とにかく見てみようと思いました。

で、家に帰り着き、一息ついて、ググってみました。

なんと、有名な天才折り紙師でした!

息子と興奮しながら見入りました。すごいなぁと言いながら
ツイッターのアカウントを見つけ、すぐにフォローした超ミーハーな私です。

患者さんやそのご家族が”すごい”と、知り合った私まですごい気になっちゃいます。
ミーハーすぎる私を、患者さんの娘さんは鋭く嗅ぎつけて教えて下さったに違いありません・笑

皆さまにも天才折り紙師をご紹介して今日のブログはおしまいです。

是非ご覧になってみて下さい。

http://gokitannlove.wixsite.com/hyperesthesia


折り紙がハイパー上手い人の展示会 深海編
ギャラリー北山
3月17日(土)10:00 – 18:00
3月18日(日)10::0 – 18:00
入場無料

生きたように死んでいく

先日患者さんが亡くなられました。

昨年の10月に96歳のお誕生日を迎えられたところでした。
「子どもたちと孫も来て食べに連れて行ってくれて、お祝いしてもらったんですよ」と嬉しそうに話して下さってから、2か月あまりのことでした。

20年以上この仕事をさせていただいているので、お迎えが来て患者さんとお別れすることはめずらしいことではありません。今回は亡くなられる前にお別れの挨拶がご本人からあり、それは初めてのことでした。

「もう十分よくしてもらいました。ありがとう」とかすれた小さな声で言って私の手を握って下さいました。

ご家族もいらしたので、私にだけ言って下さったわけではありませんが、私は、それが自分の終わりを悟った覚悟の言葉だとすぐにわかりました。

お正月前に体調を崩されてベッドから起き上がることも難しくなっていましたから、その時が近いということはわかってはいましたし、その状態を支えるためのチームが再編成されたところでした。

脳梗塞の左片麻痺を患いながら、数か月前まで室内は自分で歩いてすごされていましたが、私から見ればぎりぎりの機能を使っての自立でした。立ち上がりやズボンの上げ下げもようやっとという風でしたが、立ち上がりのコツを伝えるだけで、すぐに実践できた方でした。

普通は何度も繰り返していく中で、「クセ」として獲得される方が多いのですが、少しのアドバイスで自分で工夫して様々な動作が自立できていました。

それで、体調を崩して歩くのも大変になった昨年の秋までは、私の訪問は週一度で、マッサージで身体を使いやすく調整することと、動作の確認だけで十分な方でした。

自分のペースで生活をされ、家で過ごされる姿がとても穏やかで、他人が入るのは申し訳ないような暮らしぶりでした。そこへ頻回に訪問するのははばかられましたから、なるたけ訪問回数を増やさないようにしてきました。

この方は、時間があれば本を読んだり、パソコンを開いてゲームをしたり、そこには確かに彼女の時間が流れていたのです。

多くのお年寄りは、時間を持て余していらっしゃるように見えますし、他人の訪問自体が生活のアクセントになり、そのまま生活の活力になっていくように思いますが、そんなことを感じるところが全くない方でした。

そして、その振る舞いの全てが、私には、どことはなく、高い品格とインテリジェンスを感じさせるものでした。

マッサージ中も多くを語られないので、どんな経歴か聞いて見たくなりある日ついに聞いてみました。きっと良いところのお嬢さまだったに違いないと思っていました。

ところが彼女は、笑いながら
「とんでもありません。貧乏でずっと働いてきました。幼い頃に、母親と死に別れ、親戚に預けられました。小学校を出てすぐに奉公にいきました。小さな頃から、人の顔色ばかりを伺って大きくなりましたよ。

奉公先も結婚もその家のおばさんが決めた通りにしました。自分で決めることはなかったんですよ。
結婚した主人は優しい人でしたが、生まれた長男がダウン症で、小学校も行けず、ずっと家で見てきました。長男が亡くなるまでつきっきりでした。
今ようやく本を読む時間ができたんですよ」
と話して下さいました。

「簡素清貧」という言葉があります。
飾らず質素で、心清らかなる様を表す言葉です。

訪問マッサージで、明治・大正・昭和初期の方とお付き合いしていると、この方のように、本当に苦労をされてなお、心清らかに私のような人間にまで丁寧に気を使って下さる気高さを持ち合わせていらっしゃる方々に会うことがあります。
言葉で言い表すのは難しいのですが、このような方々と接すると、いつもこの言葉が思い起こされます。

私もこんな風に清らかな心で、必要なものだけに囲まれて暮らしたいなと思わずにはいられないそんな方たちです。

在宅医療を支え続けている医師が
「みなさん生きたように死んでいかはります」と話して下さったことがありますが、まさに生きたように死んでいかれたのかなと思います。

特別の訪問看護も医師の往診も受けることなく、その日の昼には入浴サービスの清拭を受け、そのまま静かに亡くなられたそうです。私にご挨拶をして下さった5日後のことでした。

今回は、ご挨拶いただいたおかげで、私もお礼を伝えることができました。
「感謝するのは私です。私に縁を下さって、仕事させていただいて、本当にありがとうございました」

心より、ご冥福をお祈りいたします。

リハビリにと折って下さいました。
甘いものを食べたくなくなったからと、仏さんのお下がりを「もらって下さい」とよく下さっていました。恐縮しながら喜んで、いただいてばかりでした😊

小室哲哉さんの会見:介護をする方をマッサージして感じること

小室哲哉さんの音楽家としての才能やその他のことと切り離しても、この会見は、長期に渡る介護が、介護者の心身を疲弊させていく悲しみについて深く物語っていると思います。
読まれてない方は、是非一度お読み下さい。

▼小室哲哉、涙の引退会見「悔いなし、なんて言葉は出てこない」(ナタリー)
https://natalie.mu/music/news/265902

私は訪問マッサージを初めて23年目を迎えました。患者さんの悲しみしか見えなかった若い日からすると、介護者の深い悲しみを少しずつ感じられるようになって来たように思います。

介護を知らない方のために、私なりに状況を少し捕捉させて頂きたいと思います。

介護者は、
介護を始めた頃は、慣れないことの連続に、疲れ果ててしまうようです。
オムツ交換やトイレ誘導など身体介護の一回一回は、なんとか出来ても、介護は、一日に何度も、毎日の繰り返しです。足腰の痛みの訴えのない方はまずありません。

また、介護保険のサービスなど社会資源に頼れるようになって身体は楽にはなりますが、他人が家に来てくれるということは、人のスケジュールで生活するということで、経験しないとわからないストレスがあるようです。

その上に、介護が長期化するということは、患者さんにとって、それは成長ではなく、歳を積み重ねる時間の経過ということなのです。

時間が経過すれば、障害がなくても老化は進みます。ですが、障害や疾病を抱えるということは、そのスピードが健康な人より速いということなのです。

つまり、良くなっていくより少しずつ悪くなっていくのが普通のことなのです。
時間とお金を費やしてリハビリをして、(私のマッサージもです)一時的に良くなり、お世話が楽になったとしても、自然の摂理には敵わないのです。

このことが、愛情深い介護者の心を直撃してしまいます。やってもやっても結果が出ないことに心が深く傷ついてしまうのだそうです。

その上に、介護中心の生活は、社会的付き合いに制限を加えて来ます。
介護者が若ければ若いほど、同世代の人と付き合う時間を奪われ、介護の悩みを誰とも共有できなかったりで、介護者のその孤独感は計り知れません。

私は、介護者の方のマッサージをさせていただくこともあります。介護の終わりが来て、縁が切れることもあれば、その後も関わり続けられることもあります。

その時に、いつも私が感じることは、介護が、介護者に与えるダメージの大きさは私の想像をはるかに超えているということです。その大きなダメージに、私のマッサージはなかなか太刀打ち出来ません。その心身の回復には、長い時間が必要なように思います。

介護を経験した人にしかわからない心身の疲弊がつきまとうのが介護なのだろうと思います。美談なんて軽い言葉で言い表わせなのじゃないかと思います。

このような現状は、日本の高度医療の進歩が作り出したものだろうと思います。
もちろん介護保険や在宅医療に関わる人たちは、これらに少しでも貢献したいと思って日夜努力を重ねていらっしゃいます。
しかしながら、長寿や生にこだわる日本人の思考や滅私奉公的な姿を美談と捉える風潮を超えていかないと難しいのかなと思ったりします。

日日介護の現場を目の当たりにしている私の目標は、「楽しく生きて天国に行こう!」です。

うれしい出来事がありました!

昨日のことです。

なんと、家に帰ると、千葉県在住のツイッターのフォロワーさんから、サッポロ一番竹岡式ラーメン ファミリーパックが一箱(つまり30食入り)が宅配便で届いていました!

千葉県でマッサージ師をされている方が、拙ブログを読んで参考にさせてもらっていますと送って下さったのです。

あまりにも、思いがけない出来事でした。

息子は何度も
「なにしたん?なんかあげたん?」
「なんで送ってくれはったん?」
「後から請求書くるんちゃうん」と聞いてきます。

私も何が何やらわからず、
「後から請求書は来ないと思うけど、何にもしてないんだけど、私のブログを参考にして活用して下さっているらしいんだけど。何にもしてない…」

DMでお礼を伝えたら、

「お疲れ様です。どうぞ、ご笑納ください。
ありがとうございますは、私の方です。仕事に、勉強に熱心な先生とコミュニケーションが取れたこと、感謝してます。激務の日々、お身体にご自愛ください。」

と言って下さったので、有り難く受け取ることにしました。

私の書く文章が、全く知らない方の心に届くものがあったなら、本当に嬉しいことです。

毎日の仕事の中では誰にも言えないような悔しいこともままありますが、自分を信じて頑張ろうと改めて思いました。
本当に本当にありがとうございます。

悔しくてご飯が入らない夜は、しばらくは、美味しいラーメンが私を待ってるわ🤤

それにしても、私がラーメンの中でもインスタントラーメンが一番好きで、一人飯ならインスタントラーメンが一番食べたいご飯って言うのは誰も知らない秘密のはずなのに…
なんでわかったんだろう🤔


小さい頃、日曜日のお昼は必ずインスタントラーメンでした。昭和の私は、卵を入れたインスタントラーメンを上手い!と思いながらいただきます!
ラーメン屋さんのラーメンはあまり好きではないのです。お家で作る生麺のラーメンもあまり好きとは言えません。

今日のうれしかったこと

毎日ほんの少しのことで、浮いたり沈んだり。相変わらず、メンタルは豆腐(と若い人は言うらしいです笑笑)です。

が、今日はうれしいことがありました。

年末に訪問を始めた方が、
「治療後は、立ち上がる時に痛みがなくて、嬉しくて涙がでました」と言って下さいました。

痛みが和らぐということが、当人にとっては涙が出てくるくらい嬉しいと言われ、なんだかしみじみそんなもんかと考えさせられました。
そして、自分がそういう力になれたことや、そんな風にストレートに言っていただけたことが、うれしはずかしで、言われた私が嬉し涙でした。

治療をして、その対価を得ることが出来るということは、基本的には、相手の納得がないと成立しないことなのですが、自分はちゃんと出来ているのだろうか、という不安が消えることはありません。

治療は、目に見えないもので、仕上がりも、時間の経過とともに消えて行くものですから、治療後の、心のモヤモヤは、それなりのストレスです。
しかしながらこのモヤモヤが技術の向上を目指す一番の力になっているのだから、仕方がないことなのだろうと思います。

それで今日はこの有難いお言葉を素直に胸に刻んで明日への活力にしたいと思います。

I feel so happy❣️

患者さんからいただきました。
大笑い な 戌年になりますように。