患者さんからのお土産

患者さんから、岡山旅行のお土産をいただきました。

きびだんごです。めちゃくちゃかわいいパッケージに釘付けです😍😍

「これがきびだんご?! こんなのにつられて鬼退治に行くなんて、しょうもないもんやん。」と箱を開けながら呟いていた息子ですが、一口食べると「わあ〜美味しい❗️全部食べていい?」
いやしさにまけて鬼退治に行きそうな勢いでした。

この岡山旅行は、乳癌の術後、肺に転移をしてしまい抗がん剤で治療中の患者さんが「死ぬ前に行きたいところ」の旅の一つです。

百貨店の阪神タイガースフェアに行き、星野仙一監督人形を買っていたら、ご本人である星野監督(岡山県出身)が出てきて「ありがとうございます」と声をかけて下さったのだそうで、ますますファンになり、どうしても行きたいとご家族に連れて行ってもらわれたのです。

ところが、年中無休のはずの、星野仙一記念館が臨時休業で入ることが出来なかったということでした😢

「がっかりなんて言葉であらわせへんで」と。

簡単に行ける身体でもなく、誰かの助けが必要な状況なのでお気持ちを考えるとため息しか出ませんでした。

けれど、「死ぬまでにしたいこと」の目標達成をしてしまい、することがなくなると困るので、もう一度来てよーと星野仙一監督が言って下さっていると信じて、リベンジを果たして欲しいなと思います。

誕生日プレゼントは鰻

「うなぎこうてきてくれたか?!」
昨日、私が部屋に入るなり、106歳の患者さんがこうおっしゃいます。

???私をヘルパーさんと間違えていらっしゃるのかと思いながら、私が困っていると、

「こうてきてくれへんかったんか」と続きます。

私は一週間前に、お誕生日のお祝いに、おはぎかお寿司をプレゼントすると言いました。
覚えてはいたのですが、お寿司といっても生ものは食べられないだろうし、箱寿司だけをお寿司屋さんで作ってもらおうと考え、昨日は間に合わず来週にしようと思っていました。

患者さんは明らかに先週の約束を鰻のプレゼントに変換して記憶し、待って下さっていたようで、そして鰻がないことを知り、落胆されていました。
「なんや…」

「ごめんなさい。覚えていたのですが、時間がなくて。明日かあさって持ってきます」

次の日は訪問予定にはありませんが、なんとかできるかなと頭の中で明日あさっての予定を考えていました。

「いつ?」と畳み掛けてきます。
「…明日きます」
「何時?」
「……うーんと…1時過ぎにきます」
「わかった」

年相応の認知症は ない…スゴイ…

なので今日は朝から何時にどこで鰻を買うかということを一番に考えて予定を組みました。

七条商店街にある鰻屋さんに行き、鰻の蒲焼を1尾買いました。

訪看さんに相談して、皮を残して身だけほぐせば大丈夫だろうということで、一度には食べられないので、残りは冷蔵庫に入れておくことにしました。
そして、お昼ごはん時のヘルパーさんの訪問に合わせて鰻を持って行きました。

私は患者さんが召し上がられるところが見たくて、ヘルパーさんの食事介助の横で身をほぐしました。

「3分の1くらいでいいかな」
「いや、半分くらいはいけるでしょ」とヘルパーさん。
「えー。そんなに」

美味しそうにもぐもぐ食べられます。
半分の鰻は、どんどん少なくなってきます。

「全部いけるんちゃう?」とヘルパーさん。
「本当に⁈」

1尾の鰻は、あっと言う間に106歳のお腹の中に消えて行きました!

「食べるってすごいですね」とヘルパーさん。
「こんなに美味しそうに食べてもらえて、買って来てよかったです」

「やっぱり花より団子ですね。お花は綺麗だけどねー」とヘルパーさん。

鰻屋さんで、鰻を買ったのは初めてなので、106歳の患者さんのお残りの鰻(の皮)は、家に持ち帰って、もう少し火を入れて夕飯に出しました。

匂いを嗅ぎつけた息子が
「今日うなぎ?」と聞いて来たので、
「うなぎの皮だけ」と答えて106歳の患者さんの話をしながら夕飯をいただきました。

美味しいものはやっぱり人を幸せにするんだなぁとしみじみ思いました。
来年のお誕生日のお祝いもまたできますように。


大谷選手の活躍が患者さんの力に

大リーグ・エンゼルスに行った大谷翔平選手が、大活躍されています。

若い選手の活躍を、私の患者さんたちもテレビを見ながらいろいろ報告して下さいます。

中でも、まだ60代の男性の患者さんは、いつも大谷選手の話ばかりされます。

「ほんまに漫画の主人公やなぁ。ピッチャーで4番。顔も男前。背は高く、手足は長く顔は小さい」
「ほんまですねー。出来過ぎですよね。天はいくつ彼に与えたんですかねー。」

行くたびに毎回こんな会話を繰り返していましたが、先日は、

「毎日、大谷君の活躍を見るのが楽しみやねん。
試合がない日はガッカリ。他の日本人選手の試合だとなんか楽しみな気持ちにならへんねん。

大谷君のことを考えている時は自分の病気のことを考えなくなってん。これって二次的効果かな?」

とおっしゃるのです。

本当にびっくりです。
お若い分、人生に諦めきれず、施術中は、排便コントロールのことや、歩行状態、一日の過ごし方など、元気な頃にはなかった自分の身体に起きた変化について考え続けてしまう時間を毎日毎日過ごされてきたのです。

「毎回毎回おんなじことばっかり聞いて嫌になるやろ」とご自分でおっしゃるくらい、わかっていてもどうしようもなく、心を他に向けることが出来なかった方なのです。

それが、うら若き大谷選手の効果がこんな風に現れるなんて!
なんてすごいことでしょうか!

スポーツで感動を与える力が、希望を失った人の力にもなる事を目の当たりにして、本当にびっくりで、私はそのことに感動しました。

大谷選手の活躍がずっと続きますように。
患者さんの元気がずっと続きますように。

▼大谷翔平、米最多の力投にファン総立ち 「最後はいっぱいいっぱい」 – ライブドアニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/14744101/

病気や老化になるのはつらいことだけど、まだ若いうちにそうなってしまうのは、世間から取り残されたような気持ちが悲しみをより大きくしてしまうように思います。
道にポツンと取り残された荷物みたいに、あるべき場所にない感じの空虚な気持ちになってしまうんじゃないかな。

お年寄りから学ぶことを子育てに活かす

子どもの教育や毎日のご飯、掃除の仕方やお金の使い方といった家の中で行われることの大半は、自分の育った環境の中から知らないうちに身につけていくことが多いように思います。

でも、私の場合は、毎日、他人の居住空間で仕事をしているので、親から受け取ったこと以上に、患者さんのやり方・考え方に影響を受けてきたように思います。

子育てもその中の一つです。

今の高齢者は、戦争体験者です。
物のなかった苦労話、学校に行っても勉強より動員で工場で働かされたことや、防空壕に隠れた話など、戦争の時の苦労話は、多く耳にしすぎて、私自身がその場合を陰から見ていたような気になるくらいです。

戦争の時代に生きた苦労は語り尽くせない一方で、今の教育が直面している問題について話す時、少なくない方が、自分たちには、教育勅語があり、きちんとした考え方の中で教育を受けてきたと、教育勅語を大きく評価されるのです。

戦後生まれの私の中では、教育勅語は軍国主義の象徴のようなもので、軍国主義による洗脳で、こういう全体主義的な考え方を良しとしているのかなと、初めの頃は、批判的に聞いてきたように思います。

でも度々そういう言葉を聞き、またそういう人たちの生きかたが”美しい”と思うことが多いので、あれ?これは軍国主義の洗脳と決めつけてはダメかもしれないと思うようになりました。

私の思う”美しさ”は、自分のいる場所で、自分の納得する秩序を保ち、そのために自己制御できる生き方です。

私は、そういう生活を垣間見た時、なんて美しい人だろうと思います。

他人の尺度ではなく自分の尺度で、それを保つために労力を費やす。
それは、お金で買えるものではありません。慎ましやかで美しい毎日がそこにあるように思います。

そういう暮らしを見たとき、こういう自律的な生き方はどこでどうやって獲得して来られたのかなといつも思うのです。

それは、教育勅語そのもの中や軍国主義の中にではなく、その中で自分を律する心や、自分さえ良ければいいということはよくないことであるという友愛の心が育まれたからなのかなと思うようになりました。

外敵にさらされにくい環境の、小さな島国で生きてきた日本が育んできた心なのかなと思います。

今、若い人たちの中で、このような美しさが失われてきているようにも思います。

そういうわけで、もうかなり手遅れかもしれませんが、自分を律する心、他人を思いやる心が宿るように厳しく子育てをするように心がけるようになりました。

自分自身が全く行き届いていないのでうまくいかないことまも多々ありますが、お年寄りから学んだことを生かしています。

私が訪問マッサージに飽きることがない大きな理由はこんなところにもあるのです。

御歳90歳の患者さんの作品。
丁寧に作られたこの方の作品を見るたび、この方の過ごして来られた90年という歳月に思いを馳せて、深い感慨を覚えるのです。

ノーブレーキで突っ走ってきたマッサージの仕事

昨夜は私のブログが縁で声をかけて下さった同業の先生たちと飲みに出かけました。

人見知りをすることも多く、初めてお会いするときはうまく打ち解けられるかわからないので、少し緊張していましたが、相手が私よりずっと上をいく話し上手な方で、緊張する間も無く話に引き込まれていき、楽しい時間を過ごすことが出来ました。ありがとうございました😊

マッサージ師になってもう長くなるので、ブログで書き表している私は、鷹の目で自分を俯瞰しているとても冷静な私で、普段の私とは少し違うかも知れません。

普段は、冷静さからほんの少しかけ離れていて、特にスイッチが入るとブレーキがきかなくなってしまい、何か失敗するまで、「やる」という指令以外は脳に届かなくなり、周りが見えなくなることもよくあります。

訪問マッサージの仕事は、こんな私が人生で一番夢中になり、ノーブレーキで突っ走って来たことの一つです。

自分の未熟な想いを抑えられず、周りのあらゆる人にご迷惑をかけ、泣いたり、怒ったりを繰り返して来ました。
その度にもうやめようかなと思ったりしましたが、こんな私を見捨てず、暖かく助言をして下さり、守り育てて下さった方々との出会いの中で、倒れても、途中で投げ出さずにやってこれました。

なりふり構わず突っ走ってきた分、失敗とそこからの学びもまた多く経験してきたのは確かです。

私の経験が何かのお役に立てるなら、これほどうれしいことはありません。とりわけ、仕事を始めたばかりの方々のその悩みの助けになれたら嬉しいと思っていますのでいつでも声をかけて下さい。

私なりのやり方でしか生きられませんが、こんな私が仕事を続けられている事、受け入れてもらえている事全てに心から感謝です。

混沌が苦手です。私なりの秩序を見つけるまでブレーキを失うことがたびたびです。寝たきりや脳梗塞後遺症の症状に私なりの秩序を見つけるまで長い長い時間がかかりました。
今は私なりの秩序の中に身体というものがあるので安心して仕事に取り組めるようになりました。

デューク更家さんのウォーキングレッスン

ここしばらくデューク更家さんのウォーキングレッスンを、雑誌を見ながら息子と二人で10分くらいしています。

この3月、二人で出かけた時に、息子の階段を降りる膝の動きが悪いのを見て、マッサージ治療を行いました。
施術後は良くなるのだけど、漏斗胸のために体幹が弱く、O脚になってしまうのですぐ元に戻ってしまいます。それで体幹トレーニングをする方が早いと考え、一緒にデューク更家さんのウオーキングレッスンを始めたのです。

始めてみると、何よりも驚いたのは私の体幹力と股関節の支持力の低下でした。

鏡で見てもわかるくらいに、すぐにお腹が伸びて「ポッコリお腹」がへっこみました。また股関節周りも毎朝、布団の中で、筋肉痛を感じながら、血のめぐりが良くリンパの流れを感じられている気がします。

謳い文句にある通りに、スタイルが良くなりダイエット効果を感じられている気がします。

息子は、脚を開いて股割りをする深部ストレッチで踵をつけてしゃがみ込めず膝にも痛みがあったようですが、かなり深くまでしゃがめるようになり、見ている限りでは膝の痛みもほとんどないようです。(しつこく聞くと、「このポンコツの身体!」などと怒り出すので、付き合ってレッスンするだけでもエライなと思うので細かく聞いたり指導できません😥)

やっぱりマッサージだけではダメで、ちゃんとトレーニングをすることの大切さを身に染みて感じました。

それで訪問マッサージの仕事もトレーニングを組み合わせることがとても大切だと、以前にも増して患者さんと一緒にトレーニングする量を増やしたり自分でするよう伝えたりしています。

ただ、身体を整えない無理なトレーニングは、従重力筋をさらに鍛え老化を加速する危険性があることを忘れてはいけません。
だからマッサージで抗重力筋の働きが優位になるように身体を整えることは本当に大切なのです。

デューク更家さんのウオーキングレッスンは、わずか10分足らずの時間の中で抗重力筋がうまく働くようなストレッチと筋トレが組み合わせてあり、20歩×2種類のウオーキングで十分効果が出るように作ってあるように思います。本当にすごいなと思います。

このウオーキングレッスンは、5年前に悠生治療院を始めてから、時々、治療院のスタッフと一緒にしていました。
でもこれほどの効果を実感することはありませんでした。それは私の身体が50代の衰えに確実に向かっているからなんだと思います。
いまや、息子以上に自分自身の切実な願いとして、息子が嫌がってしない日も一人レッスンを続けています。

いつまで続くかなと思いますが、体幹がしっかりして姿勢がいいと、頭も一番いい状態で背骨に連結します。
それは頭に巡る血流を一番良くする状態なので、髪の毛、耳、眼、そして口の動き、シワ全てにおいて老化のスピードを緩めるのを知っているだけに、なんとか続けていきたいなと思っています。

体幹の回旋がやっぱりとても大切だと実感しました。腰を回す動作を意識するだけでもかなり違うと思います。

癒す、癒されること

私ごとに様々翻弄されている間に桜の季節も終わろうとしています。
すっかりご無沙汰してしまいました。お久しぶりでございます。

まだ冬装束で過ごしている今の時期、急な気温の上昇で脱水になられる方が一番多い時期なように感じています。
わたしの治療院でも何人かの方が脱水気味になられました。そしてそのまま体調を崩されて、お二人の方がお亡くなりになられました。

お一人は癌の末期でわずか1カ月のおつきあいでした。もう一人の方は5年目のおつきあいになるところでした。

関わらせていただいたどの方にもそうですが、お亡くなりになられ、お付き合いが途絶えてしまうと、わたしはちゃんと自分の役割を果たせていただろうか、もっと違うやり方があったんじゃないだろうかなど様々な想いが頭の中を駆け巡ります。
それから、施術しながら話してくださったあれやこれやを思い返します。このあれやこれやは、患者さんのお家の近くに行った時や、何か思い起こすものを目にするたびに思い出します。

人生の全てを終えて、死を覚悟した人の励ましや助言下さる言葉というのは、美辞麗句のような上辺の言葉とはまるで違う、その方の人生の中から選び出されるもので、どんな言葉も私の心に染み入るように響いてきます。

訃報を知らされ、これらの言葉を思い出して一人声をだして泣きじゃくることがあります。

それは、亡くなられた別れの悲しみではなくて、癒していただいた心をもう一度自分の中で再確認しているように思います。

ご存命の間は自分のしなければならないことの方に気を取られていて、癒していただいている気持ちにフォーカスする余裕がないのではないかと思います。それで、訃報をいただいてから話していただいた様々を思い出し私の心がどんなにか癒されていたのか気づいて嗚咽するのだろうと思っています。

癒すとは、私もまた癒されているのだとしみじみと感じる瞬間です。

ご縁をいただき本当にありがとうございました。

心よりご冥福をお祈りいたします。

すっかり散ってしまった桜です。散った桜がまた美しくて好きです。

ハイパーステージアさんの個展に行ってきました

息子が部活に行くまでの朝一番に、息子たちとハイパーステージア(※)さんの個展を見に行ってきました。

出来上がった作品もさることながら、作り上げて行かれる、几帳面に折り目をつけて出来上がっていく様子に魅入ってしまいました。

折ることよりその展開図を考えることが楽しいのだそうです。
すごいなぁ。
こんなのに比べるとわたしのマッサージの大雑把でいい加減なこと!仕事(作り上げていくもの)が違うとはいえ、ちょっと恥ずかしい気持ちになりました。

(※)ハイパーステージアさんのことは以前のブログ記事に書きました。
折り紙クリエイターのご紹介

和紙に漆を塗ったものを来られた方が持参され、作品をリクエストされていました。初めての紙で硬くてしっかりとしている素材を扱いながら折りあげて行かれる姿がステキでした。

これが展開図を考えるのに三年を要した作品だそうです。箱と鶴の一体化!すごい以外言葉が出ません。

92歳の患者さんから聞く昔話

「75までは働ける。50までは練習。本番はこれからや」

中央市場で働いてきた患者さんは、今92歳。
重い荷物を運び続けて、変形性頚椎症から手足が痺れて起居動作が困難になられていますが、気持ちは現役の時のまま、しっかりされています。

そしていつも私たち若いモンを励まし続けて下さいます。
マッサージしながら聞く昔話は、本当に楽しい時間です。

「昭和元年生まれやから、すぐわかるねん。
満州事変は昭和6年。日中戦争は昭和12年。太平洋戦争は昭和16年。一番損した世代やな。17歳から国の命令で働かされてほんのちょっとの給料もらって。それも全部親に渡した。
戦争が終わった時、嬉しくてワンワン泣いたで」

えー!悲しくてワンワン泣いた人もいはったん違うんですか?

「なんでや。食べるもんもないし、いいこと一つもなかったし、終わったら嬉しいやん」

戦争体験者から聞く戦争の話は、私が子どもの頃にテレビで見たような、心の底から「戦争万歳。お国の為に我慢します」みたいな方の方が少なくて、おかしいなと思いながらも、やってきた時代の波をを受け入れ懸命に生き抜いてきたという方の方が多いように思います。

「ほんま政府は悪い奴やで。お金を没収して自分の発行した印紙を貼ったお金しか使えんようにして。あのお金はどこかに眠ってるに違いない。返してほしいわ」

「才能はあったけど親が勉強したらあかんって言って、家の手伝いと子守ばっかりさせられた。せやけど、勉強したいやん。必死になってしたけど、小学校しか行かせて貰えへんかった。
工場に働きに行った時に、女学校でた人と比べて恥ずかしく自分で勉強しておぼえたんやで」

こういう真面目で一生懸命な方。お上にたてつかず贅沢もしないで働き続けたこういう方々が戦後の日本の復興を支えてこられたのだろうと思うから、心の底からリスペクトして聞き惚れてしまいます。

「結婚してからは、家が商売してたから、無茶苦茶働いた。なまくらはキライ。必死になって働いたで。働いてお金貯めて世界中行ったよ。一番良かったのはカナダとオーストラリア。きれいで美味しいかったわ。」

「あんたも今は働けるだけ働いてお金貯めて、子どもが手を離れたら旅行行けるやん。まだまだこれからや。あんたやったら出来る。75までは働きや」

「せやけど、今が一番幸せやで。みなさんにちゃんとしてもらって、食べたいもん食べられて、お風呂に入れてもらって、こうしてマッサージに来てもらって。
マッサージしてもろたら、身体が動きやすくなるで。ほんまにありがたいで」

お金をいただきながら、こんな風に褒めていただいて、幸せだなあと思いながら仕事をさせてもらって本当にありがたいのはこちらです🙇‍♀

こういう絵に描いたような勤勉で正直な人たちは”絶滅危惧種”になりつつあるんじゃないかな。
もしそうなら日本の将来は大丈夫かなぁ。

中央市場の近くは島原という古い街並みが残っています。石畳みの道になっています。
大人気の魚の煮付け定食屋さん。毎日行列ができています。
昔の遊郭がそのままシェアハウスになっています。

2018京都マラソンのマッサージボランティア

今年も京都マラソンにマッサージボランティアとして参加してきました😀

毎年参加させていただいていると、なんだかいっぱしの関係者のような気分になるのです。市長の労いの訪問も嬉しい気持ちになります。

会場準備中、桝本京都市長登場

ランナーがゴールされるまでの時間を顔馴染みになった鍼灸マッサージの先生方と雑談しながらまったり待つのが好きです。

それから第1号のランナーが受療に来られた時に、全員が緊張感を持つ瞬間も好きです。

6分という制約の中で来て良かったと思っていただけるようにと意識すると、普段の仕事とはまた違う緊張感があり、毎回が真剣で、手を抜けませんし、慣れる間もなく、自信も持てません。

「あー気持ち良かった」と言っていただけるとホッとします。

私が施術しているところ

今年は鍼灸マッサージを合わせ、900名の方の施術が出来たそうで、とにかく満席の待ち合い席を見ながら施術したからか、クタクタで、終わった時にテキパキ動くことが出来ませんでした。

歳には勝てないということかもしれません。とにかく疲れました。
ランナーと話すこともほとんどありませんでした。手は動いても口まで動かす気力がなかったことと、耳が少し遠くなってるように思います。ザワザワした中では顔を近づけないと聞き取り辛く、時間がもったいなくてなかなか話を振ることが出来ませんでした😩

それでも印象に残ったことが二つあります。

一つは、50歳のランナーの方のお話です。
特に辛いところをあらかじめ記入していただくのですが、その方は、背中だけしか、記していませんでした。
「マラソンは、背中だと思うんです。老化したら背中が丸くなるでしょう。マラソンも一緒だと思っています。背中を伸ばして走ったら脚は平気です。40からマラソンを始めて、体重が20キロ落ちて、健康になりました。今は年間15回くらいマラソンに参加します」
とおっしゃいました。脚は何の張りもなくつきたてのお餅のようでした❣️

もう一つは、中国から来られた32歳の男性のお話です。
日本が大好きで、何度も来られているそうです。どこがそんなに好きかお聞きしました。
どこのお店も店員さんの対応が丁寧で親切なところだそうです。
なんだか笑っちゃいました。
他のいろいろなところ、多分多くの日本人が世界に誇れると考えているところ、ではなくて、店員さんの丁寧な対応が日本をお気に入りに思う理由になるなんて!Heart to Heart が人間の基本なんですね。

この外国人の方との会話ですが、マッサージ専用に通訳ボランティアの方々の協力もあるのです。

最後に、今日最高に気分が良かった出来事は、尊敬する治療院の先生が、うちのスタッフを真面目で素晴らしい「うちに もらいたい」と言って下さったことです。

自分のスタッフを褒めていただけることがこれほど嬉しいとは!
もちろん当の本人も上機嫌で今日一日を自信たっぷりで施術に当たれたと思います😆

スタッフたちと

こんな風に、何かと楽しいマラソンマッサージボランティアですが、事前準備を緻密にこなして下さる京都府鍼灸マッサージ師会の先生方の御尽力のおかげです。
本当に様々ありがとうございます。

来年もまた楽しく参加出来たら嬉しく思います。

若い鍼灸マッサージ師の先生方!来年は是非とも助けに、楽しみに来てください。よろしくお願いします。

▼昨年2017年のブログ記事
京都マラソンボランティアマッサージ
https://www.yukicure.com/2017/02/21/kyotomarason/

嬉しい京都マラソンボランティアのアンケート
https://www.yukicure.com/2017/05/19/kyotomarason-2/

6分では足りないとだろうからと、セルフケアの道具を持って来られたマッサージ師の方もおられました。
木の道具は手作り。木の温かみがいいそうです。
帰りの景色がとてもキレイでした。